レッドリスト – Wikipedia

生物の群別によるレッドリスト指定種の割合。   は絶滅寸前、   は絶滅危惧、   は危急(2007 IUCN Red Listより) レッドリスト(英語: Red List, RL[1])とは、国際自然保護連合(IUCN)が作成した絶滅のおそれのある野生生物のリスト[1]。正式には The IUCN Red List of Threatened Speciesという[2]。2017年12月現在で、最新のバージョンは2017年版[2]。 また、日本では環境省が作成した「絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト」も、レッドリストと呼ばれる[3]。 レッド=Red 赤、警戒色から危険生物のリストと誤認、勘違いされる事があるが重大な誤りの為注意されたい。 最初のIUCN版レッドリストは、1966年に作成された。しかし、それ以前からレッドリストの作成に関する動きはあり、1940年代に哺乳類や鳥類の個体数の減少の報告が、1950年代にはIUCNが絶滅の危機のある野生生物をカード化して整理を始めた。これがレッドリストの先駆けである。そして、上述のように、1966年にノエル・シモン編『レッドデータブック第1巻「哺乳類」』[5]及びジェイムズ・フィッシャー(英語版)、ジャック・ビンセント(英語版)編『第2巻「鳥類」』[6]が発表された。その後、1968年[注 1]にレネ・ホネッガー

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イド語 – Wikipedia

「Ido」はこの項目へ転送されています。IDO(大文字)については「IDO」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “イド語” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年7月) イド語、イード[1][2] (Ido) は、人工言語の一種で、エスペラントの改修案として1908年に発表されたものである[2]。 はじめはノーベル賞受賞者ヴィルヘルム・オストヴァルトなどの宣伝によってある程度の普及をおさめたが、改造が続き、エスペラントから移ってきた者はエスペラントへまた戻って行ってしまい、1930年を過ぎるころにはほぼ終息した[3]。 1907年に審議を開始した国際語選定委員会はルイ・クテュラ(英語版)の提示した改造案「イード」を修正案として取り入れるよう、エスペラント創始者ルドヴィコ・ザメンホフにそれを求めた[4]。 このエスペラント改造案には多くのエスペランティストが、国際語の完成の期待を寄せた。多くの人は不完全なエスペラントがその発展にブレーキをかけるのではないかと思った。エスペラントの改造をしようとした人が数多く、1884年にエスペラントを初めて作ったザメンホフも、現在イド語に入っている複数形の-iの使用と対格形の-nをほとんどの場合でなくして、語順のため曖昧な場合だけ続けてすることを提案したが、可決には至らなかった。 ルイ・ド・ボーフロン(英語版)はパリで行われた国際語選定代表者会で、国際語案の候補として、このエスペラントの改造案、「イド」を発表した。この改造案が発表された後、国際エスペラント運動は重大な分裂が続いた。この新しい計画は特にプロの言語学者から支持を受けた。しかし、エスペラントはボーフロンのような指導者無しに言語として確立したが、イディスト(イド語使用者)は発表後も文法規則を頻繁に変えていったため、一般のエスペランティスト達の支持を受けられなくなっていった。1920年代に入って改造はほぼ収束したものの、時はすでに遅く、多くのイディストたちが離れてしまった後だった。 ただし、組織化されたイド運動は現在でも存在し、インターネットのウェブページと少数の使用者たちによって支えられている。エスペラントのように一年に一回大会を開くが、エスペラントの世界大会が2000人程度であるのに対し、イド語大会の参加者は2001年以後、毎年20人未満の参加である[5]。 文字と発音[編集] エスペラント特有のĉ,ĵ,ŝ,ŭはそれぞれch,j,sh,wに変更され、ĥは廃止、ĝは単語によって別な文字に変更された。また、エスペラントにおけるjは同じ発音のyに置き換えられた。逆に、エスペラントのkvはquに、ks,kzはxになった[6]。

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神戸電鉄三田線 – Wikipedia

停車場・施設・接続路線 三田線(さんだせん)は、兵庫県神戸市北区の有馬口駅から兵庫県三田市の三田駅までを結ぶ神戸電鉄の鉄道路線。 有馬口駅で有馬線と、三田駅で福知山線(JR宝塚線)と接続し、三田地区と神戸市内を結んでいる。 有馬口方面へ向かう多くの列車が同駅より有馬線へ直通する運転体系が取られていることから、同線と一まとめにして「有馬・三田線」と案内されることもある。 路線データ[編集] 路線距離(営業キロ):12.0km[2] 軌間:1067mm[2] 駅数:10駅(起終点駅含む)[2] 複線区間:岡場駅 – 田尾寺駅間、横山駅 – 三田駅間 電化区間:全線電化(直流1500V) 閉塞方式:自動閉塞式 最高速度:80km/h[1] IC乗車カード対応区間: 沿線は神戸三田国際公園都市など宅地開発が進んだため大阪・神戸双方への通勤・通学路線となっており、輸送力増強のため全線複線化を望む声もあるが、1983年(昭和58年)の複線化工事認可以来、1991年(平成3年)に横山駅 – 三田駅間、1998年(平成10年)に岡場駅

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だんじり – Wikipedia

この項目では、山車について説明しています。競走馬の「ダンジリ」については「ダンシリ」をご覧ください。 この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。目安に適合することを証明するために、記事の主題についての信頼できる二次資料を求めています。なお、適合することが証明できない場合には、記事は統合されるか、リダイレクトに置き換えられるか、さもなくば削除される可能性があります。出典検索?: “だんじり” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年5月) 「だんじり」もしくは「だんぢり」とは、日本の祭礼に奉納される山車(だし)を指す西日本特有の呼称。「楽車」・「壇尻」・「台尻」・「段尻」・「山車」·「地車」とも表記される。 主に近畿地方・中国地方・四国地方などの祭礼で登場し、「曳きだんじり」と「担ぎだんじり」の2種類に大別される。地方によっては、太鼓台やふとん太鼓などをこう呼ぶ場合もある。 だんじり祭[編集] だんじり祭(だんじりまつり)は、だんじりを用いる祭の総称。 地車を用いた岸和田だんじり祭(大阪府岸和田市)が最も代表的だが、それ以外にも神戸だんじりなど、近畿地方を中心に多く存在する。 また中国地方、四国地方でも、だんじりを用いる祭りが行われる。 関連項目[編集] 外部リンク[編集]

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ステッピングモーター – Wikipedia

VR型ステッピングモーターのアニメ PM型ステッピングモーターの駆動回路の模式図 ステッピングモーター ステッピングモーター(Stepper motor)は、ドライバを介して直流のパルス電圧を印加して駆動するモーターである。したがってパルスモーター(Pulse motor)とも言われる。簡単な回路構成で、正確な位置決め制御を実現できるので、装置の位置決めを行う場合などによく使われる。 運動量が駆動パルスの数に比例する。 デジタル制御回路との相性が良い。 フィードバック回路の必要性がない。(開ループ制御) エネルギーの効率が悪い。 負荷が大きすぎたり、パルス周波数が高すぎると同期外れで制御が乱れる。 この状態を「脱調した」と称する。加減速シーケンスを用いると改善することがある 回転子の種類[編集] Permanent Magnet Type (PM型:永久磁石形) 回転子として、円周上にNSNS…と交互に着磁した磁性体を使用する。安価であるが、着磁間隔を細かくすることに限界があるので、ステップ角度は小さくできない。 Variable Reluctance

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遠江 – Wikipedia

この項目では、現在の遠州地方について説明しています。令制国時代の遠江地方については「遠江国」をご覧ください。 遠江(とおとうみ)とは、かつての令制国の遠江国および、その後の浜松県、そしてその領域にほぼ相当する現在の静岡県西部地方を指す時の呼称である。遠州(えんしゅう)とも呼ばれる。この記事では現在の静岡県遠州地方について述べる。令制国時代の遠江地方に関しては遠江国の記事を参照。 現代の遠江地方[編集] 特徴[編集] 太平洋(フィリピン海(遠州灘))に面し、大井川と浜名湖の間に挟まれた地方である。俗に遠州地方と呼ばれる事も多い。糸魚川静岡構造線よりも西側。 自然[編集] 天竜川に沿って中央構造線が走っており、中央構造線の沿線に山々が列んでいる。気候では、からっ風が吹く地方としても知られる。 産業[編集] 農業(代表的農産物) 工業 浜松市は、楽器やバイクの生産で有名である。ただし、ヤマハ発動機は、当初は旧浜北市(現在の浜松市浜北区)に本社を置いていたが、後に磐田市に本社を移転した。 繊維 祭事[編集] 掛川で使用される二輪屋台 遠州では、山車のことを屋台と呼ぶ(掛川市横須賀地区では祢里と呼ぶ)。屋台には花屋台と御殿屋台があるが、御殿屋台の方が遠州全域に広まっており、花屋台は少数派である。 屋台の文化が発展している反面、神輿の文化は殆どなく、屋台引き回しと平行で小規模に行うところ、神輿自体出さない(或いは無い)ところが殆どである。 遠州には、初子祝いで初凧を揚げる文化があるが、浜松市を除き衰退してしまっている。浜松市の浜松まつりは現在でも初凧の文化を継承している。 西遠地区を中心に練りという文化があるが、それは浜松まつりの影響を受けている。詳細は、浜松まつり#練りを参照。 浜松市内各所では祭事の際にラッパ隊という老若男女がラッパを演奏する。こちらも浜松まつりの影響を受けている。詳細は、浜松まつり#ラッパを参照。 西遠地区の一部(主に浜名湖岸)では手筒花火の文化が存在する。

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ダイナモ – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ダイナモ” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年11月) ダイナモ (dynamo) は本来は発電機の別名だが、現在では整流子を使って直流を生成する整流子発電機を意味する。初期の産業用発電に使われたのはダイナモであり、電動機、交流発電のオルタネーター、回転変流機などの電力変換装置はすべてダイナモから派生した。現在では大規模な発電は全て交流の電力を発生させており、交流から直流への変換は半導体などを使って簡単にできるため、整流子のあるダイナモはそういった用途にはほぼ使われなくなっている。 地域によっては、「発電機」と同義に使われ続けている。日本語では、特に自転車や自動車に付けられる直流の発電機や、発電式の懐中電灯・ラジオなどの発電機を指す。 ダイナモはファラデーの電磁誘導の法則に基づき、導線を巻いたコイルと磁界を使い、機械的な回転力を脈動する直流電流に変換する。ダイナモを構成する部品のうち回転しない部分を固定子と呼び、一定の磁場を提供する。一方回転する部品を電機子と呼び、その磁場の中で回転する。小さい装置であれば、その一定の磁場は1つまたは複数の永久磁石で提供される。大きい装置では電磁石で提供し、これを「磁場コイル (field coil)」などと呼ぶ。 直流を生成するのに必須となるのが整流子である。導線を巻いたものが磁場内で回転するとそこに生じる電位差は半回転ごとに逆転し、交流を生じる。しかし、初期の電気の利用法では交流の使い道が知られていなかった。当時の数少ない電気の用途として電気めっきがあるが、これには直流を必要とし、扱いにくい液体を使った電池で直流を供給していた。ダイナモはそのような電池の代替として発明された。整流子は装置の軸に設置された一連の接点であり、回転部分と外部回路との接続を電位差の逆転に合わせて反転させ、交流ではなく脈動する直流を生成するものである。 世界初の発電機構はマイケル・ファラデーが1831年に発明した「ファラデーの円盤」で、銅製の円盤を磁石の両極の間で回転させるものである。これは整流子を使っていないのでダイナモではない。「ファラデーの円盤」では磁場を通る電流の経路が1つしかないため、生成する電位差が非常に低い。ファラデーや他の研究者は、導線を複数回巻きつけたコイルにすることで電圧を高くできることを発見した。導線の巻き数を調整することで任意の電圧を生成できるようになり、その後の発電機の設計には必ずコイルが使われているが、直流を生成するには整流子の発明が必要だった。 イェドリクのダイナモ[編集] 1827年、ハンガリーのイェドリク・アーニョシュは

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宇部市 – Wikipedia

宇部市(うべし)は、山口県西部、周防灘(瀬戸内海)に面した市。 県内では下関市、山口市に次ぎ3番目となる約17万人の人口を誇る。また1km2当たりの人口密度は防府市、下松市に次ぐ県内第3位である。本市と隣接する山陽小野田市を中心として人口約26万人の宇部・小野田広域都市圏が形成されているほか、福岡県の北九州市などとの交流も深く、下関市とともに関門都市圏の構成都市として数えられる場合もある[3]。 宇部市の前身である宇部村は、江戸時代まで厚狭郡南部の半島状地形の先端部にある一寒村であったが、明治以降に宇部炭鉱での採炭が本格化したことで炭鉱都市として急速に発展した。石炭産業は後に宇部興産の事業の一部となり、現在でも同社は本社機能の一部および主力生産拠点を市内に置いている。市の沿岸部は同社を中心とした工業地帯が形成されており、宇部港が津久見港(大分県)、苅田港(福岡県)に次いで国内3位のセメント輸出量を誇る[4] など、北九州工業地域・瀬戸内工業地域の一翼を担う。 炭鉱採掘とともに人口が急増したこともあり、1921年(大正10年)に村制から町制を経ずに市制に移行し、厚狭郡から離脱した[5]。山口県内では下関市に次いで2番目の市制施行であり、村から市に直接昇格した例は全国的にも珍しい[要出典][注釈 1]。 地勢[編集] 市中心部を流れる真締川 山口県南西部の瀬戸内海側に位置する。市域は県中西部を南北に貫流する厚東川水系の下流域および有帆川水系の上流域にあたり[6]、南は周防灘に突き出した半島状地形の先端部から、北は中国山地の丘陵地帯におよぶ[7]。厚東川河口付近の両岸に広がる平野部および海岸沿いの平地に市街地が広がり、人口集中地区を形成する[8]。 南部の平地は大部分が海底炭田により埋め立てられた跡地であり、「鵜の島」「浜町」などの地名はその名残である。市の中部から北部にかけて穏やかな山地が広がっており、近年は工業団地や新興住宅地の建設などにより開発が進められている。 また、市西部の厚南地区は「中野開作」「妻崎開作」などの地名に見られるように、大部分が稲作を目的とした干拓により開墾された地域である。このため、かつて同地区は水田が広がる田園地帯であったが、近年は国道190号沿線やゆめタウン宇部周辺を中心にロードサイド店舗の進出が活発化し、分譲マンションの建設が行われるなど市街化が著しい。 かつては宇部市に属する島が複数存在したが、いずれも干拓や埋め立て等により消滅し、最後まで残った鍋島も山口宇部空港の滑走路延伸工事のため埋め立てられ1999年(平成11年)に消滅した[9]。 広袤(こうぼう)[編集] 国土地理院の世界測地系によると、宇部市の東西南北それぞれの端は以下の位置で[13]、東西の長さは16.5 km、南北の長さは27.4kmである[7]。 市勢[編集] 面積:286.65 km2 人口:162,615人 男性:77,705人 女性:84,910人 人口密度:579人/k㎡

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音素 – Wikipedia

音素(おんそ、英: phoneme)とは、言語学・音韻論において、音声学的な違いはどうであれ、心理的な実在として、母語話者にとって同じと感じられ、また意味を区別する働きをする音声上の最小単位となる音韻的単位を指す。 音素は次の特徴を持つ。 弁別的 (英: distinctive) な価値を持つ。すなわち、音素の違いは意味の違いをもたらす。 ある音素の実際の音価は、その周囲の音的環境から予測可能である。 場合によっては子音や母音、半母音をまとめて分節音素(英: segmental phonemes)[1]、またそうした分節音素を越えて見られる要素、つまり声調やイントネーションを含む音の高さ(英: pitch)、強勢またはアクセント、連接(英語版)(英: juncture)をまとめて超分節音素(英: suprasegmental phonemes)と総称することがある[注釈 1][2]。 ロシアの言語学者ボードゥアン・ド・クルトネが初めてその概念を提唱した。 ある音声の相違が言語体系に何をもたらすのか、それは意味の区別であり、意味の区別に用いられる音声の相違は「音韻的対立」と呼ばれる。この「音韻的対立」こそが、言語の分析を行う上で重要な要素でもある。 例えば、cat /kǽt/とdog

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