NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルスショー – Wikipedia

『NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルスショー』(にっさんミッドナイトステーション ザ・きんグルスショー、英字表記:NISSAN Midnight Station The Kingles Show[1])は、1983年10月4日から1985年10月4日まで[2]TBSラジオで月曜日から金曜日(1984年4月から1985年3月まで月曜日から土曜日)の、24:00から25:00まで放送されていたラジオ番組。 TBSラジオから配布されていた番組表等に『ニッサンミッドナイトステーション ザ・欽グルスショウ』の表記も用いられている。 開始から1984年4月までは、『NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルス電リク60分』(にっさんミッドナイトステーション ザ・きんグルスでんリクろくじっぷん)というタイトルで放送された。 一貫して日産自動車(NISSAN)一社提供による冠スポンサー番組だった。 当時萩本欽一のバラエティ番組にレギュラー出演し、欽ちゃんファミリーと言われていたタレントたちが日替りで出演。関根勤、小堺一機、斉藤清六、山口良一はこの前の時間帯、21時〜23時台で放送されていた『るんるんナイト ワオ!』のパーソナリティから引き続きこの番組に出演した。関根、小堺のコサキン(るんるん時代まではコサラビ)コンビはこの後も2009年3月までTBSラジオでパーソナリティを務め続けた。 タイトルはキング(萩本欽一)以外の欽ちゃんファミリーの番組ということで「キング留守」から命名。 初期の頃は前番組『そこのけ!電リク60分』から引き続き電リクという形式は引き継いだが、本番組ではバラエティ色が強くなっていた。1984年4月からは土曜日の同じ時間で放送されていた『そこのけ!電リク ザ・ベスト10』の枠を吸収し、月曜日から土曜日までの放送となった。なお、1985年4月には土曜日枠が無くなり、再び月曜日から金曜日までの放送となる。 番組のテーマ曲とジングルは中原めいこの歌によるもの(タイトル「アナタの魔法にかかりそう…」

Continue reading

新宅冨士夫 – Wikipedia

しんたく ふじお 新宅 冨士夫 プロフィール 出身地 日本・広島県三次市 生年月日 (1947-08-31) 1947年8月31日(74歳) 最終学歴 広島大学 職歴 元広島テレビ アナウンサー元広島テレビ 福山支社長三次ケーブルビジョン社長 活動期間 1969年 – 担当番組・活動

Continue reading

八尾市立図書館 – Wikipedia

八尾市立図書館(やおしりつとしょかん)は、大阪府八尾市にある公共図書館。八尾市が管理運営する図書館には八尾図書館(移動図書館を実施)、山本図書館、志紀図書館、龍華図書館がある。 1977年(昭和52年)12月に「八尾市図書館条例」が公布され、八尾市農業協同組合本店の建物を買い取り、3階建ての図書館として改装し、1978年(昭和53年)1月17日の条例施行と同日に八尾図書館が八尾市本町二丁目1-12に開館した。開館当時の蔵書冊数はわずか3万5000冊であった[3]。同時に1975年(昭和50年)に運行を開始した公民館自動車文庫を移動図書館として編入した。翌年1979年(昭和54年)7月には、移動図書館の愛称を市民募集し、「ふれあい号」に決定した。 1983年(昭和58年)には東大阪市・柏原市と「図書館に関する基本協定」を締結、発効し、3市図書館相互利用がスタートした。また、1988年(昭和63年)には図書館開館10周年を記念して、記念誌「八尾市立図書館10年の歩み」を12月に発行した。 1993年(平成5年)11月には、山本地区・志紀地区に八尾図書館と同規模の地域図書館の整備が決定され、1996年(平成8年)6月20日に山本図書館が八尾市山本町一丁目8-11に、同年11月27日に志紀図書館が八尾市志紀町西一丁目3に相次いで開館した。 1997年(平成9年)11月には図書館のウェブサイトが開設され、インターネットによる図書館サービスを開始した。 1998年(平成10年)には20周年を迎え、記念誌「八尾市立図書館20年の歩み」を発行した。また、2004年(平成16年)4月16日には「平成16年度子ども読書活動優秀実践図書館」として文部科学大臣賞を受賞、2008年(平成20年)には30周年記念誌「八尾市立図書館30年の歩み」を発行している。 サービス[編集] 画像外部リンク 読書通帳 – 八尾市の特産である枝豆のキャラクターが描かれている。 特徴的なサービスとしては、八尾図書館の移転に伴って、2014年4月から導入された、借りた図書の書名や借りた日付などを預金通帳のように記録する「読書通帳」と、それらを自動で印字してくれる「読書通帳機」がある[7]。これは、近畿地方の図書館としては初めての試みであり[7]、導入後における児童の図書貸出冊数は倍増近くまで増えた[8]。通帳は専用のものでないと受け付けない[7]。 「読書通帳」導入当初は、市内に在住・通学する小学生以下の子どものみに無料で「読書通帳」を配布していた[7]が、中学生以上の年齢層でも「読書通帳」を使いたいという声が多く寄せられたため、翌年の4月から、無償での配布対象を中学生以下に拡大し、それ以上でも有償で交付を受けることができるようになった[9]。2017年現在では、市内在住の妊婦にも無償で提供している[10]。また、それ以外の利用者でも貸出券があれば有償で作ることができる[10]。 読書通帳などの試みが「子どもが積極的に読書活動を行う意欲を高める活動について優れた実践」であると評価され、2016年度に「子ども読書活動優秀実践図書館」に選ばれ、文部科学大臣賞を受賞している[11]。 貸出・予約・返却[編集] 貸出サービスは、貸出券(借出カード)がある者に限られている。貸出券は、以下のいずれかに該当する者のみが交付を受けることができる。 八尾市に在住・在勤・在学する者 大阪市に在住する者(1961年の「大阪市並びに八尾市の行政上の協力に関する協定」による) 東大阪市・柏原市に在住する者(1983年の「図書館に関する基本協定」による) 大阪狭山市・河内長野市・富田林市・羽曳野市・藤井寺市・松原市に在住する者(2012年の広域利用協定による[註

Continue reading

ランデブークイズ・ペアでハッスル – Wikipedia

『ランデブークイズ・ペアでハッスル』は、NETテレビ系列局ほかで放送されていた毎日放送製作のクイズ番組である。住友グループの単独提供。NETテレビ系列局では1968年10月24日から1971年3月25日まで、毎週木曜 19:30 – 20:00 (日本標準時)に放送。 『野生の王国』(毎日放送製作)の休止期間中に放送されていた視聴者参加型番組で、スポンサーも同番組から引き続き住友グループが務めていた。 番組には、毎回一般人の夫婦・親子・兄弟などが2人1組のチームを組んで出場していた。出場チームは4組で、1人ずつひな壇型のゴンドラに乗ってクイズに答えていた。クイズはチームメンバーそれぞれのゴンドラを左右めいっぱいに離した状態で始まり、正解するごとに乗っているゴンドラが内側に1点ずつ進み、不正解するごとに外側に1点ずつ下がっていくという方式。出されるクイズは全問○×クイズ。 先にメンバーそれぞれが7点ずつを取り(合計で14点)、両者のゴンドラが中央にまで到達(ランデブー)できたチームはゴールインとなり、最後に「ペア賞」を賭けてのチャレンジクイズ「ペア賞に挑戦!」に挑戦できた。これに正解したチームには、優勝賞品として海外旅行(アメリカ、ハワイ、ソ連、東南アジアのいずれか)と副賞の賞金10万円獲得となる。 司会は、当初は毎日放送アナウンサーの高村昭が務めていたが、後に大村崑と交代した。出題は安西愛子が担当していた。 第1回では、一般人ではなく芸能人夫婦が出場するゲスト特集を行った。この回には田宮二郎・藤由紀子チーム、宗方勝巳・長内美那子チーム、大瀬康一・高千穂ひづるチーム、山崎唯・久里千春チームが出場した。 ゲスト特集で、桂歌丸・林家木久扇(当時・木久蔵)のペアがペア賞を達成して、東南アジア旅行を獲得している。二人はハワイにするか、東南アジアにするかと言っていたが、結局東南アジア旅行にした。 最終回では、上方落語家の師匠と弟子がペアを組んで出場する上方落語家特集を行った。この回には桂小文枝・桂三枝チーム、笑福亭松鶴・笑福亭仁鶴チームなどが出場した。 当初はゴンドラにチームを示すマークとしてハート、スペード、ダイヤ、クラブが描かれていたが、後に『アップダウンクイズ』(毎日放送)と同じ丸囲み数字の①、②、③、④に変更された。 当時はVTRの規格が2インチで機器・テープ共に高価だったうえ、著作権法などの絡みで番組の資料保存が制約されていた事情もあり、MBS千里丘ミリカセンター内のアーカイブ室に映像はすべて現存しておらず、MBS社内で記録スチール写真が数枚現存しているのみである。 1968年10月24日付の朝日新聞関東版朝刊のテレビ欄、「テレビ・メイト」(1969年8月号「あなたはクイズ人間か?」2~7ページ、NETテレビ広報部刊)に第1回目のスチール写真が掲載されている。 また2010年に発刊された、元毎日放送の金子俊彦著「放送の世界に生きて」(風詠社)の157頁に、大村時代の当番組の写真が掲載されている。 ネット局[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ランデブークイズ・ペアでハッスル” – ニュース · 書籍 · スカラー ·

Continue reading

爆音列島 – Wikipedia

『爆音列島』(ばくおんれっとう)は、髙橋ツトムによる日本の漫画作品。『月刊アフタヌーン』(講談社)にて、2002年12月号から2013年1月号まで連載[4][1]。『ヤングキング』(少年画報社)にて2016年15号から2020年7号までリバイバル連載された[2][3]。2018年8月に創刊の『ヤングキングBULL』(同)創刊号の表紙を本作が飾り、新作エピソードが掲載[5]。同誌同年10月号にも新たなエピソードが掲載された[6]。 1980年代の東京品川区を舞台に、中野区から転校してきた主人公タカシが暴走族ZEROS(ゼロス)に入り、世間や時代に逆らいながら自分の存在意義を見出していく様を、当時の時代風俗とともに描いている。 暴走族を理想化せず、社会との軋轢や抗争の中の倦怠感、暴力団との関係などを描写しているのが特徴。作者の髙橋ツトムも青年時代に暴走族に所属していたことがあり、インタビュー記事では「自伝的作品」として扱われている[7]。同インタビューによれば1980年代初頭の時代背景のほか、主人公の高校中退や二人の友人の事故死なども、すべて作者自身の体験に基づいて描かれているとのこと。 あらすじ[編集] この節の加筆が望まれています。 (2020年11月) 前半[編集] タカシ中学生編(1巻 – 2巻) 中学3年生の春、中野区から品川区に転校して来たタカシは同級生で不良グループのリーダー格であるマニヨンと出会い親しくなる。さらにマニヨンの友人であるミッツの兄が暴走族の幹部であり、次世代のメンバーにと勧誘を受け、中学3年の7月に暴走族「東狂連盟ZEROS」に参加。また、学内生活や他の中学の不良グループとの抗争も描かれる。 タカシ高校生編(2巻 – 7巻) 高校入学後、さまざまな暴走族との抗争や警察の取り締まりに巻き込まれていく。仲間が敵対する暴走族や警察に捕まった後に自首を果たすエピソード、後輩のボンドの登場や親友であるマニヨンの事故死などが描かれる。そして、高校1年の9月に高校中退する。 中盤[編集] タカシ高校生中退後編(8巻 – 13巻) 高校中退後、ZEROSのリーダーである綾瀬の実家の運送業で下働きしながらZEROSの幹部へと成り上がって行く。各他支部の訪問や他の暴走族との抗争の数々が描かれる。

Continue reading

宍戸梅軒 – Wikipedia

この項目では、吉川英治の小説『宮本武蔵』に登場する架空の人物について説明しています。明治から昭和にかけての俳人については「宍戸梅軒 (俳人)」をご覧ください。 宍戸 梅軒(ししど ばいけん)は、剣豪・宮本武蔵の伝記『二天記』に登場する伊賀国の鎖鎌の使い手「宍戸某」なる人物を元に、吉川英治が小説『宮本武蔵』において脚色・創作した登場人物である。 小説では「宍戸八重垣流」という流派を自ら編み出した鎖鎌の達人で、慶長10年(1605年)に宮本武蔵と決闘を演じた。 『宮本武蔵』の登場人物の中でもとりわけ個性的な魅力に富み、人気が高い。「鎖鎌」という個性的な武具を操る。武蔵との決闘場面は、作品前半を彩る鮮烈なエピソードのひとつであり、映画化作品等においてもまず欠かせない見せ所となっている。宍戸梅軒はいわゆる求道的「武芸者」としては描かれておらず、野武士集団の頭目であり、武芸というよりは殺傷術の一つとして自らの鎖鎌の技を鍛錬している。いまだ道としての「剣」に目覚めていない、荒くれ者の痕跡を残した小説前半の新免武蔵にとって、いわば「自らに近しい何者か」として現れる敵であり、その成長過程において乗り越えられるべき壁として描かれた、と言って良いだろう。 モデルとなった宍戸某は、『二天記』における記載のほかに実在を示す証拠はない。また『二天記』は史料性に乏しく、この記載自体も武蔵の死後に付け加えられたものだと一般に考証されている。 「宍戸梅軒」の名前については、福島県で活動した実在の俳人である宍戸梅軒から取ったと考えられる。大正の初め、本格的に作家活動を開始する以前の吉川と、この宍戸梅軒が山梨県の旅先で知り合い、意気投合して深夜まで語り合ったという逸話が伝わっている。 関連項目[編集]

Continue reading

松井和則 – Wikipedia

この存命人物の記事には、出典が全くありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “松井和則” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年3月) 松井 和則(まつい かずのり)は、関東学院大学学長であり、工学部物質生命科学科(旧工業化学科)の教授である。 目次 1 学歴 2 研究 3 その他 4

Continue reading

松井栄一 – Wikipedia

松井 栄一(まつい しげかず、1926年12月1日 – 2018年12月3日)は、日本の国語学者。『日本国語大辞典』第1版と第2版の編纂過程で編集委員として中心的役割を担った。武蔵大学助教授、山梨大学教授、東京成徳大学教授を歴任。『大日本国語辞典』の編者松井簡治の孫に当たる。父は簡治の子で同辞典に関わった松井驥。運輸事務次官を務めた松井和治は弟。俳人の大須賀乙字は義理の伯父(父の姉の夫)[1]。 目次 1 人物 2 著書 2.1 単著 2.2 共著編 3 参考 4 脚注 5 外部リンク

Continue reading

宇都格 – Wikipedia

宇都 格(うと いたる、1984年5月20日[1] – )は、鹿児島県いちき串木野市出身の元プロ野球選手(投手)である[1]。現在はプロダーツプレイヤー[1]、ダーツバーの経営者を務める。 来歴・人物[編集] 野球選手[編集] 高校では2年秋の県大会で準優勝[1]。九州大会出場を果たしたが、準々決勝で長崎南山高に敗れセンバツ出場はならなかった。3年夏は県大会ベスト8に終わるが、長身から投げ下ろす、140キロ台後半の速球派として注目を集めた。 2003年、ドラフト5位で近鉄に入団。新人年は2軍で6試合で防御率3・78とまずまずの成績を残すが翌年はイップス気味で制球難となり[1]、7試合で防御率15・63と不調に終わる。2005年、選手分配ドラフトでオリックスへ移籍した。しかし、登板はしないまま戦力外通告を受け、わずか3年で現役を引退した[1]。 印象に残る試合として1年目の4月16日の広島戦(藤井寺球場)を挙げている。初先発し、4回まで1失点に抑えるが初勝利目前の5回2死2塁の場面で交代された。そして1か月後の5月13日の中日戦(藤井寺)では5回2死でまたもピンチを招き、投手コーチがマウンドに来て交代かと思われたが、「リベンジしろ」と言われて続投、続く4番・高橋光信を三振に抑え、プロ初勝利を勝ち取った。高橋は1軍でも活躍した選手だったため、「あれには燃えましたね」と振り返っている[2]。 引退後[編集] プロ野球選手引退後は上京し、飲食店勤務を経て、ダーツバー経営会社に勤務[1]。ソフトダーツ界で活躍している。2009年ダーツプロトーナメント「PERFECT」に参戦[1]、デビュー戦を優勝で飾った。現在では自身の使用アイテムをモデルとした商品も販売されている[1]。2013年3月、ダーツバー「飲ん兵衛GLOBE」のオーナーに就任した。 詳細情報[編集] 通算投手成績[編集] 一軍公式戦出場なし 二軍公式戦の通算成績は13試合、1勝2敗、防御率7・04。 背番号[編集] 52 (2003年 –

Continue reading

サクラサクミライコイユメ – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “サクラサクミライコイユメ” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年9月) 「サクラサクミライコイユメ」 yozuca*/CooRie の シングル 初出アルバム『soleil*garden(yozuca*)秋やすみ(CooRie)』 B面 未来へのMelody リリース 2003年7月24日 規格 マキシシングル

Continue reading