土井利忠 (技術者) – Wikipedia

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土井 利忠(どい としただ、1942年2月2日 – )は、兵庫県出身の技術者・経営者。「ホロトロピック・ネットワーク」代表。ペンネームは天外 伺朗(てんげ しろう)。

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人物・来歴[編集]

1960年、愛知県立旭丘高等学校卒業、弓道部。1964年、東京工業大学電子工学科卒業。1972年、東北大学工学博士(国内留学)。

東京工業大学卒業後ソニーに入社し、アンテナ、CAD、コンパクトディスクなどデジタル・オーディオ技術、ワークステーション「NEWS」、エンタテインメントロボット「AIBO」「QRIO」の開発を手がけたことで知られている。後に同社業務執行役員上席常務[1]となり、「ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所株式会社」所長兼代表取締役社長、「株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所」取締役ファウンダーを務めた。2004年の経営会議で出井伸之ソニー会長からQRIOなどロボット事業の商品化中止を命じられる[2]。2006年6月にソニーを退職後、『文藝春秋』2007年1月号にペンネームで「成果主義がソニーを破壊した」と題する論文を発表し、1990年代後半以降のアメリカ流成果主義に基づく経営を厳しく批判した。

また、天外 伺朗(てんげ しろう、手塚治虫の漫画『奇子』の登場人物に由来する)というペンネームで、CDを中心としたディジタルオーディオについての(自分自身である)「D博士」に取材するというスタイルの書籍、スピリチュアル関係や企業の部署内における人員管理を主題とした著書を執筆している。長年、両者が同一人物であることは公表されていなかったが、2001年12月23日付の『読売新聞』でこの事実を明らかにして以来、近年の文芸・評論活動においては天外伺朗名義で行うことが多い。

評論家の宮崎哲弥は土井のスピリチュアル関係の執筆活動を強く批判している[3]

江戸幕府の大老土井利勝で知られる土井氏の末裔。しかし自分の子には「利」の付く名前は付けていない。

失敗談[編集]

デジタルオーディオ機器(CDおよびDASHフォーマット)開発途上、社内のアイディアコンテストにおいて、シミュレーションを用いた展示物を製作する際、知識を生かして、社内システムを占有した。これが経理処理など社内業務の遅れにつながり、始末書処分となった。ただし、シミュレーションを用いた展示物は、日本電気学会などでも発表した(太平洋における潮汐の定常波を増幅する潮汐発電)。

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  • 1960年 – 愛知県立旭丘高等学校卒(弓道部に在籍)
  • 1964年 – 東京工業大学工学部電気工学科卒
  • 1964年 – ソニー株式会社入社
  • 1965年 – 東北大学研究生(~1969年)
  • 1972年 – 工学博士(東北大学)
  • 1975年 – デジタルオーディオ研究開発プロジェクトのプロジェクトマネジャー(~1980年)
  • 1982年 – AES副会長(国際担当)
  • 1987年 – ソニー株式会社スーパーマイクロ事業本部 本部長
  • 1992年 – 株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所 社長
  • 2002年 – ソニーインテリジェントダイナミクス研究所株式会社 社長
  • 2007年 – 退社

主な受賞歴[編集]

  • AESフェローシップ(1980年)
  • Eduard Rhein賞(1981年)
  • Michel de Conda(1982年)
  • AESシルバーメダル(1984年)
  • Berkeley Distinguished Service Award(1991年)
  • 高柳記念奨励賞(2002年)
  • 天外伺朗『東京湾超発電計画―潮の干満から大エネルギーを(ブルーバックス)』講談社、1988年。ISBN 4061327194。

共著[編集]

  • ディジタル・オーディオ, 伊賀章との共著, ラジオ技術社, 1982

外部リンク[編集]


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