ジョルディ・ジェネ – Wikipedia

before-content-x4

2006年、クリチバ。同地の第1レースで2006年唯一の勝利を挙げた

ジョルディ・ジェネJordi Gené Guerrero 、1970年12月5日 – )は、スペイン・カタルーニャ州サバデル出身のカーレースドライバーである。

after-content-x4

現在、世界ツーリングカー選手権(WTCC)にセアトチーム(セアト・スポーツ・スペイン)から参戦している。

名前は日本ではスペイン語の発音から「ホルディ・ヘネ」と呼ばれる場合も多い[1]。F1ドライバー、マルク・ジェネの実兄である。

初期の経歴[編集]

1986年にスペインカート選手権を制し、四輪レースにステップアップ。すぐさま頭角を現し、1987年にはスペイン国内のワンメイクレースであるフィアット・ウーノ選手権、翌1988年にはフォーミュラ・フォードのスペイン国内選手権を制した。

1989年にはイギリスに移り、フォーミュラ・フォードのイギリス選手権を戦い、同年のフォーミュラ・フォード・フェスティバルでは4位を獲得した。翌年はイギリスF3へとステップアップし、2年目の1991年はラルト・ホンダを駆ってランキング4位で終えた(同年の選手権ではチームメイトのルーベンス・バリチェロがタイトルを獲得した)。この年は初開催となるマルボロ・マスターズ、年末にはマカオグランプリ、インターナショナルF3リーグなどの国際レースにも出場し、富士スピードウェイで行われたインターF3リーグではデビッド・クルサードを破って優勝した。

国際F3000[編集]

マールボロの支援によりパシフィック・レーシングのシートを得て、1992年は国際F3000に参戦した。レイナード・無限を駆って、シルバーストンで開催された開幕戦をデビュー戦優勝で飾り、シーズン自体もランキング5位で終えた。

after-content-x4

翌年は、エイドリアン・カンポスにより構想されたスペインのF1チーム発足計画、「ブラヴォF1」に関わった。この計画は数台のシャシーを製造する程度には進展したものの、結果的に実ることはなく、ジェネは1993年にはF3000へと復帰することとなった。

所属したトム・ウォーキンショー・レーシングジュニアチームの戦闘力ははかばかしくなく、わずかなポイントを獲得するに留まったが、ここでチームオーナーであるトム・ウォーキンショーと知己を得たことにより、1994年には国際F3000に参戦するかたわら、F1のベネトンチームでテストをする機会に恵まれた。

ツーリングカー[編集]

F1のシートを得ることができなかったジェネは、1995年にスペイン・ツーリングカー選手権への参戦を開始した。

初年度の1995年はオペルワークスチームのドライバーとしてオペル・ベクトラを駆り、ランキング2位を得、翌年はアウディに籍を移し5勝を挙げ選手権タイトルを獲得した。

同選手権には1997年まで参戦したが、1998年にマヌエル・サントス・マルコスの招きに応じて、「レーシングカー」ではなく「レーシングトラック」(厳密にはトレーラーのトラクタ/ヘッド)による選手権であるヨーロッパ・トラックレーシングカップへと参戦の舞台を移すという、珍しい選択をした。2年間に渡って参戦したものの、さしたる結果を挙げることもなく、2000年には「レーシングカー」によるレースへと戻ることとなり、結果的に無為に時を過ごすこととなった。

2000年は、ル・マン24時間レース(レイナード・VWを駆ってプロトタイプカー部門に参戦)、スペイン国内のGT選手権に参戦、2001年にはヨーロッパ国内の各種の耐久レースに参戦し、ルマン24時間レースでは、前年と同じくレイナード・VWを駆ってクラス優勝を果たし、総合順位でも5位という記録を残した。

2001年末に開催されたバルセロナ・24時間レースでツーリングカーに復帰し、この時はフォルクスワーゲン・ゴルフを駆った。

これらの結果により、イタリア人の元ツーリングカードライバーで、当時はヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)でBMWチーム・イタリア/スペインを率いていたロベルト・ラヴァーリアの目に留まり、2002年はETCCに参戦しBMW 320iを駆ってランキング8位を獲得した。

BMWはアルファロメオと共に、当時の同選手権に君臨する存在であったが、ジェネは2年目となる2003年はセアトに移籍した。移籍初年度は案の定低迷してランキングも17位に終わったが、翌2004年はチーム、ドライバーともに奮起し、2回の表彰台を獲得し、年間ランキングも再び8位とした。この年はスペインのGT選手権においてもセアトチームに所属し、ETCCと同じくセアト・トレドを駆って、ギネス・ヴィヴァンコスとのコンビで年間チャンピオンに輝いた。

ETCC最後の年となった2004年はこの年に投入されたセアト・トレド・クプラが競争力を欠いたこともあって再び低迷を味わうが、2005年、同選手権から改組された世界ツーリングカー選手権(WTCC)のヨーロッパ最終ラウンド、スペイン・バレンシアの第1レースで念願の初優勝を手にした。

2006年も同チームから参戦し、この年に投入された新車セアト・レオンを駆ってシーズン中盤に1勝を挙げた。

レース戦績[編集]

マカオグランプリ[編集]

国際F3000選手権[編集]

スペインツーリングカー選手権[編集]

ル・マン24時間レース[編集]

  1. ^ ただし、彼の出身地のカタルーニャ地方で日常的に使用されているカタルーニャ語での発音は、「ジョルディ・ジェネ」に近い。

外部リンク[編集]

after-content-x4