国際連合事務総長 – Wikipedia
国際連合事務総長(こくさいれんごうじむそうちょう、英語:Secretary-General of the United Nations、フランス語:Secrétaire général des Nations unies)は、国際連合の6つの主要機関のうちの一つである国際連合事務局の代表である。UNSGまたはSGと略称される。事務局及び事務総長の役割は国際連合憲章第15章(第97条から第101条まで)に規定されている。ただし事務総長の能力・選考方法・在職期間には解釈の余地があり、慣習的に定められている[1]。 事務総長の任務は国際連合内部の組織運営をめぐるものと加盟国における紛争などに際しての調停や国際連合が扱う諸問題についての発言などの両方が含まれる。位の位置付けとしては最も立場が高いとされ、国際連合の最高職に位置する。 その多忙さから世界で最も困難な仕事と形容される[2]。初代事務総長のトリグブ・リーは、1953年4月9日に次期事務総長となるダグ・ハマーショルドをアイドルワイルド空港(現・ジョン・F・ケネディ国際空港)で迎えた際に、ハマーショルドに事務総長の職を「世界で最も困難な仕事」と紹介している[3]。 選出と任命[編集] 事務総長は国際連合憲章の規定するところにより、安全保障理事会の推薦(勧告)を受けて総会によって任命される。勧告は安全保障理事会からのものでなければならないため、常任理事国は指名に対して拒否権を行使することができる。 事務総長になれる者の資格について国際連合憲章に規定は無いが、それまでの選考の前例に基づいた非公式な選考資格が設定されている。それによれば、事務総長の候補者は常任理事国の国民であってはならない[4]。1997年の総会決議51/241では事務総長の「最良の候補者」の選考において、選考される者の出身地域(大陸)と性別の平等に考慮すべきであるとしている[5]:5が、これまでに女性が事務総長になったことは無い。出身地域については前任の事務総長と同じ出身地域から選出された例は、第2代のダグ・ハマーショルドと第7代のコフィー・アナンのみである。これまでに任命された者は全てキャリア外交官だった[6]。 安全保障理事会における次期事務総長の選考プロセスは不透明で、しばしばローマ教皇のコンクラーベと比較される[7][8]。1981年以降安全保障理事会では次期事務総長を選定するための非公式な調査や投票を行ってきた。安全保障理事会は最終候補者の選定後、総会に勧告して承認を求める。これまでに総会で否認された候補者は1度もいない。安保理で異議が出たにもかかわらず総会の投票にかけられたのは、1950年の一度だけである[注釈 1][9]。 第8代の潘基文までは安全保障理事会の非公開会合のみで候補者が推挙されてきた経緯があり、批判も少なからずあった[10]。この為2016年末で任期満了となって退任する潘の後継を決定するに当たっては、安全保障理事会が最終候補者を推挙する事そのものは変わらないものの、国際連合発足以来初めて事前に立候補者を公募し、2016年4月に候補者全員が出席して行われる公聴会を開催して手続きの透明性を高めた[10]。この手続きで選ばれた最初の人物が、第9代で現任のアントニオ・グテーレスである。ただし安全保障理事会での最終的な候補者の決定は非公開で行われ、これまでの選出と同じプロセスを踏襲したため、総会議長は「加盟国の期待に応えておらず、開放性と透明性という新たな基準にも対応していない」と苦言を呈した[11]。 事務総長の任期の規定も国際連合憲章には無いが、1971年以降の全ての事務総長は5年の任期で任命されている。1961年以降の全ての事務総長が2期目の選考を受けており、1996年の選考でアメリカに拒否権を行使されたブトロス・ブトロス=ガーリ以外は2期目の再選を受けている。2期までという任期制限が非公式に設けられているが、これは1981年の選出で中国がクルト・ヴァルトハイムの3期目の選出に過去最多の16回の拒否権を投じたことを受けて制定されたものである。1981年以降3期目の就任を目指そうとした事務総長はいない。なお、第3代のウ・タントの在任期間(事務総長代理の期間を含む)は歴代事務総長の中で唯一10年を超えているが、これは2期目の途中で任期を暦年に合わせて1月1日から12月31日までとすることになったためである。 権限と義務[編集] 事務総長の役割は提唱者・外交官・公務員・最高経営責任者(CEO)のそれぞれの機能と責任を組み合わせたものと説明されている[12]。国際連合憲章では事務総長を国際連合の「最高行政責任者」(chief
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