大糸線 – Wikipedia

大糸線(おおいとせん)は、長野県松本市の松本駅から新潟県糸魚川市の糸魚川駅に至る鉄道路線(地方交通線)。松本駅 – 南小谷駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)、南小谷駅 – 糸魚川駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄である。

北アルプス(飛騨山脈)の東側を、長野県大町市以南は高瀬川、その北は日本海へと注ぐ姫川に沿って走る。沿線には立山黒部アルペンルート東の玄関口である大町市を控え、仁科三湖(木崎湖・中綱湖・青木湖)などの行楽地やスキー場が多く、行楽客や白馬岳などへの登山者の足であるとともに、松本市・安曇野市など沿線都市への通勤・通学路線としても機能している。広域輸送としては主に中央本線からの特急列車が直通している。

2015年3月14日の北陸新幹線長野駅 – 金沢駅間の開業により、並行在来線である北陸本線金沢駅 – 直江津駅間は経営分離され、本路線の南小谷駅 – 糸魚川駅間はJR東日本の在来線およびえちごトキめき鉄道と、北陸新幹線のJR西日本所管区間のみに接続し、JR西日本の在来線路線としては孤立している。同区間については地元自治体との協議も予定されていた[3]が、引き続きJR西日本が管轄し[4]、糸魚川駅など新潟県上越地方と長野県北アルプス地域を結ぶアクセス路線となっている。

2022年2月3日にJR西日本は、利用の減少している南小谷駅 – 糸魚川駅間についての存廃議論(バス転換などを含めた協議)を同年3月から開始すると発表した[5]

JR東日本区間のラインカラーはパープル。

路線データ[編集]

  • 管轄・路線距離(営業キロ):全長105.4km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:41(JR東日本33駅、JR西日本8駅。起終点駅含む、JR西日本は南小谷駅を除く)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:松本駅 – 南小谷駅間(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
  • 保安装置:
  • 運転指令所:
    • 松本駅 – 南小谷駅:長野総合指令室
    • 南小谷駅 – 糸魚川駅:金沢総合指令所(北陸広域鉄道部糸魚川CTC)
  • 最高速度:
    • 松本駅 – 信濃大町駅間:95km/h
    • 信濃大町駅 – 南小谷駅間:85km/h
    • 南小谷駅 – 中土駅間:65km/h
    • 中土駅 – 小滝駅間:85km/h
    • 小滝駅 – 糸魚川駅間:65km/h

松本駅 – 南小谷駅間はJR東日本長野支社、南小谷駅 – 糸魚川駅間はJR西日本金沢支社北陸広域鉄道部の管轄[7]である。ただし、会社境界駅である南小谷駅はJR東日本の管理駅で、南小谷駅北方にある上り場内信号機(松本起点70.616km地点)が線路上の境界となっている。また、糸魚川駅(在来線)構内はえちごトキめき鉄道が管理している。

松本駅 – 信濃大町駅間は、信濃鉄道(現在のしなの鉄道とは無関係)により開業した。信濃大町駅 – 糸魚川駅間は国により建設され、大糸南線の信濃大町駅 – 中土駅間と大糸北線の小滝駅 – 糸魚川駅間が1935年に開通した。松本駅 – 糸魚川駅間が全通して大糸線となったのは1957年である。江戸時代に整備された千国街道は大町と安曇追分の間に池田通りと松川通りの二つのルートが存在したが[8]、信濃鉄道は松川通りに沿って建設された。

「大糸線」の路線名は、信濃大町以南が信濃鉄道であった時代に、国によって信濃町と魚川を結ぶ路線として建設されたことに由来する。全通以前に信濃鉄道は国有化されていたが、「大糸」の路線名は買収区間も含めてそのまま踏襲された。現在のJRの路線名で、複数の地名から一文字ずつを取って付けられた名称は通常音読みするが、例外的に大糸線と米坂線は両方の漢字を訓読みする。

信濃鉄道[編集]

  • 1915年(大正4年)
    • 1月6日:信濃鉄道 松本市駅(現・北松本駅) – 豊科駅間(6.7M≒10.78km)が開業。松本市駅、梓橋停留場(現・梓橋駅)、明盛駅(現・一日市場駅)、豊科駅が開業[9]
    • 4月5日:南松本駅 – 北松本駅間(0.4M≒0.64km)が延伸開業。貨物駅として南松本駅(松本駅隣接、現在の南松本駅とは別)が開業。松本市駅が北松本駅に改称[10]
    • 5月1日:明盛駅が一日市場駅に改称[11]。中萱停留場が開業[12]
    • 6月1日:豊科駅 – 柏矢町駅間(1.7M≒2.74km)が延伸開業。柏矢町駅が開業[13]
    • 7月15日:柏矢町駅 – 穂高駅間(1.2M≒1.93km)が延伸開業。穂高駅が開業[14]
    • 8月8日:穂高駅 – 有明駅間(1.4M≒2.25km)が延伸開業。有明駅が開業[15]
    • 9月16日:梓橋停留場が駅に変更。
    • 9月29日:有明駅 – 池田松川駅(現・信濃松川駅)間(4.7M≒7.56km)延伸開業。細野停留場、池田松川駅が開業[16]
    • 10月1日:島内駅が開業[17]
    • 11月2日:池田松川駅 – 信濃大町駅(初代)間(4.6M≒7.40km)が延伸開業。常盤沓掛停留場(現・安曇沓掛駅)、常盤停留場(現・信濃常盤駅)、信濃大町駅(初代)が開業[18]
    • 11月16日:アルプス追分停留場(のちの安曇追分停留場、現・安曇追分駅)が開業[19]
  • 1916年(大正5年)
    • 7月5日:仏崎駅 – 信濃大町駅(2代目)間(1.1M≒1.77km)が延伸開業。信濃大町駅(2代目)開業に伴い、信濃大町駅(初代)が仏崎駅に改称[20]
    • 9月18日:松本駅 – 北松本駅間の旅客営業開始。南松本駅が松本駅に改称[21]
  • 1917年(大正6年)10月13日:仏崎駅が廃止[22]
  • 1919年(大正8年)7月10日:アルプス追分停留場が安曇追分停留場に改称[23]
  • 1926年(大正15年)
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月1日:営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(21.8M→35.1km)。
    • 10月28日:おかめ前停留場(現・北細野駅)が開業。
  • 1931年(昭和6年)8月24日:青島停留場が開業。
  • 1933年(昭和8年)6月23日:松本駅 – 北松本駅間に北松本臨時貨物積卸場が開業。
  • 1934年(昭和10年)2月1日:昭和停留場(現・南大町駅)が開業。
  • 1936年(昭和11年)10月26日:北松本臨時貨物積卸場が廃止。

大糸南線[編集]

  • 1929年(昭和4年)9月25日:大糸南線 信濃大町駅 – 簗場駅間(7.0M≒11.26km)が開業。信濃木崎駅、海ノ口駅、簗場駅が開業[25]
  • 1930年(昭和5年)
    • 4月1日:営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(7.0M→11.2km)。
    • 10月25日:簗場駅 – 神城駅間 (8.9km) が延伸開業。神城駅が開業[26]

      1930年(昭和5年)開業日の神城駅
  • 1932年(昭和7年)11月20日:神城駅 – 信濃森上駅間 (6.4km) が延伸開業。信濃四ッ谷駅(現・白馬駅)、信濃森上駅が開業[27]

    1935年(昭和10年)11月29日、南小谷駅開業式に集う人々を姫川対岸より望む
  • 1935年(昭和10年)11月29日:信濃森上駅 – 中土駅間 (12.5km) が延伸開業。南小谷駅、中土駅が開業[28]

    1935年(昭和10年)11月開業当時の南小谷駅。宅扱貨物の宣伝に努めた。
  • 1937年(昭和12年)6月1日:松本駅 – 信濃大町駅間の信濃鉄道線を国有化して編入[29]
    • 停留場が駅に変更される。おかめ前停留場が北細野駅に、池田松川駅が信濃松川駅に、常盤沓掛停留場が安曇沓掛駅に、常盤停留場が信濃常盤駅に、昭和停留場が南大町駅に改称。青島停留場が廃止。蒸気機関車3両、電気機関車3両、電車10両、貨車48両を引き継ぐ[30]
  • 1939年(昭和14年)
    • 4月21日:午前9時17分姫川右岸の風張山が崩壊し、信濃森上駅 – 南小谷駅間が不通となる[31]
    • 8月7日:4月21日の山腹崩壊により「当分ノ間」信濃森上駅 – 中土駅間の一般運輸営業を停止[32]。南小谷村・中土村・北小谷村の要望により、宅扱貨物及び小口扱貨物による生活必需品の運送を同年11月30日まで自動車代行にて行う[31][32]
  • 1940年(昭和15年)
    • 1月19日:同日より再び生活必需品の冬季代行運送を馬橇にて実施する[33][34]
    • 11月1日:信濃森上駅 – 中土駅間の一般運輸営業を再開[35]
  • 1942年(昭和17年)12月5日:南神城駅が開業。
  • 1945年(昭和20年)7月15日:水害により信濃森上駅 – 南小谷駅間が同日から18日間、南小谷駅 – 中土駅間は20日間不通となる[36]
  • 1947年(昭和22年)12月1日:川内下仮乗降場(現・白馬大池駅)が開業。
  • 1948年(昭和23年)9月25日:川内下仮乗降場が駅に変更され、白馬大池駅に改称。
  • 1952年(昭和27年)7月1日:南小谷駅 – 中土駅間において築堤が崩壊し、3か月間不通となる[37]

大糸北線[編集]

  • 1934年(昭和9年)11月14日:大糸北線 糸魚川駅 – 根知駅間 (10.0km) が開業。頸城大野駅、根知駅が開業[38]
  • 1935年(昭和10年)12月24日:根知駅 – 小滝駅間 (3.6km) が延伸開業。小滝駅が開業[39]

全通以後[編集]

  • 1957年(昭和32年)8月15日:中土駅 – 小滝駅間 (17.7km) が延伸開業し全通。大糸北線・新規開業区間が大糸南線に編入され、大糸線に改称[注釈 2]。北小谷駅、平岩駅が開業。
  • 1959年(昭和34年)7月17日:信濃大町駅 – 信濃四ツ谷駅間が電化され、電車運転区間を延伸。着工決定から僅か3か月余りで24.6kmを突貫電化した[注釈 3]。沿線観光開発進展に伴う輸送力増強が目的で、以後の電化延伸も同主旨による。
  • 1960年(昭和35年)7月20日:信濃四ツ谷駅 – 信濃森上駅間が電化。北大町駅、稲尾駅、飯森駅が開業。
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月28日:蒸気機関車牽引の客車列車につき気動車置き換えを完了。客貨分離し、旅客列車無煙化を達成。
    • 5月1日:大糸線管理所を開設。
    • 12月23日:千国崎仮乗降場(現・千国駅)が開業。
  • 1962年(昭和37年)12月25日:千国崎仮乗降場が駅に変更され、千国駅に改称。
  • 1964年(昭和39年)4月1日:大糸線管理所を大糸線南部管理所に組織変更。
  • 1965年(昭和40年)3月31日:大糸線南部管理所廃止。機能は松本運転所に移管。
  • 1965年(昭和40年)7月13日 – 集中豪雨により梓川にかかる橋脚が傾くなどの被害[40]
  • 1967年(昭和42年)
    • 5月19日:信濃森上駅 – 南小谷駅間の電化着工[41]。総工費7億3千万円、工事担当は大阪電気工事局[41]
    • 12月20日:信濃森上駅 – 南小谷駅間が電化。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:信濃四ツ谷駅が白馬駅に改称。
  • 1971年(昭和46年)4月:特急「あずさ」の信濃大町駅までの季節延長運転開始。
  • 1977年(昭和52年)4月4日:小滝駅 – 平岩駅間で線路上に落ちていた直径80cmの大石に列車が乗り上げ、脱線した[42]
  • 1982年(昭和57年)11月15日:特急「あずさ」の大糸線乗り入れを定期化し、運転区間を南小谷駅へ延伸[43]
  • 1983年(昭和58年)
  • 1985年(昭和60年)12月24日:臨時駅としてヤナバスキー場前駅が開業。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:姫川駅が開業。

民営化以後[編集]

  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、松本駅 – 南小谷駅間を東日本旅客鉄道(JR東日本)が、南小谷駅 – 糸魚川駅間を西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承。日本貨物鉄道(JR貨物)が松本駅 – 信濃大町駅間の第二種鉄道事業者となる。信濃大町駅 – 糸魚川駅間の貨物営業廃止。運行管理は引き続き松本CTC指令で行われ、南小谷 – 糸魚川間の運行管理はJR西日本からJR東日本に委託される。
  • 1993年(平成5年)3月18日:南小谷駅 – 糸魚川駅間でワンマン運転開始[47]
  • 1995年(平成7年)
    • 7月11日:信濃大町駅 – 根知駅間が集中豪雨(7.11水害)のため、不通となる[48][49]
      • これ以降、JR西日本車によるJR東日本区間への乗り入れ(信濃大町駅まで)が実質的に廃止。
    • 7月16日:信濃大町駅 – 白馬駅間が復旧[50]
    • 8月1日:白馬駅 – 南小谷駅間が復旧[51]
    • 9月1日:小滝駅 – 根知駅間が復旧[52]
  • 1996年(平成8年)
    • 1月6日:南小谷駅 – 小滝駅間の復旧工事に着手[48][53]
    • 1月16日:国道148号の復旧に伴い、不通区間においてバス代行輸送が開始[52]。ただし、地元の生活の足としての位置づけであるため、乗車券の発売場所を限定した[54]
  • 1997年(平成9年)11月29日:南小谷駅 – 小滝駅間が復旧し、全線で運転再開[55]。ただし、強風のため始発から運行を見合わせ[56]、運行再開は午後4時20分からとなった[57]
  • 1998年(平成10年)12月8日:E127系電車が運転開始[58]
  • 1999年(平成11年)
    • 3月29日:松本駅 – 南小谷駅間でワンマン運転開始。
    • 3月31日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(松本駅 – 信濃大町駅間 35.1km)廃止。
  • 2006年(平成18年)
    • 1月14日 – 3月9日:平成18年豪雪により、雪崩の危険性があることから南小谷駅 – 糸魚川駅間で運転見合わせ[59]
    • 6月:運行管理が松本CTC指令から、松本駅 – 南小谷駅間は長野総合指令室に、南小谷駅 – 糸魚川駅間は糸魚川地域鉄道部指令(現・北陸広域鉄道部糸魚川指令)に移管、運行管理の受委託を解消。
  • 2009年(平成21年)3月14日:信濃大町駅 – 南小谷駅間を走るすべての定期普通列車がワンマン化。
  • 2010年(平成22年)
  • 2011年(平成23年)1月22日:松本駅 – 北松本駅間の保安装置をATS-SNからATS-Pに変更。
  • 2012年(平成24年)2月1日 – 4月6日:平成24年豪雪により雪崩の危険性があることから、南小谷駅 – 糸魚川駅間で運転見合わせ[62][63]
  • 2013年(平成25年)
    • 6月21日:平岩駅 – 小滝駅間において姫川の護岸が一部崩れているため、南小谷駅 – 糸魚川駅間で運転見合わせ。
    • 8月15日:平岩駅 – 小滝駅間が復旧し、南小谷駅 – 糸魚川駅間が運転を再開[64]
  • 2014年(平成26年)
  • 2016年(平成28年)12月12日:南小谷駅 – 松本駅間で駅ナンバー導入[71]
  • 2019年(平成31年/令和元年)
    • 2月7日:新潟県、長野県など沿線自治体とJR西日本が「大糸線活性化協議会」を設立(JR東日本はオブザーバー参加)[72]
    • 3月16日:ヤナバスキー場前駅を廃止[73]

運行形態[編集]

運行系統は電化区間であるJR東日本管轄の松本駅 – 南小谷駅間と、非電化区間であるJR西日本管轄の南小谷駅 – 糸魚川駅間に分かれており、南小谷駅を越えて運行される定期列車は1995年の集中豪雨被害で線路が寸断された際に運行を停止して以来、運転されなくなった。

かつては大糸線全線を走破する列車として、1960年代 – 1970年代に新宿駅 – 糸魚川駅間で急行「アルプス」(1968年までは「白馬」と称していた)と、1971年から松本駅 – 金沢駅間で急行「白馬」が運転されていたが、急行「アルプス」の糸魚川駅発着列車は1975年に、急行「白馬」は1982年に、それぞれ廃止されている。

松本駅 – 南小谷駅間[編集]

優等列車として新宿方面から特急「あずさ」が定期または臨時で、名古屋方面から特急「しなの」が臨時でいずれも白馬駅または南小谷駅まで直通運転されている。しかし、1997年10月1日の北陸新幹線高崎駅 – 長野駅間の先行開業後は、それまで中央東線・大糸線を利用していた首都圏 – 北アルプス地域間の旅客が、新幹線と路線バスを長野駅で乗り継ぐルートに移行し、以降は新宿方面からの直通列車は減少傾向にある。ただし、冬季は中央東線沿線からのスキー客輸送で一定の需要はある。このほか、急行「アルプス」のダイヤを引き継いだ夜行の快速「ムーンライト信州」も臨時で運転されていたが、2019年3月以降、使用車両である189系の廃車に伴い、運転されていない。

普通列車は松本駅 – 信濃大町駅間と、それに接続する信濃大町駅 – 南小谷駅間の列車が主体であり、1日2往復が松本駅 – 南小谷駅間を直通する[74]。朝夕には松本駅 – 穂高駅・有明駅間の区間列車も運行されている。一部は松本駅から篠ノ井線やさらに先の中央本線へ乗り入れ、塩尻駅や岡谷駅(辰野支線辰野駅経由含む)・上諏訪駅・富士見駅まで直通する列車もある[75]。朝や夜間一部列車は快速運転を行っている。

なお、松本駅 – 南小谷駅間ではE127系100番台によるワンマン運転が行われており、信濃大町駅 – 南小谷駅間については全列車がE127系100番台によるワンマン運転となる。

運行本数は松本駅 – 信濃大町駅間で1時間に1 – 2本程度、信濃大町駅 – 南小谷駅間は3時間以上運行のない時間帯がある。

2010年10月2日からはHB-E300系による臨時列車「リゾートビューふるさと」が篠ノ井線直通で長野駅 – 南小谷駅間に運転されている[60][61]

HB-E300系「リゾートビューふるさと」(信濃大町駅 2010年12月)

南小谷駅 – 糸魚川駅間[編集]

運行される定期列車はすべてワンマン運転[注釈 4]による普通列車で、2017年9月20日時点[76]で、南小谷駅 – 糸魚川駅間の列車が1日7往復のほか、朝と夕方には各1往復ずつ平岩駅 – 糸魚川駅間の区間列車が設定されている。この区間の途中駅は夏季の平岩駅を除きすべて無人駅となっている。現在、列車が行き違いを行う途中駅は根知駅のみで、小滝駅・平岩駅・北小谷駅・中土駅にあった行き違い設備は撤去されている。

この区間は非電化区間のため気動車で運行されている。2010年3月13日のダイヤ改正で老朽化したキハ52形からキハ120形へ置き換えられた。同時に車内でトイレが使用可能になった。

車両運用は、糸魚川駅を起点に、6時台から始まり、19時台と22時台に終了する。[74]

過去に不定期列車として、関西方面(大阪・神戸)より、北陸本線・糸魚川駅経由でスキー列車「シュプール号」が乗り入れていたが、2001年冬から2002年春を最後に大糸線への乗り入れは廃止された。

使用車両[編集]

現在の使用車両[編集]

電化区間[編集]

JR東日本が管轄している電化区間では、定期列車は全て同社の電車による運転である。

非電化区間[編集]

JR西日本が管轄している非電化区間では、定期列車は全て同社の気動車による運転である。

過去の使用車両[編集]

電化区間[編集]

  • 社形(信濃鉄道買収車)
  • 省形木造車
  • 17m級旧形電車
    • 30系(クモハ11形、クハ16形)
    • 31系(クモハ11形、クハ16形)
    • 33系(クモハ12形)
    • 50系(クハ16形)
  • 20m級旧形電車
    • 40系(クモハ40形、クモハ41形、クハ55形、サハ57形、クモハ60形)
    • 32系(サハ45形)
    • 42系(クモハ43形、クモハユニ44形)
    • 51系(クモハ51形、クモハ54形、クモハユニ64形、クハ68形)
    • クモユニ81形
  • 新性能電車
    • 153系 中間車のみ165系と混用(急行列車など)
    • 165系(急行列車など)
    • 169系(急行列車など)
    • 181系(特急「あずさ」)
    • 183系(特急「あずさ」)
    • 185系
    • 189系(JR東日本:長野総合車両センター所属、臨時列車として2018年まで快速「ムーンライト信州」に運用されていた)
    • E351系 (特急「スーパーあずさ」、2010年3月12日まで)
    • E257系 (特急「あずさ」、2019年3月15日まで)
    • 115系(2015年3月13日まで)
  • 電気機関車
  • ディーゼル機関車
  • 蒸気機関車
    • C56形(貨物用・非電化区間乗り入れあり)
    • C12形(貨物用・主に非電化区間が多い)

非電化区間[編集]

以下はすべて気動車で、電化区間まで乗り入れたことがある。このほか、蒸気機関車・ディーゼル機関車も使用されていた(前節参照)。

JR西日本に残っていたキハ52形の定期運用は2010年3月13日のダイヤ改正で同社のキハ120形へ置き換えられた[78]。前日まで運行されていた車両は、キハ52形 115、125、156号車の3両である。最後期は全車とも旧国鉄色に塗り替えられて定期運用についていた。115号車は2004年7月にクリーム4号+朱色4号の国鉄一般色に、156号車は2004年12月に朱色5号の首都圏色に、最後まで白地に緑のストライプの旧越美北線色で残っていた125号は2006年11月に青3号+黄かっ色2号の鉄道省色に変更され、同年12月2日から大糸線で運行していた。キハ52形3両のうち115号車はほかの2両とともに2010年3月20日から22日まで最後の3両編成運転を行った後、岡山支社で保存された。125号車と156号車は5・7・8月に臨時運転を行ったのち、125号車はいすみ鉄道へ売却された。156号車は廃車された後、糸魚川市に譲渡され静態保存されることになった[79][80][81]。一時大糸線内でイベント列車として復活させる構想が発表された[82]が、最終的に当初予定通り糸魚川駅アルプス口駅舎1階の高架下施設「糸魚川ジオステーション ジオパル」に設けられる「キハ52展示待合室」にて静態保存する方針が決まり[83]、2014年11月26日に搬入された。同年12月14日の北陸新幹線開業3か月前カウントダウンイベントでの一般公開を経て[84]、2015年2月14日の「ジオパル」オープンにより常設公開が開始された[85]

沿線概況[編集]

起点松本駅からは篠ノ井線としばらく並走し国道19号をくぐり、篠ノ井線と分かれる。これより先は大きく左へ弧を描いて国道147号と並走し、梓川を渡り安曇野へと入る。梓橋駅を過ぎてから、また右に大きく弧を描いて松本盆地を北上する。西側には北アルプス、沿線周辺においては安曇野の水田が広がる。信濃大町駅までは比較的線形が良い。信濃常盤駅を通過して右に弧を描き高瀬川を渡ると、大糸線内でも屈指の観光拠点である信濃大町駅に到着する。

信濃大町駅を出ると、左に弧を描いて市街地を過ぎて行き、北大町駅を過ぎてから国道148号と並走する。沿線は山岳地帯となり左手に仁科三湖(木崎湖・中綱湖・青木湖)が見え、分水嶺となっている佐野坂峠を通過する。

ここから白馬盆地(四ヶ庄盆地)へと入り、終点の糸魚川駅まで姫川と並走する。この周辺にはスキー場や温泉が多く存在する。白馬駅から信濃森上駅を過ぎると再び渓谷地帯となり、南小谷駅までカーブが連続し、姫川沿いの険しい谷間を通る。南小谷駅までは電化区間であり、JR東日本の管轄である。

南小谷駅以北の非電化区間はJR西日本の管轄で、この区間は約3割がトンネルとなっており、トンネルがないのは頸城大野駅 – 姫川駅間のみである。路規格が簡易線扱いということと、粗悪な線形のために制限速度が低く設けられている。平岩駅 – 小滝駅間は、1995年の集中豪雨による土砂崩れの影響で一部のルートが変更されている。平岩駅付近には姫川温泉がある。小滝駅近くの江尻トンネル付近に、同区間の国道148号のスノーシェッドからわずかに、昭和初期の時代に変更された廃線ルートのトンネルと橋脚の遺構が見られる。南小谷駅以北で唯一の交換可能駅となった根知駅を過ぎると糸魚川の市街が近づき沿線に住宅が増えていき、姫川駅を過ぎ右に弧を描くと終点糸魚川駅に至る。

大糸線活性化協議会[編集]

利用客が減少している大糸線の信濃大町駅 – 糸魚川駅間の活性化と沿線地域の振興を図るため、2019年2月に、新潟、長野両県と沿線自治体、JR西日本、JR東日本(オブザーバー)による「大糸線活性化協議会」が設立された[86][87][72]。協議会では、「新潟県・庄内エリア デスティネーションキャンペーン」に合わせて、2019年10月 – 12月に大糸線に並行する路線バスを運行することとした。運行区間は糸魚川駅前 – 白馬駅前間。停車駅は糸魚川駅 – 南小谷駅までの各駅と白馬駅(南小谷駅 – 白馬駅間は途中無停車)。糸魚川発4便、白馬発3便で、列車のない時間帯に運行する。大糸線は単線で行き違いできる駅が少なく列車の増便が困難なため、バスの運行により増便を図ることとした[88]

  • (臨):臨時駅
  • 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可

東日本旅客鉄道[編集]

  • この区間は電化区間
  • 停車駅(定期列車の停車駅を示す)
    • 普通…全駅に停車
    • 快速…●印の駅は停車、、↑矢印は通過・その方向のみ運転。信濃大町駅以北と以南の快速は別列車である。
    • 特急「あずさ」、臨時快速「リゾートビューふるさと」…各列車記事を参照
  • 全駅長野県内に所在。
  • この区間のうち、JR東日本直営駅は松本駅・豊科駅・信濃大町駅・白馬駅・南小谷駅の5駅、長鉄開発受託の業務委託駅は北松本駅・一日市場駅・南豊科駅・穂高駅・信濃松川駅の5駅、簡易委託駅は梓橋駅・中萱駅・柏矢町駅・有明駅・安曇追分駅・神城駅の6駅であり、以上がJR東日本自社による乗車人員集計[89]の対象となっている。残りの駅は無人駅である。

西日本旅客鉄道[編集]

  • この区間は非電化区間
  • 全列車普通列車(全駅に停車)
  • 糸魚川駅在来線はえちごトキめき鉄道直営駅。この区間の中間駅はすべて無人駅であるため、JR西日本の社員が配置されている駅はない。

廃駅[編集]

( )内は松本駅起点の営業キロ。

  • 北松本臨時貨物積卸場:松本駅 – 北松本駅間 (0.5km)
  • 青島停留場:北松本駅 – 島内駅間 (2.1km)
  • 仏崎駅:信濃常盤駅 – 南大町駅間(約33.3km)
  • (臨)ヤナバスキー場前駅:簗場 – 南神城間 (47.9km)

過去の接続路線[編集]

平均通過人員[編集]

各年度の区間ごとの平均通過人員は以下の通り。

年度 平均通過人員(人/日)
松本 – 南小谷 南小谷 – 糸魚川
松本 – 信濃大町 信濃大町 – 南小谷
1987年度[利用状況 1][利用状況 2] 5,779 987
9,119 2,386
2013年度[利用状況 1][利用状況 2] 3,404 130
6,048 752
2014年度[利用状況 3][利用状況 4] 3,213 137
5,691 727
2015年度[利用状況 3][利用状況 5] 3,239 196
5,773 699
2016年度[利用状況 3][利用状況 6] 3,179 100
5,656 696
2017年度[利用状況 3][利用状況 7] 3,185 104
5,689 673
2018年度[利用状況 3][利用状況 8] 3,140 102
5,638 634
2019年度[利用状況 9][利用状況 10] 3,077 102
5,547 599

注釈[編集]

  1. ^ 島高松の開業年はえきねっとなどでは大正12年(1923年)としているが、『大正十二年 長野県統計書』(国立国会図書館デジタルコレクションより)には駅名の記載なし。
  2. ^ 全通当初、新規開業区間は小型のC56形蒸気機関車による混合列車3往復のみの運転とされた。大糸線を経由すると当時の距離的には関東・北陸間最短ルートとなったが、丙線および簡易線規格で輸送力の容量が低く、線内いずれかの駅始発または到着の貨物のみの取り扱いとして、通過貨物列車のルートとして利用しない措置が取られた(『鉄道ピクトリアル』No.75(1957年)p18-20『大糸線全通』による)。
  3. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』No.709(2001年)p15,16,21による。徹底節約のため、木製架線柱、電気設備などの資材ほぼすべてを他線区からの中古品転用で賄い、架線は本来側線用の低規格品で間に合わせた。車両については従来から大町駅以南で運行していた編成の運用替えで、増備なしで済ませている。
  4. ^ ただし車掌が検札のために乗務することがある。

出典[編集]

利用状況[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]