青い目の人形 – Wikipedia

青い目の人形(日本の皇室に献上されたとされるアメリカ各州の代表人形の一部)
アメリカに送られる日本の人形(後述の「青い目の人形」に対する各地域の代表の答礼人形とは異なる)

青い目の人形(あおいめのにんぎょう、英: American Blue-eyed Dolls)は、1927年に、アメリカ合衆国から日本に両国間の親善を目的として贈られた人形(Friendship Dolls:友情人形(ゆうじょうにんぎょう)またはAmbassador Dolls:人形使節(にんぎょうしせつ))の日本における通称。本記事では日本より当時のアメリカへ返礼のために贈られた人形(Japanese Friendship Dolls:答礼人形(とうれいにんぎょう))についても解説する。

明治時代末期の日露戦争終結により日本が満州の権益をにぎる情勢になると、予てから中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだでは日本との政治的緊張が高まるようになっていた。また、アメリカ本国においても、日系移民がアメリカへ大量に移住することにより、経済不況の下にありながら1日1ドルの低賃金でも真摯に働く日本人によって、アメリカ人の労働力を損ねる恐れがあったためや、既に根付いていた人種的偏見等も相俟って、1913年のカリフォルニア州議会による「外国人土地法(外国人土地所有禁止法)」の制定[1]や1924年にアメリカ議会で「ジョンソン=リード法(通称・排日移民法)」が成立した事もまた、日本国内での反米感情を煽ることになり[2]、両国民の対立を深める一因になった。

そんななか日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士(1860年 – 1945年)が「国際親善、人と人との理解は大人になってからでは遅い。[3]」と子供の世代からの国際交流を重視すべく「世界の平和は子供から」をスローガンとして掲げ[4]、1925年2月に「万国児童親交会委員(世界児童親善会)」を結成し、その第一事業として1927年(昭和2年)3月、子供同士の友好親善に代わって、廉価の人形を通じての日本との親善活動がおこなわれた[5][注釈 1]。予てからギューリックと親交があり、近代日本財界の重鎮であった渋沢栄一(1840年 – 1931年)も、1902年から続いたアメリカへの度重なる渡航を通じて徐々に悪化していく日米関係を憂慮しながら、ギューリックの提唱に共感し、この事業の仲介を担った。これに伴い日本側も渋沢を代表とした「日本児童親善会」を結成し、アメリカから贈られる人形の授受や諸手続きの事務処理を行い、文部省や外務省にはそれぞれ全国の児童たちへの人形の配布、関税に対しての優遇措置を依頼し、経費の方は渋沢関連の団体が大部分を負担する形を取った。この「人形計画」に対し、幼稚な発想だとか日本人への侮蔑を意識した冷笑的な向きもあったが、「生来子どもの心に偏見はなく、友情にあふれているもの、子ども世代から親善と理解を育てたい」の理念を掲げ、全米にこの運動を呼び掛けた。

やがてアメリカから日本との親善活動の一環として、1926年10月〜12月に全米より集められ、1927年3月3日に間に合う様に日本郵船等5社(他に大阪商船(現・商船三井)、Dollar Steamship Company(現・アメリカンプレジデントラインズ)、Kawasaki Roosevelt Line(現・川崎汽船)、China Mutual Steam Navigation Company(現・ブルー・ファンネル・ライン英語版[7]
)の前橋丸、アングル丸など12隻[8]に分乗し日本の子供に12,739体[注釈 2]の「青い目の人形」が、遅れて鳥羽丸で各州代表の人形48体[注釈 3]と「ミス・アメリカ」及びワシントンDCが贈られた[9]

12,739体の「青い目の人形」はニューヨークやサンフランシスコを出港し、1927年1月17日に横浜港へ到着したサイベリア丸をはじめ、次々に人形を乗せた船便が横浜・神戸に着いた後、子どもたちへの人形に対する興味を通じて友情や平和への関心を導くために予め東京市内の有名デパートをはじめ、大阪など地方の会場での「青い目の人形」の展示会が催されたうえで、1927年3月3日に東京の日本青年館や大阪の大阪市中央公会堂で歓迎式典が行われ[10][11]、全国各地の幼稚園・小学校等に配られて歓迎された(但し、数が限られていたこともあり[注釈 4]、全ての小学校・幼稚園など(昭和2年当時:小学校25,546、幼稚園1,182、盲・ろう・養護学校118、高等女学校898、合計27,744(文部省管轄。これに保育所300余りも加わる)[13][14][注釈 5])に配布されたわけではなく、抽選で決められた所もある[15])。道府県ごとの人形の分配については均等とは限らず、文部省の基準により、師範学校の附属校や道府県庁所在地及び主要都市ならびに外国人の多く滞在する地区の幼稚園・学校などから優先されているが、あくまでも目安であり、あとは自治体の判断に委ねられることになった[16][17]。また、一部の人形は個人にも配布された。

「ミス・アメリカ」及びワシントンDCと48体の各州代表人形は天候不良による遅延のため、1927年3月14日に到着し、3月18日に天洋丸の船室で児童の出迎えを受け、横浜の本牧小学校で歓迎式典を開かれた後、皇室に献上される為同月26日に東宮御所に運ばれた(48体の各州代表人形は後に香淳皇后より、内帑金(ないどきん)が下賜され、子供たちの利用が多い東京博物館(現国立科学博物館)の上野別館に建てられた人形の家(檜材の5分の1の模型で1階は和室、2階が洋間のしつらえになっていて、庭には遊具が備えられていた[18])にて、同数の日本人形と共に6/11~7/31の会期中に『全国学校科学教育展覧会』[19]で展示されていたが、昭和20年1月の空襲による爆撃に伴う混乱によりその殆どが行方不明となった[20]。)。

返礼として、渋沢栄一を中心とした日本国際児童親善会による呼びかけで、人形が贈られた幼稚園・小学校等の児童から集められた募金を元に製作された「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体(「ミス大日本」及び1道3府43県や主要6都市・統治していた外地4箇所の名を冠した人形)が同年11月に天洋丸で日本からアメリカ合衆国に渡り、全米の児童たちの歓迎を受けたうえで各地の博物館・美術館などに寄贈された。

日本に贈られた「青い目の人形」だが、太平洋戦争(第二次世界大戦)中は、アメリカを敵視する風潮[注釈 6]の下で、敵性人形としてその多くが処分された。しかし、処分を忍びなく思った人々が非国民と思われる覚悟で人形を奉安殿備え付けの棚や天井裏、床下、物置、石炭小屋、教員の自宅などに匿い、戦後に相次いで発見された。現存する人形は2020年12月現在、341体にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存され、学校の教科書[22]、絵本や小説・アニメなどの題材にもなっている。答礼人形の方も不明になった人形があるものの、大半の人形が今もアメリカの各公共施設で保管されており、互いに人形の里帰りや「新・友情人形」寄贈などのイベントといった形で現在も子供同士の交流が行われている。

人形計画自体は当時の移民問題の解決に直結することはなかったが、戦争を挟んで人形を通じての文化的な交流を続けるうえでの一つのきっかけにはなったとも言える。

Table of Contents

人形について[編集]

青い目の人形[編集]

寄贈の経緯[編集]

「青い目の人形」は、シドニー・ギューリックが1888年に日本を訪れて以来、布教や教育活動を行う一方で日本の人形に関する古くからの文化を知ってきた経験から[9]、日本との親善を目的として「日本の雛祭りに人形を送ろう」と呼びかけたことによって全米から集められたものである[23][24]。この友情人形は前述の日米間の友好の他にも、先年の関東大震災で人形を失った少女たちを慰める意味を持っている[25]

ギューリックらによって結成された世界児童親善会は、人形を日本に贈るプロジェクトに先んじて、まず友情人形を募るポスターや手引きの冊子”DOLL MESSENGERS OF FRIENDSHIP”を配布し、この内容に沿って人形を集めて贈るための指南を行った(これは後に「可愛いお人形が親善のお使(かわいいおにんぎょうがしんぜんのおつかい)」の題で日本語に翻訳され、日本の小学校や幼稚園などに配布された)。前述の冊子に記された内容を元に、人形を贈るための役割の分担が行われた。男の子達は後述の「友情表示人形」をお金を集めて(バザーや野外劇などを開いて資金を集めたケースもあった[26])購入し、日本へ送るための旅券の手配や事務・会計を行い、女の子達や母親は、人形の衣装や付属品を手作りした。教師らは人形交流の意味を児童たちに理解してもらうために、日本へ行き着くまでの道のりや日本の文化などを紹介することを教育の一環とした[27]。人形には独自の名前が付けられ、友情の手紙や手荷物が添えられたうえで、幼稚園や小学校などで各々の人形の送別会が催された。世界児童親善会は人形旅行局を特設し、地方委員会を設け、友情人形を日本に贈るための手続きの代行を行った。このプロジェクトに携わったアメリカの児童ならびに保護者、教師、関連団体等は凡そ260~270万人と言われている[28]。人形を贈った州はオハイオ州の2,283体が最多で、次いでペンシルベニア州の1,935体、ニューヨーク州の1,436体、マサチューセッツ州の966体と続く(日本人が多く住む一方で、日系移民の排斥運動が盛んなカリフォルニア州からも461体が贈られた)[29]。人形の凡そ8割が東部の州から贈られたという[17]。州ごとに集められた人形は、新聞社等によって構成された委員会による選考により、代表人形として各1体が選抜され、さらにそれらの中から「ミス・アメリカ」が選ばれることになった。

人形の特徴[編集]

当時のアメリカでは人形の量産体制が築かれており、アメリカの世界児童親善会がジェニウィン社エファンビー社ホースマン社に発注し、衣装を着ていない状態の裸人形を「友情表示人形」として1体3ドル(地方委員会を通じて購入すると送料無料、3体のセットで1体あたり2ドル90セント、1ダース以上では1体当り2ドル75セント。着衣の人形になるとさらに各1ドルかかる)で斡旋した。頭から肩までひとつづきのショルダーヘッドタイプのボディに、胴体は綿を詰めて布でくるんだ構造になっており、背中にはメーカーの刻印(ジェニウィン社:”GENUIE MADAM HENDREN DOLL (数字) MADE IS USA”、エファンビー社:”EFFANBEE ROSE MARY WALK TALK SLEEP MADE IN USA”、ホースマン社:”E・L(C)HCO EL HORSMAN”。メーカー名の刻印が後述の学校の人形名になっているケースもある。)が押されている[26]。人形の中には瞼を開閉したり(スリーピング・アイ)、体を起こしたり腹を押すと鳴いたりするカラクリ仕掛けとなっているものもあった(「ママー」と泣くものが証言に多く見られる[注釈 7])。友情人形には説明書きとして、取り扱い方や遊び方が残されているものもある[30]

ちなみに、「青い目の人形」は一体ごとに衣装や体形などデザインが異なっていた(大半は人形旅行局で用意した前述の3社の人形を元に児童たちがカスタマイズしたものである一方、一部手持ちの人形を差し出した例もあった。そのため、メーカーの規格(1フィート5インチ:40cm前後[26])に当てはまらない人形も散見する(現存の人形でも30〜60cm、後述の関東州に送られた「メリー・マーガレット」の90cmの例もある))。

人形に添えられたギューリックの手紙では「友情の人形」と呼称されており[23]、贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではない[注釈 8]。野口雨情が「青い眼の人形」の詩を発表したのは1921年(大正10年)10月のことで(童謡雑誌『金の船』1921年12月号)[31]、人形交換よりも数年さかのぼる。これに本居長世が作曲したのが童謡「青い眼の人形」で、1923年にはアメリカでも関東大震災の義援金を集める目的[32]で演奏され、好評を博していた[注釈 9]。「青い目の人形」との呼称は、これに因んで付けられたと思われる。贈られた人形はメーカー製から個人寄贈まで様々で、必ずしも青い目をしているものではない。

アメリカから贈られてきた人形は野口の詩にあるセルロイド製ではなく、多くが前述メーカー既製品のコンポジション・ドール英語版(パルプやおが屑・土を練り混ぜた上で精製し、乾燥させて糊やグリセリンなどを混ぜたものを仕上げ塗りし、顔を描き入れた人形)[注釈 10]であり、ドイツ製などのビスクドール(素焼きの人形)もわずかに含まれている[注釈 11][34]

「青い目の人形」は、前述の冊子に記されたように雛祭りに合わせて女児に贈られることを前提としたため、大半は女の子の人形としての顔立ちや着飾りであったが、愛知県新城市立東陽小学校に贈られた「ノルマン」のような男の子の人形も少ないながら見受けられる[35]

日本への寄贈とその後[編集]

アメリカから送られた青い目の人形と歓迎のための日本人形。鴻巣雛の産地で知られる鴻ノ巣町にて。(1927年)

当時の日本では前述の童謡『青い眼の人形』でも歌われたようにアメリカ人形が珍しがられたことや、大正天皇崩御が直前にあったことから主な行事を自粛しつつも、友情の人形が贈られることを心待ちにしていた雰囲気もあって、寄贈先の小学校や幼稚園などでは、アメリカから日本の児童たちに対して純真な好意と友情とを伝えるべく[27]、遠路遥々旅行してきたという名目で寄贈されたうえでの慰労のために、日本人形に囲まれての盛大な歓迎式が行われた[36]。返礼として後述の答礼人形の他にも人形の贈り主に対し、お礼の手紙などもアメリカへ贈られた[37]。また、「青い目の人形」の人気にあやかって、元の人形をコピーしたもの等も販売されていた[38][注釈 12]

人形には本体に付随してパスポートや旅券・切符(経費としての1ドル(1体につき)のうち、1セントはパスポートの発行手数料、あとの99セントが人形の贈り元から日本の各地方の児童たちへ渡されるまでの旅費一括を特例として充てられた。なお、友情人形に対しての関税は免除されている[39])が用意され、パスポートには名前や発行番号、出身地などが記載されている(例:千葉県・成東小学校の「アリス・プレーブル」 – Alice Preble、No.860、Portland,Maine[40])。日本には前述の通り1万2千体以上の人形が贈られているが、中には発行番号が左記の数字よりはるかに大きいもの(例:島根県・今福小学校の「キャサリン」のNo.48129や茨城県・常陸大宮市歴史民俗資料館の「クリッシー」のNo.45857[41]、広島県・鞆幼稚園の「ドロシー・フィリップス」のNo.45645)もある[注釈 13]。現存している「青い目の人形」の中にはパスポートが失われ、本名・番号・出身地が不明のものも多く、戦後にギューリック3世英語版に再発行してもらったケースもある。

パスポートは日本に人形が輸入された際に児童向けに翻訳されたものもある[42]

(第一面)

 VISE 人形査證

 日本への親善旅行であることを証明する ニューヨーク 日本総領事 サイトウ・ヒロ

 (印)CONSULATE GENERAL of JAPAN・NEW YORK

 No.xxxx 特別旅行免状 子どもの世界親善協会(ワールド フレンドシップ アマング チルドレン)の依頼により発行

(第二面)

 日本の少年・少女の皆様へ

 この旅行証は、誠実で温良なアメリカ市民「xxxx」をあなたがたに紹介するものです。

 彼女は、1927年3月3日、親善使者として日本を訪問、ひなまつりを見に行きます。

 この使者は、アメリカの少年・少女を代表し、彼らのあいさつと親善のメッセージを運んでいます。

 どうぞ日本にいる間「xxxx」の世話をし、必要なお手伝をお願いします。

 彼女はあなたの国のすべてのおきてやきまりに従います。

  皆様の幸せを願って ”アンクル サム”(サム伯父さん)[注釈 14] xxxxxxxx.xx 1927.

 人形説明書(鼻や唇の特徴は省略されているが、英語原文のみに記載)

  名前 xxxx

  目の色 ※青、茶色など

  髪の色 ※金色、褐色など

  出生地 xxxxxxxx

参考のために、戦後発行されたパスポートについても述べる。

United States of America Passport

※右欄には人形の写真(Photograph)が貼られている。

 Name : (人形の名前)

 Eyes(Color) : (目の色)

 Hair(Color) : (髪の色)

 Date of Birth : (誕生日)

 Place of Birth : (出生地)Adelphi英語版, Maryland, USA

 Date of issue : (発行日)

 Date of expiration : Never(有効期限、不定)

 Passport Number : (パスポートの番号)

 Signature of guardian : Sidney L.Gulick,3d(署名)

送られた人形達には生徒らによって名前(パスポート記載の名前または愛称)がつけられ、文部省通達によって学校の備品と同等の丁重な扱いを受けたうえに[2]、ガラスケースなどに入れられて学校の昇降口や校長室の前に飾られていたという。アメリカ人形だけでは淋しいと日本人形と一緒に飾られた事例もある[43]。学芸会や運動会、遠足などの学校の行事に人形を参加させたケースもある[44]。尋常小学校の国語の教科書にも『お人形の歓迎會』として掲載されたこともあった[2]。雛祭りでは雛人形と共に飾られたこともあり(前述の冊子には雛祭りについて紹介し、人形が贈られる3月3日に「青い目の人形」が飾られることを念頭に置かれた記述がある)、戦後も一部の小学校や幼稚園でこの形式の雛祭りが催されている。

しかし、今日において学校や博物館などで保管されている「青い目の人形」がある一方で、人形に関するエピソードが語られることもなく、歴史の経過とともに忘れ去られた人形も数知れない。

「青い目の人形」の歓迎から年月を経て渋沢栄一も死去し、さらには人形寄贈当時の児童や教員らも卒業などで学校を離れていったことや、人形をあてがわれた子供も成長するにつれて、平和を愛でる純朴な心に対する教育の面でのフォローがなされなくなったこともあり、友情人形や人形交流への関心は次第に薄れていってしまった[注釈 15]。「青い目の人形」を通じての交流に尽力したミネット・ビー・ムーア女史は、昭和10年に博物館に展示されていた人形がネズミにかじられたりなど朽ちている様子をみて嘆いていた[45]

第二次世界大戦に入ると、日本人のアメリカへの憎悪の念は人形にも向けられ、「青い目の人形」を含むアメリカ人形の大半は竹槍訓練の標的にされたり焼却されたりなどして滅失し(現在残っている「青い目の人形」の中には当時暴行を受けた痕跡が見られるものもある)、あるいは空襲・原爆といった戦災や災害[注釈 16]で失われたり、戦後、校舎改築等の際に見つかっても、寄贈された経緯を知らずに古い人形として廃棄されたと思われるものも少なくない[46]。やがて、残っていた人形がテレビ等で紹介された事と共に、地方に残る「青い目の人形」の再発見や、人形親善の継続としてアメリカから(ギューリック3世らから)の学校などへの新しい人形(新・青い目の人形)の寄贈が行われるようになった。戦時中に処分された人形や、アメリカへの里帰り(平成元年(1989年)10〜12月にかけてワシントン、ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコを廻り日本国内の「青い目の人形」92体を展示[47])の最中に盗難に遭った人形(後述)[注釈 17]に対しても、代替の人形が贈られている。

答礼人形[編集]

贈呈の経緯・人形の特徴[編集]

インディアナポリスに贈られた答礼人形(「ミス島根」。台座に「島根縣(県)、MISS SHIMANE」と記されている。)

アメリカから友情の証として「青い目の人形」が日本へ贈られた後、日米関係委員会委員の渋沢栄一が外務省から依頼され、全国の役場や学校を通して集められた募金を元に製作された市松人形がアメリカに送られた。この際は、雛祭りに送られた人形への答礼として「日本からもクリスマスに人形を送ろう」というコンセプトのもとに送られている[23][24]。これは、「青い目の人形」が「単なる人形ではなく本当に生命を持った使者」として日本に派遣されたことに対して答礼人形を贈ることが「美しい礼儀」であることの姿勢でもある[27]

当初はギューリックは「青い目の人形」の贈答に対し、日本国内の経済事情[注釈 18]を鑑み返礼は無用と断っているため、代案として贈られた人形の相当数のプレゼント[注釈 19]ではなく、少数の精巧に作られた人形を以って返礼を行うこととした[48]

答礼人形に関しても冊子『答礼の使者として米国へ人形を送りませう(とうれいのししゃとしてべいこくへにんぎょうをおくりましょう)』が各小学校・幼稚園などへ配布され、これに基づいて人形作りのための寄付や、答礼人形の送別式が実施された[48]

「青い目の人形」が送られた各学校・幼稚園等の児童から1人1銭(例外として、答礼人形への寄付の他に、日米親善の意味で日本人形を「青い目の人形」と並べて飾る目的で購入するために各1銭ずつの2銭募金を行ったケースもある[49]。)の募金を行い、そのお金(約261万人の児童の寄付[50]など29,000円程[51]。「ミス大日本」には皇后より千円が下賜された[52])で東京雛人形卸商組合傘下の東京の人形師たち(平田郷陽、滝沢光龍齊ら十数名)によって製作された100体以上の人形(背中に作者の銘が貼り付けられた)の中からコンテストで51体を選出[2]、「ミス大日本」(又は「ミス・ジャパン」。別称の「倭日出子」は渋沢栄一が自ら名づけた)ならびに主要都市(東京市、横浜、名古屋、京都市、大阪市、神戸)の計7体は京都の大木平蔵商店(現・丸平大木人形店)に依頼して創られた[53][54]。総じて日本国際児童親善会を通じてアメリカへ贈られた答礼人形は58体(このほかに、付き添いの人形数体も加わる)になる。

「青い目の人形」がメーカーの指定した人形の他に個別に持ち込んだものも含まれ、身長や身なりが不揃いであったこととは対照的に、答礼人形の背丈は概ね二尺七寸(約81cm(ミス大日本は90cm程[55]))、桐塑製(桐のおが屑と正麩のりを混ぜ込んだものを乾燥させたもの。但し、「ミス大日本」他6体は桐素材の丸彫り)の生地に胡粉[注釈 20]を塗り上げた本体に、有名デパート(三越、白木屋、髙島屋、松屋、松坂屋)[2]特製の友禅縮緬と本金の帯、外国へ旅立っても恥をかかないようにと素足に両国の職人に作らせた足袋[2]を履かせ、コンビネーションの洋風肌着を着せられた[58]

答礼人形の選別から漏れた人形に関しては秘かに地方で処分されたと言われているが、ごくまれに店頭で販売されていて、昭和4年にある店で平田郷陽作の人形を80円で購入し、「さくら」と名付けて戦後まで保存されていたというケースなどもある[59]

アメリカへの寄贈と経過等[編集]

地域の名を冠した人形は各道府県に送られ、それぞれの道府県の学校で(但し外地へは地理的な関係上、答礼人形は送られず、それぞれの外地の名を冠した答礼人形は東京博物館で展示されることになった[60]。)送別式を開いた後、再び集められた上、昭和2年11月4日に日本青年館で壮行会が開かれて[61][54]、アメリカに渡ることとなった。それぞれの人形は、地域名を冠した名前が呼びづらいことに配慮して、台座に記された名前の地域名を取って「ミス○○」と呼ばれた。

人形本体とは別に、アメリカに渡る際は人間と同様に、パスポート[注釈 21]、客船の一等切符なども用意され、草履、駒下駄、傘、鏡台や箪笥などといったお道具も含めたものとして作られている。製作費用は、人形本体約150円、衣装約150円、お道具約50円、計1体あたり約350円(アメリカからの友情人形が一体3ドルだったのに対し、一式で当時のレートでは150ドルと50倍の費用がかかった[52]。2010年現在の貨幣価値で約260万円 – 280万円程度。当時小学校の教員の月給の平均は56円で墨田区の一戸建て(12坪=39.67m2)が600円で購入できた。なお、当時の日本人形は一般では最低で1円位から高くても5~6円、極上の人形でも70・80円もするものもあった[63])であったという[23][24][1][2]。児童が書いた手紙以外にも、「ミス大阪市」が日本から持参した煎餅の入った菓子缶[64]や、地方ゆかりの品々を手土産として添えられた人形もある(「ミス奈良」:鹿の置物、「ミス高知」:珊瑚の細工物[65]、「ミス静岡」:煎茶道具一式[注釈 22]など)。

人形たちは昭和2年11月10日に天洋丸で横浜を出港し、アメリカに送られた後はすぐに各州に届けられるのではなく、昭和2年11月19日ハワイのホノルルに到着し、同11月25日のサンフランシスコ到着を振り出しに[66]長期にわたりアメリカ各地をまわって紹介された(まずは2グループに分かれ、「ミス大日本」ら17体はロサンゼルスなどの陸路を経て12月15日シカゴ、12月20日ワシントン、12月28日にニューヨークに到着[67]。残りの41体はパナマ運河を経由[注釈 23]し、昭和3年1月4日にニューヨークで合流。1月6日にボストンで歓迎会が行われた[69]。その後は人形は世界児童親善会に託され、10体ずつのグループに分散して1月〜7月[69]にかけてアメリカの479の都市(「青い目の人形」を寄贈した都市数とほぼ同じ。ちなみにニューメキシコ州は「青い目の人形」の贈り元のリストに入っていない[29])にて千回以上の歓迎会が行われ、展示された後に再びニューヨークで合流した[70])。答礼人形は美術品としての価値があるため、個人・法人から買い取りたい、引き取りたいとの申し出もあったが、各州の博物館や美術館などの公共施設に預けられることになった[注釈 24][69]

こうして引き取られた人形の中には、道中での移動展示を行っていくうちにその都度人形と台座を取り外す必要があった経緯もあったため[2]、各地をまわる間に人形本体と台座が入れ違いになっていたものもある(人形自体には地域名の旨が書かれておらず、着物に描かれた家紋や市章といった絵柄や、日本で送別会が行われた当時の写真との違いや参加者の証言などから後年に判明したものがほとんど)。人形のその後は、来場者に見られないように隠蔽されたり売却されたりして存在が忘れられたり、災害に遭ったケースもある[71]が、一方で日本と比べると戦時中も比較的大切にされていたものが多く、48体(うち出所不明3体)が現存している。

答礼人形本体も長年収蔵された結果、各部に劣化が見られたこともあり、多くの人形が一旦日本へ送られ、職人たちにより修復されていった。この外、人形交流の一環として日本に里帰りした人形が送別会が行われた故郷の博物館やデパートなどで展示され、「青い目の人形」と同様、新たに日本人形がアメリカへ贈られている(後述)。

これらの人形とは別に、自治体独自で「ミス岡崎」(1928年。現在はニュージャージー州ニューアーク市の個人所有[72])、「ミス福江渥美」(1927年。児童らの一銭募金によって製作された人形ではなく、個人から寄贈されたもの。現在はロサンゼルス郊外のフラートン市のメイン図書館所蔵[73])等も寄贈されている[74]

青い目の人形が送られた学校・幼稚園など[編集]

ここに挙げる一覧は各都道府県における「青い目の人形」が現在保存されている、もしくはかつて寄贈された学校・幼稚園などの施設を示す(統廃合や改名があった場合は寄贈当時の校名・園名も記す)。この他、博物館などの公共施設に保管されている場合や個人の所有については以前の贈り先も併せて記述する。各地域の人形が贈られた体数は特記を除き、『各県別・各船舶別人形配布割当表』(昭和2年(1927年)・渋沢史料館蔵)に基づく。なお、戦後に贈られた、いわゆる「新・青い目の人形」は特記を除き割愛する。

(凡例)

太字は昭和2年当時の「青い目の人形」が現存する学校・幼稚園など(後に保管先が変わった場合も含まれる)。()カッコ内は贈られた当時の人形の名前他。カッコがないものは未詳または不明、あるいは戦後に命名された人形。
太字以外は、昭和2年当時の「青い目の人形」をかつて所持していた記録(人形の所持品や手紙、学校日誌や写真、沿革、新聞記事、博物館調査資料など)がある、もしくは掲載されている学校・幼稚園など。
P:パスポートが現存する(符号については人形が贈られた昭和2年当時のものに限定。戦後に再発行されたパスポートに関しては特記のみの記述とする。)[2]
†:パスポート番号の記録のみ残されているが実物が現存しないもの。
☆:ビスクドールであることを示す(部分的にビスクが使われているものも含まれる)

北海道地方[編集]

北海道[編集]

643体が寄贈され、27体が現存。

石狩振興局(旧・石狩支庁)

※札幌市 – 19体が寄贈された[76]

※札幌市以外

  • 当別町立弁華別小学校(エリザベス・アーン):2016年3月をもって閉校。現在は当別町学習交流センターにて保管。当別町には他にも当別小(弁華別小の統合先)、東裏小へ寄贈されている[79]

渡島総合振興局(旧・渡島支庁)

檜山振興局(旧・檜山支庁)

  • せたな町立太櫓小学校(ルイーズ・アルコット)P(No.9559):マサチューセッツ州コンコードが誕生地とされている。人形名はルイーザ・メイ・オルコット(『若草物語』の作者)に因んだ[87]。せたな町有形文化財[88]。なお、せたな町には4体の人形が贈られている[89]。1980年頃には、当時の北桧山町が『青い目の人形フェスティバル』にて、「ミス北海道」が保存されているアイオワ州ダベンポートのパットナム博物館に「ミス北桧山」を寄贈している。
  • 北村立北村中央小学校(リラ)[90]
  • 北村立豊正小学校(ヘンリー)

後志総合振興局(旧・後志支庁)

– 小樽市 – 昭和2年4月28日に小樽市役所で16体の人形を迎えての式典が催された(人形は現存せず)[91]

– その他地域

空知総合振興局(旧・空知支庁)

  • 美唄市立中央小学校(メリー):旧・沼貝小学校。現在は美唄市郷土史料館にて保管。史料館には「エレーン」の名前で展示されている。美唄市には他に我路小学校(沼東小学校と統合の後、廃校)、沼東小学校、茶志内小学校へ寄贈されている[93]
  • 南幌町立南幌小学校
  • 栗山町立角田小学校:名称不明だったが、後に「マリー」と命名された。栗山町にはその他、栗山尋常小学校、阿野呂尋常小学校(南学田小学校、マルサ・ジャン・ローウェル)、二岐尋常小学校(日出小学校)に寄贈されている。[94]

※砂川地区には下記の4体が寄贈されている[95]

上川総合振興局(旧・上川支庁)

  • 和寒町立三和小学校(サミー):2004年和寒小学校と統合。和寒町には3小学校(和寒小、中和小、三和小)に寄贈された[96]

留萌振興局(旧・留萌支庁)

  • 天塩町立天塩小学校(カーラル)P(No.6336):レイクウッド ヘイジ小学校より。現在は天塩町郷土資料館にて保管。

宗谷総合振興局(旧・宗谷支庁)

オホーツク総合振興局(旧・網走支庁)現存なし

胆振総合振興局(旧・胆振支庁)

  • 室蘭市立絵鞆小学校(イブリン。当時の新聞では「エブレン」と記されていた):現在は室蘭市民俗資料館にて保管。市内に12体寄贈されたうち、唯一現存の人形[98]。現在室蘭市有形指定文化財[99]
  • 苫小牧市立苫小牧東小学校(フランセス・キロッチ):市内には西小学校(ヘレン・ルイズ)、沼ノ端小学校にも寄贈された[100]

日高振興局(旧・日高支庁)

十勝総合振興局(旧・十勝支庁)
※旧・河西支庁 – 45体が寄贈された[101]

釧路総合振興局(旧・釧路支庁)現存なし

根室振興局(旧・根室支庁)現存なし

千島(参考)[編集]

旧・根室支庁に所属する千島列島にも人形が贈られている(人形の配布先としては、外地ではなく北海道に含まれる)[115]

  • 内訳:択捉3体(留別、紗那、蘂取)、国後2体(国後、乳呑路)、色丹1体(色丹)、歯舞2体(珸瑤瑁、華岬)

東北地方[編集]

青森県[編集]

220体が寄贈され、10体が現存。寄贈先は出典[116]を参照。

以下に現存の人形がある地域と送られた数(寄贈当時)を示す。東津軽郡25体、青森市15体、北津軽郡26体、下北郡12体は現存せず。

※弘前市 – 12体

  • 弘前学院聖愛中学高等学校(エリザベス・ハットン):弘前学院聖愛幼稚園にあった人形。1958年(昭和33年)に愛光幼稚園が若葉幼稚園と合併し、1995年(平成7年)をもって休園。2体の人形を所有していたが、若葉幼稚園から譲り受けた人形(アメリカ人形だが友情人形ではない)の方は消息不明。
  • 弘前市養生幼稚園:戦時中は処分されることを危惧して一度地中に埋められた[117]。「メリー」は後日に命名されたドイツ製の人形[118]

※南津軽郡 – 33体

※中津軽郡 – 19体

※三戸郡 – 37体

  • 八戸市立島守小学校(メリー):昭和42年の校舎火災の際は焼失を免れ、のちには他のゴミと共に処分される直前に保護された[121]。現在は八戸市南郷歴史民俗資料館所蔵
  • 南部町立南部小学校:旧下郷小→平良崎小から引き継がれた[122]。2019年には「南部を愛する」という意味で「アイナ」と命名[123]

※西津軽郡 – 22体

※上北郡 – 19体

岩手県[編集]

263体が寄贈され、18体の現存が確認されている。寄贈された地域の内訳は出典[38]を参照[注釈 25]

※盛岡市 – 11体

※岩手郡 – 20体

※紫波郡 – 13体(現存なし)

※稗貫郡 – 14体

  • 旧・石鳥谷町立八日市小学校:ドイツのケストナー社製のビスクヘッドを使用したニューヨークのCentury社の人形(神奈川県の葉山小学校の人形も同様)[2]。現在は花巻市石鳥谷歴史民俗資料館所蔵。
  • 花巻市立若葉小学校(ジェニー・エロイーズ・ギルバート)[126]P(No.2779):上中小学校から譲り受けた。
  • 花巻市立大迫小学校(セニス・ドレークサン)[38]

※和賀郡 – 15体

※胆沢郡 – 13体

※江刺郡 – 12体

※西磐井郡 – 14体(現存なし)

※東磐井郡 – 16体

※気仙郡 – 16体

※上閉伊郡 – 16体(現存なし)

– 釜石市:釜石小学校他3校に寄贈された[131]

※下閉伊郡 – 16体(現存なし)

※九戸郡 – 14体(現存なし)

※二戸郡 – 13体

宮城県[編集]

221体が寄贈され(内訳:(師範学校)附属小学校(2)、盲唖学校(1)、公立小学校(195)、幼稚園(13)、保育園など(10)[132]
、10体が現存。出典[2]も参照。

※仙台市

※その他市部

※町村部

秋田県[編集]

190体が寄贈され、12体が現存。

山形県[編集]

205体が寄贈され、13体が現存。出典[141][142]も参照。

配布内訳(両羽朝日新聞昭和2年3月23日付(括弧内は日刊荘内昭和2年4月1日付)):山形市11、南村山郡10、東村山郡12、西村山郡12、北村山郡12、最上郡12(11)、米沢市12(11)、南置賜郡8(9)、東置賜郡12、西置賜郡11、東田川郡11(13)、西田川郡13(12)、飽海郡15(14)、鶴岡市7、計158(157)。

※山形市

※鶴岡市

※米沢市

※酒田市 13体が寄贈された(旧飽海郡のうち遊佐町を除く)。

※その他地域

福島県[編集]

323体が寄贈され、18体が現存(他に秋田県からの人形が1体)。出典も参照[147]

人形の配分については次の通り(寄贈当時の行政区分による)。会津地方(若松市:5、北会津郡:10、南会津郡:7、耶麻郡:15、河沼郡:10、大沼郡:10)、中通り(福島市:5、郡山市:5、信夫郡:18、伊達郡:30、安達郡:21、安積郡:11、岩瀬郡:12、東白川郡:13、西白河郡:20、石川郡:10、田村郡:30)、浜通り(岩城郡:45、双葉郡:11、相馬郡:20)、幼稚園:15[148]

– 会津地方

— 会津地方振興局管内

  • 個人所有:寄贈先は不明。会津若松市内の元教師より譲り受けた。名称も判らなかったため、「青い目の人形」は「ジュリー(沢田研二の愛称から名づけたという)」、箱に一緒に入っていた日本人形は「ヨッちゃん」と命名された。現在は大阪府高槻市の自宅にて保管[149]
  • 若松第一幼稚園(ベレー)[149]
  • 若松幼稚園(ベルフェルト)[150]:第二幼稚園または第三幼稚園に寄贈されたと思われる。
  • 個人所有(アンナ)P(No.3248):坂下幼稚園(旧・茂原幼稚園)より譲り受けた。寄贈元はニュージャージー州ブルームフィールド[151]

— 南会津地方振興局管内

– 中通り

— 県北地方振興局管内

— 県中地方振興局管内

— 県南地方振興局管内

– 浜通り

— 相双地方振興局管内(現存なし)

— いわき地方振興局管内

  • いわき市立小川小学校:名称不明だったが後に「メリー」と命名。
  • 個人所有:秋田県湯沢市立湯沢東小学校より譲り受ける。

関東地方[編集]

茨城県[編集]

茨城県には246体が寄贈され、11体の現存が確認されている。

栃木県[編集]

213体が寄贈され、5体が現存する。

群馬県[編集]

県内には142体が寄贈され、19体現存する。

-中部地域

-西部地域

-東部地域

-利根沼田地域

  • 沼田市立利根東小学校(メリー)
    • 第二次世界大戦中、人形をどう処理するかで職員会議でも取り上げられたが、当時の教頭の一存で校舎の誰にも見られない場所に隠したとのこと。1967年に校舎の建て替えの際に発見され、1973年(昭和48年)3月15日にNHKのテレビ番組『スポットライト』の『人形使節メリー』で紹介されたことにより、「青い目の人形」の全国的な関心を高める運動のきっかけとなった[183]。後に「新・友情人形」の「エリカ」が寄贈され、返礼として日本人形の「あずまちゃん」がカリフォルニア州のスリーピーハロー小学校に贈られた[184]。2016年3月をもって他2校と統合し、現在は沼田市立利根小学校[185]
  • 沼田市立白沢小学校(キャサリン)
  • 利根郡川場村尋常高等小学校(メリーチャン):歌人の江口きちは、在校中に「青い目の人形」を受け取る役を務めた[186]

-吾妻地域

埼玉県[編集]

178体が寄贈され、12体が現存。12体中5体が日本人形と対で保管されている。こちらの出典も参照[190]

※川越市 – 11体が寄贈された(小学校10体、幼稚園1体。人形は現存しない。)[191]

※北足立郡

-鴻巣市 – 旧・鴻巣町。いずれも現存しないが、20体程の「青い目の人形」が寄贈された(上記画像参照)。

※入間郡 – 28体が寄贈された。

-所沢市 – 5体が寄贈された。

  • 三ヶ島小学校(ミルドレッド・ルシール)P(No.9354):パスポートの”Mildred Lucille”は長年「ミルドレッド・ルーチェル」と呼ばれていたこともあり、最近は両方使っているようである。市内には他にも所沢・吾妻・小手指・富岡の各学校に贈られた[25]

-飯能市

※秩父郡 – 16体が寄贈された(前述の旧・坂石小学校も含まれる)[194]

-秩父市

  • 秩父こども園(ヘレン)P(No.4426):旧・秩父幼稚園。ペンシルベニア州ボイヤータウン英語版より寄贈。
  • 秩父市立影森小学校(マリー・ルイズ)
  • 秩父市立大滝小学校(アネット(Annett))P(No.9113):平成31年3月31日閉校。パスポートや写真などの資料が多く保管されている。秩父市立図書館蔵。

-町村部

※児玉郡 – 9体が寄贈された。

※大里郡(昭和2年当時) – 10数体が寄贈されている[201]

※南埼玉郡 – 15体が寄贈された。

-越谷市 – 6体が寄贈された[205]

  • 大沢小学校(ワーテラ・ヘズ)P(No.4869):ニューハンプシャー州の少女から贈られた手紙を持っている。パスポートや手紙には”Martha Heath”と書かれており、後年「マーサ・ヒース」が正しい読み方であるとの指摘を受けたが、パスポートについては”Watera Hayes”[207]とも読めるために贈られた当時は「ワーテラ・ヘズ」で呼ばれており、映画などでもこの名前が使われた。

-久喜市

  • 久喜市立江面小学校:江面第一小学校より統合。人形を抱えた少女の写真が残されている。1976年に旧校舎が解体するまで人形はあったとのこと。

※北葛飾郡 – 14体が寄贈された。

千葉県[編集]

214体が寄贈され、11体が現存。寄贈先の学校は出典を参照。

出典
毎日新聞1937年3月19日・4月9日発行記事
千葉県小学校変遷一覧(千葉県立中央図書館編)

※葛飾郡 – 30体(現存なし)

※印旛郡 – 23体

※香取郡 – 25体

※千葉郡 – 10体(現存なし)

※千葉市 – 5体(現存なし)

※市原郡 – 13体(現存なし)

※海上郡 – 12体

※長生郡 – 11体(現存なし)

※山武郡 – 17体

  • 成東小学校(アリス・プレーブル)P(No.860):メーン州ポートランドより。1987年3月5日に市の有形文化財に指定[212]

※匝瑳郡 – 7体(現存なし)

※君津郡 – 21体

※安房郡 – 24体

※夷隅郡 – 16体(現存なし)

東京都(東京府)[編集]

568体(うち東京市へは293体(市立小学校201、同幼稚園15、私立小学校22、同幼稚園55)[215]。この外「ミス・アメリカ」など50体の各州代表人形[216])が寄贈され、11体が都内に現存。

※東京都内

各州代表人形たち

  • 国立科学博物館「ミス・アメリカ」
    • 東京博物館上野分館で空襲の爆撃を受け、焼け跡から発見された唯一の代表人形。一時「青い目の人形交流会」が所有[217]。元々の「ミス・アメリカ」か、他の州の代表人形かは不明。
    • 1989年には「青い目の人形交流会」に新「ミス・アメリカ」(☆マージィ)が寄贈されている[218]
  • 旧「ミス・アメリカ」(アンネシレー、もしくはアンネミレー[219])(†No.3297):ニューヨーク州出身[注釈 26]
  • 「ミス・カリフォルニア」(絵葉書には「カリフォルニア嬢」と記されている):各州代表人形の1つ。ウェディングドレスを着ていた[221][注釈 27]。花嫁の姿をしていた故にふさわしい贈り物として、皇族から嫁入り道具一式を献上されたとのこと[216]
  • マルタ・ワシントン :ウトストンサレン(原文ママ)出身の州代表人形の一体。照宮によく遊んでもらったため、立派なおもちゃ箱をいただいたとのこと[216]。ワシントン州かワシントンD.C.代表なのかその他州かは不明。
  • 「ミス・ニュージャージー」 – 「青い目の人形」の寄贈に携わったミネット・ビー・ムーアの姪が可愛がっていた人形[222]

各地域の「青い目の人形」

  • お茶の水女子大学附属幼稚園(メリー):アメリカ人形が大小2体保存されており、大きい方は卒業生から贈られた抱き人形(むしろこちらの人形が昭和53年の「青い目の人形」展に出品されたことがある。)で、小さい方が実際の友情人形。附属小学校にも人形が贈られている[223][224]
  • 日本女子大学附属豊明小学校・日本女子大学附属豊明幼稚園(ユナリデー、フローレンス)[225]:渋沢栄一が同大の校長を務めたことがあり、逝去後に井上秀が校長に就任し、海外との人形交流を進めた。2体の人形は、井上が親善のために海外に日本人形を贈った後に返礼として受け取った人形(昭和11年にドイツから2体、昭和13年にフィンランドから1体)と共に現存せず(写真・記事のみ現存)。戦後にギューリック3世により「新・友情人形」の「スーザン」が贈られた[226]
  • 杉並幼稚園:パスポートが失われ、名前が不明のままだったが、ギューリック3世によりパスポートの再発行と「レノア」の名前を戴いた[227]
  • 八王子市立第八小学校:旧・小宮第一小学校。ニュージャージー州アトランティック市のフレンドスクールより寄贈[224]。八王子市には他に八王子幼稚園、恩方第一小学校、川口小学校、浅川小学校等に贈られている(体数は不明)[228]。戦後、「メアリー」と命名され、「新・青い目の人形」の「ベッキー」が寄贈された[229]
  • 青梅幼稚園(ヘレン)
  • 青梅市立第六小学校:人形贈呈式の写真が残されている[230]
  • 国分寺市立第一中学校[231]:人形歓迎会の写真が残されている。寄贈当時は国分尋常高等小学校。
  • 福生尋常高等小学校(アミー・アーデル):人形と歓迎式典の写真が残されている。ピンクの洋服にビロードの水色のケープをまとっていたとのこと[46]
  • あきる野市立戸倉小学校:ギューリック3世により、次女の名前に因んで「シャロン」(ヘブライ語で『平和』という意味を持つ[232][233])と名付けられ、「新・青い目の人形」の「ローラ」が寄贈された[234]。平成25年3月31日閉校、五日市小学校と統合。現在は五日市郷土館にて所蔵。
  • 檜原村立檜原小学校(パティ)P(No.7624)
  • 個人所有(メリー):大田区在住の方の所有。下谷幼稚園(台東区)より。
  • 個人所有 : 人形は知人より譲り受ける。名称・寄贈先は不明とのこと。小林人形資料館(墨田区)にて所蔵[235]。工房では、かつて答礼人形の製作にも携わった[236]

※東京都外から譲り受けた人形

  • 株式会社 吉徳(「エセルアルワ」もしくは「アニー」):中島幼稚園(三重県)より(詳細は後述)。
  • 個人所有(グレンデール):世田谷区在住の方の所有。楠渓幼稚園(樺太)より。

神奈川県[編集]

166体が寄贈され、12体が現存。

※横浜市 – 60体以上の人形が寄贈された[237](現存する7体のうち4体は市内。他の3体は市外より寄贈)。

  • 西前小学校(ポーリン、マーリン):「マーリン」(名称不明のため、戦後に命名された)は昭和22年に西戸部小学校の統合の際譲り受けた。[237]なお、「横浜人形の家」の山下公園側にはポーリンの銅像が飾られた「ポーリン橋」が架かっている。
  • 戸部小学校(メリー・ジェン)
  • 宮谷小学校:日本人形と一緒に飾られていたが戦時中に消失。2009年8月にはギューリック3世より「新・青い目の人形」の「メアリー・スー」が贈られた[238]
  • 磯子小学校(ウール):答礼人形「ミス横浜」に添えられた手紙に記述がある。[239]
  • 横浜人形の家:以下の4体を所蔵(特別展示を除き、通常はレプリカを展示)。
    • ブロッソン:本町小学校より[240](『横浜人形の家』開館以前の1980年に横浜市に移管[241]、同校には1996年にレプリカが寄贈されている[242])。
    • ネリー:旧・木花幼稚園(静岡県)より。※詳細は後述
    • マージェリー・ルスムーア:東京都内のある幼稚園に贈られた人形。1997年に台東区の個人より寄贈[243]
    • エリーネ・ジェーン・プーリッジ(P※ギャラリー参照):旧・菊水幼稚園(兵庫県)に贈られた人形。1998年に三木市の個人より寄贈。通称「エレナ」。

※横須賀市 – 20体余りが寄贈された(人形は現存せず)[244]

※その他地域

中部地方[編集]

新潟県[編集]

418体(船便による398体と後に追加された20体)[253]が寄贈され(新聞で公表された内訳はこちら[254])、12体が現存。下記に昭和2年当時の人形が配られた地域、個数を示す。

※新潟市 – 21体

  • 新潟市二葉幼稚園(クレア)P[255]
  • 万代小学校(サラ)P(No.3609):キャピタル・オブ・ユーエス(ワシントンD.C)出身。

※長岡市 – 11体(現存なし)

※上越市(旧・高田市) – 6体(現存なし)

  • 上越市立和田小学校(カザリン):日本人形「和田昭子」(和田小学校の「和田」と昭和の「昭」)などの人形と共に展示された[256]

※北蒲原郡 – 31体

※中蒲原郡 – 30体

※西蒲原郡 – 30体

※南蒲原郡 – 17体(現存なし)

※東蒲原郡 – 10体(現存なし)

※刈羽郡 – 25体

  • 柏崎市立柏崎小学校(ミルドレッド)P(No.2945):マサチューセッツ州より寄贈。戦時中に処分されることを危惧した一収集家が校長に嘆願し、アメリカの「捕虜」という名目で保護された[258]。現在『痴娯の家』所蔵。
  • 柏崎市柏崎幼稚園(ナオミ・ルース・シェラブラ)P(No.2138):同上。コネチカット州ハートフォードのケネディミッションスクールの教授婦人より寄贈[258]。現在は『痴娯の家』所蔵。

※古志郡 – 25体(現存なし)

※三島郡 – 18体(現存なし)

※中魚沼郡 – 19体(現存なし)

※北魚沼郡 – 15体(現存なし)

※南魚沼郡 – 21体(現存なし)

※中頚城郡 – 42体(現存なし)

※東頚城郡 – 12体(現存なし)

※西頚城郡 – 17体

※岩船郡 – 16体(現存せず)

※佐渡郡 – 22体

富山県[編集]

150体が寄贈され、6体が現存。

  • 鷹栖小学校(メリー)
  • 水橋中部小学校(エリザベス・ギルド)P(No.13564):コネチカット州ニューヘブンより寄贈。
  • 高岡市伏木保育園(ステファン・パルマー)P(No.11769):ペンシルベニア州パルマートンより寄贈。
  • 高岡市立伏木小学校(ヘルンエリザベス・ブラウン):元々は福岡小学校にあったもの[260]。現在は富山県教育記念館所蔵。
  • 水橋西部小学校(ベティ・ロー):インディアナ州インディアナポリス市より寄贈。
  • 富山市立三郷小学校:名称不明だったが、「メリー・ブラウン」と名前が付けられた[261]

石川県[編集]

205体が寄贈され、3体が現存。

– 金沢市:人形に関する記録が残されているのは下記の通り。

  • 三馬小学校:「青い目の人形」が贈られた時のアルバム・写真が保存されている[263]
  • 戸板小学校:沿革史に人形が処分された旨の記述有[82]
  • 中央小学校:合併前の長土塀小学校に寄贈された時の写真が残されている[264]
  • 木の花幼稚園:日誌にて記載[263]

福井県[編集]

152体が贈呈された。1体のみ現存。出典を参照[265]

山梨県[編集]

山梨県では129体の人形が寄贈され、第一便の前橋丸の100体と第七便のりすぼん丸の29体の[269]人形が割り当てられた。人形は1927年(昭和2年)3月14日の甲府市の春日小学校で歓迎会、展覧会が行われ、県内の幼稚園や小学校などへ配布された。

戦時下では多くの人形が処分され、1945年(昭和20年)7月6日-7月7日の甲府空襲の戦災で焼失したものも多く、現在では進徳幼稚園(甲府市)所蔵の「イヴァンヂリーン」P(No.11358)[78]相川小学校(甲府市)所蔵の「ジェネラ[注釈 28]」(ニューヨーク州ロチェスターより寄贈)、河口小学校(富士河口湖町)蔵の「ジェニサガ」P(No.2275。ニューヨーク州ロチェスター市のジェニサガクラブより寄贈。日本人形の「河口玻留子」と並べて保管。)、増穂町民俗資料館(増穂町。富士川町立増穂南小学校より譲り受けた。増穂町には増穂小学校にも「ドーリー・マジソン」が寄贈されたが現存せず[272])蔵の「ヘルン・モナー」、谷村第一小学校(都留市)蔵の「メリー」(戦後、校舎改築の際に焼却処分される寸前に救出された[273]。)、個人所有(甲斐市、県内の知人より譲り受けられたという[274])の計6体が現存し、一部の人形にはメッセージが添えられた「パスポート」も付属している。

また、日本側からアメリカへ送られた答礼人形のなかには市松人形の「山梨富士子さん」が含まれ、現在はワイオミング州シャイアンの博物館に所蔵されている。現在では人形が現存する学校において日米交流や教材として利用されている[275]

長野県[編集]

286体(船便による内訳は前橋丸147体、ライン丸78体、りすぼん丸61体)[276]が寄贈され(当時の新聞に公表された内訳は出典[277]を参照)、29体が現存(名古屋市の個人所有を含む)。1970年8月に篠ノ井市立南部図書館(現・長野市立南部図書館)で戦後初めての「県内青い目の人形展」が催された[278]

– 北信地域

— 飯山市

  • 飯山市立泉台小学校(エリザベス・エッセル)P(No.9232)[276]:ニューヨーク州リードより寄贈。外様小学校より譲り受ける。
  • 飯山市立東小学校(アロア)P[279]:マサチューセッツ州ウェストストックブリッジより寄贈[276]。瑞穂小学校より譲り受ける。

— 中野市

— 下高井郡

– 長野地域

— 長野市:10体が寄贈されている。[281]

— 須坂市

— 千曲市

— 上高井郡

— 埴科郡

– 佐久地域

— 小諸市

— 佐久市

  • 佐久市立泉小学校:旧桜井小学校より譲り受ける。パスポートを紛失したため、人形名は学校で独自に「メアリー・ヘンドレン・イズミ」と名づけ、パスポートも再発行してもらった[282]

— 北佐久郡

– 上田地域

— 上田市

  • 上田市立第四中学校:川辺小学校より譲り受ける。ちなみに人形を授かった当時は小県郡川辺村に属し、上田市に編入されるのは昭和29年(1954年)になる。なお、昭和2年当時の上田市には以下の5体(「トリイン」のみ男の子の人形)が寄贈された[281]が、現存が確認されているものは一つもない。

— 東御市

— 小県郡

  • 青木村立青木中学校(シンシア・ウェーン)P(No.7293):マサチューセッツ州スプリングフィールドより[276]青木小学校に贈られた。1978年に青木中学校で見つかり[284]、パスポートなどを含めて保存状態は良好。現在は青木村民俗資料館で展示されている。

– 松本地域

— 松本市

  • 松本市立本郷小学校(メアリー・ロー)P(No.2508):ニュージャージー州サミット英語版より[276]
  • 松本市立筑摩小学校:戦後に発見され、「メイプル」と名付けられた[285]
  • 安曇小学校(メリー)
  • 松本市松本幼稚園(ジェーン)P(No.13097):ニューヨーク州プレザントビルより寄贈[276]。現在は松本市旧開智学校管理事務所所蔵。
  • ☆松本市立梓川小学校(メリー)
    • 旧・南安曇郡梓川小学校。平成元年(1989年)、アメリカへ里帰りの最中にサンフランシスコで盗難に遭い、消息不明[286]。後に同校には「☆アン」(オレゴン州のある婦人より)と「マリー」(国際文化協会より)の2体の人形が寄贈された[276]

— 東筑摩郡

– 木曽地域(木曽郡)

  • 木曽郡木曾幼稚園:現・学校法人中島学園認定こども園きそ幼稚園。人形の方は現在は木曾教育委員会所蔵。
  • 木曾町立三岳小学校[276]
  • 上松町野中幼稚園(プリシラ・キングスレイ):現在は名古屋市の個人の所有。
  • 木曽郡読書小学校(メリー):現・南木曽町立南木曽小学校。戦時中は「青い目の人形」とさとられないように瞳は黒く塗りつぶされた[288]。統合前の妻籠小学校にも人形が寄贈された記録がある[276]
  • 大桑村立大桑小学校(マーサ・メイ)P(No.2918):マサチューセッツ州ボストン市より寄贈[276]。須原小学校より譲り受ける。

– 北アルプス地域

— 北安曇郡

– 上伊那地域

— 上伊那郡

– 南信州地域

— 飯田市

  • 個人所有:飯田市の2家で保存されている[290]
    • 1体は答礼人形をアメリカへ贈る際に、児童代表として挨拶をした人物が謝礼として受け取った「青い目の人形」であり、結婚を機に飯田市へ送られた。「マチコ」と名付けられている[276]
    • 他の1体(メリー)は飯田市立上郷小学校から譲り受けている。
  • 高松学園慈光幼稚園:昭和22年(1947年)の飯田大火により焼失[290]

— 下伊那郡

– 諏訪地域

— 諏訪市

— 茅野市

— 諏訪郡

岐阜県[編集]

235体が寄贈された。うち2体が現存。
※出典参照[71][292][293]

※岐阜市:19体が寄贈された(いずれも人形は現存せず、写真が残されている学校もある)。

※その他地域

静岡県[編集]

253体が寄贈され、7体が現存。

  • のぞみ幼稚園(フローレンス):大仁幼稚園(旧・微笑幼稚園)より引き継がれる。平成15年に吉田幼稚園と合併し、現在の園名になる[299]
  • 長田西小学校(メリー)[300]:現在は個人所有
  • 浜岡北小学校(マーベル・ワレン)P(No.11805):朝比奈小学校より。現在は御前崎市教育委員会所蔵の市指定有形文化財[301]
  • 網代小学校(メリー):当時の田方郡には14体が寄贈された[302]
  • 明倫小学校(ミルドレッド):ペンシルベニア州パーラマトレ・シイハイ街より寄贈。
  • 第一幼稚園(メリー):富士川町立第一小学校より。現在は富士市立博物館にて所蔵[303]
  • 木花幼稚園(ネリー):園舎は静岡空襲で焼失したが、人形は園長の自宅にて保管[304]。現在は『横浜人形の家』にて所蔵。
  • (参考)夢寂寺:浜松市北区の寺に保管されている「青い目の人形(但し友情人形ではなく、古くから伝えられ、戦時中に匿われたアメリカ人形とのこと)」。なお、近くの三ヶ日西小学校には昭和2年に人形が配布された記録があり、1999年にギューリック3世より「新・青い目の人形」の「ペニー・スー」が寄贈されている[305][306]

愛知県[編集]

349体が寄贈され、現存するのは9体(+県外より1体)

※東三河地区

  • 西郷小学校(コネタ)P(No.6178):「コネタ」はオハイオ州のウォーパコネータ英語版という町の名から来ている[307]。後に2体のレプリカが作られ、一体はオハイオ州のノースリッジ小学校に寄贈され、もう一体は学校の授業の教材として使用されている。
  • 御津南部小学校(ヘレン):豊川市内には他に豊川、千両、牛久保、国府、一宮西部、小坂井東小学校に人形が贈られた記録がある[308]
  • 田原中部小学校(マーシャル・セントラル)P(No.3085):ドイツ製の人形。カンザス州マリースビルより寄贈。渥美郡には17体、うち田原町には田原南部小学校にも寄贈された[309]
  • 田原市立福江小学校(エスター・カリフォルニア):寄贈当時は福江町だったが、1955年に現在の田原市へ編入される。初代の人形は現存せず、2007年にギューリック3世より新・友情人形の「カレン」が寄贈された[310][311]。なお、前述の答礼人形「ミス福江渥美」を送り出した学校でもある[73]
  • 細谷小学校(エセル・ディーン)P(No.9090):ネブラスカ州リンカーンより寄贈。
  • 東陽小学校(ノルマン):旧・鳳来町立能登瀬小学校より譲り受ける[312]
  • 田峯小学校(グレース・A・グリーン)P(No.1022):オハイオ州デイトン市のノーマル・トレーニング・スクールより寄贈。「青い目の人形」発見をきっかけとして、国際交流に役立てている事例(アメリカへの里帰り及び奉納歌舞伎の公演)[313]

※西三河地区

– 岡崎市:小学校へ6体、幼稚園へ3体が寄贈された。後に市内の各校の寄付金により答礼人形「ミス岡崎」が製作され、ニュージャージー州ニューアークへ贈られた[72]

  • 宮崎小学校(コルマ・デル)※但し、寄贈当時は宮崎村(後の額田町)で、岡崎市域には含まれない(岡崎市に編入されるのは平成18年1月1日)。

– その他地域

  • 吉良中学校:横須賀尋常高等小学校に贈られ、後に公民学校を経て現在の中学校へ移された。新校舎へ移転する際に処分されかかったところを、卓球部の顧問をしていた教員に拾われ、ギリシャ神話の勝利の女神にちなんで「アテナ」と名付けられた[314]
  • 幸田小学校(グレース・エッサ):島原藩主をつとめた深溝松平家ゆかりの地として、長崎県島原市立第一小学校保存の「リトル・メリー」と姉妹関係を結んだ[315]。2018年には、同様に松平家と縁のある京都府福知山市に保管されている「ヘレン・ウッド」を通じ、3姉妹構想を思いつくことになった[316]

※尾張・知多地区(現存なし)

※名古屋市(市内へは101体の人形が寄贈されたがいずれも現存せず、現存は県外から移された1体のみ。他にも市内の小学校のうち、2校に人形に関する記録が残されている。[319]

近畿地方[編集]

三重県[編集]

三重県には194体の人形が寄贈され、県内の小学校や幼稚園に配布された。戦時下で多くの人形が処分され、現存しているものは9体に限られる(内1体は東京に保管)[23]。ソース[320][321]も参照。

※津市:74体が届けられた[322]

  • 一志東小学校(名称不明)
    • 旧・川合小学校。人形は校長先生の自宅蔵に保管されており、1986年より学校に展示されている。2014年に他校と統合し現在の校名になる。2018年にギューリック3世より新・友情人形の「ヒルダ」を授けられた。
  • 新町小学校(名称不明)
    • 2007年に服を新調。
  • 明小学校(不明、1990年にロザリーと命名される)
    • ドイツのセンチュリー社製の人形。1980年に校舎改築の折、屋根裏から発見される[323]。1989年に「青い目の人形」と判明して以来、学校に展示されている。

※松阪市:18体が寄贈された。

  • 豊地小学校(グレース)
    • 松阪市に贈られた唯一現存の「青い目の人形」[324]。校長先生指示の下、当時の先生の自宅蔵に隠し持っていたとされる。1977年に学校に戻され、以後は学校に展示されている。
  • 柿野小学校
    • 『飯南町史』に「1927年(昭和2年)3月21日にアメリカ友情人形歓迎会を開催した」旨が記載されている[325]
  • 花岡尋常高等小学校(マーティホルマン)[326]

※その他地域

  • 菰野町立千種小学校(ウォーレン)
    • ロードアイランド州のウォーレン婦人聖書教会より寄贈。1943年に処分されかけたところを、当時の先生が持ち帰って隠し持っていたとされる。1983年に服を新調。菰野町郷土資料館に保管されていたが、菰野町図書館の開館に伴い、古文書などとともに図書館2階の郷土資料コーナーへ移された[327]
  • 中島小学校(「エセルアルワ」、後に「アニー」と命名される)
    • 中島小学校→中島幼稚園→保母の自宅→吉徳という経緯で、1992年以降は東京の吉徳に保管されている。服は1992年に新調されている。元々の名前がわからなかった(2008年に「エセルアルワ」と判明)が、1993年に当時上演されたミュージカルならびに同名の主人公の名前からとって「アニー」と名付けられた。
  • 越賀小学校(メアリ)
    • 1927年7月10日に小学校に届けられる。1975年に理科室で見つかって以降、学校で展示されている。2017年4月に志摩小学校に統合された。
  • 河合小学校(メリー)
    • 1988年に家庭科室の押入れにあった[328]木箱の中で見つかって以降、学校で展示されている。服がなかったため、服はその際に作成されている。保管の度合いが良かったため、三重県内の「青い目の人形」の中で唯一、発声が可能な人形となっている。2010年にギューリック3世より新・友情人形の「シャロン」が授けられた。2011年5月には絵本の売上金で答礼人形の「栴花(せんか)」が製作され、ネブラスカ州リンカーンのプレスコット小学校に贈られた。2015年3月をもって阿山小学校へ統合。
  • 花垣小学校(エリザベス・ハイネ)
    • 1979年に校舎の物置から発見された[329]。ケンタッキー州から寄贈されたと言われている[322]。2015年に廃校となり、現在は伊賀市花垣地区市民センターにて保管。
  • 南牟婁郡三木尋常高等小学校(カズリン)[330]
  • 尾鷲市立尾鷲小学校(エスザー)[331]
  • 鳥羽市立加茂小学校(マーガリー)[330]
  • 入鹿尋常高等小学校(マリアン)[330]
  • 上野町女子尋常高等小学校(マリー)[330]
  • いなべ市立中里小学校(マリー)[330]
  • 北牟婁郡長島尋常高等小学校(ロイス)[330][331]
  • 紀北町立東小学校(マリアン)[331]
  • 紀北町立上里小学校(マーガレット)[331]

滋賀県[編集]

135体が寄贈され、4体が現存。

※ 大津市:20体が配布された(小学校16体、幼稚園4体)[332]

※ その他地域

京都府[編集]

262体が寄贈され、8体が現存。失われた人形の中には宝鏡寺で供養されたものもあった[339]

※京都市

  • 高倉小学校(メリー・シュネイラー)[340]:旧・本能小学校。寄贈から70年経過した当時も「ママー」と泣く仕掛けが機能していた[341]
  • 崇仁小学校(アウエー[342])P(No.806):メーン州ポートランドより寄贈[343]。通称「アン」。現・下京渉成小学校
  • 京都市下京区ときわ幼稚園(ジョイス・アダムス)
  • 京都市立清水小学校(エイダ・ジェンビィ・クノックス)P(No.5188)
  • 京都市立太秦小学校(アンナもしくはメリー[344]):現在は個人所有。
  • 個人所有(アン)[339]:贈先の学校は不明で、元小学校教諭の自宅にあったもの。上記の太秦小学校から避難させた「メリー」と共に保管していた[345]

※舞鶴市:11体が贈られた。[346]

※その他地域

大阪府[編集]

429体が寄贈され、4体(このほか県外より1体)が現存する。

  • 枚方幼稚園(ジュリエット・ロウ・ブラッドフォード)P(No.4772) – ペンシルベニア州ブラッドフォードのガールスカウトより寄贈[350]
  • 池田市立さくら幼稚園(ナンシー):池田幼稚園より譲り受ける
  • 海老江西小学校:後に新しい親善人形として「マリア」が寄贈された[351]
  • 個人所有(メリー):中本第三小学校より譲り受ける。
  • 個人所有(ジュリー):福島県会津若松市より高槻市へ贈られた。※詳細は福島県の項を参照。
  • 岸和田市立中央小学校:市内には5体寄贈された記録がある[352]

兵庫県[編集]

373体が寄贈され、11体が現存するほかに、県外から移された1体も含まれる。

  • 朝来市立山口こども園(メリー):但馬地方で唯一現存する人形。戦中に焼却処分の直前に教員により匿われて、昭和48年にその存在が明らかになった。変遷:(旧山口村立山口幼稚園→旧朝来町立山口幼稚園→朝来市立山口幼稚園→朝来市立山口こども園)[353]
  • 神戸市甲南幼稚園(ローズ、名称不明):後者の人形は、戦後までに寄贈されていたと思われ、2015年に友情人形と判明したもの[354]。ギューリック3世により「キャシー」と命名された[355]
  • 親和女子高等学校
  • 神戸市千鳥幼稚園(メリー)[353]
  • 高砂幼稚園:2体あるうち1体は高砂小学校にあったもの。パスポートが失われて名前が不明だったため、「エリカ」「ヘレン」と命名された[353]
  • ベイカ保育園(ローズマリー):現・幼保連携型認定こども園ベイカ(姫路市)。
  • 赤穂幼稚園(ローズマリー)
  • 播磨町立播磨小学校(メリー):旧・阿閇尋常小学校。
  • 旧・神戸市兵庫区菊水幼稚園(エリーネ・ジェーン・プーリッジ)P(No.5220):三木市内個人所有。通称「エレナ」。現在は『横浜人形の家』にて所蔵[353]

※県外からの人形

  • 神戸大学発達科学部(マダリン・エリザベス):児童の村小学校(東京都)より譲り受ける。

奈良県[編集]

144体が寄贈(男女師範学校に各1、小学校131、幼稚園11)され、4体が現存する。

  • 伊那佐小学校(マーガレット):平成18年に廃校となり、榛原西小学校に統合。現在は宇陀市教育委員会にて保管[357]
  • 宇陀市立大宇陀小学校(メアリー・ルイーズ)[358][359]:2010年に統合する前の守道小学校(寄贈当時は政始小学校)へ贈られた。1997年には、当時の「青い目の人形」の贈り主であるオハイオ州コロンバス在住の「メアリー」の家族より2体の新しい友情人形が寄贈された。
  • 大和高田市立高田小学校:旧・高田女子尋常高等小学校。なお、1927年5月19日に下記の学校などへの人形の伝達式も行われた。
  • 帝塚山学院:現在の帝塚山大学。1927年3月2日に校長が府庁で人形を受け取った記録がある。
  • 奈良教育大学附属小学校(ロイス・ジョアン):旧・男子師範附属小学校。オハイオ州グランビール英語版のリットンハウスより寄贈。
  • 御所市立葛小中学校(ローズ):昭和57年に葛小学校が開校する際、旧・戸毛小学校より引き継がれた。平成23年には小中一貫教育として校名を変更。
  • 賀名生小学校(パトリ)[363]:現・五條市立西吉野小学校。人形は現在、賀名生の里歴史民俗資料館の所蔵[357]
  • (参考)個人所有:奈良市あやめ池の東洋民俗博物館所蔵。シカゴ大学のスタール博士と親交のあった初代館長に贈られた人形で、友情人形と同じエファンビー社製のもの[364]

和歌山県[編集]

寄贈された177体のうち、1体のみ現存。
出典:『和歌山県教育史』編さんだより No.4(平成14年7月)(アーカイブ)、わかやま発見(和歌山県教育委員会HP)

中国地方[編集]

鳥取県[編集]

107体が寄贈され、3体が現存する。出典[366]を参照。

島根県[編集]

182体が寄贈され、2体が現存する。

  • 大田市立仁摩小学校:旧・宅野小学校にあった人形[373]
  • 浜田市立今福小学校(キャサリン。Katherine)P(No.48129) – コネチカット州ニューヘブンより寄贈[374]。昭和47年に発見されて、一時期は「カテリーナ」(Catherina)と誤って記録されていた[375]
  • (参考)個人所有:県内の小学校に配布されて残った人形を戴いたとのこと[376]

岡山県[編集]

238体が寄贈され、3体が現存する。

  • 鶴鳴保育所(アンナ)
  • 金光学園幼稚園(ベッシー)
  • 岡山市立加茂小学校(ロイズグット・ウィル):津山市在住の個人より2009年に津山郷土博物館へ寄贈[377]
  • 贈先不明:岡山県に届けられた『平和の使靑い眼のお人形繪葉書』にある人形たち(パスポート†No.37501も写されている)。岡山水野写真館による撮影[253]

広島県[編集]

326体が寄贈され、5体が現存する。

山口県[編集]

200体が寄贈され、5体が現存。

  • 大殿小学校(ローズ・メアリー)
  • 湯田小学校(エリナ・アン)P[383]
  • 興進小学校(ロイス・メイ・フレッシュマン)
  • 松崎小学校(ローズマリー)
  • 鞠生幼稚園:後に「ワーテラ・ヘズ」と名づけられた[384]
  • ☆福賀小学校(パシー)
    • 長野県松本市梓川小学校のメリー同様、アメリカへの里帰りの最中に盗難に遭い、消息不明[382]。後に☆「パシー」2世(寄贈当時は「ベティ」)[232]他2体の「新・青い目の人形」が寄贈された[385]

四国地方[編集]

※愛媛県以外には1体ずつしか残っていない。

徳島県[編集]

152体が寄贈された。

  • 神領小学校(アリス・ジョンストン)P(No.1573):ペンシルベニア州ウィルキンスバーグより寄贈[386]。人形名は贈り主に由来する。2011年11月18日に地方指定文化財となる[387]。「青い目の人形」の国際交流をきっかけに町おこしに役立てている事例[388]。名西郡には「アリス」を含む6体が割り当てられた[389]

香川県[編集]

108体が寄贈された(うち船便により102体。内訳は幼稚園21、小学校74、女学校13)[390]

以下に贈られた地域と体数を記す[16]

※三豊市 – 14体

※高松市 – 39体

※その他地域

  • 多度津町立白方小学校:昭和2年、人形が寄贈された後、アメリカへ届けられた児童からのお礼の手紙がギューリックの手記にて紹介されている[393]。後にこの出来事に基づき、「新・青い目の人形」の「リサ・レネイ」が送られた[394]
  • 小豆島町立安田小学校(エリザベス・フルトン)。
  • 丸亀市西幼稚園(キューピー)

愛媛県[編集]

214体のうち、6体が現存。出典[395]

  • 四阪島小学校(ブルー):1977年閉校の際に発見されたインディアナポリスから贈られた人形[396]。現在は住友金属鉱山(株)別子事業所にて保管(四阪島へは関係者以外の立ち入りは禁止されている)。
  • 西予市立俵津小学校(フランセッタ(P,No.12565・インディアナ州より)、ノーマ(P,No.7780・オハイオ州より)[397]):小学校・幼稚園に1体ずつ贈られている。後述の狩江小学校他2校共に平成27年3月31日をもって閉校し、現在は西予市立明浜小学校[398]
  • 西予市立狩江小学校:名称不明だったが、後に「ピッティー」と命名された[399][400]
  • 八幡浜市立神山小学校(ベッテイ・ジェーン):毎年3月に『ひなまつり音楽会』が催され、「ベッティ・ジェーン」の他にギューリック3世らから寄贈された新・友情人形「キャロル」「アグネス・ジョージア」などの人形も飾られる[401]
  • 個人所有:松山市の人形研究家が古物商より入手。廃校になった学校より譲り受けたとのこと[402][403]。上浮穴郡の学校に寄贈された人形と思われ、愛媛大学教育学部附属小学校に寄贈されることになった[295](後に同校に新・青い目の人形「フランシス」が寄贈された[395])。
  • 済美幼稚園:人形は現存しないが、済美学園の創立者が戦時中、人形を守ってきたことから、2017年3月2日にギューリック3世から新・青い目の人形「ソフィア」が寄贈された[404]

高知県[編集]

187体が寄贈された。出典[405]を参照。

九州地方[編集]

福岡県[編集]

259体が寄贈され、3体の現存が確認されている。

佐賀県[編集]

寄贈された98体のうち、現存は次の1体のみ。

長崎県[編集]

214体が寄贈され、2体が現存。出典[1]

内訳:師範学校4、長崎市29、佐世保市13、西彼杵郡17、東彼杵郡16、南高来郡18、北高来郡16、北松浦郡18、南松浦郡15、壱岐11、対馬14。

熊本県[編集]

241体が寄贈され、2体が現存。かつてギューリック博士が熊本に滞在していた縁で、1988年3月に人形が現存している学校などに4体の「新・青い目の人形」が寄贈された。その後、答礼として、同年6月に「阿蘇鏡子」「阿蘇健太郎」の2体の人形がアメリカのルイジアナ州に送られた[416]

大分県[編集]

182体が寄贈され、4体が現存。

宮崎県[編集]

131体[422](船便では124体)が寄贈され、1体のみ現存。県内に配られた人形は次の通り。

宮崎市:3、都城市:3、宮崎郡:14、南那珂郡:19、北諸県郡:16、西諸県郡:11、東諸県郡:8、児湯郡:15、東臼杵郡:20、西臼杵郡:11、師範附属学校:2、幼稚園:8[423]

鹿児島県[編集]

209体が寄贈されたが、現存が確認されていない。

沖縄県[編集]

63体(うち小学校へは47体[429])が寄贈されたが、現存が確認されていない。

  • 名護市立東江小学校:学校代表として「青い目の人形」を受け取った児童の写真が残されている。本土への疎開の途中、『対馬丸』は魚雷を受けて沈没したが、別の疎開船に乗っていた写真の児童は難を逃れた[430]
  • 首里第二尋常高等小学校:現・那覇市立城西小学校[431]。2体寄贈された[429]
  • 那覇市立天妃幼稚園:県庁で2体の人形をいただいた[432]

旧外地[編集]

旧外地へは内閣拓殖局へ319体が割り当てられている[8]

樺太[編集]

20体が寄贈された[37]。出典[433]も参照。

  • 大泊楠渓幼稚園(グレンデール):現在は東京都の個人が所有。外地に贈られた「青い目の人形」の唯一の現存例。
  • 鵜城郡のある小学校(ヘンドリック)[434]
  • 豊原幼稚園(グレース)
  • 落合小学校(ワーレス・ウェード)
  • 本斗小学校(パトリシアン)[435]
  • 贈先不明(ジョン・ウェスリー、ローズメアリー、ローズバット、セルマ、ジョアン、チェリーブラッサム)

台湾[編集]

93体が寄贈され、88体が役所・学校などに贈られた。出典はこちら[436]

※内訳:台北州20、新竹州8、台中州17、台南州24、高雄州12、台東庁2、花蓮港庁3、澎湖庁2(日本統治時代の台湾行政区分による)

  • 台中州村上幼稚園:歓迎式の写真が残されている。

朝鮮[編集]

193体が寄贈された[37]

  • 大邱公立高等女学校:2体の人形が寄贈されている[437]
  • 慶尚南道河東小学校(クララ・エルアンダーマン)[438]:ペンシルベニア州カナダウンシスより寄贈(パスポート:†No.12989)。
  • 慶尚南道統営小学校(エリザベス・ミッチエル)[438]:フロリダ州より寄贈。
  • 木浦公立尋常小学校(現:儒達小学校):人形の歓迎会の写真が残されている[439]
  • 京城日出小学校[440]
  • 驪州公立普通学校:大阪朝日主催の人形歓迎歌の応募で一等を獲得した少女が賞品として受け取った人形。[11][232]

中国(関東州)[編集]

10体が寄贈された(大連3体、旅順2体、他5体[441][37]

  • 公主嶺小学校(奉天)[442]:贈られた人形は男の子だったらしい。
  • 奉天春日小学校[439]
  • 贈先不明(メリー・マーガレット)[注釈 30]:身長が90cmもあった。

贈先不明[編集]

  • “DOLLS OF FRIENDSHIP”(参考資料)に掲載された人形たち。
  • スーザン・パルマー:ペンシルベニア州パーマトン英語版のパルマートン博愛社より寄贈された双子のうち、富山県の伏木保育園に送られた「ステファン・パルマー(現存)」の相方のほう[446]
  • ニュージャージー州のフレンズ小学校から贈られた人形のうち、八王子市立第八小学校(現存、戦後「メアリー」と命名された)の他に贈られたと思われる2体[229]
  • 昭和2年1月17日に横浜港に到着したサイベリア丸で秩父宮と共に乗船した300体の人形のうち、当時の新聞で紹介されたもの[447]
    • メリーアーン:アイオワ州デスモイス市の個人より。
    • メリー・ベス:オクラホマ州ダーラント市のキリスト教会の児童より。
    • アン:マサチューセッツ州より。化粧道具や着替え、1ドル札入りの財布を所持していた。
  • 『アサヒグラフ』第8巻第10号「人形大使歓迎号」(昭和2年(1927年))に掲載された人形。
    • ルス(ウィッテリア村より寄贈)、ロレナ(贈元不明):お人形さんの手紙(和訳)より。

架空の作品中の青い目の人形[編集]

答礼人形が送られた施設他[編集]

答礼人形を日本から送り出す際は、「筑波かすみ」や「東京花子」などのように郷土にちなんだ名前が名づけられ、アメリカでは郷土名を取って「ミス○○」といった形で呼ばれている。但し、既に説明の通り、台座と人形が入れ替わってしまっているものがあり、これに気づいたのは後年であるため、長い間、台座に記された名前が贈り元だとして扱われてきた[449]。例えば、「ミス三重」は「三重子」(元々の人形が三重県)ではないことが判明しているが、「三重から送られた人形」として扱われている[23][24]し、「ミス広島」のように一度里帰りした後に、元の人形が発見されて別々の施設に同じ「ミス広島」という人形が展示されているようなケースもある。里帰りについては送り元の都道府県・都市に戻った時期を示し、国内での展示会や修繕のためだけに戻ったものは含まれない(1988年の里帰り展(国内のそごう10店舗)には現存の25体中19体が参加しているが、送り元の都道府県に里帰りしたのは4体だけ[450])。

なお、昭和3年当時の48州及びワシントンD.C.のうち、オクラホマ州及びニューメキシコ州には答礼人形は贈られていない(うちニューメキシコ州には後に「ミス山口」が移されている)。

受取先:出典[451]を元に記述。

太字は取り違えがないまま現在に至っている人形[449]

人形の名前 昭和3年の受取先 所蔵施設等 里帰り 備考
ミス大日本[注釈 31]
倭日出子(やまとひでこ)
ワシントン市国立博物館 ワシントンD.C.
スミソニアン国立自然歴史博物館
1986年
1988年[450]
付き添いの人形共に保管。1986年(昭和61年)、修繕のために日本へ戻った際、松乾斉東光により男子人形の「倭富士男(園田天光光により命名された)」が製作され、共にワシントンへ送られた[55]
ミス北海道
北海花子(ほっかいはなこ)[453]
アイオワ州ダベンポート市公立博物館 アイオワ州ダベンポート
パットナム歴史自然科学博物館
1988年[450] 「北海花子」は北海道帝国大学教授の西村真琴により命名された[453]。人形自体は元々「ミス福岡」。1988年に札幌そごう(7/8~7/13)にて里帰り展示。
ミス青森
青森陸奥子/睦子[126](あおもりむつこ)
ニューヨーク州ロチェスター市立博物館 マサチューセッツ州
個人所有
1963年にマサチューセッツ州ダートマスのアンティークショップで購入[454]
ミス岩手
岩手鈴子(いわてすずこ)
アラバマ州バーミングハム公立図書館 アラバマ州バーミングハム
バーミングハム公立図書館
2015年
2017年
-2018年
人形は元「ミス大分」。岩手県立博物館にて2015年12月24日〜翌年3月6日まで里帰り展示[455]。2017年には陸前高田市コミュニティーホールにて東日本大震災の津波の被害に遭った市立気仙小学校の青い目の人形「スマダニエル・ヘンドレン」と共に12月8~10日の会期内に展示される他、岩手県内の各地域で3月頃までに展示された。[134]
ミス宮城 カンザス州トピカ市マルヴェーン博物館 カンザス州
個人所有(普段はミズーリ州セントジョセフ博物館にて保管)[134]
2003年
2015年[456]
2017年
収蔵していた博物館は、1966年の竜巻で倒壊[2]。後にカンザス州在住の人物が1982年にオークションで入手した人形が、1998年にミス宮城であることが判明(但し、人形本体は元々「ミス北海道」)[2]
2015年には2度目の里帰りを果たし、5月1〜6日に仙台市歴史民俗資料館で展示され、[456]2017年7月30日より「青い目の人形」寄贈90周年を記念して3度目の里帰りとして、同館にて県内の「青い目の人形」10体と共に10月1日まで展示された[457]
ミス秋田
秋田蕗子(あきたふきこ)
ミシガン州デトロイト市児童博物館 ミシガン州デトロイト
デトロイト児童博物館
人形は元「ミス石川」。1990年には「ミス秋田」を所有しているデトロイト児童博物館に横手ユネスコ協会より友情人形の「横手雪子」が寄贈された[458]。1988年に一旦帰国しているが、秋田県への里帰りは実現していない[450]
ミス山形
山形千歳(やまがたちとせ)
メイン州オーガスタ市州立博物館 メイン州
州立博物館
人形自体は「ミス沖縄」。寄贈された当初の着物の褪色が甚だしかったため、後に別の着物に着せ替えたとのこと。元の「ミス山形」は行方不明。1988年に一旦帰国しているが、山形県への里帰りは実現していない[450]
ミス福島
福島絹子(ふくしまきぬこ)
テキサス州ハウストン市美術館 モンタナ州
個人所有
2008年 台座、お道具、人形が取り違われ、福島出身の人形である「福島絹子」がどこにあるのかは判明していない[459]
ミス茨城
筑波(つくば)かすみ
ウィスコンシン州ミルウォーキー市公立博物館 ウィスコンシン州ミルウォーキー
ミルウォーキー公立博物館
2007年 人形は「ミス栃木」(「ミス茨城」の人形の方は不明)。
ミス栃木
日光幸子(にっこうさちこ)
ウェストバージニア州チャールストン市州立博物館 行方不明(台座) 日光幸子は中禅寺湖が明治天皇により「幸の湖」と呼ばれたことから命名された[172]
ミス群馬
上野絹子[453](うえのきぬこ)
ニューヨーク州ブルックリン博物館 個人所有→フロリダ州デルレイビーチモリカミ博物館 2016年 長年所在が不明であったが、2009年にマレーシアで発見され、アメリカの人形研究家が数年前に入手(台座は「ミス群馬」であるが、人形の方の出自は「ミス鳥取」)。修復もかねて2016年7月23日〜8月21日にかけて前橋文学館で展示された[460]。2017年に博物館に寄贈。
ミス埼玉
秩父嶺玉子(ちちぶねたまこ)
サウスカロライナ州チャールストン市チャールストン博物館 サウスカロライナ州
チャールストン博物館
1988年[450]
1997年[461]
博物館に展示されているのは、昭和2年当時の「ミス台湾」[462]。1988年に19体の答礼人形と共に初の里帰りを実現している(大宮そごう:8/12~17)。2020年11月13日には、埼玉県さいたま市岩槻区の人形職人により、当時の「ミス埼玉」が復元され、2021年3月23日から同5月16日にかけて、埼玉県立歴史と民俗の博物館にてNHK大河ドラマ特別展『青天を衝け~渋沢栄一のまなざし~』で、県内の12体の「青い目の人形」などと共に展示された[463][464]
ミス千葉
千葉子(ちばこ)・房子(ふさこ)[465]
カリフォルニア州リバーサイドミッション・イン 行方不明 房子は千葉子の侍女[466]
ミス東京府
東 京子(あづまきょうこ)
バージニア州リッチモンド市図書館児童室 行方不明
ミス東京市
東京花子(とうきょうはなこ)
ニューヨーク州ニューヨーク市博物館 行方不明
ミス神奈川
神奈子(かなこ)
オレゴン州ユーゼン市オーナー東洋博物館 行方不明(台座) 人形は「ミス奈良」、所持品は「ミス福岡」のもの[467]
ミス横浜
横浜浜子(よこはまはまこ)
カリフォルニア州サンフランシスコ市市立図書館 コロラド州
デンバーミニチュア・人形・玩具博物館[468]
1988年(後述) 台座の方は不明。
ミス新潟
新潟雪子(にいがたゆきこ)
コロラド州 デンバー市公立図書館 行方不明 デンバー公立図書館で長年、「ミス新潟」として展示されていたが、1988年の里帰り帰国の際に「ミス横浜」と判明した[70]。人形の方は行方不明。
ミス富山
八重桜(やえざくら)
ケンタッキー州ルイビル市J.B.スピード記念博物館 ケンタッキー州ルイビル
スピード美術館
1995年 1937年の洪水で流失したものとされていたが、その後、1992年に博物館の奥底に眠っているのを発見され、1995年に修繕を兼ねて里帰りを果たした。
ミス石川 モンタナ州ヘレナ市州立博物館 モンタナ州ヘレナ
モンタナ歴史協会
人形は元「ミス秋田」。1988年に一旦帰国しているが、石川県への里帰りは実現していない[450]
ミス福井 ユタ州ソルトレイクシティ州立博物館 オハイオ州クリーブランド
クリーブランド美術館
「ミス岐阜」として展示されていた[469]。台座は紛失(写真でのみ確認)。
ミス山梨
山梨/甲斐[466]富士子(やまなし/かい ふじこ)
ワイオミング州シャイアン市州立博物館 ワイオミング州
ワイオミング州立博物館
1996年に横浜市で展示会が開かれたが、山梨県への里帰りはまだ実現していない[470]
ミス長野
長野絹子(ながのきぬこ)
ロードアイランド州プロヴィデンス市ロジャー・ウィリアムス公園博物館 デラウェア州ウィルミントン
デラウェア歴史協会(人形)
2004年 ロードアイランド州の博物館に寄贈された人形は現存せず、長いこと行方不明になっていたが、後の調査で「ミス樺太」として展示されていた人形が「ミス長野」であることが判明[276]
ミス岐阜
ギフ子(ギフこ)
オハイオ州クリーヴランド公立図書館 オハイオ州クリーブランド
クリーブランド美術館
(従来のミス岐阜として展示)
1995年 里帰りの返還の際、妹人形として「あゆ」が合わせて寄贈された。また、クリーブランド市からは「セーラ」が、ギューリック三世からは1996年に「新・青い目の人形」の二代目「マリリン」(後に2003年にはカンザス州の女性から「スーザン・ギブソン」他3体の「新・青い目の人形」[71])が岐阜市立明徳小学校に寄贈されている。
人形の出自は後の調査で「ミス福井」であることが判明している[469]
ミス静岡
富士山三保子(ふじやまみほこ)
ミズーリ州カンザス市公立図書館 ミズーリ州
カンザスシティ博物館
2016年 着物は全米を巡回しているうちに傷み、「ミス神戸(人形は消息不明、素材は「ミス静岡」と異なる)」の着物を着せられたという[471]。2016年2月21日より、静岡市のグランシップのほか、沼津市、浜松市の会場にて里帰り展示が行われ、4月から5月にかけて県内を巡回展示。人形本体の修復作業や寄贈当時の赤の地色に似せた着物の新調が行われたうえで、12/3〜11に静岡県立美術館でお披露目展示が行われた後、アメリカへ帰国した[472]
ミス愛知 テネシー州ナッシュビル美術館 ミネソタ州
個人所有
2017年 2010年にロードアイランド州プロヴィデンスで発見[473][474](平田郷陽・作、個人所有)され、収集家が所有していた人形が2013年の調査により、本物の「ミス愛知」と判明した[475]。2017年夏に里帰りし、愛知県内の各地域にて7月19日~9月10日にかけて、現存する県内の「青い目の人形」と共に展示が行われた[476]
ミス名古屋 ジョージア州アトランタ市高等美術館 ジョージア州アトランタ
アトランタ歴史センター
1985年 「おんなと太平洋戦争展」(中日新聞社)にて里帰りの際に着物を修復。[477]
ミス三重
三重子(みえこ)
ネブラスカ州リンカーン州立博物館 ネブラスカ州
ネブラスカ大学
2009年
2017年
実際には「ミス三重」の台座に乗っている人形は三重子でない(「ミス宮崎」。なお、元「ミス三重」は「ミス兵庫」として展示)ことが判明しているが、三重を故郷として、2009年の夏に里帰りし、2017年の7月11日~9月3日に再び里帰り展示が行われた[23][24][478]
ミス滋賀
近江滋賀子(おうみしがこ)[466]
フロリダ州マイアミ市フレグラー図書館 行方不明 図書館は後に閉館し、人形の消息も不明[479]
ミス京都府
京都宮子(きょうとみやこ)
マサチューセッツ州ジャマイカ・プレーン・ボストン子ども博物館 マサチューセッツ州ボストン
ボストン児童博物館
1985年
ミス京都市[340]
山城/平安京子(やましろ/へいあん きょうこ)[466]
アーカンソー州リトルロック市アーカンソー博物館 アーカンソー州
アーカンソー歴史博物館
2012年[340]
ミス大阪府
鞠子(まりこ)[480]
オハイオ州コロンバス市州立博物館 オハイオ州
オハイオ歴史協会
1989年 人形は「ミス大阪市」と入れ違い。
ミス大阪市
ミス浪速(なにわ)[466]
ニュージャージー州ニューアーク市ニューアーク美術館 ニュージャージー州ニューアーク
ニューアーク博物館
1989年 人形は「ミス大阪府」と入れ違い。弟人形共に保管。大阪市制百年を記念して、「ミス大阪府」とともに展示された。
ミス兵庫 ミズーリ州セントジョセフ児童博物館 ミズーリ州セントジョゼフ博物館 1997年 台座の人形は元「ミス三重」。人形は行方不明。
ミス神戸 コネチカット州スタンフォード市ラーネット私立公開博物館 行方不明 1981年登録抹消後、売却される。寄贈時の着物のみ「ミス静岡」に着せられた形で現存する。
ミス奈良 アイダホ州ヴォイス市州立博物館 アイダホ州
アイダホ歴史博物館
1994年[382] 人形は「ミス神奈川」のもの。里帰りの際に、ネ・ペルセ族の民族人形も県へ寄贈された[481]
ミス和歌山 ネバダ州リノ市州立博物館 ネバダ州
ネバダ歴史協会
後の調査で判明するまでは「ミス奈良」として展示されたことから、本来の「ミス奈良」と同一視された経緯もある[382]。1988年に一旦帰国しているが、和歌山県への里帰りは実現していない[450]
ミス鳥取 サウスダコタ州ピール市州立博物館 サウスダコタ州
サウスダコタ州立歴史協会(台座)
フロリダ州デルレイビーチモリカミ博物館(人形)
1989年[482] 1989年の里帰りの時に、日本人形のミスター鳥取「はなふさ」が寄贈された[483]。後にマレーシア在住の人物より落札された人形が元々の「ミス鳥取」と判明した。現在展示中の「ミス鳥取」の出自は「ミス宮城」と思われる[484]
ミス島根 インディアナ州インディアナポリス子ども博物館 インディアナ州
インディアナポリス児童博物館(台座)
コロラド州個人所有(人形)
博物館の方の人形は「ミス和歌山」。
ミス岡山
岡山桃子(おかやまももこ)[126]
ノースダコタ州ファーゴ市メイソン図書館 ノースダコタ州
ノースダコタ州立大学
織物コレクション
2001年 2013年、「ミス岡山」が里帰りしてから10年経った記念として、倉敷市児島の住民がノースダコタ州に雛人形を贈ったお礼に、2016年5月30日にギューリック3世夫妻から味野幼稚園に「ジーニー」が寄贈された[485]
ミス広島
広子[466](ひろこ)
メリーランド州ボルティモア美術館 メリーランド州
ボルチモア美術館(台座)
バージニア州ノーフォークバリー美術館(人形)
1974年
1988年[450]
ボルチモア美術館の方の人形は「ミス山口」。答礼人形の中では最も早い1974年に里帰りを果たしている。1988年には他の答礼人形と共に二度目の里帰り(広島そごう:5/13~5/18)。1997年に元の「ミス広島」が発見され、のちにバリー美術館に寄贈(台座の方は新調)[486]
ミス山口 イリノイ州シカゴ美術館児童部 ニューメキシコ州サンタフェ
国際民俗芸術博物館
人形の方は「ミス佐賀」。1951年に現在地へ移動。
ミス徳島 ワシントン州スポーケン市博物館 ワシントン州スポケーン
ノースウエスト美術文化博物館
1988年[450]、2010年 人形は元「ミス岐阜」。1988年に他の答礼人形と共に初めての里帰り(徳島そごう:5/20~5/29)を果たした。2010年には県内唯一の青い目の人形「アリス・ジョンストン」共に里帰り展示が行われた。
ミス香川 ノースカロライナ州ラレー市州立博物館 ノースカロライナ州
ノースカロライナ州立自然科学博物館
1998年 真珠湾攻撃による日米開戦の際にも、かつての人形を交えての友好を忘れない旨のメッセージを添えて、人形を展示し続けていた[487]。里帰りの際、「かおり」「さくら」「かこ」の3体の妹人形が寄贈された[488]
ミス愛媛 ミシシッピ州ガルフポート公立図書館 ミシシッピ州ガルフポート公立図書館
(後に行方不明)
初代が1969年8月のハリケーン「カミーユ」、2代目「ミスえひめちゃん」(1988年寄贈)[489]が2005年8月の「カトリーナ」により喪失。これら2体の失われた人形の絵が3代目として寄贈されることになった[395][490]
ミス高知 ペンシルヴェニア州ピッツバーグ市カーネギー自然歴史博物館 ペンシルバニア州ピッツバーグ
カーネギー自然史博物館
1993年 博物館に展示されているのは、旧「ミス埼玉」[462]。元のミス高知は行方不明。
ミス福岡
(通称不明)[466]
未定[491] オレゴン州ユージーン
ジョーダン・シュニッツァー美術館
1993年[492] 2000年に美術館改修の際に発見される。人形は元「ミス群馬」、持ち物は「ミス神奈川」の所持品[467]
ミス佐賀
鍋島肥佐子(なべしまひさこ)
ペンシルバニア州フィラデルフィア市商品陳列館 行方不明 閉館後の人形(当時は「ミス東京府(写真でのみ確認)」)は消息不明だったが、「ミス山口」として展示されていた人形が後に「ミス佐賀」と判明された。
ミス長崎
長崎瓊子(ながさきたまこ)
未定[491] ニューヨーク州ロチェスター市立科学博物館 2003年
2007年
「ミス青森」として保管されていた人形が、「ミス長崎」であることが2000年に判明。
2003年の里帰りの際、妹人形として鶴子(武文子・作)が合わせて寄贈された。
2007年の「青い目の人形と長崎瓊子展」では日本国内の「青い目の人形」など180体余りと共に展示された。
ミス熊本 ルイジアナ州ニューオーリンズ市州立博物館 行方不明
ミス大分 マサチューセッツ州スプリングフィールド市博物館及びウースター市美術館 マサチューセッツ州スプリングフィールド
スプリングフィールド科学博物館
1996年 人形は元「ミス岩手」。1996年8月、大分県立芸術会館で里帰り展示が行われた[493]
ミス宮崎
日向瓊子(ひゅうがたまこ)
ミネソタ州ミネアポリス市美術館 ミネソタ州ヘネピン中央図書館 人形自体は「ミス徳島」[494]。元のミス宮崎は現「ミス三重」。
ミス鹿児島
薩摩昭子(さつまあきこ)
アリゾナ州フェニックス市アリゾナ博物館 アリゾナ州フェニックス
フェニックス歴史博物館
2002年 鹿児島市金生町の山形屋にて12月5〜10日に里帰り展示が行われた。[495]
ミス沖縄
沖縄球子(おきなわたまこ)[496]
オハイオ州シンシナティ美術館 オハイオ州シンシナティ
シンシナティ美術館
元の人形は「ミス樺太」。1988年に一旦帰国しているが、沖縄県への里帰りは実現していない[450]
ミス樺太
樺太華子(からふとはなこ)[60]
デラウェア市博物館 デラウェア州ウィルミントン
デラウェア歴史協会(台座)
(旧外地) 近年「ミス長野」と判明するまで「ミス樺太」として展示されていた。人形は「ミス沖縄」として展示。
ミス台湾 カリフォルニア州ロサンゼルス市博物館 ロスアンゼルス
ロスアンゼルス国立自然史博物館
(旧外地) 台座の人形の方は出自不明。
ミス朝鮮 コネチカット州ハートフォード市児童博物館 コネチカット州
コネチカット科学協会

インディアナ州ヴァルパレーゾ大学ブラウア美術館
(旧外地)
ミス関東州
満州子(ますこ)[60]
ニューハンプシャー州マンチェスター市美術館及びバーモント州セント・ジョンスペリ・フェアバンクス博物館 ワシントン州ロザリー・ワイエル人形アート博物館(台座)
ニュージャージー州ストラッドフォード個人所有(人形)
(旧外地) 人形の方は1998年10月ニュージャージー州の骨董店にて購入。博物館の方は元の人形の出所は不明[497]

青い目の人形を題材にした映画・テレビ番組等[編集]

  • (参考)『青い眼の人形』 – 1926年の日本映画。但し、同名の楽曲からタイトルを取ったにすぎず、「青い目の人形」との関連はない。
  • (仮)『青い目の人形歓迎会の記録フィルム』 – 「青い目の人形」をはじめとした日米人形交流の当時の記録映画。日米同時に上映されたが、日本側のフィルムは現存せず、アメリカで近年になって発見された[498]
  • 『青い目の人形[499]』 – 1982年のアニメ映画。東映教育映画部制作。
  • 青い目の人形物語~平和の使者~』 – 1995年制作。埼玉県越谷市立大沢小学校の青い目の人形「ワーテラ・ヘズ」をモデルにした作品[500][501]。埼玉県平和資料館で毎日上映を行っている。
    • 映画制作 – 株式会社アスパクリエイト
    • 主な声役 – 丹下桜(主人公:和寺千夏)
  • ジュリーの海&空』 – 2011年上映。香川県内に唯一現存する「アナマ・ジュリー」をモデルにした映画。さぬき映画祭2011出展、審査員特別賞受賞。
  • 太平洋にかける虹』(アーカイブ) – 1992年3月20日[502]。制作:シナノ企画・東映アニメーション、原作:池田大作。1987年発表の小説[503]をもとに制作されたアニメ。中国人の少女が「青い目の人形」を通じて勇気を学ぶ物語。
  • 『スポットライト』 – NHKテレビ。1973年3月15日放送の『人形使節メリー』にて「青い目の人形」が取り挙げられ、後年の人形にまつわる運動へとつながった(関連番組:『歴史への招待』 – NHKテレビ。『青い目をした人形大使 知られざる移民哀史』(1982年2月6日放送))。
  • 『ウルトラマンレオ』 – TBSテレビ系列。第45話『恐怖の円盤生物シリーズ!まぼろしの少女』(1975年2月14日放送)に青い目のフランス人形が登場し、童謡『青い眼の人形』が歌われるシーンもある[504]
  • 『Gメン’75』 – TBSテレビ系列。第299話『青い目の人形バラバラ殺人事件』(1981年2月28日放送)に、戦前に日本に贈られたとされる青い目の人形(ニューヨーク州ロチェスターから贈られた「ルーズ・ナオミ」)が登場する。ちなみにこのストーリーは『特救指令ソルブレイン』(テレビ朝日系列)の第15話『人形は平和の使者』(1991年4月28日放送)でリメイクされている。
  • 青い目をしたお人形は』 – TBSテレビ系列。1983年11月12日放送。昭和初期、「青い目の人形」を受け取った女性と後の時代における人形との関わりを描いたドラマ。原作:武田英子。出演:広瀬珠実、藤谷美和子、南田洋子(それぞれの時代のヒロイン役)ほか。撮影当時現存の「青い目の人形」109体もドラマに出演している[505]
  • 『中学生日記』 – NHK名古屋放送局制作。1993年10月3日放送回の『青い目の人形』[506]には、愛知県・田峯小学校の「グレース・A・グリーン」が登場する[507]
  • 『先生の秘密』 – NHK松江放送局制作。2007年8月5日放送。島根県で見つかった青い目の人形「キャサリン」を扱ったテレビドラマ。

この外にも、「青い目の人形」に関するドキュメンタリー番組(自主制作を含む)や小説、絵本や紙芝居、演劇、楽曲も発表されている(外部リンクも参照)。

  • 大木ヘルスケアホールディングスが『大木合名会社』時代に昭和10年頃に掲載した幼児向けの化粧品『オーカ』の新聞広告には、「お人形のやうに、可愛らしいお子様のお肌は、お人形の肌のやうに、滑らかでなくてはなりません。」と、「青い目の人形」などの人形のイラストが描かれている[508]
  • 1989年6月2日、ふるさと切手の神奈川県版(62円・タイトル:「青い目の人形」、発行枚数1,250万枚[509]、モデルの人形は横浜市立本町小学校の「ブロッソン」と思われる)として発行された[510]
  • 2014年2月、JR深谷駅北口に、渋沢栄一没後80年を記念して「からくり時計」が設置された。時計には「青い目の人形」や答礼人形のイメージも盛り込まれている[511]。又、野口雨情ゆかりの北茨城市の磯原駅東ロータリーにも同様のからくり時計が設置されており、『青い眼の人形』などのメロディと共に「青い目の人形」のオブジェが出現する[512]
  • 2008年3月18日、愛媛県の「青い目の人形」の「フランセッタ」「ノーマ」「ピッティ」の3体に、2010年12月5日には兵庫県播磨町の「メリー」[513]、2016年3月12日には長崎県島原市の「リトル・メリー」[514]に特別住民票が交付されている。
  • 「青い目の人形」の身体的特徴や歴史的背景などから時々鑑定品を扱うテレビ番組や怪談の題材として取り上げられることもある。

ギャラリー[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ギューリックらによって結成された世界児童親善会は日本に限らず、1928年にはメキシコへ30,000個の学校かばん、1929-30年にはフィリピンへ28,000個の親睦宝石箱、1931年にプエルトリコへ6,000個の親睦宝石箱、1932年に中国へは20,000個の親睦ホルダーを友好の証として寄贈している。出典:To Clear up a Cloud Hanging on the Pacific Ocean: The 1927 Japan-U.S. Doll Exchange – Rui KOHIYAMA・著、武田・1985年 p.231、‘Messengers of Goodwill’: America’s Tokens of Friendship and Power。この手段は、当時の国際状況において外国の子供同士が直接触れ合う機会がない中での、自国内で量産できる人形などを象徴として、メッセージを互いに交換しあうことによって成立するものであると考えられた。その見返りも日本の答礼人形以外に、メキシコの手工芸品の展示やフィリピンからの子供用ラジオによる演説といった形で実現された。
  2. ^ 寄贈された人形の個数は資料により異なる。本記事にある12,739体は渋沢史料館提供の『青い目の人形にはじまる人形交流展(横浜人形の家・刊)』に記載された数であり、American Blue-eyed Dolls Locationsには12,294体、”Dolls of Friendship”(1930年刊)にはアメリカ各地より贈り出されたのが11,276体(武田・1985年 p.233〜238)、『渋沢栄一伝記資料第38巻』には13,357体(破損6)と記されている。この他、個人篤志家からの157体や各州代表人形も贈られている[1]。出典:親善人形の会ニュース第190号(SWFファイル) 2015年6月6日閲覧。又、後述の参考資料の”WELCOME TO THE AMERICAN DOLL MESSENGERS”によると、世界児童親善会から贈られた12,739体のうち諸事情により不適当となった704体を除き、日本側が受け取った人形の数は12,035体であり、そのうち破損した62体を除いた11,973体が分別され、10,761体が日本国内の学校や幼稚園などへ寄贈された。他の1,212体は文部省のストックとして保管され、外地の分を含めて分配された他、修繕した62体を含めたものが国内の学校などへ追加配分された(長嶺 p.256・257)。こうした「青い目の人形」が贈られた体数は文献によりまちまちであるため、本記事では広く用いられている冒頭の出典の12,739体のケースを適用する。
  3. ^ アラスカとハワイは当時は含まれていない。それぞれ1959年に州に昇格。
  4. ^ ギューリックの意図では子供たち一人一人に人形が配られることを望んでいたのに対し、全米から集められた人形が相対的に少なかったことから学校単位で配られることにより、児童全員に人形を紹介してもらうことで本来の目的を果たそうとしたのだろう[12]
  5. ^ 雛祭りが女の子のお祭りという性質上、旧制中学校には贈られず、高等女学校にも配布されたと思われる。
  6. ^ もっとも、当時の人形に対する処分が実際に対米政策として、軍の命令や文部省の通達によるものだったのかは、今となっては確証がない[21]
  7. ^ 「ママー」の機能は、童謡『青い眼の人形』でも歌われているように、日本に送られながらホームシックになり、故郷にいる母親を想う一方で、日本の児童たちに母親代わりに可愛がってもらう意図があると思われる。
  8. ^ みやぎ青い目の人形を調査する会ニュース No.11 2002.12.20によれば、「青い目の人形」の表現は特定の人種や身体的特徴を指す場合があるため、ギューリックも現在の3世に至るまで「青い目の人形」とは呼んでいない。実際、大半は白人の人形が贈られているが、中には黒人(愛知県田原中央小学校(青い目の人形HP))やアメリカ原住民[1]の人形が贈られたケースもある。これは、日本からの答礼人形を一部で「黒い目の人形」と呼ぶことに関しても同様といえる。
  9. ^ 「青い眼の人形」が流行した当時も、人形の歓送時の式典で歌われた「人形を迎える歌」「人形を送る歌」を始め、「青い目の人形」のブームにあやかって多くの楽曲やレコードが発表されたが、童謡の方の印象が大きかったせいか、多くは戦中までに忘れ去られてしまった。
  10. ^ 是沢 p.75〜76によると、ゴムやセルロイドは輸送中の劣化や破損の恐れが高いため、コンポジション・ドールの方が壊れにくい素材として採用された経緯がある。要するに、消耗の著しい玩具として輸入される人形とは異なり、友情人形は友好の証として長く愛されることを前提としたため丈夫な素材が求められていたのである。
  11. ^ ビスクドールには次のケースが考えられる。(1)第一次世界大戦後、ドイツの敗戦によりヨーロッパから職人がアメリカへ移住して製作された人形や、日本から輸出されたものの逆輸入、ヨーロッパから持ち込まれた個人所有のアンティックドールのようなもの (2)ヨーロッパで製作されたビスクのヘッドを輸入してアメリカで胴体や衣装などをこしらえた人形。[33]
  12. ^ コピーの人形のため、当然正規のパスポートは持っておらず、また友情人形にある目の開閉や「ママー」と泣く機能も付いていない(逆に加藤の著書にて友情人形の機能を備えたものも販売されていたという証言もある。おそらくメーカー仕様の人形を元に国内で拵えたものか、予め人形の身なりで独自に輸入したものと思われる)。
  13. ^ 前述の冊子には人形が10万体以上寄贈されることを望んでいたため(実際はその1/10程度が贈られた)、それを見込んだ数字と思われる。
  14. ^ “Uncle Sam”は頭文字が”U.S.”であることから、アメリカ合衆国政府や一般的なアメリカ人を指す言葉でもある。
  15. ^ こうした時代背景から、児童の人形に対しての扱いも時勢により変化が見られ、平和や友情を携えて迎え入れられたはずの「青い目の人形」も、日米開戦時には当時の新聞記事にも見られるような「仮面の親善使」とか「敵国のスパイ」として憎しみの対象になったと思われる。これに対しアメリカでは、人形計画が元々ギューリックをはじめとした世界児童親善会やキリスト教系の諸団体によって構成されたもので、彼らの博愛の精神は戦時中も変わることなく、寄贈された答礼人形に関しても日本と同様の一切の辱めを与えることはなかったから実に対照的である。
  16. ^ 戦前の日本の学校や幼稚園はほとんどが木造で災害に対して脆弱な造りだったことから、これらが起因して人形が失われたケースが戦時中同様に多かったのかもしれない。
  17. ^ 盗難に遭った人形はいずれも年代物のビスクドールだったため、希少価値があるものとして目を付けられていた。
  18. ^ 当時は不景気で普段は小遣いがほとんどなく、祭りの日に一銭で二個の饅頭が買える状況であったほどの欠食児童がいた有様だった。
  19. ^ 実際は「青い目の人形」の数に相当するプレゼントを贈る動きもあった。朝日新聞 昭和2年3月11日号『日本のお人形五十萬個をアメリカから注文し來る 製造地の埼玉鴻ノ巣町大喜び 念入りに作って四月中旬発送』には、埼玉県鴻巣市に4月中旬発送を目指して50万体以上の人形の受注があったほか、武田・1985年 p.27によると、ギューリックの方からも友情人形に対するお礼の手紙類とは別に、児童の絵画を納めたアルバムや、「友情袋」と称した小物の詰め合わせなどを贈るアイデアも出されていた。
  20. ^ 胡粉を塗り付けた人形の肌はアメリカで歓迎を受けた際、頬ずりやキスといった現地でのスキンシップの風習で傷んだこともあり、日本人形の仕上げに関する改良の起因にもなったといわれている[56]。同様に手先の可愛らしさから、握手の連続で手垢によって黒光りしたものもある[57]
  21. ^ 「青い目の人形」と同様に寄贈のメッセージや身分証明が書かれている。例:「ミス大日本」Name:Miss Hideko Yamato Eyes(colour):Black Hair(colour):Black Nose:Medium Mouth:Small Place of birth:Japan(ドラマ『青い目をしたお人形は』より。)。なお、パスポートは着物の袂に入れただけだったため、紛失してしまい、人形の名前が認識できないケースも多かった
  22. ^ 富士山三保子さん – すたっふどらいふblog 2016年6月25日閲覧。なお、煎茶道具等は紛失したため、2016年の里帰りの際に新調されたとのこと。煎茶道具は静岡県茶業組合より他の答礼人形にも寄付され、ミス岩手、ミス香川などの所持品としても現存する。
  23. ^ 鉄道での人形搬送は高額のためや輸送中の破損のおそれがあったことから17体までとした[68]
  24. ^ 友情人形と同じように学校単位で人形が配られず、各都市で歓迎を受けたうえで博物館などに寄贈される理由としては、多くのアメリカ人に日本の文化を知ってもらいたいという意図があったからである。[12]
  25. ^ 原典:『岩手日報』昭和2年3月30日付。但し誤りも一部あって、下閉伊郡(『岩手毎日新聞』昭和2年4月5日記載。)が抜けている。また、現存する人形の中にはリストにない学校も含まれている。
  26. ^ 是沢 巻中グラビア。朝日新聞 昭和2年3月17日号『皆さんこんちは きのふ箱から出た 青い眼のミス・アメリカ』によると、「これはニューヨークの”メリホレント コンミネア チャーチ”[220]からだしたもので最初の名は『アンナ・シェー』嬢といひ、その所持してゐる旅行免状(※現存せず)第三千二百九十七號には身長一尺二寸(約36cm)、眼は青く、髪は黄金色で鼻は大きく口は小さい(以下略)」とある。
  27. ^ 武田・1985年 巻頭口絵p.2には東京博物館展示の「人形の家」の写真(国立科学博物館所蔵)に「ミス・カリフォルニア」と思われる人形が写っている。参考URL:Doll House – Friendship Dolls
  28. ^ パスポートは紛失しているため確証はないが、日本に来た当時は、”Jennifer”[270](ジェニファー)として歓迎されていたと思われ、呼びづらいせいか訛って今の名前”Ginella”[271]になったのだろう。
  29. ^ 本来は寄贈者の名前にちなみ、「アン・マジュリー」と呼ぶのが正しいが、埼玉県越谷市立大沢小学校の「ワーテラ・ヘズ」の例にあるように、映画などで慣れ親しんだ名称で通っている。
  30. ^ 杉村 p.19 ※注:本文中の原典の『満州日日新聞』の1927年5月10日号は人形の写真の記載であり、記事の方は5月7日号のものである。
  31. ^ 「ミス大日本」は巡回訪問に加わらなかったため、取り違えの心配はなかった[452]

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参考資料[編集]

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  • DOLLS OF FRIENDSHIP (by Sidney L. Gulick,Friendship Ambassadors Press,1997)
  • Welcome to the American Doll-Messengers (Comittee on International Friendship Among Children in Japan,August 1927 非売品:親善人形を贈られたる米国各地の関係者に対し、我が国の状況を紹介する趣旨を以って作成)
  • 『渋沢栄一伝記資料』第38巻(公益財団法人 渋沢栄一財団・刊)
  • 『おかえりなさい答礼人形 青い目の人形交流展』 冊子 1988年 国際交流協会、朝日新聞社、そごう美術館・刊。
  • 是沢博昭『青い目の人形と近代日本:渋沢栄一とL.ギューリックの夢の行方』世織書房、2010年。ISBN 978-4-902163-56-8。
  • 武田英子『青い目をしたお人形は』太平出版社、1981年8月6日。
  • 武田英子『青い目の人形-写真資料集』山口書店、1985年。ISBN 978-4-8411-0105-8。
  • 武田英子『人形たちの懸け橋―日米親善人形たちの二十世紀』小学館文庫、1998年。ISBN 978-4094027211。
  • 高岡美知子『人形大使 – もうひとつの日米現代史』日経BP出版センター、2004年。ISBN 978-4-8222-4390-6。
  • 社団法人 横浜国際観光協会、横浜人形の家・著『青い目の人形にはじまる人形交流』、1991年6月1日。
  • 鈴野十朗『答礼哀歌』文芸社、2007年。ISBN 978-4-2860-2484-4。
  • 杉村孝雄『樺太-暮らしの断層』サッポロ堂書店、2000年。
  • 加藤昭雄『岩手県に残る青い目の人形』熊谷印刷出版部、2009年6月。ISBN 978-4-87720-314-6。
  • 埼玉県立歴史と民俗の博物館『NHK大河ドラマ特別展 『青天を衝け』 渋沢栄一のまなざし 図録』、2021年3月20日。 第5章 平和・民間外交
  • 福島県立博物館『福島県立博物館紀要第23号 2009 福島県における日米親善人形交流(榎陽介、木田浩・著)』p.247〜266
  • 長嶺壽俊『日向瓊子の遥かなる旅 -宮崎がつなぐ日米親善の絆 -(みやざき文庫シリーズ113)』鉱脈社、2015年5月。ISBN 978-4860615796。 – 一般財団法人 宮崎県教職員互助会
  • 末吉洋文 (2021-08-12). 奈良県に遺された4体の「青い目の人形」 : 渋沢栄一とギューリック博士が試みた日米親善(戦時下における奈良県の人々とその暮らし : 心に刻むべき歴史 1). 帝塚山大学. http://id.nii.ac.jp/1288/00001430/ 2021年9月15日閲覧。. 
  • 人形処分に関する記事

関連項目[編集]

外部リンク[編集]