出羽仙台街道 – Wikipedia
出羽仙台街道(でわせんだいかいどう)は、江戸時代に陸奥国の最大都市である仙台藩・仙台城下町(現・宮城県仙台市。地図)と、西廻海運の起点である庄内藩の港町酒田湊(現・山形県酒田市。地図)とを結んだ街道のうち、奥羽両国を隔てる奥羽山脈を超える区間、すなわち、吉岡宿(宮城県黒川郡大和町吉岡。地図)から舟形宿(山形県最上郡舟形町。地図)までの区間の通称[1]。
現在では特に「出羽仙台街道中山越」として史跡指定されている県境の区間、すなわち、宮城県大崎市鳴子の尿前番所(
北緯38度44分20.1秒 東経140度42分6秒 / 北緯38.738917度 東経140.70167度)から山形県最上郡最上町の笹森番所(北緯38度44分14.3秒 東経140度36分35.5秒 / 北緯38.737306度 東経140.609861度)までの区間 (4.2km) を指すことが多い。
戊辰戦争の戦後処理が行われた明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)に、出羽国は羽前国と羽後国に分割されたため、仙台と酒田を結んだ街道は現在、「北羽前街道」[2]、あるいは、「羽後街道」と呼ばれている。1990年(平成2年)、街道沿いの史跡群を国の史跡に指定するに当たって、「御勝手帳」「安永風土記御用書出」の記述を基に、指定名称を「出羽仙台街道中山越」としたことにより[3]名称が一般化した。すなわち、出羽仙台街道は、歴史的に広く使われていた名称ではない[4]。
この街道は脇街道であり、仙台城下町と出羽国とを結んだいくつかの街道の1つである。酒田港から最上川を清水港(現大蔵村)で陸揚げされた上方物や松前物が、この街道を通って仙台城下に運ばれた。仙台藩にとっては、奥州街道や陸前浜街道ほどではないにしろ、重要な街道であった。
出羽三山への参詣に向かう街道でもあり、かつては松尾芭蕉も通った。
現在、尿前番所と笹森番所の間の旧街道(4.2km)が、歴史街道として保存されており、往古の雰囲気が残されている。史跡「出羽仙台街道中山越」の指定範囲でもある[5]。
- 尿前番所(仙台藩)
- 笹森番所(新庄藩)
- 舟形口留番所(新庄藩。羽州街道の関所)
現在のルート[編集]
- 国道457号(吉岡~岩出山):現 羽後街道[6]
- 国道47号(岩出山~舟形):現 北羽前街道
- ^ 出羽仙台街道中山越とは
- ^ 日本の主な街道
- ^ 出羽街道中山越を行く
- ^ 最上町商工会 Archived 2010年6月9日, at the Wayback Machine.
- ^ 国指定文化財等データベース
- ^ 北羽前街道は、仙台から酒田を結ぶ街道だが、古川で奥州街道と分岐している。吉岡から岩出山へと向かう区間は、羽後街道である。
関連項目[編集]
- 奥州街道(北羽前街道のうち、仙台~古川間を重複していた街道)
- 舟形街道(北羽前街道のうち、舟形~狩川間を重複していた街道)
- 堺田越(中山越)
- 上街道(奥州上街道。岩出山から分岐し、岩手県一関市に至る。奥州街道の脇街道の一つ。現国道457号に相当)
- 羽後街道(秋田越。岩出山から北羽前街道と重複し、鳴子温泉から分岐し、秋田県湯沢市に至る。現国道108号に相当)
- 天王寺追分
- 松尾芭蕉
外部リンク[編集]
- 出羽仙台街道中山越(宮城県)
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