鍋島宗茂 – Wikipedia

鍋島 宗茂(なべしま むねしげ)は、肥前国佐賀藩5代藩主。第2代藩主・鍋島光茂の十五男。

貞享3年(1687年)、鍋島光茂の子として生まれる。初名は直董(なおただ)。宝永2年(1705年)、次兄の神代直利(後の鍋島吉茂)が子のなかった長兄綱茂の養嗣子となったのに伴い、直利の養子となり神代家を相続、直堅(なおかた)に改名する。しかし、綱茂の跡を継いで藩主となった吉茂にも子ができず、享保3年(1718年)、実家に戻ってその嗣子となった(神代家は弟の直方(なおかた)が継承した)。享保15年(1730年)、吉茂の死去に伴い家督を相続する。将軍徳川吉宗の偏諱と鍋島家の通字により、宗茂と改名した。その前の享保11年(1726年)に焼失した佐賀城再建のための倹約と財政改革のため、広く人材を登用する。享保の大飢饉に見舞われ、借銀返済のため藩札を発行する。従四位下・侍従・信濃守に叙せられた。元文3年(1738年)に隠居し、家督を長男の教茂(宗教)に譲った。宝暦4年(1754年)に69歳で死去した。