平野レミ – Wikipedia

平野 レミ(ひらの れみ 1947年3月21日 – )は、日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。本名は和田 レミ(わだ れみ)。旧姓は平野。

東京都台東区生まれ、千葉県松戸市で育つ。祖父は日本美術史家で法律家のヘンリイ・パイク・ブイ。父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーター、エッセイスト、映画監督の和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。長男の妻は女優の上野樹里。次男の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。従兄弟はトークライブハウス経営の平野悠。

料理番組を中心に活躍しているが、終始テンションが高く、息つく間もないほどの早口が特徴である。その明るいキャラクターがウケ、バラエティー番組(番組内の料理コーナー)にも「料理研究家」もしくは「料理愛好家」として出演している。

2007年公開のディズニー配給映画『レミーのおいしいレストラン』の日本でのプロモーションでは「料理親善大使」を務めた。

清水ミチコのモノマネレパートリーの1人でもあり、実際に『スタジオパークからこんにちは』にて共演している(元々は夫の和田を含めて家族ぐるみの交友はある)。清水は平野の暴走振りに呆れながらも、お笑いの才能に「素晴らしい人材」と感嘆した一幕があった[2]

『きょうの料理』などでの自由奔放な振る舞いと奇想天外な料理のアイディアから、「生きる(歩く)放送事故」と呼ばれる(番組名をもじって「狂の料理」ともあだ名されている)。

東京都立上野高等学校中退[3] 後、文化学院在学中、佐藤美子にシャンソンを学び、日航ミュージックサロンで歌手デビューする。

やがてTBSラジオのディレクターから声がかかり、TBSラジオ番組『キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲』内の、東京や関東近県の主にスーパーマーケット等の店頭等から公開生放送する番組コーナー『ミュージック・キャラバン』で久米宏とコンビを組み活躍。平野の回想によると、ラジオのディレクターに配られていたレコード会社の新人宣伝書で平野と辺見マリの写真が入れ替わって刷られていたことが原因で、ディレクターは本来、辺見と契約するつもりで平野と契約したという[4]

番組内での一般観覧者が参加する、TBSラジオカー(中継車)と同行した車両に搭載し、スピーカ部分には放送用のマイクを設置したジュークボックスから、番組側が選んだジュークボックスの「曲番号」で掛かる曲が「男性歌手か? 女性歌手か?」と当てるゲームで、曲のイントロが流れて正解が判るまでの短い時間、平野が繰り返し叫んだ「男が出るか! 女が出るか!」は、当時話題を呼んだ。また、生放送中に「ねえ久米さん、この(リスナーへの返礼品の)缶詰にベトコンの肉が入っているって本当?」と言ってしまった際には即座に久米からマイクで頭を叩かれ、足を蹴られて黙らされたといい、久米は当時のことを振り返るたびに「とんでもないやつと組まされてしまった」と笑いながら述懐している。

番組を聞いていたイラストレーターの和田誠が平野に惚れ込んだことが縁で、1972年に和田と出会って10日で結婚した。当初、和田は麻雀仲間だった久米に平野の紹介を頼んだが、久米は「絶対紹介しませんよ、あんな出歯! しょうがないですよ!!」と真剣に断った。なお、久米の回想によれば、正確には「あの人は絶対やめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ」だったという。久米は平野を誹謗中傷したわけではなく、普段の仕事で彼女の自由奔放ぶりに振り回されて散々苦労していたことから、それにより紹介したことで和田に一生恨まれることを怖れたためである。そのため和田は、仕方なくTBSラジオのディレクターに頼んだところ、こちらからも「紹介してもいいけど、責任は持ちませんよ」と言われてしまったという[5][6]

結婚後、一時は育児・主婦業に専念していたが、家庭料理の研究にも力を入れるようになり、料理研究家ならぬ「料理愛好家」として再び表舞台で活躍しはじめた。これは、両親が旨いもの好きという影響による。平野自身も舌が肥えており、久米によれば『ミュージック・キャラバン』のための移動中に途中の食べ物屋で昼食を摂る際にも、期待通りの味でなければ平気で「不味い!」と口外したために、久米はいつも辟易させられていたという。逆に期待を超える美味であれば、厨房に入って料理人に握手を求めるほど絶賛したという。

料理番組に初出演したのはNHKの『きょうの料理』。初出演した放送回で扱った料理は牛肉とトマトの炒物で、材料のトマトを手で握りつぶして調理したため、多くのクレームを受けることとなった[7]。後にこの料理は歳月を経て、同じNHKの『ごごナマ』で調理法も当時のままに再度紹介されている。トマトは、平野が初めて料理の楽しさを知った食材でもある[8]。放送内の「20分で晩ごはん」では20分以内に料理を作り終えてしまった際には、シャンソン歌手としての特技を生かし、余った時間でオリジナルソングを歌い尺を稼いだことがある。

歌手活動も継続しており、90年代にはテレビアニメの主題歌を担当したほか、コンサートへもときどき出演している。

レミパン・レミパンプラス[編集]

株式会社オダジマと共同開発した多機能鍋「平野レミの鍋 ドゥ! レミ・パン」(以下「レミパン」)を使って料理をすることが多い。レミパンはフッ素樹脂加工された平底のアルミニウム鍋ないしは深いフライパンで、蓋に可変式の蒸気穴がある。蓋の取手は蓋立てとしても機能する。また、平野が審査員を務める料理コーナーの景品にレミパンをプレゼントすることがある。主なレミパン支持者にグッチ裕三がいる。累計販売個数が150万個となる。

デザイナーに柴田文江を迎えた新型レミパン「レミパンプラス[9]」を2016年3月15日に発売。調理中、今まで置き場所に困っていた菜箸やヘラなどのツール類を、フライパンのハンドルに一時置きできるよう、マグネット内蔵ハンドルを開発し採用した。

その他商品[編集]

  • わたしの和だし[10](万能だしパック)
  • zipron[11](タオル一体型エプロン)
  • Mrs.remy(ミセスレミー)のタッチフード – 遊んで学べる食育アプリ[12]

メディア[編集]

主な出演番組[編集]

過去の出演番組[編集]

ほか多数

CM[編集]

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  • 誘惑のバイヨン(1970年、コロムビア・レコード)
  • チョッと気になるロック(1971年、コロムビア・レコード)
  • 明日の旅(1972年、コロムビア・レコード)
  • コン!コン!(1972年、コロムビア・レコード)
    • B面曲の「カモネギ音頭」は中川レオとの競作(中川版の曲名は「かもねぎ音頭」)。1975年に平和勝次とダークホースが一部の歌詞を変更してカバーし、渚ようこも2016年のアルバム『渚ストラット』でカバーした。
  • ちっちゃなおばけのうた/いないいないおばけ
  • お薬師さま(委託制作)
  • どうして(1977年3月、東芝、永六輔と共演)

アルバム[編集]

  • きかせてよ – シャンソン・ド・レミ(1988年、バンダイ・ミュージック・エンターテイメント)
  • ちいさな地球 和田誠・うたの絵本ちいさな地球(和田誠・作詞/作曲、ゲスト歌手・中山千夏、レコード:1977年、CD:1997年10月22日)
  • 私の旅(2006年11月15日、レミックス)

コンピレーション[編集]

主な著書[編集]

  • 『平野レミのお勝手ごはん』(2016年、宝島社)ISBN 9784800264442
  • 『平野レミの新・140字レシピ』(2016年、扶桑社)ISBN 9784594074586
  • 『わたしの和だし[18]』(2016年、ナツメ社)
  • 『平野レミのしあわせレシピ[19]』(2015年、自由国民社)
  • 『平野レミと明日香の「嫁姑ごはん物語」[20]』(2015年、セブン&アイ出版)
  • 『ド・レミの子守歌』(1977年、文化出版局,1984年、中央公論社)
  • 『平野レミ・料理大会』(1986年、講談社)
  • 『平野レミ・料理パレード』(1992年、講談社)
  • 『平野レミのエプロン手帖』(1995年、文化出版局)
  • 『平野レミのうまいもの教室』(1996年、日本放送出版協会)
  • 『笑顔がごちそう』(1997年、講談社)
  • 『平野レミの作って幸せ・食べて幸せ』(1998年、主婦の友社)
  • 『平野レミのごちそうレシピ』(1999年、小学館)
  • 『平野レミ・元気印のおかず屋さん』(1999年、文化出版局)
  • 『平野レミ・一見豪華ふう』(2000年、講談社)
  • 『平野レミのなんてったって、うちのご飯がいちばん!』(2000年、講談社)
  • 『気まずい二人』(三谷幸喜との対談集・ゲストとして登場、角川文庫)

注訳[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]