ケニー野村 – Wikipedia

ケニー 野村(ケニー のむら、Kenny Katsuhiko Nomura[3]、1959年2月27日 – )は、日本の元プロ野球選手(捕手)であり、スポーツアドバイザーである。日本名は野村 克彦(のむら かつひこ)。

実兄は元プロ野球選手でスポーツ選手の代理人業を務める団野村。継父は元プロ野球監督の野村克也、異父弟として元プロ野球選手の野村克則が、異父母弟として継父・克也の前夫人との長男(団・ケニーより年下。克則より年上)がいる。娘はロサンゼルス・エンゼルス球団職員の野村沙亜也[4]

来歴・人物[編集]

1959年(昭和34年)、神奈川県出生[5]。父親は、日本に駐在していた東欧ユダヤ系アメリカ人であるアルヴィン・エンゲル(Alvin George Engel)、母親は日本人の伊東芳枝(後の野村克也夫人、野村沙知代)。東京都目黒区出身[1]

小学校から高校まで、セント・メリーズ・インターナショナル・スクール(東京都世田谷区)に学んだ。大学は、カリフォルニア工芸大学に進学したが[1]中退[5]。1978年(昭和53年)、母親の再婚が成立し、野村克也の継子となった。

1979年オフに、ドラフト外で広島東洋カープに入団し、2年間在籍。次いで1982年(昭和57年)からの2年間は日本ハムファイターズに在籍したが、最後まで一軍でプレーする機会はなかった。

その後は日本やアメリカで、スポーツアドバイザーとして活動している。2001年(平成13年)には、自伝であり、母親(野村沙知代)についての暴露本でもある著作を出版した[6]。また週刊新潮に掲載されたインタビューで沙知代がケニーに役員報酬として6000万円を支払っているという件につき「そんな事実はない」と沙知代の税金逃れの手口を暴露した[7]。翌年、巨額の脱税容疑で逮捕・起訴されていた母親に有罪判決が出たことを知った野村は、これらは自著が母親を追い詰めた結果であるとして、「正義が勝った」との感想を述べている[8]

現在は都内在住[9]

実母の野村沙知代[10]、実兄の団とは、それぞれ絶縁状態になっていたという。しかし継父の克也とは絶縁状態になっておらず、1年に何度か面会している。また、後述のインタビューでも「父が野球を教えてくれた」と感謝の意を語っている。また、2005年に克也の立会いの下、沙知代と和解。2017年には彼女の死の2週間前にも実家を訪ねたと語っている[11]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

  • 39 (1980年 – 1981年)
  • 61 (1982年 – 1983年)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]