カラノス(希:Κάρανος, ラテン文字転記:CaranosあるいはKaranos、在位:紀元前808年 – 紀元前778年)はマケドニア王国の最初の王で、アルゲアデス朝の始祖とされている伝説的な王である。ただし、ヘロドトスは最初の王はペルディッカス1世であるとしている(ヘロドトス、V、22)。
ギリシア神話によると、カラノスはテメノスの息子の一人である。テメノスは兄弟のクレスポンテスとアリストデモスと共にミュケナイ人のペロポネソス地方へ侵入(ヘラクレイダイの帰還伝説)を指導したヘラクレスの曾孫の一人である。彼らは占領地を分け合い、クレスポンテスはメッセニア、アリストデモスはスパルタ、テメノスはアルゴスを得た。
テメノスの死後、子供たちの間で次の王位をめぐって議論が起こり、その中のペイドンが兄弟たちを破り、王位に就いた。一方、カラノスは自分の王国をどこかに建設しようとし、デルポイの神託での山羊を導き手にして王国を手に入れよという予言をもとに北に進んだ。彼は豪雨と霧に乗じてエデッサを占領し、アイガイと名を改め、(今日のヴェルギナ)そこを首都としてマケドニア王国を建国した(ユスティヌス, VII, 1)。
また、エウセビオスの『クロニコン』によれば、「その時オレスタイの王は隣国のエオルダイアとの戦争中で、そして彼はカラノスに彼を助けを求め、もしオレスタイが勝利すればお返しに彼に領地の半分を与えると約束した。王は約束を守り、そしてカラノスは領地の所有権を得て、彼は老いで死ぬまで30年の間統治した。彼[の王位]は28年間王位にあった彼の子のコイノスによって受け継がれた」(引用文は英語版ウィキペディアの引用から翻訳)。
参考文献[編集]
- ヘロドトス著、松平千秋訳、『歴史』(中)、岩波書店、1972年
- ポンペイウス・トログス著、ユニアヌス・ユスティヌス抄録、合阪学訳、『地中海世界史』、京都大学学術出版会、1998年
- 先代:
- ―
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- マケドニア王
- 紀元前808年 – 紀元前778年
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- 次代:
- コイノス
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マケドニア王
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アルゲアス朝 |
- カラノス前808-前778
- コイノス前8C
- トゥリマス前8C
- ペルディッカス1世前700–前678
- アルガイオス1世前678-前640
- ピリッポス1世前640-前602
- アエロポス1世前602-前576
- アルケタス1世前576-前547
- アミュンタス1世前547-前498
- アレクサンドロス1世前498-前454
- アルケタス2世前454-前448
- ペルディッカス2世前454-前413
- アルケラオス1世前413-前399
- クラテロス前399
- アルケラオス2世前396-前393
- オレステス前399-前396
- アエロポス2世前399-前393
- パウサニアス前393
- アミュンタス3世前393
- アルガイオス2世前393-前392
- アミュンタス3世前393-前369
- アレクサンドロス2世前370-前368
- ペルディッカス3世前368-前359
- アミュンタス4世前359
- ピリッポス2世前359-前336
- アレクサンドロス3世前336-前323
- ピリッポス3世前323-前317
- アレクサンドロス4世前323-前309
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アンティパトロス朝 |
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- ピリッポス4世前297
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諸家 |
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アンティゴノス朝 |
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- デメトリオス2世前239-前229
- アンティゴノス3世前229-前221
- ピリッポス5世前221-前179
- ペルセウス前179-前168
- アンドリスコス(僭称者) 前149-前148
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