ディオナー・ナバーロ – Wikipedia

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  • ディオネル・ナバーロ
  • ディオナー・ナバロ
  • ディオナー・ナバロー

ディオナー・ファビアン・ナバーロ・ヴィヴァス(Dioner Favian Navarro Vivas、1984年2月9日 – )は、ベネズエラのカラカス出身のプロ野球選手(捕手)。右投両打。フリーエージェント(FA)。

プロ入りとヤンキース時代[編集]

2000年に16歳でニューヨーク・ヤンキースに入団。マイナー時代から超有望株として知られ、ホルヘ・ポサダが移籍、引退した後の正捕手として期待されていた。

2004年9月7日にメジャーデビューし、初打席で初安打を記録している。この年は5試合に出場。

ドジャース時代[編集]

2005年1月11日にランディ・ジョンソンの交換相手の一人としてアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。同日、今度はショーン・グリーンの交換相手の一人としてロサンゼルス・ドジャースに移籍。ドジャースでも未来の正捕手として期待され、2005年は50試合に出場。

2006年はサンディー・アロマー・ジュニアを教育係に本格的に正捕手定着を目指したが、故障者リスト入りしているうちにラッセル・マーティンが正捕手に定着した。

レイズ時代[編集]

2006年6月26日にトビー・ホールらとのトレードで、タンパベイ・デビルレイズへ移籍。その直後に自動車の横転事故を起こした。

2007年は、前半戦打率が2割に届かないなど打撃は不調だったものの自己最多の119試合に出場した。

2008年は前半戦打率3割で折り返し、オールスター初選出。後半戦はやや失速し、打率3割を逃したが、攻守に渡ってレイズの球団初のリーグ優勝に貢献。

2009年は前年と打って変わって打率.218・8本塁打・OPS.583・盗塁阻止率26.5%と攻守に精彩を欠いた。

2010年も開幕から打撃不振に陥り、6月下旬からAAA級ダーラム・ブルズに降格。AAA級ダーラムでは43試合の出場で打率.284・2本塁打・OPS.777の成績を残した。

ドジャース復帰[編集]

2010年12月8日にドジャースと1年契約を結ぶ。

2011年も8月まで64試合の出場で打率.193、5本塁打、OPS.600と不振を極め、8月30日に自由契約となった。

レッズ時代[編集]

2012年1月16日、シンシナティ・レッズと契約を結んだ。

カブス時代[編集]

2012年11月15日にはシカゴ・カブスと年俸175万ドルと出来高25万ドルの1年契約を結んだ[1]

2013年10月31日にフリーエージェント(FA)となった。

ブルージェイズ時代[編集]

2013年12月2日にトロント・ブルージェイズと2年800万ドル(2014年が300万ドル、2015年が500万ドル)の契約を結んだ[2][3]

2014年は、シーズン通じてブルージェイズの正捕手格として起用された。自己ベストとなる139試合に出場し、自身初めて規定打席に到達した。打撃成績は、打率.274・12本塁打・69打点・3盗塁であり、2年連続での2ケタ本塁打と自己最高の69打点を記録した。得点圏打率は.343という高率だった。オフには、ドジャース時代のチームメートのラッセル・マーティンが移籍してきたため、トレード候補に浮上した[4]
しかし、移籍することなく2015年もブルージェイズで開幕を迎えた。マーティンが正捕手を務め、バックアップ捕手として54試合に出場し、打率.246・5本塁打・20打点という打撃成績を残した。守備面では、捕手を39試合で守って4失策を喫したが、盗塁阻止率は39%だった。オフの11月2日にFAとなった[5]

ホワイトソックス時代[編集]

2015年12月4日にシカゴ・ホワイトソックスと1年400万ドルの契約を結んだ[6]

2016年は移籍するまで正捕手格で起用され、85試合に出場。打撃成績は打率.210・6本塁打・32打点という内容だった。守備面では83試合でマスクを被ったが、8失策・守備率.987だった。

ブルージェイズ復帰[編集]

2016年8月26日にコルトン・ターナーとのトレードで、古巣ブルージェイズに復帰した[7]。ブルージェイズでは16試合に出場し、通算1000試合出場を達成したが、打率.182・3打点・DRS – 2と、攻守両面で寂しい成績だった。ホワイトソックスとの合計では、101試合で打率.207・6本塁打・35打点・1盗塁・OPS0.587・9失策・守備率.987・DRS – 14 (捕手守備は90試合)という成績だった。オフの11月3日にFAとなった[8]

ブルージェイズ退団後[編集]

2017年は所属球団なく、2018年7月31日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約。

2019年2月7日、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結ぶ[9]

プレースタイル[編集]

ヤンキースのマイナー時代、捕手としての能力が高いだけでなく、打撃でも期待が出来ることから、イバン・ロドリゲス(ニックネームはパッジ)に因んで、リトル・パッジというニックネームをつけられた。デビルレイズ移籍後は正捕手の座を手に入れたが、今一つ伸び悩みの感もある。強肩かつバットコントロールも上手い選手なのでチームからの期待は大きかったが、近年は正捕手の座を失い、出場機会は減少している。

兄のデウィスも野球選手[10]で、現在はリーガ・エスパニョーラ・デ・ベイスボルでプレーしている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]















O
P
S
2004 NYY 5 7 7 2 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .429 .429 .429 .857
2005 LAD 50 199 176 21 48 9 0 3 66 14 0 0 1 0 20 1 2 21 3 .273 .354 .375 .729
2006 56 216 193 23 47 7 0 4 66 20 1 1 1 1 20 2 1 33 6 .244 .316 .342 .658
TB 25 86 75 5 21 2 0 2 29 8 1 0 0 0 11 4 0 18 1 .280 .372 .387 .759
’06計 81 302 268 28 68 9 0 6 95 28 2 1 1 1 31 6 1 51 7 .254 .332 .354 .687
2007 119 434 388 46 88 19 2 9 138 44 3 1 7 5 33 3 1 67 11 .227 .286 .356 .641
2008 120 470 427 43 126 27 0 7 174 54 0 4 3 3 34 1 3 49 16 .295 .349 .407 .757
2009 115 410 376 38 82 15 0 8 121 32 5 2 8 3 18 1 5 51 14 .218 .261 .322 .583
2010 48 142 124 11 24 5 0 1 32 7 0 1 5 0 12 0 1 20 3 .194 .270 .258 .528
2011 LAD 64 202 176 13 34 6 1 5 57 17 0 0 3 2 20 4 1 35 3 .193 .276 .324 .600
2012 CIN 24 73 69 6 20 3 1 2 31 12 0 0 1 1 2 1 0 12 1 .290 .306 .449 .755
2013 CHC 89 266 240 31 72 7 0 13 118 34 0 1 0 1 23 1 2 36 4 .300 .365 .492 .856
2014 TOR 139 520 481 40 132 22 0 12 190 69 3 0 0 6 32 1 1 76 12 .274 .317 .395 .712
2015 54 192 171 17 42 7 0 5 64 20 0 0 0 4 17 1 0 29 0 .246 .307 .374 .682
2016 CWS 85 298 271 25 57 13 2 6 92 32 1 2 2 3 20 0 2 63 5 .210 .267 .339 .606
TOR 16 36 33 1 6 0 0 0 6 3 0 0 0 0 3 0 0 8 0 .182 .250 .182 .432
’16計 101 334 304 26 63 13 2 6 98 35 1 2 2 3 23 0 2 71 5 .207 .265 .322 .587
MLB:13年 1009 3551 3207 322 802 142 6 77 1187 367 14 12 31 29 265 20 19 518 80 .250 .309 .370 .679
  • 2018年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 68 (2004年)
  • 41 (2005年)
  • 30 (2006年 – 2015年、2016年途中 – 同年終了)
  • 27 (2016年 – 同年途中)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]