愛宕信仰 – Wikipedia

愛宕信仰(あたごしんこう)とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰である。

愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者によって江戸時代中頃から愛宕信仰が日本全国に広められた。中世後期以降、愛宕の神は火伏せに霊験のある神として広く信仰されるようになった。日本全国で「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約1000社ある。特に東北地方に多く分布する。

愛宕の神とされるイザナミは神仏習合時代には勝軍地蔵を本地仏とし、軻遇突智(火産霊尊とも)も共に祀った。現在でも、愛宕の縁日は地蔵と同じ毎月24日である。また、現在でも火産霊命(かぐつち・ほのむすび)が祭神とされる。

勝軍地蔵を本地仏としたことから、火伏せの神としてだけでなく武神としての信仰もあった。民間では、各地に「愛宕講」と呼ばれる講が組織された。「千日詣」と称し、8月1日に参拝すると千日参拝したのと同じ御利益があるとされる。

直江兼続が兜の前立に「愛」をまとっていた理由の説の1つとして、愛宕信仰説がある[1]

主な愛宕神社[編集]

総本社
北海道・東北地方
近畿地方
九州・沖縄地方

その他「愛宕神社 (曖昧さ回避)」を参照のこと。

関連項目[編集]