石丸重治 – Wikipedia

石丸 重治(いしまる じゅうじ、1902年(明治35年)5月12日 – 1968年(昭和43年)12月12日)は、美術評論家。慶應義塾大学教授(法科)。

島根県出身。叔父に柳宗悦。府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を経て、1927年に慶應義塾大学英文科卒業。府立一中時代は小林秀雄や西竹一(バロン西)、迫水久常と同期であった。一中時代には「青銅時代」を創刊するなど、この頃から評論に携わっていた。小林秀雄などとは、同人誌「山繭」を主宰、また柳宗悦[1]や吉田璋也、河井寛次郎らの民藝運動に初期には関わっている。

美術評論家として知られ、主な著作に『英国の工芸』(工政會出版部、1930年)、『英国教会本寺考』(好學社、1953年)。評伝には、『回想の石丸重治』(佐藤朔編、三田文学ライブラリー700部限定、1969年)がある。

慶大塾長(1946年 – 1947年)及び文部大臣(1947年)を務めた高橋誠一郎の秘書官に就いた。
慶大野球部部長及び日本学生野球協会副会長として、東京六大学野球発展にも尽力した[2]

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  1. ^ 石丸は柳の甥。
  2. ^ Keio Baseball – 慶應義塾体育会野球部”. 2013年6月25日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。