パリの行政区 – Wikipedia

Paris plan jms.png

フランスの首都パリ市は、1795年以降、行政区に分けられている。
当初の行政区の数は12であったが、1859年6月16日の法律によって現在の20区に再編された。

現在、国レベルの統計ではカントンと同列に扱われているが、カントンと異なり、小郡選挙は行われない。パリの議員は、他の地域との対比でいえば、市会議員かつ県会議員である。
フランスでは、パリのほかリヨンとマルセイユでも市内が行政区に分かれている。

現在の行政区[編集]

フランスの首都パリ市は20の行政区に分けられている。

各区には固有の名が与えられているが、この名で呼ばれることは極めて稀であり、通常は1区から20区までの番号で呼ばれる。番号はローマ数字で表記されることもある。各区の番号は、市の中心から始まり時計回りにらせんを描くように付けられている。

各区はそれぞれ4つのカルチェ(地区)に分けられている。

表1: 各区・カルチェのコードおよび名称[編集]

※カタカナは一般的なフランス語カタカナ表記。 

INSEEコード1 郵便番号 カルチェ
75101 75001 I Le Louvre
ル・ルーヴル
01 – Saint-Germain-l’Auxerrois
02 – Les Halles
03 – Le Palais-Royal
04 – La Place-Vendôme
75102 75002 II La Bourse
ラ・ブルス
 
05 – Gaillon
06 – Vivienne
07 – Le Mail
08 – Bonne-Nouvelle
75103 75003 III Le Temple
ル・タンプル
09 – Les Arts-et-Métiers
10 – Les Enfants-Rouges
11 – Les Archives
12 – Saint-Avoye
75104 75004 IV L’Hôtel-de-Ville
ロテル・ドゥ・ヴィル
13 – Saint-Merri
14 – Saint-Gervais
15 – L’Arsenal
16 – Notre-Dame
75105 75005 V Le Panthéon
ル・パンテオン
17 – Saint-Victor
18 – Le Jardin-des-Plantes
19 – Le Val-de-Grâce
20 – La Sorbonne
75106 75006 VI Le Luxembourg
ル・リュクサンブール
 
21 – La Monnaie
22 – L’Odéon
23 – Notre-Dame-des-Champs
24 – Saint-Germain-des-Prés
75107 75007 VII Le Palais-Bourbon
ル・パレ・ブルボン
 
25 – Saint-Thomas-d’Aquin
26 – Les Invalides
27 – L’École-Militaire
28 – Le Gros-Caillou
75108 75008 VIII L’Élysée
レリゼ
29 – Les Champs-Élysées
30 – Le Faubourg-du-Roule
31 – La Madeleine
32 – L’Europe
75109 75009 IX L’Opéra
ロペラ
 
33 – Saint-Georges
34 – La Chaussée-d’Antin
35 – Le Faubourg-Montmartre
36 – Rochechouart
75110 75010 X L’Enclos-Saint-Laurent
ランクロ・サン・ロラン
 
37 – Saint-Vincent-de-Paul
38 – La Porte-Saint-Denis
39 – La Porte-Saint-Martin
40 – L’Hôpital-Saint-Louis
75111 75011 XI Popincourt
ポパンクール
 
41 – La Folie-Méricourt
42 – Saint-Ambroise
43 – La Roquette
44 – Sainte-Marguerite
75112 75012 XII Reuilly
ルイイ
 
45 – Le Bel-Air
46 – Picpus
47 – Bercy
48 – Les Quinze-Vingts
75113 75013 XIII Les Gobelins
レ・ゴブラン
49 – La Salpêtrière
50 – La Gare
51 – La Maison-Blanche
52 – Croulebarbe
75114 75014 XIV L’Observatoire
ロブセルヴァトワール
53 – Le Montparnasse
54 – Parc Montsouris2
55 – Le Petit-Montrouge
56 – La Plaisance
75115 75015 XV Vaugirard
ヴォジラール
 
57 – Saint-Lambert
58 – Necker
59 – Grenelle
60 – Javel
75116 75016 XVI Passy
パッスィー
61 – Auteuil
62 – La Muette
63 – La Porte-Dauphine
64 – Chaillot3
75117 75017 XVII Les Batignolles-Monceau
レ・バティニョル・モンソー
65 – Les Ternes
66 – La Plaine-Monceau
67 – Batignolles
68 – Les Épinettes
75118 75018 XVIII La Butte-Montmartre
ラ・ビュット・モンマルトル
 
69 – Les Grandes-Carrières
70 – Clignancourt
71 – La Goutte-d’Or
72 – La Chapelle
75119 75019 XIX Les Buttes-Chaumont
レ・ビュット・ショーモン
73 – La Villette
74 – Le Pont-de-Flandre
75 – Amérique
76 – Le Combat
75120 75020 XX Ménilmontant
メニルモンタン
77 – Belleville
78 – Saint-Fargeau
79 – Le Père-Lachaise
80 – Charonne


1. パリ市全体に対してはINSEEコード75056が割り当てられている。

2. 1937年まで、Parc-MontsourisカルチェはLa Santéカルチェと呼ばれていた。

3. 1896年まで、ChaillotカルチェはLes Bassinsカルチェと呼ばれていた。

表2: 各区の面積および人口[編集]

面積
(ヘクタール)
人口 人口密度 (人/km2)
1872 1954 1999 1872 1954 1999
I 183 74 286 38 926 16 888 40 593 21 271 9 228
II 99 73 578 43 857 19 585 74 321 44 300 19 783
III 117 89 687 65 312 34 248 76 656 55 822 29 272
IV 160 95 003 66 621 30 675 59 377 41 638 19 172
V 254 96 689 106 443 58 849 38 067 41 907 23 169
VI 215 90 288 88 200 44 919 41 994 41 023 20 893
VII 409 78 553 104 412 56 985 19 206 25 529 13 933
VIII 388 75 796 80 827 39 314 19 535 20 832 10 132
IX 218 103 767 102 287 55 838 47 600 46 921 25 614
X 289 135 392 129 179 89 612 46 848 44 699 31 008
XI 367 167 393 200 440 149 102 45 611 54 616 40 627
XII1 637 87 678 158 437 136 591 13 764 24 872 21 443
XIII 715 69 431 165 620 171 533 9 711 23 164 23 991
XIV 564 69 611 181 414 132 844 12 342 32 166 23 554
XV 848 75 449 250 124 225 362 8 897 29 496 26 576
XVI2 791 43 332 214 042 161 773 5 478 27 060 20 452
XVII 567 101 804 231 987 160 860 17 955 40 915 28 370
XVIII 601 138 109 266 825 184 586 22 980 44 397 30 713
XIX 679 93 174 155 028 172 730 13 722 22 832 25 439
XX 598 92 772 200 208 182 952 15 514 33 480 30 594
城壁内 8 699 1 851 792 2 850 189 2 125 246 21 287 32 765 24 431
ブーローニュの森 846
ヴァンセンヌの森 995
パリ 10 540 1 851 792 2 850 189 2 125 246 17 569 27 042 20 164


1. ヴァンセンヌの森を除く

2. ブーローニュの森を除く

過去の行政区[編集]

パリの旧行政区は、全12区で構成されていた。1795年の創設から1859年6月16日の法律によって現在の20区に再編されるまで存在していた。

歴史[編集]

フェルミエー・ジェネローの城壁を境界としていたパリの街は、1790年6月27日法により、48の地区(districts)に分割され、各地区はそれぞれの住民を持ち、それぞれに治安判事、区長と16人の副区長により運営される行政府及び30人の議員が置かれることになった。

1795年8月22日に制定された共和暦3年憲法第183条は、人口が10万人を超えるコミューンの分割について、少なくとも3つの行政区域に分けること、分割後の区域の人口が3万人以上5万人未満となるようにすることを規定していた。しかし、このような区割りは、余りに小さいと考えられる至り、共和暦4年葡萄月19日(1795年10月11日)法によって合併された。その結果、パリでは12の行政区が創設された。

1795年から1859年まで、この旧12区はそれぞれが4つの自治区(sections)に分けられていたが、これは、1790年に創設された48地区(districts)に対応していた。« section »(セクシオン) から、現在用いられている « quartier »(カルティエ。カルチエとも。)への語句の変更は、1811年5月10日の県知事アレテによってなされた[1]
1860年、パリがティエールの城壁内のコミューンを併合して拡張したことから、新たな区割りが実施された。これが、現在も実施されている、新たな20区であり[2]、いくつかの行政区はこのパリ拡張のときに拡張部分を単純に付け加えた形で創設された。

カルティエの詳細[編集]

12の行政区と48のカルティエに分割されたパリの地図(1843年)
カルティエ
I
  • Roule
  • Champs-Élysées
  • Place-Vendôme
  • Tuileries
II
  • Chaussée-d’Antin
  • Feydeau
  • Palais-Royal
  • Faubourg-Montmartre
III
  • Faubourg-Poissonnière
  • Montmartre
  • Mail
  • Saint-Eustache
IV
  • Banque
  • Saint-Honoré
  • Louvre
  • Marchés
V
  • Faubourg-Saint-Denis
  • Porte-Saint-Martin
  • Bonne-Nouvelle
  • Bon-Conseil
VI
  • Porte-Saint-Denis
  • Lombards
  • Saint-Martin-des-Champs
  • Temple
VII
  • Sainte-Avoye
  • Arcis
  • Mont-de-Piété
  • Marché-Saint-Jean
VIII
  • Marais
  • Popincourt
  • Faubourg-Saint-Antoine
  • Quinze-Vingts
IX
  • Cité
  • Hôtel-de-Ville
  • Île-Saint-Louis
  • Arsenal
X
  • Invalides
  • Faubourg-Saint-Germain
  • Saint-Thomas-d’Aquin
  • Monnaie
XI
  • Palais-de-Justice
  • École-de-Médecine
  • Luxembourg
  • Sorbonne
XII
  • Saint-Jacques
  • Observatoire
  • Jardins-du-Roi
  • Saint-Marcel

パリの拡張[編集]

1860年のパリ拡張による16区創設記念プレート

4世紀以降からのパリの市域(城壁)拡大図

  Aujourd’hui (現在)

1860年以前の行政区。灰色部分が2つの壁の間にあたる。

1853年以降セーヌ県知事を務めていたジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンは、毎日ブローニュの森から押し寄せる乗用車や乗用馬の渋滞を気にかけ、パッシー及びヌイイをパリに併合して、エトワール広場を拡張し、入市税関をポルト・マイヨ[3]へ移転させるという、後の「パリ改造」に繋がる構想を1856年頃から持っていた。

一方、ナポレオン3世は、セーヌ県に加え、ムードン及びセーヴルを一括する« Grand Paris »(大パリ)を夢想していた。そこで、アンリ・シメオン伯爵が率いる委員会を作り、その報告書で首都及びその行政区の改造を予め示させた。

それよりも何年か早かったティエールの城壁の建設は、いくつかのコミューンが壁によってコミューン内部で二分されるという特異な状況を引き起こした。他方で、ドゥラングル内務大臣は、ティエールの城壁とフェルミエー・ジェネローの城壁との間に存在する土地は、”パリの領土”として発展するほかないと主張した。

1859年、地図上で「左から右・上から下」へと順に区の番号を割り当てるという計画があったが、現在の16区が「13区」に該当したことから、その住民の反対に遭い、放棄された。すなわち、12区までしか存在しなかった当時、「第13区区役所で民事婚の式を挙げる」という言い回しは、正式な民事婚を経ずに同棲をすることを意味し、良俗に反する生活を暗示したからである。結局、現在のような渦巻き型で番号が振られることになり、人口の最も多かった現在の13区に13の数字が割り当てられた。

パリ市は1795年以降12の行政区に分けられていたが、1860年1月1日に市域の拡張にともない20の区に再編された。これはパリにティエールの城壁内の以下のコミューンを併合する1859年6月16日の法律が施行されたことによるものである。

  • 次のコミューンの全部
  • 次のコミューンの大半(これらのコミューンは廃止され、一部は他の近隣のコミューンに併合された)
  • 次のコミューンの一部
  1. ^ Atlas historique des circonscriptions électorales françaises, par Bernard Gaudillère.
  2. ^ 7072 — Loi sur l’extension des limites de Paris (du 16 juin 1859), Bulletin des lois de l’Empire français, XIV, XIe série, n°738, 3 novembre 1859, p. 747–751, reproduit sur Google Books.
  3. ^ 現在のパリ16区北西部とヌイイ=シュル=セーヌとの境界付近、グランダルメ大通りが走る周辺界隈。