川村隆史 – Wikipedia

川村 隆史(かわむら たかし、1965年5月30日[1] – 2020年9月15日[2])は、大阪府出身[3]のアスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。

来歴・人物[編集]

東大阪市立日新高等学校、大阪体育大学、ダイナミックスポーツ医学研究所を経て[1][4]、1992年から福岡ダイエーホークスのトレーナー(球団職員)、1996年からはコンディショニングコーチを務めた[4]

2016年からは肩書がコンディショニングコーチからコンディショニング担当(チームスタッフ扱い)に変わり[注 1]、29年間にわたってホークス球団に所属した[4]。2019年シーズンオフには2019アジアウインターベースボールリーグに出場したNPB RED(紅)チームのコーチも務めた[5]

2020年シーズンは三軍を担当していたが、同年9月15日深夜[注 2]、遠征先の神戸市内に滞在中、くも膜下出血のため急死[3]。55歳没。

明るい人柄で、晩年はファームのコーチ(スタッフ)だったが、かつては一軍を担当していたこともあり、ベテランから若手までホークスの多くの選手が近い存在であった。ダイエー時代からの仲である一軍監督の工藤公康は「年齢的にも近いだけに、彼の元気が僕の元気になっていた」と語る。突然の訃報は当日の一軍の試合前に首脳陣と一部チーム関係者に伝えられていたが、選手たちには試合後に伝えられた。その際には涙する選手も多く、「試合前に伝えられていたら、とてもじゃないが、今日の試合は戦えなかったと思う」という声も挙がるほど慕われた存在だった[6][7]

翌日17日の一軍の試合(対日本ハム・札幌ドーム)では、選手はユニフォームの左袖に喪章を着けてプレーした。この試合で1000本安打を達成した中村晃はヒーローインタビューで川村に対する思いを語った[8]

同月20日からの試合より、1軍ホークスベンチに背番号01のホーム用ユニフォームが掲げられた[9]。同年の日本シリーズでもユニフォームは掲げられ、日本一記念の集合写真撮影でも選手と一緒に撮影された[10]

詳細情報[編集]

背番号[編集]

  • 91(1996年 – 2000年)
  • 95(2001年 – 2013年)
  • 01(2014年 – 2020年)

[11]

注釈[編集]

  1. ^ 球団サイトの選手名鑑には掲載されなくなった(同じくコンディショニングコーチだった山川周一も同様である)。
  2. ^ 死去日については当初9月16日と発表されていたが、後に9月15日に訂正された。[2]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]