「Ido」はこの項目へ転送されています。IDO(大文字)については「IDO」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “イド語” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年7月) イド語、イード[1][2] (Ido) は、人工言語の一種で、エスペラントの改修案として1908年に発表されたものである[2]。 はじめはノーベル賞受賞者ヴィルヘルム・オストヴァルトなどの宣伝によってある程度の普及をおさめたが、改造が続き、エスペラントから移ってきた者はエスペラントへまた戻って行ってしまい、1930年を過ぎるころにはほぼ終息した[3]。 1907年に審議を開始した国際語選定委員会はルイ・クテュラ(英語版)の提示した改造案「イード」を修正案として取り入れるよう、エスペラント創始者ルドヴィコ・ザメンホフにそれを求めた[4]。 このエスペラント改造案には多くのエスペランティストが、国際語の完成の期待を寄せた。多くの人は不完全なエスペラントがその発展にブレーキをかけるのではないかと思った。エスペラントの改造をしようとした人が数多く、1884年にエスペラントを初めて作ったザメンホフも、現在イド語に入っている複数形の-iの使用と対格形の-nをほとんどの場合でなくして、語順のため曖昧な場合だけ続けてすることを提案したが、可決には至らなかった。 ルイ・ド・ボーフロン(英語版)はパリで行われた国際語選定代表者会で、国際語案の候補として、このエスペラントの改造案、「イド」を発表した。この改造案が発表された後、国際エスペラント運動は重大な分裂が続いた。この新しい計画は特にプロの言語学者から支持を受けた。しかし、エスペラントはボーフロンのような指導者無しに言語として確立したが、イディスト(イド語使用者)は発表後も文法規則を頻繁に変えていったため、一般のエスペランティスト達の支持を受けられなくなっていった。1920年代に入って改造はほぼ収束したものの、時はすでに遅く、多くのイディストたちが離れてしまった後だった。 ただし、組織化されたイド運動は現在でも存在し、インターネットのウェブページと少数の使用者たちによって支えられている。エスペラントのように一年に一回大会を開くが、エスペラントの世界大会が2000人程度であるのに対し、イド語大会の参加者は2001年以後、毎年20人未満の参加である[5]。 文字と発音[編集] エスペラント特有のĉ,ĵ,ŝ,ŭはそれぞれch,j,sh,wに変更され、ĥは廃止、ĝは単語によって別な文字に変更された。また、エスペラントにおけるjは同じ発音のyに置き換えられた。逆に、エスペラントのkvはquに、ks,kzはxになった[6]。
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