ダイソン (駆逐艦) – Wikipedia

DD-572 ダイソン

海上のダイソン(1943年9月30日)

基本情報
建造所 コンソリデーテッド・スチール
運用者  アメリカ海軍
 ドイツ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級駆逐艦
艦歴
起工 1941年6月25日
進水 1942年4月15日
就役 1942年12月30日(アメリカ海軍)
1960年2月17日(ドイツ連邦海軍)
退役 1947年3月31日
その後 1960年2月17日にドイツ海軍へ譲渡
改名 Zerstörer 5 (D-179)
要目
排水量 2,050トン
全長 376ft 6in(114.76m)
最大幅 39ft 8in(12.09m)
吃水 17ft 9in(5.41m)
機関 蒸気タービン、2軸推進 60,000shp(45MW)
最大速力 35ノット(65km/h)
乗員 329名
兵装 5インチ砲5門
40mm機関砲10門
20mm機関砲7門
21インチ魚雷発射管10門
爆雷投射機6基
爆雷軌条2基
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ダイソンUSS Dyson, DD-572)は、アメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦。艦名はチャールズ・W・ダイソン英語版少将 (1861年 – 1930年)に因む。

アメリカ海軍[編集]

ダイソンは1942年4月15日にテキサス州オレンジのコンソリデーテッド・スチール社にて進水、1942年12月30日にロイ・アレクサンダー・ガノ中佐指揮下にて就役した。

第二次世界大戦[編集]

1943年[編集]

東海岸やカリブ海での護衛任務の後、ダイソンは1943年5月14日ニューヨークを出航し、太平洋に向かった。ヌメアの第36任務部隊 (TF36) に参加し、ヌメアとエスピリトゥサント島からソロモン諸島への侵攻における哨戒および護送船団の護衛を行った。8月にはソロモン諸島での行動を開始し、9月3日から4日にかけての夜、プリングルと共に水道を哨戒していた際、チョイスル島およびコロンバンガラ島にて日本軍の艀を攻撃し、3隻を沈めた。9月の後半には同様の不明船に対して一斉射を行ったが、不明船は炎上しながら姿を消した。

1943年10月にエスピリトゥサント島に戻ったダイソンは、第23駆逐戦隊と共にブーゲンビル島のトロキナ岬の上陸を支援するために出航し、11月1日にはブカとショートランド諸島の飛行場を攻撃し、連合国の上陸地点を攻撃しようとした日本軍航空機の離陸を妨害した。その夜のブーゲンビル島沖海戦では第39任務部隊は輸送船を攻撃するために航行していた日本軍を迎撃した。ダイソンと他の駆逐艦による魚雷攻撃と砲撃は日本軍の巡洋艦と駆逐艦を撃沈し、他4隻に損害を与えることに貢献した。

ダイソンは 11月17日にブカ飛行場の爆撃に参加し、11月24日と25日の夜にはセント・ジョージ岬沖海戦に参加した。この戦いではアーレイ・バーク司令官の駆逐艦が3隻の日本の駆逐艦を撃沈、さらに2隻に大きな損傷を負わせ、第23駆逐戦隊は死傷者なしの大勝利を収めた。

1944年[編集]

1944年、艦の砲塔のスコアボードには、商船2隻撃沈、軍艦3隻撃沈、海岸砲台8基撃破、航空機7機撃墜が示されている

ダイソンは1944年3月までソロモン諸島に留まった。ブーゲンビル島の海岸へ威嚇砲撃を行い、日本の援軍がソロモン諸島北部に到達するのを阻止するためラバウルへの航路を哨戒した。2月にグリーン諸島侵攻のため支援部隊に参加し、ニューアイルランド島沖で日本の船を攻撃、カビエンへ砲撃を行った。2月22日には貨物船2隻、機雷敷設艦1隻、巡視船1隻、艀2隻を撃沈し、ダイソンはクラウディア・マルから連れ去られた73名の捕虜のうち31名を確保した。2月23日、デューク・オブ・ヨーク諸島の海岸を砲撃し、3月にエミラウ島の侵攻を支援するために第31任務部隊に参加した。

ダイソンは1944年3月25日に第58任務部隊に加わり、3月30日から4月1日にかけてパラオ、ヤップ島、ウルシー環礁、ウォレアイ環礁を爆撃する空母を護衛した。4月21日から23日にはホーランジアの戦いに参加し、4月29日から5月1日にかけてトラック、サタワン環礁、ポナペを攻撃した。マジュロにて補給を受け、サイパンとパガンへの侵攻に先がけてボニン諸島への陽動のため6月に再び第58任務部隊と出撃し、フィリピン海の戦いでは空母を護衛した。その後マリアナ諸島の侵攻に参加しグアムとロタ島沖にて日本の艦船へ砲撃を行った。

西海岸にてオーバーホールを行った後、ダイソンは11月にウルシー環礁で第38任務部隊に加わり、ルソン島、台湾、中国沿岸、南西諸島の攻撃に参加し、レイテ島の戦いおよびルソン侵攻を支援した。

1945年[編集]

1945年2月に任務のため第78任務部隊に加わり、サンペドロ湾からスービック湾への護送船団を護衛し、コレヒドール島攻略では哨戒および火力支援を行った。2月26日、掃海艇サウンター(USS Saunter, AM-295)が損傷を受けた際、負傷者の救助活動を支援した。ダイソンは引き続きフィリピンで任務を遂行し、パナイ島、ネグロス島、ミンダナオ島への上陸を支援した。

1945年5月16日に沖縄に到着し、終戦まで哨戒、索敵、護衛、海上救助に従事した。ダイソンは9月10日にアメリカに向けて出航し、10月17日にワシントンD.C.に到着した。その2日後、ジェームズ・V・フォレスタル海軍長官は1943年から44年にかけてのソロモン諸島での功績により、23駆逐艦隊に大統領殊勲部隊章を授与した。

その後はサウスカロライナ州チャールストンの海軍基地に配備され、1947年3月31日に退役するまで電力供給に使用された。ダイソンは1960年2月17日に西ドイツに譲渡された。

ドイツ連邦海軍[編集]

1974年の駆逐艦Z5

ドイツ連邦海軍では Zerstörer 5 (D-179) として運用された。Zerstörer5は1982年2月に予備部品を提供するためギリシャに譲渡された。

従軍星章[編集]

ダイソンは第二次世界大戦中の功績により11個の従軍星章を受章した。

関連項目[編集]

  • アメリカ海軍艦艇一覧
  • アメリカ海軍駆逐艦一覧

外部リンク[編集]