館林市 – Wikipedia

たてばやしし ウィキデータを編集
館林市
Tatebayashi Morinji Temple Gate 1.JPG

茂林寺
館林市旗 館林市章
館林市旗 館林市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
市町村コード 10207-5
法人番号 7000020102075 ウィキデータを編集
面積 60.97km2
総人口 74,728[編集]
(推計人口、2022年2月1日)
人口密度 1,226人/km2
隣接自治体 邑楽郡邑楽町、千代田町、明和町、板倉町
栃木県:足利市、佐野市
市の木 クロマツ
市の花 ヤマツツジ
市の鳥 カルガモ
館林市役所
市長
[編集]

多田善洋

所在地 374-8501
群馬県館林市城町1番1号

北緯36度14分41.4秒 東経139度32分31.6秒 / 北緯36.244833度 東経139.542111度 / 36.244833; 139.542111座標: 北緯36度14分41.4秒 東経139度32分31.6秒 / 北緯36.244833度 東経139.542111度 / 36.244833; 139.542111
館林市役所

外部リンク 公式ウェブサイト

館林市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

 表示 ウィキプロジェクト

館林市(たてばやしし)は、群馬県南東部にある市。旧邑楽郡。1954年1町7村が合併して市制施行。上毛かるたで「ツル舞う形」と喩えられた群馬県の「ツルの頭」に位置する。

関東大都市圏に属する[1]。また近隣の町などから労働人口流入があり、本市を中心とする館林都市圏を形成している。

今から約2万年前に館林に最初に人々が住み始めた事が確認されている。中世になると赤井氏、長尾氏、由良氏などが館林を本拠地とし、最終的には1590年に徳川四天王の一人である榊原康政が関東以北への押さえとして館林城に入り城下町を整備した。江戸時代の第五代将軍徳川綱吉が城主だった時期(25万石)もある。近隣農村からの農産物の集積地であったことや水が豊富であったことから明治維新後に近代的設備の加工業が興り、いちはやく近代化が進んで栄えた[2]

ツツジの名勝・つつじが岡公園や、全国的に有名な分福茶釜の物語で知られる茂林寺、東武トレジャーガーデン、群馬県立館林美術館、製粉ミュージアムなどの観光地がある。

群馬県の平成の大合併以前からあった市としては、唯一市町村合併を行わなかった市であるが、邑楽郡大泉町を除く邑楽郡4町との合併に向けた研究会を設置していた。小麦が多く取れることから、日本のチェルノーゼムと自称している。また七五三は、館林城主徳川徳松の健康回復を願って1681年に始まったものが全国に広がった。

つつじが岡公園

東毛地域と呼ばれる群馬県の東部に位置し、市域の北部は渡良瀬川を隔てて栃木県佐野市及び足利市、東部は群馬県邑楽郡板倉町、南部は明和町及び千代田町に、西部は邑楽町に接する。

南北を渡良瀬川、利根川の2大河川に挟まれ、鶴生田川が市街地を東西に、市西部を多々良川、近藤川が南北に流れ、茂林寺川、新堀川、新谷田川、谷田川が市南部を貫流している。城沼、多々良沼、近藤沼、茂林寺沼などの沼が点在する低湿地帯と台地(大宮台地から切り離された館林台地、主に低台地)から成り立っている。

人口[編集]

2005年に8万人に達したが、その後は減少に転じた。2021年の人口は約7万4000人。

外国人登録者数
中国 556人
フィリピン 313人
ブラジル 299人
ペルー 107人
韓国・朝鮮 104人
バングラデシュ 80人
タイ 78人

(2007年7月1日現在)

Population distribution of Tatebayashi, Gunma, Japan.svg
館林市と全国の年齢別人口分布(2005年) 館林市の年齢・男女別人口分布(2005年)

紫色 ― 館林市
緑色 ― 日本全国

青色 ― 男性
赤色 ― 女性

館林市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

気候[編集]

冬から春先にかけて北風(からっ風、赤城おろし)が吹き、夏は雷が多く発生する。

また、他県境付近の市(埼玉県熊谷市、群馬県前橋市など)と同様、夏の時期には40°C近い猛暑に見舞われることがある。

  • 2007年8月15日には最高気温40.2°C、翌8月16日にも40.3°Cを観測した。最高気温40°C以上を2日連続で観測するのはこれが観測史上初であった。
  • 2011年6月22日には全国で最初の猛暑日を観測した。また、翌々日6月24日には最高気温39.3°Cを観測し、館林市の6月の観測史上最高気温を更新した。
  • 2013年8月10日には最高気温40.1°Cを観測した。
  • 2018年7月23日にはこれまでの観測場所で最高気温40.1°Cを観測した。ただし、後述の観測所移転により同日の最高気温は39.4°Cとなっている[3]。また、同年の夏は館林市に限らず全国的に猛暑に見舞われた(2018年の猛暑も参照)が、8月18日には最低気温15.9°Cを観測し、館林市の8月の観測史上最低気温を更新した。
  • 猛暑日の年間日数は国内有数であり、2010年(41日)[4]、2011年(30日)[5]、2012年(32日)[6]、2014年(23日)[7]、2015年(29日)[8]には国内最多を記録した。

これらの猛暑の発生は、発達した太平洋高気圧がもたらす温かい大気が、当市の北西にある赤城山方面から、熱風となって吹き降りるフェーン現象のためである。

2001年から市民一斉気温測定を行い、市内の気温分布を調査している。アメダスの記録と比べ、露場が広く、芝生である館林城跡地では0.0〜0.4°C低く、交通量の多い道路沿いでは2〜3°C高い。館林市中心部では1〜2°C高く、郊外の森林や水辺では市街地より3〜5°C低いことから、高温は市街地で発生することがわかった(ヒートアイランド現象)。市民は打ち水や緑のカーテンなどで気温を下げる活動を行っている。2008年6月に「暑さ対策本部」(本部長は市長)を設置し、市民、企業、行政が一体となって暑さ対策に取り組むことになった。

アメダス観測所は2018年6月11日まで館林消防署(美園町)敷地内にあった。土の上に防草シートを敷いて設置されているほか、周辺の立地条件などから温度が上がりやすいのでは無いかとインターネット上で指摘され、挙句の果てに「ズル林」などとも揶揄されてきた[9]。そんな中、観測所が6月12日群馬県立館林高等学校(富士原町)敷地内に移転された。温度に関する指摘の声を認識していた気象庁は、既存設備撤去後の消防署内の跡地に簡易観測装置を設置、新旧観測場所の観測結果を7月2日から10月1日まで公開、比較できるようにしている[3]

  • 最高気温 – 40.3°C(2007年(平成19年)8月16日)
  • 最低気温 – -8.8°C(1984年(昭和59年)1月20日)
  • 最大降水量 – 219.0mm(2011年(平成23年)7月19日)
  • 最大瞬間風速 – 28.3m/s(2009年(平成21年)8月9日)
  • 夏日最多日数 – 152日(2013年(平成25年))
  • 真夏日最多日数 – 88日(2010年(平成22年))
  • 猛暑日最多日数 – 41日(2010年(平成22年))
  • 熱帯夜最多日数 – 37日(2010年(平成22年))
  • 冬日最多日数 – 91日(1984年(昭和59年))
  • 真冬日最多日数 – 0日(観測記録なし[注 1]
館林市(館林地域気象観測所)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.4
(65.1)
24.0
(75.2)
27.1
(80.8)
33.2
(91.8)
35.4
(95.7)
39.3
(102.7)
39.9
(103.8)
40.3
(104.5)
39.3
(102.7)
33.9
(93)
24.9
(76.8)
25.2
(77.4)
40.3
(104.5)
平均最高気温 °C°F 9.3
(48.7)
10.1
(50.2)
13.7
(56.7)
19.9
(67.8)
24.1
(75.4)
26.7
(80.1)
30.4
(86.7)
32.3
(90.1)
27.7
(81.9)
22.0
(71.6)
16.5
(61.7)
11.7
(53.1)
20.4
(68.7)
日平均気温 °C°F 3.7
(38.7)
4.5
(40.1)
7.9
(46.2)
13.6
(56.5)
18.3
(64.9)
21.8
(71.2)
25.4
(77.7)
26.9
(80.4)
22.9
(73.2)
17.0
(62.6)
11.0
(51.8)
6.0
(42.8)
14.9
(58.8)
平均最低気温 °C°F −1.1
(30)
−0.4
(31.3)
2.8
(37)
8.3
(46.9)
13.4
(56.1)
17.8
(64)
21.7
(71.1)
23.1
(73.6)
19.4
(66.9)
12.9
(55.2)
6.3
(43.3)
1.1
(34)
10.5
(50.9)
最低気温記録 °C°F −8.8
(16.2)
−7.0
(19.4)
−4.7
(23.5)
−1.0
(30.2)
3.6
(38.5)
11.0
(51.8)
14.6
(58.3)
15.9
(60.6)
10.2
(50.4)
2.8
(37)
−2.0
(28.4)
−5.9
(21.4)
−8.8
(16.2)
降水量 mm (inch) 32.7
(1.287)
36.7
(1.445)
71.9
(2.831)
88.4
(3.48)
114.7
(4.516)
140.0
(5.512)
143.3
(5.642)
166.3
(6.547)
171.8
(6.764)
129.3
(5.091)
57.2
(2.252)
32.4
(1.276)
1,184.6
(46.638)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 3.9 4.9 8.9 9.5 10.6 12.5 13.2 9.5 12.3 9.2 6.2 3.2 104.0
平均月間日照時間 204.6 186.8 185.8 191.1 182.3 130.8 144.3 173.7 125.6 142.8 168.2 198.1 2,035
出典:気象庁 (平均値:1981年-2010年、極値:1978年-現在)[10][11]

町丁名[編集]

地区分類は国勢調査における町丁字コードによる[12]

館林地区[編集]

  • 本町1-4丁目
  • 千代田町
  • 富士見町
  • 栄町
  • 仲町
  • 西本町
  • 代官町
  • 台宿町
  • 広内町
  • 朝日町
  • 大手町
  • 城町
  • 尾曳町

郷谷地区[編集]

  • 加法師町
  • 当郷町
  • 若宮町
  • 瀬戸谷町
  • 坂下町
  • 東広内町
  • 細内町
  • 千塚町
  • 田谷町
  • 四ツ谷町

大島地区[編集]

  • 大島町

赤羽地区[編集]

  • 上赤生田町
  • 赤生田本町
  • 赤生田町
  • 羽附町
  • 花山町
  • 楠町
  • 羽附旭町

六郷地区[編集]

  • 新宿1-2丁目
  • 緑町1-2丁目
  • 松原1-3丁目
  • つつじ町
  • 美園町
  • 堀工町
  • 分福町
  • 南美園町
  • 近藤町
  • 青柳町
  • 苗木町
  • 諏訪町
  • 東美園町
  • 西美園町
  • 小桑原町
  • 富士原町

三野谷地区[編集]

  • 野辺町
  • 上三林町
  • 下三林町
  • 入ヶ谷町

多々良地区[編集]

  • 高根町
  • 新栄町
  • 松沼町
  • 木戸町
  • 日向町
  • 大街道1-3丁目
  • 西高根町
  • 成島町
  • 大谷町
  • 赤土町
  • 北成島町

渡瀬地区[編集]

  • 下早川田町
  • 上早川田町
  • 傍示塚町
  • 足次町
  • 岡野町
  • 大新田町

館林の地名が出てくる古いものに15世紀の歴史を記した『鎌倉大草紙』があり、応永22年(1415年)11月の終わりの條に、上杉禅秀が館林を討って上野国の過半を従えたと出てくる[13][14]。その後表記は館林、立林の両方が見られ、読みもたてばやし、たちばやしの両方があったが、永禄以降に現在の言い方に定まったと思われる[13]

  • 旧石器時代・縄文時代
    • 紀元前2万年~1万年 – 石器の発見により館林に旧石器時代(2万年前)から人々が住み始めたことが分かった。またそれより後の縄文時代の住居跡、石器、土器も発見された。当時はこの辺りまでが海であり館林は海への玄関口であった。
  • 弥生時代・古墳時代
    • 紀元前300年ころ – 伝衛門遺跡・北近藤第一地点遺跡など150以上の地点で弥生時代の住居跡が発見されている。古墳時代になると天神双子古墳、山王山古墳、淵の上古墳など多数の古墳が作られた。調査の結果この地方は当時の中央政権の勢力下であったようである。
  • 奈良時代・平安時代
    • 769年 – 書物『続日本紀』に「邑楽郡」(当時の館林も含むこの地方一帯の名前で、読みはヲハラキ又はオホアラキ)が登場する。ちなみに現在も館林以外の東毛地方を邑楽郡(オウラグン)と言う。
    • 927年 – 書物『延喜式』にも「邑楽郡」が登場する。この当時の邑楽郡内の地名には「長柄・疋田・池田・八田」があると記されている。
    • 1108年 – この時代中世の所領が形成され館林・邑楽一体には藤原氏系譜の佐貫荘が成立した。その後1184年の一ノ谷の戦い後、佐貫荘の佐貫広綱は頼朝の御家人となる。
  • 鎌倉時代・室町時代
    • 1199年 – 頼朝が没し実権が北条氏に移ると佐貫荘など最有力の御家人を次々滅ぼし所領を没収。
    • 1333年 – 南朝の新田義貞と北朝の足利尊氏の対立が激化。館林一帯の佐貫荘は足利、新田両軍に分裂した。
    • 1338年 – 足利尊氏が室町幕府を開く。新田方の佐貫荘は所領を没収された。この頃館林一帯に足利方の佐貫荘の一族、舞木氏が頭角を現す。
    • 1416年 – 関東管領上杉禅秀が、足利持氏と対立。上杉方に舞木氏、岩松氏(新田一族)が加わり参戦する。しかしこの上杉禅秀の乱は鎮圧され禅秀は自害。翌1417年、今度は岩松氏が蜂起するが、この時は舞木氏は足利方として戦い、岩松満純を討ち取りその首を鎌倉へ差し出した。
    • 1454年 – 羽継原合戦が勃発。佐貫荘舞木氏の被官赤井氏が台頭を表す。(赤井、舞木両氏とも足利成氏に重用される。)
    • 1471年 – 幕府・上杉方が足利荘と佐貫荘に侵攻。赤井文三、赤井文六が館林城に籠城して上杉勢と戦う。しかし、館林城は落城。上杉方は古河へ進撃、成氏は敗走した。当時の館林城は上杉方・足利方の中間に位置し両陣営攻防の拠点であった。
    • 1562年 – 上杉謙信(長尾景虎)が館林城を攻める。城主赤井文六は降伏し、忍城(現在の埼玉県行田市)へ落ちのびる。上杉謙信は館林城を長尾景長に与える。景長の没後、長尾家を金山城主次男(現在の群馬県太田市)由良顕長が継ぐ。長尾・由良陣営は「新田・館林・足利」にまたがる一大勢力になった。
    • 1574年 – 長尾・由良陣営は北条氏との関係強化に踏み出す。これに反発した上杉謙信は新田・館林・足利各所に大々的に放火。これを長尾・由良陣営は防戦。
  • 安土桃山時代
    • 1578年 – 長尾氏の下で東毛地域の勧農開拓の為の植林、用水路事業を行い多大なる貢献をした大谷休泊(大谷新左衛門)が没する。
    • 1584年 – 北条氏直が館林城を攻める。翌年落城し館林城は北条氏規に与えられる。館林領は北条氏の直轄領となる。
    • 1590年 – 豊臣秀吉が北条氏討伐のため出兵。石田三成を将とする軍勢2万人を館林城に向かわせる(その他関東の北条氏の城にも攻撃)。館林城側は6千人が篭城。5月22日、石田勢は軍勢を三手に分け総攻撃するも4ヶ月たっても城が落ちなかった。石田勢は館林城東南の大沼(城沼)からの侵攻を計画するも、城攻め用に調達した大量の大木が消失する。北条氏勝から稲荷が館林城の鎮守として祭られていることを知ると、狐の霊験を恐れ開城交渉を申し入れた。城側もこれを受け入れ5月末退散した。この年徳川家康の江戸御打入り。江戸の総奉行で徳川四天王の一人榊原康政が館林城主となり、10万石を領する。康政は8月19日、領内茂林寺に対し寺中への狼藉・竹木伐採・放牛馬についての禁制を下す。
    • 1591年 – 榊原康政が竜興寺に対し寺中への禁制を下す。
    • 1595年 – 榊原康政が利根川、渡良瀬川の両川に計54キロに及ぶ堤防を築く大工事を行う。これにより河川の氾濫が大幅に低下した。
    • 1597年 – 館林城城下町に南北通り(日光脇往還)が完成。また、館林内の薬師堂、善導寺、天神宮、観音堂などを城の西側に移設。その後、成島、当郷、小桑原、谷越、足次の5村の農民を新設の城下町に移住させ町民とする(新町人は地税免除)。館林城を中心に城下町、寺社を配置しその周囲を塀で囲み5つの門を設ける。館林城を江戸にいる徳川の防戦砦として整備した。
    • 1600年 – 関ヶ原の戦いが起こる。榊原康政は徳川家康の子徳川秀忠について参戦する。資金不足で戦いに間に合わなかった秀忠に家康は会おうともしなかったが、康政は身をもって家康に侘び父子の仲直りが実現した。以後秀忠は家康没後も榊原康政に殊遇を忘れなかった。
  • 江戸時代
    • 1605年 – 榊原康政の愛妾お辻が他の側室の妬みに耐えかねて、城沼に身を投げて自殺。これを知った村の人々がお辻の死を哀れみ生前に愛したツツジの木を1本、城沼の南岸、龍灯の松のかたわらに植え、その霊を慰めた。
    • 1606年 – 5月14日、榊原康政が館林城内で死去し善導寺に葬られる。遺領は三男の康勝が継ぐ。
    • 1617年 – 徳川家康の遺骸が日光山改葬のため、館林城下を通過。
    • 1627年 – 榊原忠次が城沼の南丘にツツジの名木808株を多数移植。領民遊覧のため拡張する。(現在のつつじが岡公園)
    • 1661年 – 後の徳川5代将軍徳川綱吉が館林城主となる(館林宰相とよばれた)。館林城は25万石の城となり、また大改築も実施されたため、大変壮大な名城となった。本丸・二の丸・三の丸・屋敷百家・旗本など大名小路は多くの人々で満ち溢れ、館林の繁栄はまるで「江戸の全盛期」のようであったと書物『館林記』に記されている。この時、館林城に近い下野国2郡7村が邑楽郡に編入し、綱吉の新領地に加わる。また、館林城鐘もこの年に鋳造。
    • 1676年 – 過重な年貢に苦しむ名主小沼庄左衛門ら18名が越訴の罪で処刑される(日向義民)
    • 1680年 – 徳川綱吉が徳川幕府第5代の将軍に任ぜられ権大納言となる。綱吉の子徳川徳松(当時2歳)が館林城主になる。
    • 1681年 – 病弱な徳川徳松の健康回復を願って儀式(現在の七五三)が行われる。
    • 1683年 – 5月28日午後8時、徳松が病死し、館林城が廃城になる。以後館林は代官が支配する。
    • 1707年 – 徳川綱重の次男越智松平氏松平清武が館林城主になる。館林城の再築に着手。再築費3万1千両。
    • 1718年 – 再築や米価暴落により藩政困窮し、増税を割り当てられた領民が享保の館林一揆(館林騒動[15])を起こす。翌年、首謀者の田谷村名主小池藤左衛門ら3人が処刑される(享保の三義人)。
    • 1837年 – 館林出身の生田万が越後国柏崎で乱を起こす(生田万の乱)。襲撃の際の重症をうけ切腹をとげる。享年37。
    • 1845年 – 山形藩より秋元志朝が館林城に入封。幕府の権力衰退の中、江戸の大地震をきっかけに藩政の大改革を断行。多くの江戸の家臣を館林に移した。また、館林藩校の求道館を整備拡充し、造士書院と改称。優秀なものを江戸に遊学させる。
    • 1863年 – 館林藩が雄略天皇陵の修理を完了する。
    • 1868年 – 館林藩は官軍として戊辰戦争を戦う。東北各地の戦功により永世1万石を下賜される。

旧上毛モスリン事務所(館林市第二資料館内)

旧館林市役所庁舎(現・館林市市民センター)

群馬県立館林美術館

  • 市長:多田善洋(2021年4月2日就任、1期目)

歴代市長[編集]

氏名 就任 退任 備考
1 遠藤仁之輔 1954年(昭和29年)5月15日 1970年(昭和45年)5月14日
2 岩上泰治 1970年(昭和45年)5月15日 1977年(昭和52年)11月14日
3 山本達司 1977年(昭和52年)12月25日 1997年(平成9年)12月24日
4 中島勝敬 1997年(平成9年)12月25日 2007年(平成19年)2月28日
5 安樂岡一雄 2007年(平成19年)4月22日 2017年(平成29年)2月12日
6 須藤和臣 2017年(平成29年)4月2日 2021年(令和3年)4月1日
7 多田善洋 2021年(令和3年)4月2日

市議会[編集]

  • 市議会:定数18名[17]

県議会[編集]

  • 選挙区:館林市選挙区
  • 定数:2名
  • 任期:2019年(令和元年)5月11日〜2023年(令和5年)5月10日
議員名 会派名 備考
(多田善洋) (自由民主党) [注 2]
泉沢信哉 自由民主党

衆議院[編集]

  • 任期 : 2021年(令和3年)10月31日 – 2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙」参照)
選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
群馬県第3区(館林市、太田市(旧薮塚本町域を除く)、邑楽郡) 笹川博義 自由民主党 4 選挙区

警察・消防[編集]

  • 館林警察署
  • 館林地区消防組合(館林市、邑楽郡で構成)
    • 館林消防署
      • 西分署
      • 北分署

地元企業[編集]

本拠を置く企業[編集]

  • 赤城車体工業
  • 正田醤油
  • 神薬工業
  • 館林ガス
  • 館林観光バス
  • 館林信用金庫
  • つゝじ観光バス
  • 手島精管
  • とりせん
  • ニプロ医工
  • 花山うどん
  • 三桝家・三桝屋(麦落雁)

その他[編集]

  • 日清製粉
    • 館林うどん

商業施設[編集]

  • アゼリアモール(楠町)[18]
  • アクロス館林(近藤町)[19]
  • ヤマダデンキテックランド館林店(瀬戸谷町)

金融機関[編集]

  • 群馬銀行 館林支店、館林南支店
  • 東和銀行 館林支店、館林駅前支店
  • 足利銀行 館林支店
  • みずほ銀行 館林支店 – ※東毛地区唯一の支店かつ、群馬県内唯一の旧第一勧業銀行店舗。(それ以外の群馬県内支店は店舗統廃合により、最終的に廃店もしくは旧富士銀行側へ統合)
  • 館林信用金庫 本店、南支店、西支店、北出張所、館林市役所出張所
  • 桐生信用金庫 館林支店 ※平成23年11月 大泉支店と統合したため2021年現在、館林市に店舗は存在しない。ATMコーナー「ベルク館林大街道店出張所」に関しても2021年1月に閉店している。
  • ぐんまみらい信用組合 (旧 東群馬信用組合)館林支店 ※店舗は残るが利用はATMコーナーのみ。2021年現在、窓口業務は高林支店(所在:太田市南矢島町449-1)が受け継いでいる。
  • 中央労働金庫 館林支店
  • 邑楽館林農業協同組合 本所、大手町支所など
  • 館林郵便局

など

特産品[編集]

  • 麦落雁
  • 醤油
  • 地酒
  • うどん
  • つつじ
  • 綿織物(館林唐桟)

姉妹都市・提携都市[編集]

館林市が交流を持つ都市は以下の通り[20]

海外[編集]

  • オーストラリアの旗 サンシャイン・コースト市(オーストラリア クイーンズランド州)
    • 1996年7月9日 マルーチー市と姉妹都市提携[21]
1995年、それぞれ姉妹都市を探す館林市とマルーチー市が交渉を持ち、翌年提携[20]。2008年にマルーチー市は自治体合併によりサンシャインコースト市となった。市民団や中学生などの相互交流が行われている[20]
  • 中華人民共和国の旗 崑山市(中華人民共和国江蘇省)
    • 2004年10月25日 友好都市提携[21]
2001年、中国駐日大使館参事官が館林を訪問したことを契機に各種相互訪問が始まる[21]

国内[編集]

榊原康政公ゆかりの都市
  • 愛知県の旗豊田市(愛知県)
  • 兵庫県の旗姫路市(兵庫県)
  • 新潟県の旗上越市(新潟県)

豊田市・姫路市・上越市とは、1985年より榊原康政(館林城初代城主)に縁のある「榊原公ゆかり都市」として「四市市長懇談会」(「榊原サミット」)を開催する関係にある[20][22]。1996年5月29日には、災害時相互応援協定(「榊原公ゆかり都市災害時相互応援に関する協定」)を結んでいる[23]

その他の交流都市

また、次の都市が館林市ウェブサイトでは交流都市に挙げられている[20]。交流名義は館林市ウェブサイトによる。

  • 山形県の旗天童市(山形県)
    • 2001年(平成13年) 相互交流協定締結
    • 2008年(平成20年)10月1日 災害時における友好都市相互応援に関する協定書締結[24]
江戸時代幕末期、館林藩(秋元家)の領地の飛び地が天童市域にあった縁[20]。観光・物産での交流が行われている[20]
  • 山形県の旗上山市(山形県)
    • 2014年(平成26年) スポーツ交流協定締結
1987年(昭和62年)以来、両市の少年サッカーチームが交流を持っていることから[20]
  • 沖縄県の旗名護市(沖縄県)
    2009年(平成21年) 友好都市協定締結
「日本花いっぱい大会」など、花を通じた都市間交流が展開されている[20]
災害時相互応援協定

「大規模災害時における相互応援に関する協定書」を、桐生市・太田市・みどり市(以上群馬県)、足利市・佐野市(以上栃木県)、志木市と行田市

(以下埼玉県)、昭島市・練馬区(以上東京都)、龍ケ崎市(茨城県)との間で締結している[25]。このほか、各種の災害時相互応援協定を近隣自治体や上述「榊原康政公ゆかり都市」などと結んでいる。

高等学校[編集]

  • 群馬県立館林高等学校(富士原町)
  • 群馬県立館林女子高等学校(尾曳町)
  • 私立関東学園大学附属高等学校(大谷町)

中学校[編集]

  • 館林市立第一中学校(台宿町)
  • 館林市立第二中学校(加法師町)
  • 館林市立第三中学校(青柳町)
  • 館林市立第四中学校(上赤生田町)
  • 館林市立多々良中学校(西高根町)

小学校[編集]

  • 館林市立第一小学校(代官町)
  • 館林市立第二小学校(本町三丁目)
  • 館林市立第三小学校(尾曳町)
  • 館林市立第四小学校(大島町)
  • 館林市立第五小学校(羽附町)
  • 館林市立第六小学校(新宿二丁目)
  • 館林市立第七小学校(上三林町)
  • 館林市立第八小学校(西高根町)
  • 館林市立第九小学校(足次町)
  • 館林市立第十小学校(近藤町)
  • 館林市立美園小学校(美園町)

幼稚園[編集]

  • 館林市立東幼稚園(大島町)
  • 館林市立西幼稚園(近藤町)
  • 館林市立南幼稚園(本町三丁目)
  • 館林市立北幼稚園(台宿町)
  • 館林市立杉並幼稚園(新宿二丁目)
  • 私立常楽幼稚園(木戸町)

保育園[編集]

公立

  • 館林市立長良保育園(台宿町)
  • 館林市立東保育園(瀬戸谷町)
  • 館林市立南保育園(本町三丁目)
  • 館林市立六郷保育園(新宿二丁目)
  • 館林市立多々良保育園(日向町)
  • 館林市立渡瀬保育園(足次町)
  • 館林市立美園保育園(美園町)
  • 館林市立高根保育園(北成島町)
  • 館林市立松波保育園(高根町)

私立

  • ルンビニ保育園(赤生田本町)
  • 聖ルカ保育園(大街道三丁目)
  • 双葉保育園(松原一丁目)
  • ももの木保育園(花山町)
  • 青柳保育園(青柳町)

認定こども園[編集]

  • 認定富士こども園(富士見町)
  • 認定こども園MINOYA(上三林町)

特別支援学校[編集]

  • 群馬県立館林特別支援学校(上三林町)
  • 群馬県立館林高等特別支援学校 (上三林町)

学校教育以外の施設[編集]

  • 館林地区高等職業訓練校(館林地区職業訓練運営会が運営する認定職業訓練施設)

館林都市圏に広がる広域公共路線バス(市外で撮影)

館林駅前通り線(愛称:花のまちクイーンズ通り)。愛称は2009年4月に62通の応募の中から決定された。

主要都市までの距離[編集]

県境付近にあるため、20km圏内の狭い範囲に群馬県(太田市)、栃木県(佐野市、足利市)、茨城県(古河市)、埼玉県(羽生市、行田市等)の4県それぞれの市がある。

  • 前橋市まで約50km。(群馬県内の市の中では最も遠い)
  • 宇都宮市まで約50km。
    • 東北自動車道があるため、所要時間は前橋より宇都宮の方が短い。なお、東北自動車道は川口JCTから宇都宮ICまで6車線で整備されている。
  • さいたま市まで約50km。
    • 東北自動車道があるため、所要時間は前橋よりさいたまの方が短い。
  • 高崎市まで約60km(前橋までと同じく群馬県内の市では最も遠い)
  • 東京まで約70km(高崎・前橋までとは逆に群馬県内の市では最も近い。)

鉄道[編集]

  • 東武鉄道
    • 伊勢崎線:茂林寺前駅 – 館林駅 – 多々良駅
    • 佐野線:館林駅 – 渡瀬駅
    • 小泉線:館林駅 – 成島駅

市の中心・館林駅は関東北部に広がる東武鉄道の鉄道路線網の核的存在の一つ。東京(浅草)方面と両毛地域3方面(太田・佐野・小泉)が分かれる。東京の浅草駅から館林駅まで特急列車「りょうもう」で58 – 65分。

路線バス[編集]

コミュニティバス[編集]

コミュニティバス「広域公共路線バス (館林市外四町)」を館林市および邑楽郡邑楽町・千代田町・明和町・板倉町の1市4町で共同運営している。単に「路線バス」とも呼ばれ、系統名も多用される。路線は館林駅を中心に市内各地・周辺市町へ伸び、また一部の系統を除き館林厚生病院を発着する。

館林市の「広域公共路線バス」の特徴は「広域・独占・低運賃・簡単」である。これは極力民営バスにありがちなデメリット(運行の偏り・事業者毎の分断・高い運賃・系統などのわかりにくさ)を取り除いたためである。この背景にあるのは「路線バスが存在しない市」の経験である。

1970年代頃までは、東武鉄道(現:東武バス)を含めて民間3社が市内や周辺自治体への路線バスを運行していたが、モータリゼーションの進行に加えて比較的平坦な土地だったことから自転車が普及し[26]、路線バス利用者が減少したため、1980年頃から路線の廃止が進み、1986年12月31日限りで茨城県古河市・栃木県下都賀郡藤岡町(現・栃木市)を結ぶ2路線が廃止された[26]。これにより、当時日本に653あった市のなかで唯一「路線バスが存在しない市」となった[26]

その後、高齢者へのタクシーチケット配布の時期を経て、1993年から地元事業者2社に委託する形で広域公共路線バスの運行を開始。完全自治体主導による全市的かつ都市圏内共同の路線バス再構築が行われた。「路線バスが存在しない市」を経験した経緯を踏まえて利用しやすい特徴を持たせたため、地域の足として維持しようという意識も高く利用が多い。

各路線の詳細については「広域公共路線バス (館林市外四町)」の記事を参照。

  • 館林・板倉線
  • 館林・板倉北線
  • 館林・明和・板倉線
  • 館林・千代田線
  • 多々良巡回線
  • 渡瀬巡回線
  • 館林・明和・千代田線
  • 館林・邑楽・千代田線

なお、館林・明和・板倉線については運行費負担金などで板倉町と明和町で意見対立を生じたため2021年度で廃止されることになった[27]

高速バス[編集]

日本中央バスが運行する高速バスが、館林市役所と同社の館林バスセンター(赤生田町·2017年3月閉鎖)に停車する。

  • 「伊勢崎・桐生-羽田空港線」館林市役所 – 羽田空港(日本中央バス、東京空港交通が共同運行)
  • 「シルクライナー」館林市役所 – 館林バスセンター – 金山駅南口 – 名古屋駅太閤通口 – JR奈良駅東口 – 大阪OCAT(日本中央バス)
  • 「シルクライナー」館林市役所 – さいたま新都心駅東口 – 京都駅八条口 – なんばOCAT (日本中央バス)
  • 「仙台ライナー」館林市役所 – 館林バスセンター – 仙台駅東口(日本中央バス)

道路[編集]

  • 高速道路
    • E4東北自動車道 (6) 館林インターチェンジ

  • 一般国道
    • 国道122号
    • 国道354号
  • 都道府県道
    • 群馬県道2号前橋館林線
    • 群馬県道7号佐野行田線
    • 群馬県道8号足利館林線
    • 群馬県道57号館林藤岡線
    • 群馬県道83号熊谷館林線
    • 群馬県道314号古戸館林線
    • 群馬県道361号矢島大泉線

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

つつじが岡公園

著名な出身者[編集]

政治・経済[編集]

  • 正田文右衛門(実業家) – 正田醤油の創業者。
  • 正田貞一郎(実業家) – 日清製粉の創業者。上皇后美智子の祖父。
  • 正田英三郎(実業家) – 日清製粉の社長。上皇后美智子の父。
  • 南条新六郎(実業家) – 日本製粉の設立者。
  • 南条金雄(実業家) – 三井物産の会長。大正海上火災保険の会長。
  • 前原壬子雄(実業家) – とりせんの創業者。
  • 前原章宏(実業家) – とりせんの社長。
  • 川村喜十郎(実業家) – DIC創業者。
  • 谷津義男 – 元衆議院議員、元農林水産大臣
  • 須藤和臣 – 元館林市長
  • 多田善洋 – 館林市長

学術[編集]

  • 小川晃一 – 北海道大学名誉教授。
  • 坂村貞雄
  • 正田建次郎(数学者) – 大阪大学名誉教授。
  • 平塚浩士 – 群馬大学学長
  • 丸山不二夫

文化・芸能[編集]

  • 相沢巧弥子(歌手)
  • 荒井閑窓(俳人)
  • 荒井つかさ – 日本レースクイーン大賞2015グランプリ受賞。
  • あらいすみれ – 17歳でミス日本(2007年現在最年少記録)
  • 石川源三郎 – 教育者、宗教家、世界初のバスケットボールの試合の参加者
  • 大沢豊子 – 日本初の女性速記者、後にジャーナリスト
  • 笠原紳司(俳優)
  • 岸浪百草居(日本画家) – (1889年-1953年)
  • 北詰友樹(俳優)
  • 清瀧千晴(バレエダンサー)
  • 小室翠雲(日本画家)
  • 小林洋祐(映像作家)
  • 宗次郎(オカリナ奏者)
  • 田山花袋(作家)
  • 根岸弥生
  • 原恵一(アニメーション監督)
  • ビリー – ギターウルフ
  • 藤牧義夫(版画家)
  • 藤野天光(彫刻家)
  • 前山巨峰(俳人)
  • 松林らんぜ(マルチタレント)
  • 松本夜詩夫(俳人)
  • 柳家蝠丸

スポーツ[編集]

  • 木村浩一郎(プロレスラー) – DDTプロレスリングに参加、基本的にフリー
  • 佐々木昌信 – セリーグ審判員
  • 茂木正淑(プロレスラー) – プロレスリングナイトメア所属
  • 茂原岳人(元プロサッカー選手)
  • 庄司朋乃也(プロサッカー選手) – セレッソ大阪所属

その他[編集]

  • 生田万 – 国学者
  • 荒井静野 – 国学者、歌人。生田万の経済的支援者
  • 岡谷繁実 – 名将言行録
  • 見城美枝子(アナウンサー、エッセイスト)
  • 向井千秋(宇宙飛行士)
  • 渡辺航平(クイズプレイヤー、YouTuber) – QuizKnock所属

館林市ゆかりの人[編集]

  • 東喜代駒 – 東京漫才の始祖の一人とされる昭和初期に活躍した漫才師。館林生まれ
  • 大谷休泊 – 防風林や用水路などの事業を行う
  • 北尾重光 – 浮世絵、絵馬作家。江戸出身、邑楽館林で活躍。
  • 榊原康政 – 初代館林藩主。徳川四天王の1人
  • 徳川綱吉 – 館林城主。江戸幕府5代将軍
  • 田中正造 – 足尾銅山鉱毒事件。雲龍寺に墓
  • 福田啓作 – 邑楽館林地方を探求した郷土史家。邑楽郡千代田町出身。
  • 川島維知 – 邑楽館林地方を探求した郷土史家。栃木県足利市出身。
  • 上皇后美智子 – 戦時中の疎開先。祖父・父の出身地
  • 上武洋次郎 – レスリング選手。群馬県立館林高等学校出身。
  • 岡谷荘三郎 – 上野館林秋元家来。外国奉行塚原昌義の従者として谷村左右助勝武の名で万延元年遣米使節に参加、館林藩士初の世界一周経験者となる[28]

館林市に関連する作品[編集]

アニメ[編集]

  • 宇宙よりも遠い場所(2018年) – 序盤の舞台。

隣接する邑楽郡板倉町や明和町と同様に、群馬県でありながら東北自動車道沿線にあるため、宅配便では隣接県扱いになる例が多い。

  • ヤマト運輸 – 24埼玉主幹支店管轄。埼玉県東部や千葉県野田市も管轄(その他の群馬県は23群馬ターミナル管轄である)。
  • JPエクスプレス – 群馬統括支店群馬広域支店(高崎市・郵便事業高崎支店内)管轄
  • 日本通運 – 16佐野ターミナル(栃木県)管轄。栃木県全域及び茨城県古河市・結城市・猿島郡も管轄(その他の群馬県と埼玉県本庄市は15群馬ターミナル管轄である)。
[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 館林市の観測史上最も低い最高気温は、1997年(平成9年)1月22日に観測した0.6°Cである。
  2. ^ 館林市市長選挙に出馬するため任期途中で県議を辞職。2021年3月の市長選で当選し市長に就任。

出典[編集]

  1. ^ 総務省統計局 経済センサスと統計地図(大都市圏の売上高)【1.関東大都市圏】[1]
  2. ^ 『君は隅田川に消えたのか―藤牧義夫と版画の虚実』駒村吉重、講談社 (2011/5/12) p22
  3. ^ a b 気象庁 | 館林観測所移設
  4. ^ 2010年夏 猛暑日、真夏日等の日数のランキング。他に埼玉県熊谷市でも同じ日数の猛暑日を観測した。
  5. ^ 2011年夏 猛暑日、真夏日等の日数のランキング
  6. ^ 2012年夏 猛暑日、真夏日等の日数のランキング。他に埼玉県熊谷市、鳩山町、兵庫県豊岡市でも同じ日数の猛暑日を観測した。
  7. ^ 2014年夏 猛暑日、真夏日等の日数のランキング
  8. ^ 2015年夏 猛暑日、真夏日等の日数のランキング
  9. ^ 「ズル林」の汚名返上なるか 群馬・館林アメダス移設へ:朝日新聞デジタル
  10. ^
    平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2018年11月閲覧。
  11. ^
    観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2018年11月閲覧。
  12. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 10群馬県”. 2018年3月14日閲覧。
  13. ^ a b 館林と立林およびその呼称について丸山瓦全、『館林郷土叢書. 第5輯』館林郷土史談館 編 (館林図書館, 1940)
  14. ^ 鎌倉大草紙13 上杉禅秀の乱・その4鎌倉大草現代語訳、芝蘭堂
  15. ^ 享保年間における館林騒動川島勘左衛門、『館林郷土叢書. 第4輯』館林郷土史談館 編 (館林図書館, 1940)
  16. ^ 群馬 館林市・板倉町合併協議会が休止を決定 住民サービスなどめぐり溝”. 産経新聞. 2019年2月2日閲覧。
  17. ^ 新館林市議18人決まる”. 2018年11月18日閲覧。
  18. ^ アゼリアモール”. アゼリアモール. 2018年8月25日閲覧。
  19. ^ アクロス館林”. 大和情報サービス. 2018年8月25日閲覧。
  20. ^ a b c d e f g h i 館林市の交流都市”. 館林市. 2016年5月17日閲覧。
  21. ^ a b c 姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2016年5月17日閲覧。
  22. ^ 都市間交流事業について”. 姫路市. 2016年5月17日閲覧。
  23. ^ 榊原公ゆかり都市災害時相互応援に関する協定 (PDF)”. 姫路市. 2016年5月17日閲覧。
  24. ^ 資料編 (PDF)”. 館林市. 2016年5月17日閲覧。p.322
  25. ^ 資料編 (PDF)”. 館林市. 2016年5月17日閲覧。pp.321-322
  26. ^ a b c 『鉄道ジャーナル』1987年4月号、通巻245号(第21巻第5号)、p.140。鉄道ジャーナル社。
  27. ^ “「館林・明和・板倉線」本年度で廃止 広域公共路線バス”. 上毛新聞. (2021年2月13日). オリジナルの2021年4月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210409020927/https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/273527 2021年2月13日閲覧。 
  28. ^ 谷村左右助勝武万延元年遣米使節団員名簿

関連項目[編集]

  • 館林の牛頭天王信仰
  • 両毛
  • 東毛
  • 大西飛行場
  • 群馬東部水道企業団

外部リンク[編集]