Month: March 2022

サドカイ派 – Wikipedia

サドカイ派(サドカイは、ヘブライ語: צְדוּקִים‎、古希: Σαδδουκαῖος/-οι、羅: Sadducaeus/-ei、英語: Sadducee(s))は、第二神殿時代の後期(紀元前2世紀)に現れ、ユダヤ戦争に伴うエルサレム神殿の崩壊と共に姿を消したユダヤ教の一派。ファリサイ派と対立していたといわれる。「サドカイ人」と表記されることもある。 サドカイ派という名称はソロモン王を祝福した大祭司ツァドクの名に由来しているとの説もあるが、はっきりしたことは分かっていない[1]。現代の研究者たちはサドカイ派を神殿に拠って権力者たちと結託していた祭司のグループであったと考えている。 新約聖書の福音書にサドカイ派は現れるが、その中でサドカイ派は霊魂の不滅や死者の復活、天使の存在を否定しており、それもまたファリサイ派との論争の種になっていたと記されている[2]。福音書の中ではサドカイ派の「復活は無い」とする主張をイエス・キリストが論破する場面もある[3][4]。 神殿の権威をかさに権勢を誇ったサドカイ派であったが、ローマ軍によるエルサレム神殿の破壊(70年)と共に、よるべき場所を失い、消滅した。このため、ライバルであったファリサイ派がユダヤ教の主流となっていくことになった。 サドカイ派自体が消滅し、そのライバルであったファリサイ派がユダヤ教の正統派になったため、サドカイ派に関する資料はほとんど残されていない。サドカイ派を知るために有益な資料と考えられているのはフラウィウス・ヨセフスの著作やタルムードなどである。 ^ 新聖書辞典「サドカイ派」の項目 ^ 使徒行伝(口語訳)#23:13 ^ マタイによる福音書(口語訳)#22:23-34 ^ マルコによる福音書(口語訳)#12:18-27 関連項目[編集]

Continue reading

玉造温泉駅 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “玉造温泉駅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年5月) プラットホーム、奥に駅舎 2番線ホーム 地下通路の壁画は玉造温泉 旧駅舎(2007年9月撮影) 玉造温泉駅(たまつくりおんせんえき)は、島根県松江市玉湯町湯町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。事務管コードは▲640736[2]。 山陰地方の屈指の温泉どころ、玉造温泉への玄関口の駅であるため、特急「やくも」、「スーパーまつかぜ」及び「スーパーおき」は朝や日中を中心に一部が停車するが、寝台特急「サンライズ出雲」及び平日朝の出雲横田発松江行き快速列車は通過する。 島式1面2線のホームを持つ地上駅で、松江方単線・出雲市方複線の行違い可能駅でもある。駅舎は線路北側にあり、ホームへは地下道で連絡している。上り(米子方面)ホームは駅舎に隣接しているが、ホームが駅舎より高い位置にあり嵩上げされていない上、線路と改札がフェンスで仕切られている為、改札口から直接ホームには行けず地下道を通らなければならない。 松江駅が管理する直営駅であり、駅舎内には窓口、自動券売機が設置されている。 現駅舎は1935年(昭和10年)建築の木造一部鉄骨平屋建て。1988年(昭和63年)に大規模改修を実施したのち、2012年(平成24年)に再度大規模な改修を行い屋根は玉造温泉内の玉作湯神社をイメージした青緑色の鋼板葺きとなり、駅舎の隣に公衆便所を設置し同年9月26日に完成式を行った[5]。 のりば[編集] 利用状況[編集]

Continue reading

乃木駅 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “乃木駅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年6月) 栃木県野木町の駅「野木駅」あるいは東京都港区の駅「乃木坂駅」とは異なります。 乃木駅(のぎえき)は、島根県松江市浜乃木二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。 相対式2面2線の行違い可能な地上駅で、一線スルー構造である。駅舎は1番のりば側にあり、互いのホームは跨線橋で連絡している。直営駅であり、駅舎内には窓口、自動券売機が設置されている。 のりば[編集] 1番のりばを上下本線、2番のりばを上下副本線とした一線スルーとなっているため、通過列車及び行違いを行わない停車列車は上下線とも1番のりばを通る。 反対方向からの通過列車と行違いを行う停車列車は、上下線とも2番のりばに停車する。 停車列車同士の行違いの場合は、下りが1番のりば、上りが2番のりばに入る。 なお、列車運転指令上では、2番のりばの方が「1番線」とされており、旅客案内上ののりば番号表記とは逆になっている。 利用状況[編集] 2019年(令和元年)度の1日平均乗車人員は921人である[統計 1]。2004年度は801人、1994年度は996人、1984年度は932人だった。

Continue reading

現象学 – Wikipedia

現象学(げんしょうがく、独: Phänomenologie〈フェノメノロギー〉)は、哲学的学問およびそれに付随する方法論を意味する。 「現象学」という用語は、哲学史上、18世紀のドイツの哲学者ヨハン・ハインリッヒ・ランベルトの著書『新オルガノン』に遡ることができるとされる。「現象学」が指し示す概念は、哲学者によって大きく異なる。また、エトムント・フッサールのように、1人の哲学者においても、その活動時期によって、概念が変遷している例もある。下記に代表的な3つの「現象学」の概要を記す。 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 – 1831) が1807年に出版した著作『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes) の中で、「現象学」は主観的意識から現象の背後にある絶対精神を把握する哲学の手引きとして示される。弁証法的現象学と呼ばれることがある。 19世紀末、心理学主義・生物学主義が興隆するヨーロッパ思想界を背景に、諸科学(数学・物理学)の基礎づけを行うことを目標にして、フッサール (1859 – 1938) が提唱した、学問およびそれに付随する方法論を超越論的現象学 (独: transzendentale Phänomenologie) と呼ぶ。超越論的現象学では、認識論的批判に無関心な、存在(=「超越」)を自明なものとして捉える「自然的態度」を保留にした状態で、存在と「意識」との関係及び、それぞれの意味が志向性から反省的に問われる。なお、後期フッサール(1920年代以後)においては更なる深化を遂げ、前-意識的な領域(現象が現象として成立する地平)を問う発生的現象学(独:

Continue reading

バックパッカー – Wikipedia

バックパッカー(英語: backpacker)とは、低予算で国外を個人旅行する旅行者のこと。バックパック(リュックサック)を背負って移動する者が多いことから、この名が付けられた。日本語では「パッカー」「バッパー」と略すこともある。こうした旅行(バックパッキング、英語: backpacking)はまた、自由旅行や低予算旅行(英語: budget travel)とも呼ばれる。 一般的な旅行者との違いとして、世間的な休暇よりも長い期間に亘ること、バックパックを使うこと、移動に公共交通機関を利用すること、高級なホテルではなく、ユースホステルや安宿を利用すること、観光地を見るだけでなく、地元の住人と出会うことにも興味があることなどが挙げられる。 様々な文化や地域からの旅行者が加わり、これからも加わり続けるであろうため、バックパッカーの定義を厳密に定めるのは難しい。最近の調査によると、「バックパッカーたちは自身の旅行経験に結び付いた行動原理や意義の多様性を反映して、不均質なグループを形成した。バックパッカーたちは、制度化されていない旅行の形式への共通の傾倒を見せ、それがバックパッカーとしての中心的な自己定義となっている」[1]。 1960年代から欧米で流行しはじめ、航空券の低価格化とともに、世界の若者の旅装の代表となった。2000年代にはライフスタイルとしての、またビジネスとしてのバックパッキングが大きな成長を見せた[2]。格安航空会社はもとより[3]、世界の各所にあるユースホステル・ゲストハウス・ドミトリーなどの安宿、インターネット上のブログ・電子掲示板・SNSなど、デジタルなコミュニケーション手段や情報資源により、バックパッカーが長期の旅行を計画し、実行し、継続することは以前よりも容易になっている。ただ節約するのではなく、ホテル泊まりで賓客として扱われるパックツアーでは見ることのできない市井の人々の生の暮らしに触れるのも、また大きな目的である。 バックパッカーの正確な起源は不明であるが、少なくとも部分的には、1960年代から1970年代にかけてのヒッピー・トレイル(ヒッピーの行跡)にそのルーツを辿ることができる[4]。ヒッピー旅行者たちはかつてのシルクロードであった地域を順番に辿っていった。実際に、今日でもバックパッカーたちの一部はそうした旅を、(今日の環境保護運動の人気にも乗じて)より楽な方法によってではあるが再現しようと試みている[5]。さらに歴史を遡れば、17世紀末に公共交通機関を用いて世界を一周したイタリアの冒険者ジョバンニ・フランチェスコ・ジェメリ・カレリが世界最初のバックパッカーの1人として挙げられることがある[6]。 かつてのヒッピー・トレイルを辿る旅は、1980年代以降のアフガニスタン・イラク・イランの政情不安のため困難なものになっているが、バックパッカーたちは世界のほとんどの地域に広がっていった。近年では、格安航空会社や航空便の増加がさらなる増大に貢献している[7]。現在では、北アフリカのモロッコやチュニジアやその他の格安航空会社で到達できる地域が新しい「ヒッピー・トレイル」として形成されつつある[8]。ワンワールドやスターアライアンスやスカイチームの世界一周航空券を利用するなどして、バックパッカー・スタイルにて世界一周をする者も多い。 科学技術の変化と進歩もバックパッキングを変化させている。伝統的なバックパッカーたちは、ノートパソコンやデジタルカメラや携帯情報端末といった高価な情報機器は盗難や破損の恐れがあり荷物も重くなるとして持ち歩かなかった。しかしながら、軽量な電子機器との接触を保っていたいという欲望は後述のフラッシュパッキングと呼ばれる傾向を生じさせ、その形態は進化を続けている[9]。運ぶものの変化と同時に、バックパッカーは当初ほどには実際のバックパックに頼らないようになってきているが[10]、それでも依然としてバックパックはバックパッカーの基礎的な荷物と考えられている。 大韓民国では、経済発展と渡航自由化を受け、2000年代よりバックパッカースタイルの旅がブームとなった。その背景には同時期の日本文化開放によりパク・チョンアを起用した『進め!電波少年』系のヒッチハイク企画「雷波少年#雷波少年ファイナル企画ラストソング」が放送されたことが影響した。なお韓国語ではバックパックを「ペナン(背嚢)」と呼ぶことから「ペナンヨヘン(背嚢旅行)」と称される(ko:배낭여행)。同様に中華圏でも個人自由渡航が可能な香港や台湾では「zh:背包客」の呼称でバックパッカースタイルが、富裕層による爆買い旅行の対極的位置づけの社会現象として捉えられている。 バックパッキングの種類[編集] フラッシュパッキング[編集] PDA。バックパッカーの装備も現代化している。 フラッシュパッキング(flashpacking)、フラッシュパッカー(flashpacker)は裕福なバックパッカーを指す新語である。伝統的にバックパッキングが低予算の旅行と物価の比較的安い目的地に結び付けられてきたのと対照的に、フラッシュパッキングは単純には旅行中により多くの予算を使えるものとして定義される[11]。 フラッシュパッカーのflashは「光るもの」「見せびらかし」などの意味があるが、この語の起源自体が不明瞭で、定義もまちまちである。近年急速に増加した、宿泊や食事にはそれほどお金はかけないが、選んだ旅先での活動にはふんだんに(時として過剰に)お金を使う旅行者たちを指すと考える人々もいる。昼は低予算の旅行者たちと共に冒険的な旅を行い、夜は落ち着いた食事と快適な宿泊を楽しむような、「スラムを覗く」ことと贅沢との不調和な混淆と考える人々もいる[12]。さらに、携帯電話、デジタルカメラ、iPod、ノートパソコン、タブレット端末などを持って旅することを好むテクノロジーに通じた冒険者としても定義される[13]。しかしどれも必要条件というわけではない。他の旅行スタイルと同様に、フラッシュパッカーの語は主に自己定義として用いられている。 この語はまた、従来の組織的な旅行を見放して、かつてはより冒険的なバックパッカーだけのものであった目的地へ進出する旅行者や、高収入な仕事から離職したりキャリア上の休暇を取ったりして自力での旅行に時間を費すのだが、より快適に、自宅で慣れ親しんだ多くの装置と共に旅するような旅行者の増加も反映している。結果として宿泊施設も変化し、仕事を確保するために、依然として低予算な旅をしている旅行者にもより高級な設備を提供しようとするようになった[14]。旅行者の需要の変化に応じて宿泊施設の側も変化する必要があると認識したのである[15]。 低予算バックパッキング[編集] フラッシュパッキングとは対照的に、相部屋や寝袋や長期滞在の場合はアパートの利用などで宿泊費を、屋台や自炊などで食費を、公共交通機関の利用やヒッチハイクや格安航空券の現地調達や陸路の多用で移動費などを限られた予算で遠く・長く旅するために大なり小なり節約しながら旅するのが、伝統的な低予算のバックパッキング(budget

Continue reading

荒島駅 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “荒島駅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年6月) 荒島駅(あらしまえき)は、島根県安来市荒島町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅である。全ての快速列車が停車する。 単式・島式の複合型2面3線のホームを持ち、列車交換や待避が可能な地上駅。単式の1番のりば側に駅舎があり、島式の2・3番のりばへは跨線橋で連絡している。一線スルー化はされておらず、副本線である3番のりばに発着する列車を除き、方向別にホームを使い分けている。 松江駅管理の無人駅であるが駅舎内に自動券売機が設置されており、乗車券の購入が可能。古くからの木造駅舎には荒島自転車駐車場という自転車置き場が増築されており、その管理人が駅舎内の窓口に立つが、この窓口での乗車券類の販売はない。また駅舎には荒島駅ふれあい館という展示室が設けられている。 のりば[編集] のりば 路線 方向 行先 備考 1 D

Continue reading

揖屋駅 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “揖屋駅” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年6月) 揖屋駅(いやえき)は、島根県松江市東出雲町揖屋にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。 2010年6月19日公開の映画『瞬 またたき』のロケ地の一つである。 2面2線のホームを持ち、列車交換が可能な地上駅。駅舎は上りホーム側にあり、下りホームへは跨線橋で連絡している。下りホームは元々島式ホームだったが、駅舎寄りの線路(中線)が外された。1997年3月22日のダイヤ改正までは木次線から松江方面に直通する列車で当駅で折り返すものがあり、その列車は当駅中線を利用していた。 無人駅であり、駅舎内には自動券売機が設置されている。 また、駅舎にはNPOが運営するまちの駅「東出雲まちの駅女寅」が併設されている。 のりば[編集] 利用状況[編集] 2019年(令和元年)度の1日平均乗車人員は740人である[統計 1]。2004年度は605人、1994年度は721人、1984年度は794人だった。 近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。

Continue reading

中国地方の乗合バス事業者 – Wikipedia

中国地方の乗合バス事業者(ちゅうごくちほうののりあいばすじぎょうしゃ)一覧では、中国地方において路線バスを運行させているバス事業者をリストする。 営業エリアとしている都道府県に掲載する。なお、その府県に数箇所しか停留所が存在しない場合には割愛する。 高速バス・リムジンバス事業者においては、本社と停留所のある府県に記載する。 本社のみが存在し、かつ停留所が無い場合は、本社所在のある府県にその事業者は記載される。 当一覧の掲載対象とする事業者は、以下の通りとする。 道路運送法第4条許可による「一般乗合旅客自動車運送事業」を行う事業者 2006年10月の道路運送法改正以前に21条許可による貸切代替バス(いわゆる21条バス)運行を行っていて、改正後も運行を続けている、いわゆる「みなし4条」事業者 以下の事業者は、掲載対象外とする。 自家用自動車(白ナンバー車)による有償運送(いわゆる80条バス)での運行事業者 乗合タクシー(乗車定員10名以下)のみを運行する事業者 ▲印は会社事情(倒産・廃業・経営譲渡・吸収合併・民間移譲など)によりバス事業を終了した事業者 岡山地区[編集] 倉敷地区[編集] 広島地区[編集] 福山地区[編集] 下関地区[編集] 下関以外の地区[編集] 関連項目[編集]

Continue reading

東松江駅 (島根県) – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “東松江駅” 島根県 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年6月) 東松江駅(ひがしまつええき)は、島根県松江市八幡町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。 本稿では、日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ集配基地の東松江新営業所についても記述する。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持ち、列車交換や待避が可能な地上駅。松江駅までは複線、米子方面は安来駅まで単線区間(なお、揖屋駅構内に2kmほどの複線区間がある)である。松江駅管理の無人駅であるが駅舎があり、以前はその駅舎内に自動券売機が設置されていたが、現在は撤去されている。駅舎は単式の1番のりばに面しており、島式の2・3番のりばへは跨線橋で連絡している。 のりば[編集] 停車列車が主に使う下り本線は1番のりば、上り本線は2番のりばである。3番のりばは米子方面で、特急の通過待ちを行う列車が使用する。 東松江新営業所[編集] 東松江オフレールステーション入り口 東松江新営業所は、旅客駅南東側にあるJR貨物のコンテナ集配基地である。しかし2015年の山陰本線の第二種鉄道事業免許廃止により貨物駅ではなくなっており、貨物列車の発着もない。 12フィートのコンテナ貨物を取扱っており、2017年3月改正時点では、貨物列車代替のトラック便が伯耆大山駅着発が、1日それぞれ2本、1本設定されている[10]。 東松江駅はかつて岡山と結ぶ貨物列車が発着し、1面2線のコンテナホームを有していたが、1996年(平成8年)3月にトラック代行輸送に転換され自動車代行駅となった。その後、2006年(平成18年)4月に駅の一部がオフレールステーションとなり、2015年中に貨物駅としても廃止されたことで、かつてのコンテナセンターと同様の形態となった。 2013年の豪雨災害で山口線の貨物列車が運休し、そのまま年度末に岡見駅が廃止されて以降、島根県で唯一営業しているJR貨物の施設である。

Continue reading

淀江駅 – Wikipedia

淀江駅(よどええき)は、鳥取県米子市淀江町淀江にある西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅である。 快速列車については、上りのみが停車する(2022年3月現在)。 相対式2面2線のホームを持つ、行違い可能な地上駅。米子駅管理の無人駅であるが自動券売機が設置されている。1番のりば側に駅舎があり、互いのホームは跨線橋で連絡する。 以前は単式・島式の複合型2面3線だったが、2003年の鳥取県鉄道高速化事業の一線スルー化工事に伴って3番線を廃止し、現在に至る。 駅舎が同線の泊駅に似ている。 のりば[編集] 1番のりばを上下本線、2番のりばを上下副本線とした一線スルーとなっているため、通過列車及び行違いを行わない停車列車は上下線とも1番のりばを通る。 反対方向からの通過列車と行違いを行う停車列車は、上下線とも2番のりばに停車する。 停車列車同士の行違いの場合は、鳥取方面行(上り)が1番のりば、米子方面行(下り)が2番のりばに入る。 利用状況[編集] 1日乗降人員推移 [1][2] 年度 1日平均人数 2011年 489 2012年 443 2013年 433

Continue reading