ゆめタウン祇園 – Wikipedia

ゆめタウン祇園(ゆめタウンぎおん)は、広島市安佐南区西原に立地し、株式会社イズミが運営する郊外型ショッピングセンター「ゆめタウン」の店舗の一つである。イズミ初の郊外店[4][5]および、2000年代までイズミの広島地区の基幹店舗だった[6]

1971年(昭和46年)10月に計画発表[7]。1960年代半ばよりアメリカ合衆国で流行していた店舗スタイルを取り入れ[7]、国道54号沿いに計画された[補足 1]、モータリゼーションに対応した[9]、広島市外に出店する[補足 2]イズミ初の郊外店で[10][4][5]、中四国・九州地方初かつ[9][4][5]で、日本全国でも玉川高島屋ショッピングセンターに次ぐ規模で[7]、日本全国でも例が少なかった[11][4][5]

計画開始時点で、地下1階地上4階建てのショッピングセンターとボウリング場を計画[7]。約5,300 m2の直営部分と[7]、約4,000 m2のテナント部分には、広島本通商店街から約100店と東京都・大阪府から7店舗から8店舗出店する計画だった[7]。また、24時間営業の4階建てのレストラン塔[7]。遊園地やプール、託児所などを計画していた[7]。計画当初の事業費は約16億5000万円[7]。仮称は祇園コミュニティセンター[7]、1972年1月から建設開始、同年10月に開店予定だった[7]

1972年(昭和47年)5月20日に起工式を実施[2]。その時点で、いづみ祇園ショッピングセンター(いづみ祇園店)の名称も決定[2]。その時点の計画では、地上5階建てのショッピングセンターと地上3階建ての40レーン整備したボウリング場を予定[2]。500台分の駐車場を予定していた[2]。その時点での開業予定は同年12月だった[2]

建設途中までは、ボウリング場の併設を予定し[11]、機材は発注済みだったが[9][11]、アメリカ合衆国に視察に行った社長がブームの終焉を察知[11]。違約金を払い設計変更され、ボウリング場は中止された[11]。テンプレート内写真の左側にある塔は、当初ボウリングピンが設置される予定だった[11]

最終的には、3階建てと4階建ての2棟[12]。テナントが68店出店[12]。275台分の無料駐車場が整備された[12]。最終的な事業費は約24億円になった[12]

1973年(昭和48年)3月27日10時に開業[13]。開店当初は食料品・日用品・家電製品・食堂街を扱う[11]ファミリーランドと呼ばれるB館・C館(地上3階建・売場面積 4,165 m2[10])が先行開業[13][11]。当時250台分、整備された無料駐車場は[11][13]、規模の大きさより客から驚かれ[9]、開店日には車の行列が出来た[9]。開店日は約4万人が来店した[14]

同年5月2日10時に、衣料品を扱うファッションランドと呼ばれるA館(地上4階建・売場面積 2,479 m2[10])が開店[15]。約2倍の店舗面積になり全面開業した[15]。1店舗で全てをまかなう「ワンストップ・オールライフ」をコンセプトにしていた[11]。開店当初は、A館とB館・C館は道路で隔てられていた。また貸会議室も9月にオープンした[13]

開店当時、祇園ショッピングセンターは大成功し[16]、店舗の滞在時間がこれまでの平均50分から2時間に伸び[16]、そのことで同社内のこれまでの一人あたりの売り上げの平均が700円から800円だったのが[16]、祇園ではマイカーで1週間分の買い物をする客が多いことで2,400円から2,500円の売り上げになった[16]。年間売り上げ目標も、30億円から41億円に変更[16]。開店した年の夏頃までに、駐車場の収容台数を160台増加させたが[17]、それでも交通問題は避けられずが[17]、休日の店前に500mから600mの車の入場待ちが発生[17]。店前の国道は渋滞になり、可部警察署[補足 3]から、出入り口の拡張や河川敷の駐車場としての活用など指導が出た[17]

それらの成果から、広島市レベルの都市でも郊外型ショッピングセンターが成功することを証明し[16]、その後同様のショッピングセンターを五日市町など複数計画することになった[16]

1975年(昭和50年)3月7日には8億円かけて増床を行い、ファミリーランド(B館・C館)を4階建てに増築することで売場面積を3,200 m2増加させて約11,000 m2に拡大[18][19]。増床分は衣料品販売拡大に使用[18]。売場の変更も行い、ファッションランドはリビングランドに改められた[20]

1980年(昭和55年)6月13日に、大活性化工事(大改装)を実施しリニューアルオープン[21][22]。後日行われるブランド変更に伴う施設の若返りを目的とし[23]、売場の大部分を改装し、下りエスカレーターを新設した[23]。同月27日には、全店一斉にブランド変更を行い、イズミ祇園ショッピングセンター(イズミ祇園店)にリブランドされた[24][25]。同年12月には、A館とB館・C館を結ぶ連絡橋が完成した[21]

2001年(平成13年)3月9日に、ゆめタウン祇園に再度リブランド[26][6][27]。当時、比較的古い店舗が多かった広島地区では初のゆめタウンを名乗る店舗になり、改めて広島地区の基幹店舗の立場を明確にした[26][27]。1億4000万円かけて改装が行われ、食料品売場の強化や、高級下着のコーナーや医薬品コーナーを新設した[26][27]。改装により年間売り上げ目標を78億円から81億円に上方修正した[6][27]

食品売場を2009年4月に改装。リビング館(旧・ファッションランド)は2011年春に閉館、夏に取り壊されて、跡地には、三菱地所によりマンションザ・パークハウス 祇園が建設された[28]

2020年11月24日、老朽化を理由に店舗の建て替えを行うと発表があった。3・4階のフロアは来年1月末で閉鎖し、建て替えに向けた準備を進める。一方で1・2階は当面営業を続け、建て替えの後、2022年以降に新業態店舗を開店させる方針である[29]。2017年2月3日に公表された広島県耐震性能調査において、当店は震度6強以上で「倒壊または崩壊する危険性が高い」と指摘されていた[30]。そして予告通り、2021年1月31日をもって3・4Fフロア並びに立体駐車場は閉鎖された。残りのフロアについては、仮店舗(立体駐車場跡)が完成するまで継続となる。

2021年11月23日、売り尽くしセールを経て、午後6時に閉店した。その後1週間休業し、12月1日より仮店舗での営業を再開する予定である。

現在のフロアマップは公式サイト参照。

1973年5月3日全館完成当時[編集]

開店当時の全面広告および社史に基づく[13][11]

ファミリーランド[編集]

  • 1階 – 駐車場
  • 2階 – 食料品全般・日用雑貨・味の街(食堂街)
  • 3階 – 家具・インテリア・家庭用品・家庭電器・屋上広場

ファッションランド[編集]

  • 1階 – 紳士服・肌着・舶来雑貨・カメラ・時計・ハンドバッグ
  • 2階 – 婦人服・子供服・アクセサリ・呉服・憩いの広場
  • 3階 – 寝装品・袋物・靴・レコード・楽器・文具・玩具
  • 4階 – 音楽教室・女性教室
  • 屋上 – 屋上遊園地

1975年3月7日増床オープン当時[編集]

開店当時の広告に基づく[20]

ファミリーランド[編集]

  • 1階 – 駐車場
  • 2階 – 食品のフロア(総合食品売場・食堂街など)
  • 3階 – 紳士と婦人のフロア(紳士服・婦人服など)
  • 4階 – お子さまと実用衣料のフロア(子供服・下着など)

リビングランド[編集]

  • 1階 – 日用雑貨とおしゃれのフロア(レジャー用品・化粧品・カー用品など)
  • 2階 – 暮らしのフロア(電気小物・住宅設備・インテリアなど)
  • 3階 – 住まいのフロア(食堂家具・居間家具)
  • 4階 – ヤマハ音楽教室・ゲームコーナー・事務所
  • 屋上 – 屋上遊園地

1980年6月13日改装オープン当時[編集]

開店当時の広告に基づく[22]

ファミリーランド[編集]

  • 2階 – 食料品と食べ歩きのフロア
  • 3階 – レディスとメンズのおしゃれフロア
  • 4階 – お子さまと実用衣料のフロア

リビングランド[編集]

  • 1階 – スポーツとレジャーのフロア
  • 2階 – 暮らしのフロア
  • 3階 – 住まいのフロア
  • 4階 – 文化のフロア(各種催し会場) – 1983年6月24日に「ジョイフルランド」をオープン[31]

交通アクセス[編集]

補足[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 『挑戦の流儀』(イズミ50年記念誌編纂事務局・2012年)
  • 『「ゆめタウン」勝利の方程式』(西川立一・ぱる出版) ISBN 978-4827204803
  • 『中国新聞』 各バックナンバー

外部リンク[編集]