ジョン・アクトン – Wikipedia
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主著に『自由の歴史』『フランス革命講義』がある。「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」の格言が有名である。
イタリアのナポリに生まれる。祖父は英国海軍将校でナポリの海軍提督・首相を歴任したジョン・エドワード・フランシス・アクトン。1843年からオスコット・カレッジ、次いでエディンバラ・カレッジ(現エディンバラ大学)で学ぶ。更に1848年にミュンヘン大学の学生となり、デリンガーのもとで暮らす。1855年、アメリカを訪れている。
1859年から英国に移住、シュロップシャー州の屋敷に長年暮らすことになる。同年から1865年まで下院議員を務めたが、議会の空気になじめず、政治活動にはあまり熱心ではなかった。ウィリアム・グラッドストンと親交を結び、その思想に大きな影響を与えた。また、母がグランヴィル卿と再婚したことからホイッグとつながりを持つようになった。1869年に男爵に叙される。晩年はケンブリッジ大学で近代史の教授を務めた。
主著に『自由の歴史』があり、自由主義の研究につとめ、『フランス革命講義』で、フランス革命を批判し続けたエドマンド・バークの哲学を体系的に継承し、その復活を試みた。ルソーとフランス革命を「功利主義」という偽装的な言葉で「現代化」したベンサムの英国型全体主義理論がJ・S・ミルによって社会主義へと発展している事態を憂慮して、バークを用いて反撃に出たのである[要出典]。ローマ教皇の無謬説を批判した。
アクトン卿の格言(Lord Acton’s epigram)[編集]
アクトンは、次の格言で有名である。
- Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.(「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」)[1][2]
この言葉は、1887年4月5日のen:Mandell Creightonへの手紙の中に書かれたものである[3]。この文の後に、アクトンは、「Great men are almost always bad men.(「偉人は殆ど常に悪人である」)」と続けている[4]。
- Lectures on Modern History (1906年)
- The History of Freedom and Other Essays (1907年)
- Lectures on the French Revolution (1910年)
脚注・出典[編集]
- ^ 成語大辞苑―故事ことわざ名言名句、主婦と生活社、p.410、1995年09月、ISBN 4-391-11756-8
- ^ レファレンス事例詳細 レファレンス協同データベース、国立国会図書館、2015年02月05日
- ^ [1]
Letter to Bishop Mandell Creighton, April 5, 1887 第7段落の第4文 Published in Historical Essays and Studies, edited by J. N. Figgis and R. V. Laurence (London: Macmillan, 1907) - ^ The meaning and origin of the expression: Power corrupts; absolute power corrupts absolutely The Phrase Finder
関連項目[編集]
- ヨハン・イグナツ・フォン・デリンガー – ジョン・アクトンと交流のあった、教会史家・司祭・復古カトリック教会の指導者
外部リンク[編集]
- Acton Institute
- Lectures on Modern History
- The History of Freedom and Other Essays
- Lectures on the French Revolution
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