数寄屋造り – Wikipedia

数寄屋造り(すきやづくり)とは、日本の建築様式の一つである。数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式とされる。

語源の「数寄」(数奇)とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり(数寄者参照)、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味する。

数奇屋大工(大工を参照)が造る木造軸組工法の家屋。

数寄屋と呼ばれる茶室が出現したのは安土桃山時代であり、もとは小規模(多くは四畳半以下)な茶座敷を「数寄屋」と呼んだ。当時は床の間、棚、付書院を備え、座敷を荘厳する書院造が確立され、身分の序列や格式を維持する役割も持つような時代であったが、茶人たちは格式ばった意匠や豪華な装飾をきらった。そこで好まれたのが軽妙洒脱な数寄屋だったのである。当時は庶民の住宅に使われる粗末な材料や技術をこだわりなく採用して数寄屋が成立したが、現在では特別に高価で、高度な技術を要する高級建築の代名詞になっている。

江戸時代以降は茶室から住宅などへとその幅を広げていった。現代では、料亭や住宅でも数奇屋建築にならったものが造られる。

なお、建築史では、書院造の系統であり独自の様式ではないとして、「数寄屋風書院」と呼ぶことが多い。

数寄屋独特の意匠[編集]

数寄屋建築は、書院建築が重んじた格式・様式を極力排しているのが特徴である。虚飾を嫌い、内面を磨いて客をもてなすという茶人たちの精神性を反映し、質素ながらも洗練された意匠となっている。以下に、数寄屋に特徴的な要素を挙げる。

多彩な建材
竹や杉丸太を好んで使う。特に杉はその木目が称揚され柱や床板に多用される。また丸太普請という一見素朴だが高度の技術を要する工法を採用している。床柱や床框に紫檀などの奇木を使ったり、板材には桑の一枚板を使うなどきめ細やかな建材の選択も数寄屋の特徴である。壁も白壁は採用せず原則として聚楽壁に代表される土壁仕上げである。そのため左官技法は高度にかつ多彩に発展した。
長押の省略
丸みを残した面皮柱を用い、長押は省くことが多いが、長押を付ける場合は原則として杉の面皮である。
床の間
書院造のそれと比べると小規模で質素である。あまり格式にとらわれず自由に建材を選び自由にデザインがされる。
深い庇
庇を長めに造ることで、内部空間に深い陰翳と静謐をもたらす。
多彩な建具類
襖や障子のデザインにも工夫を凝らし、後には板硝子という新たな材料を得て、一層多彩に展開した。雪見障子や猫間障子、組子障子など職人の技術の粋を見ることができる。

代表的な遺構[編集]

数寄屋工務店[編集]

俗に、和風の邸宅で費用を惜しまずに建てた立派な建物のことを「数寄屋造り」「数寄屋普請」とも言う。

谷崎潤一郎は数寄屋を好んだ。彼の自邸にも数寄屋風が採り入れられ、陰翳礼讃では数寄屋の美学が語られている。

京都工芸繊維大学の名誉教授で茶室や数寄屋建築の研究や建築家でしられる中村昌生は京都の数寄屋造りについて「京数奇屋名邸十撰」として以下の邸宅をあげている。野村碧雲荘、霞中庵、清流亭、對龍山荘、四君子苑、広誠院(旧広瀬家別邸)、虎山荘、山科山荘、嵯峨有心堂、土橋邸。

角川源義の元邸宅を近代数奇屋造りの邸宅として、国の登録有形文化財となっている(杉並区立角川庭園 )。

関連項目[編集]