土宮 – Wikipedia

土宮(つちのみや)は三重県伊勢市豊川町にある伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の境内別宮である。第62回神宮式年遷宮では、2015年(平成27年)1月28日に遷御の儀が執行された[1]

土宮は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓にある外宮の別宮である。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる[2]

外宮の別宮は土宮のほか、境内に多賀宮(たかのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)がある。土宮は多賀宮に次ぎ古く、多賀宮・月夜見宮に次ぎ3位である。外宮境内にある別宮は、多賀宮・土宮・風宮の順に参拝するのが古来の習わしとされる[3]

正宮前の池の横の亀石を渡った先の石段の左に風宮が、右に土宮がある[4]。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。土宮の左手には外宮所管社の下御井神社がある。

土宮の祭神は、外宮所在地・山田の原の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)とされる[5]

度会行忠が1285年(弘安8年)に記した『神名秘書』では、山田原地主の大歳神、宇迦魂神、土御祖神の土宮3座と記載する[5]。また神体は大歳神と土御祖神が鏡、宇迦魂神が宝壺であったとする[5]

記録上の土宮の初出は997年(長徳3年)の『長徳検録』とされる。927年(延長5年)の『延喜式神名帳』には記載されていない。『長徳検録』とする根拠は、度会家行の『類聚神祇本源』での引用による。

『類聚神祇本源』によれば、『長徳検録』に外宮所管の田社33前の1座の土御祖社と記された[5]。「田社」は現在の末社に相当するものとされ、現在の摂社以下の扱いであった[5]

大治3年6月3日(ユリウス暦:1128年7月2日)、土御祖社は宮川の外宮禰宜の申請が朝廷に認められ、別宮に昇格し土宮となった[5]。そのころ度重なる宮川の氾濫に悩まされた外宮禰宜が、土御祖神が氾濫を治めたとして宮号を申請したものであった[5]

文永年間の遷宮では、土宮の瑠璃壺と鏡2面を大物忌が落したことで解任された[5]

皇大神宮に準じた祭事が行なわれ、祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)がある。幣帛を受けるようになったのは、別宮昇格以降と考えられる[6]。皇室の勅使は正宮と多賀宮のみに参行し、土宮には参行しない。

式年遷宮[編集]

土宮の第62回式年遷宮の諸祭と日程は以下の通りである[1][7]

2014年

  • 8月10日 – 立柱祭(りっちゅうさい)・上棟祭(じょうとうさい)
  • 9月15日 – 檐付祭(のきつけさい)
  • 10月25日 – 甍祭(いらかさい)

2015年

  • 1月26日 – 御戸祭(みとさい)・御船代奉納式(みふなしろほうのうしき)・洗清(あらいきよめ)
  • 1月27日 – 杵築祭(こつきさい)・後鎮祭(ごちんさい)・川原大祓(かわらおおはらい)
  • 1月28日 – 御飾(おかざり)・遷御(せんぎょ)
  • 1月29日 – 大御饌(おおみけ)・奉幣(ほうへい)

上記のうち、立柱祭・上棟祭・杵築祭・後鎮祭・遷御・奉幣は、今上天皇による御治定(ごじじょう、日程の御定め)に基づく[7]

土宮の社殿は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造である。神宮の境内別宮は基本的に南面しているが、土宮は東面している[8]。遷宮のための古殿地は通常は東西に並ぶが、土宮は南北に近い。別宮昇格直後に南面させるべきとの声があったが、従来のままとされた[8]。またの境内別宮は基本的に鳥居を持たないが、土宮は鳥居を持つ。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]