唄子・啓助のおもろい夫婦 – Wikipedia

唄子・啓助のおもろい夫婦』(うたこ・けいすけのおもろいふうふ)は、フジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ製作のトーク番組である。製作局のフジテレビでは1969年4月6日から1985年3月27日まで放送。

視聴者参加型の公開番組で、収録は東京都内のサテライトスタジオ → 山野ホールで行われていた。

番組は毎回2組の熟年夫婦を招き、司会の京唄子と鳳啓助が彼らに馴れ初めから結婚に至るまでのエピソードや夫婦の悩み事などを面白おかしくインタビューしていた。苦労話に対しては、唄子が目から大粒の涙をこぼすこともしばしばあった。籍を入れたのが戦中・戦後であったなどの事情により、結婚式を挙げられなかった夫婦を多数招いての「合同結婚式」企画を行ったこともある。

出場夫婦には、トークの終了後にプレゼントがあった。一方の夫婦には、東亜国内航空(日本エアシステムを経て現・日本航空)で行く国内旅行を、もう一方の夫婦には、ナショナル(現・パナソニック)のホームビデオに本番組出演テープを添えて贈呈していた。

エンディングでは、農村の未舗装の道で夫が引く荷車の荷台に妻が乗り、赤ん坊に授乳するフィルム映像を流していた。そして啓助が作った以下の詩をテロップで流していた。

夫婦、不思議な縁(えにし)で結ばれし男と女。もつれ合い、化かし合い、許し合う、狐と狸。夫婦、おもろきかな、おもろきかな。この長き旅の道連れに幸せあれ…。

番組は1985年3月いっぱいで終了し、16年間の歴史に幕を降ろした。

いずれも日本標準時。

  • 日曜 22:15 – 23:00 (1969年4月6日 – 1970年9月)
  • 日曜 22:15 – 22:45 (1970年10月 – 1971年9月26日) – 22:45以降に『ミュージック・ギャラリー』が編成されたことで15分縮小。
  • 日曜 23:00 – 23:30 (1971年10月3日 – 1983年9月25日) – 地域限定スポンサードネット番組『阪急ドラマシリーズ』のスポンサードネット対象から外れた局では、関西テレビ製作のネットワークセールス番組『凡児の娘をよろしく』(木曜 22:00 – 22:30)とセットの形で木曜 22:30 – 23:00 にスポンサードネットしていた局が多かった。それらの局では日曜23:00 – 23:30枠がローカルセールス枠扱いとなり、この時間帯にフジテレビ系列の遅れネット番組や他系列の番組を放送していた。
  • 土曜 0:10 – 0:40 (金曜深夜、1983年10月8日 – 1984年3月31日)
  • 水曜 0:20 – 0:50 (火曜深夜、1984年4月4日 – 1985年3月27日)

第10回参議院議員通常選挙の投票日となった1974年7月7日は、「唄子・啓助のおもろい選挙速報」と題して放送時間を22:00 – 24:00に変更。今井彬(当時フジテレビ解説委員)が開票速報を担当、当時参議院議員で今回の選挙では非改選だった木島則夫・望月優子・野末陳平がゲスト出演し、本番組と選挙速報を連動する形式をとった[7][8]

本番組は、後のフジテレビ開局50周年記念番組『フジテレビ50ッスth!』の第二夜『バラエティルーツの旅・あなたがいたから僕がいる 半世紀大感謝祭!!』で取り上げられ、番組がセットに用いていた実物の暖簾も紹介された。同特番にゲスト出演した唄子は、結婚してはいけないタイプとして「女癖の悪い男」をあげていたのに対し、司会の明石家さんまは「女優」をあげていた(唄子もさんまも離婚経験者であり、互いに前の配偶者を指して言っていた)。放送当時、これに該当する井戸田潤と安達祐実が離婚していた。

  1. ^ a b 『北國新聞』1969年4月6日付朝刊、テレビ欄。
  2. ^ 『北國新聞』1976年4月11日付朝刊、テレビ欄。
  3. ^ a b 『山陽新聞』1975年4月5日付朝刊、テレビ欄。
  4. ^ a b c 『愛媛新聞』1980年11月9日付朝刊、テレビ欄。
  5. ^ a b 『愛媛新聞』1972年7月2日付朝刊、テレビ欄。
  6. ^ 『熊本日日新聞』1975年4月6日付朝刊、テレビ欄。
  7. ^ 「テレビ時代の「おもろい選挙」」『放送文化』1974年9月号、日本放送出版協会、1974年、 2頁。
  8. ^ “参院選開票速報(テレビ欄)”. 朝日新聞: p. 20. (1974年7月7日)