キャンプ・デービッド – Wikipedia

海軍サーモント支援施設
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
メリーランド州サーモント
キャトクティン山岳公園 (en
Camp David.jpg

キャンプ・デービッドのリチャード・ニクソン政権時におけるメインロッジ(1971年2月9日)
キャンプ・デービッドの位置(メリーランド州内)

キャンプ・デービッド

メリーランド州内の位置

座標

北緯39度38分54秒 西経77度27分54秒 / 北緯39.64833度 西経77.46500度 / 39.64833; -77.46500座標: 北緯39度38分54秒 西経77度27分54秒 / 北緯39.64833度 西経77.46500度 / 39.64833; -77.46500

種類 軍事基地
施設情報
所有者 Emblem of the United States Navy.png アメリカ海軍
一般公開 無し
歴史
建設 1935年 (1935)
建設者 公共事業促進局
主な出来事 キャンプ・デービッド合意
駐屯情報
使用者 Seal of the President of the United States.svg アメリカ合衆国大統領

キャンプ・デービッド(英語: Camp David)は、アメリカ合衆国大統領の別荘である。

正式な名称は海軍サーモント支援施設(かいぐんサーモントしえんしせつ、英: Naval Support Facility Thurmont)である。

2012年5月18日・19日の「第38回主要国首脳会議」の会場である。

第二次世界大戦中、フランクリン・ルーズベルト大統領が大統領専用の別荘兼避難所として選定し、その後順次整備されてきた。

当初この施設は平和への希求を込めて「シャングリ・ラ」(Shangri-La=理想郷)という名称で呼ばれ、1945年に大統領の公式の別荘となった[1]

歴代大統領の多くはこの別荘を訪米した外国の要人をもてなすためにも使用してきた。その最初は、第二次世界大戦中の1943年5月に滞在したイギリスのウィンストン・チャーチル首相である。

その後、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領が自身の実孫の名であるデービッド・アイゼンハワーにちなんで「キャンプ・デービッド (Camp David) 」と変更した[1]

1959年にアメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーとソビエト連邦最高指導者ニキータ・フルシチョフの間で行われたキャンプ・デービッド会談や[2]、1978年にエジプトのアンワル・アッ=サーダート大統領、イスラエルのメナヘム・ベギン首相が結んだキャンプ・デービッド合意など、歴史上重要な出来事の表舞台にもなった。

2019年9月にはドナルド・トランプ大統領、ターリバーン幹部、アフガニスタン大統領による極秘の三者会談がキャンプ・デービッドでセットされていたが、直前に破談となった[3]

サミット会場として[編集]

第38回主要国首脳会議(2012年5月18日-19日)の会場になった。

2012年G8サミット

場所は首都ワシントンD.C.から約60マイル(97キロメートル)。

標高約250から400メートルでメリーランド州のサーモント、キャトクティン山岳公園 (Catoctin Mountain Park) の中にある。

面積は約125エーカー(約50万5,000平方メートル)で公園内の最も高い山で標高600メートル弱である。

大統領はホワイトハウスからはマリーンワンで移動する。

ギャラリー[編集]

[脚注の使い方]

関連項目[編集]

  • キャンプ・デービッド合意
  • ホワイトハウス