在日ブラジル人 – Wikipedia

在日ブラジル人(ざいにちブラジルじん、ポルトガル語: Brasileiros no Japão)とは、日本に3か月以上暮らしているブラジル国籍の者である。

人数[編集]

2015年(平成27年)6月現在、日本に中長期に滞在している民間のブラジル人は17万3038人(194国中4位)である。そのうち永住しているブラジル人やその家族は11万2157人(4位)であり、それ以外のブラジル人が6万881人である。この他に90日以下の短期滞在や外交官が1292人居る[2]。なおブラジルは国籍離脱を認めていないため日本に帰化しても二重国籍の在外ブラジル人になるだけだが、日本政府の外国人統計には入らなくなる[要出典]

年代[編集]

男女比は27対23であり、比較的に女性よりも男性が多い。年代的には30代(3万6041人)と40代(3万4506人)が多い[2]。世界平均と比べると幼児(11%)や10代(12%)の比率は5%以上高く、20代(14%)の比率は10%以上低い[2]

在留資格[編集]

在日ブラジル人の大半(99%)は就業制限のない永住者(10万9642人)や定住者(4万4097人)である[2]。制限のある在留資格としては留学540人(24位)や技術・人文知識・国際業務195人(31位)などがあり、特に興行112人(4位)や宗教110人(6位)は在日外国人の中でも上位にある[2]

職種[編集]

2010年(平成22年)の在日ブラジル人の労働力人口は9万930人(在留数の39%)であり、失業率は9%だった[3]。産業は製造業(66%)、建設業(3%)、「卸売業、小売業」(3%)、サービス業(3%)、「宿泊業、飲食サービス業」(2%)が多かった[4]

地域[編集]

在日ブラジル人の居住地域は東海地方(55%)や関東地方(25%)が多い[2]。在日ブラジル人は愛知県(4万7076人)などの製造業が集積する地域のブラジリアンタウンに集住しており、東京(3243人)や大阪(2476人)などの大都市にはほとんど住んでいない。在日ブラジル人は北海道や東北、四国、九州、沖縄県には殆ど居ない(0%)[2]

家族[編集]

ブラジル国籍を持つ家族の同伴率は0%で世界平均(6%)より低い。一方、日本人の配偶者を持つブラジル人は9%で世界平均(7%)より高く、1万5041人(3位)居る[2]

1990年代(平成2-平成11年)[編集]

1990年(平成2年)、ブラジルの国債がデフォルトし、ハイパーインフレが起こった。一方、日本では1990年(平成2年)に出入国管理及び難民認定法が改正され、就業活動に制限のない定住者資格が創設されて日系3世に対して付与されるようになった。1990年(平成2年)の在日ブラジル人は5万6429人だったが1995年(平成7年)までに17万6440人に急増し[5]、ニューカマーの一角を占めた。一方、刑法犯も1990年(平成2年)の70件(9位)・53人(9位)から1503件(3位)・318人(4位)に急増した[6]。また生活習慣や言語の違いから、愛知県豊田市の保見団地では日本人住民との間で軋轢が生じた[7]。また人口の増加と比べて国際結婚は比較的に少なく、1995年(平成7年)に日本人男性と結婚したブラジル人女性は579人、ブラジル人男性と結婚した日本人女性は162人だった[8]

2000年代(平成12年-平成21年)[編集]

2000年(平成12年)の在日ブラジル人は25万4394人だったが、2005年(平成17年)までに30万2080人に急増した[5]。この頃、在日ブラジル人は本国に毎年30億ドルの送金をしたと言う[9]。またこの頃在日ブラジル人子弟の教育は公立学校のほかにブラジル学校などで行われていたが、在日ブラジル人の高校通学率は在日外国人の中でも特に低く、2割前後しかなかったと言う[10]。一方、刑法犯は2000年(平成12年)に3273件(2位)・682人(2位)に増加した[7]。また少年の刑法犯は2000年(平成12年)に244人居て[11]、2003年(平成15年)の377人[11]をピークに2010年(平成22年)まで連続して100人を越え、在日外国人の中で首位を保った[12]。在日ブラジル人家庭は両親の不安定な勤務環境により放任状態となり、日本の生活に馴染めない少年は学校からドロップアウトし、街に出て悪い仲間と知り合い、遊興費欲しさに犯罪者となる例が多いと言う[11]。2006年(平成18年)頃、在日ブラジル人の轢逃げ犯など86人が本国に逃亡し問題になっていた[13]。ブラジルの憲法(第5条51項)には「犯罪人引き渡し禁止規定」があり、逃亡した犯人を日本国政府が処罰する事は出来ず、ブラジル政府に代理処罰を依頼するしかなかった(未解決)。

その後、在日ブラジル人は2007年(平成19年)に31万6967人のピークを迎えたが、日本ブラジル交流年の2008年(平成20年)にリーマン・ショックが起き、1年で4万5千人が帰国した[5]。2009年(平成21年)頃、ブラジル人などの在日南米人は非正規雇用が9割を占め、社会や企業内での立場が弱く、約4割(推定)が失業していたと言う[10]。日本政府は帰国支援を行って、2万53人のブラジル人を本国に送り返した[14]。また帰国できない在日ブラジル人や帰国しない日系定住外国人[15]の子弟のために「虹の架け橋教室」(外国人児童生徒就学促進事業)を開始した[16]。ブラジル政府も2010年(平成22年)に静岡県浜松市に在日ブラジル人向けの支援施設を一時的に設置した。

2010年代(平成22年-)[編集]

2010年(平成22年)にブラジルの海外出稼ぎ労働者は全世界から本国に43億ドル(23位)を送金した[17]。2010年(平成22年)の在日ブラジル人は23万552人だったが、2011年(平成23年)3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起き、約2万人が帰国した[5]。またブラジルでは2014年(平成26年)のサッカーワールドカップや2016年(平成28年)の夏季オリンピックに向けて経済が活況になった為[18]、在日ブラジル人の帰国は続き2015年(平成27年)までに17万3038人に減少した[2]。なお2012年(平成24年)以降の統計は計算方法が変わり、短期滞在や公務を含まなくなったので、2011年(平成23年)以前の統計と単純比較できなくなった[19]。しかし在日ブラジル人は短期滞在が少ない為にそれほど影響は無いようである。ちなみに2015年(平成27年)の総在留ブラジル人は17万4330人だった[2]。一方、刑法犯は2010年(平成22年)に2531件(2位)・515人(4位)だった[11]。2014年のブラジル人の犯罪は車上狙い・自動車盗・部品ねらいが多かった[12]

人口分布[編集]

47都道府県別ブラジル人人口[20]
都道府県 2013 2007
愛知県 7004487300000000000♠48,730 7004804010000000000♠80,401
静岡県 7004276220000000000♠27,622 7004520140000000000♠52,014
三重県 7004129930000000000♠12,993 7004217170000000000♠21,717
群馬県 7004119770000000000♠11,977 7004171580000000000♠17,158
岐阜県 7004105650000000000♠10,565 7004209120000000000♠20,912
神奈川県 7003874200000000000♠8,742 7004141070000000000♠14,107
埼玉県 7003788000000000000♠7,880 7004139500000000000♠13,950
滋賀県 7003794500000000000♠7,945 7004143420000000000♠14,342
茨城県 7003628000000000000♠6,280 7004114070000000000♠11,407
長野県 7003564400000000000♠5,644 7004157830000000000♠15,783
栃木県 7003473600000000000♠4,736 7003858500000000000♠8,585
千葉県 7003368900000000000♠3,689 7003608700000000000♠6,087
東京都 7003316200000000000♠3,162 7003455000000000000♠4,550
山梨県 7003276700000000000♠2,767 7003508900000000000♠5,089
大阪府 7003264000000000000♠2,640 7003445400000000000♠4,454
広島県 7003252900000000000♠2,529 7003438400000000000♠4,384
兵庫県 7003250200000000000♠2,502 7003339800000000000♠3,398
福井県 7003236600000000000♠2,366 7003306200000000000♠3,062
富山県 7003222000000000000♠2,220 7003438700000000000♠4,387
島根県 7003129700000000000♠1,297 7003131700000000000♠1,317
合計  7005181268000000000♠181,268 7005316967000000000♠316,967

2010年(平成22年)の愛知県には16万228人の在日外国人が居り、4万583人(25%)の在日ブラジル人が在住していた。ブラジル人が多かった市は豊橋市(6030人)、豊田市(4972人)、名古屋市(3288人)、岡崎市(3124人)、小牧市(2315人)だった[3]。このうち豊田市はトヨタ自動車の本拠地であり、豊橋市には自動車を輸出(日本第2位)・輸入(第1位)[21]する三河港がある。両市に挟まれた岡崎市はフタバ産業などの自動車産業が集積しており、名古屋市には自動車を輸出(日本第1位)[21]する名古屋港がある。

2010年(平成22年)の静岡県には6万1610人の在日外国人が居り、2万2207人(36%)の在日ブラジル人が在住していた。ブラジル人が多かった市は浜松市(7498人)、磐田市(2636人)、菊川市(1612人)、掛川市(1535人)、袋井市(1474人)だった[3]。このうち浜松市は豊橋市に隣接し、本田技研工業の創業地であり、スズキやヤマハの本社がある工業都市である。浜松市の東には順に磐田市、袋井市、掛川市、菊川市があり、磐田市にはヤマハ発動機の本社がある。この地域には自動車産業が集積しており、菊川市には自動車部品メーカーの旭テックやフジオーゼックスがある。

特にブラジル人が多く居住する地域は、ブラジリアンタウンと呼ばれる。日本各地のブラジリアンタウンには、在日ブラジル人向けのブラジル料理店(ブラジリアンレストラン)やブラジルのビデオなど生活雑貨を取り扱う店が数多くある。岐阜県可児市など在日ブラジル人向けを中心にブラジル野菜を栽培・生産している場所もある[要出典]

本国との関係[編集]

ブラジル政府は東京だけでなく名古屋や浜松にも総領事館を置くなどして、在日ブラジル人を保護している。在日ブラジル人はブラジルの国政選挙に在外投票することが出来、1万人ほどが投票する[要出典]。一方、ブラジル国籍を放棄して日本国籍を取得しても、ブラジルに対しては無効である。仮に日本のパスポートでブラジルに入国しても、ブラジルの国民鑑識手帳を持つ限り国内では一般のブラジル人と何の区別もない[要出典]

日本社会への適応[編集]

在日ブラジル人の中には日本語で読み書きが出来る人も居り、例えば浜松市の南米系外国人のうち漢字まで読むことができる人は約4割(39%)だと言う[22]。しかし日本語の会話が得意ではない在日ブラジル人が居て[23]、ポルトガル語しか話せない子供も居る[24]。逆に日本語しか話せない子供も居る[25]。また家族の中で自分だけが日本語が出来るようになり日本文化にも馴染んだが、「いくら真似をしても日本人になれ」ず、家族からも社会からも阻害されているように感じて苦しむ在日ブラジル人も居る[26]。浜松市の南米系外国人のうち約半分(47%)は間接雇用(派遣・請負)だが、大半(81%)は健康保険に加入しており、半分以上(61%)は年金に加入している[22]。しかし現在でも「ごみの出し方、騒音、駐車場の利用方法など、文化や言語の違いに起因する地域トラブル」が存在する[22]。文化の違いとしては学校内でアクセサリーをつけたい、校内で誕生日ケーキを食べたい、体育の授業で整列をしたくない等があり、ブラジル学校の校長のモットーは「お互い理解しようとする→譲歩する→我慢する→あきらめる」だと言う[26]

日本の公立小中学校は外国人でも希望すれば無料で通う事は出来る[27]。例えば浜松市の場合、2015年(平成27年)時点で公立学校に通う外国人生徒は1517人居り、そのうちブラジル人生徒は795人である。内訳は小学生481人、中学生276人、幼稚園児38人である。市内の学校のうち1人以上の外国人生徒が居る幼稚園は約3割(63園中41園)であり、小学校は約7割(100校中73校)に及ぶ[28]。また母国と同じ教育・母語教育を希望し[29]、月謝を払う経済的な余裕がある家庭は日本の公立小中学校ではなくムンド・デ・アレグリアのような私塾(ブラジル学校)に行く事も出来る。

しかし義務ではない上に2012年(平成24年)以前は住民基本台帳法と外国人登録法に分かれていて、日本人と外国人で構成する複数国籍世帯を把握できなかったので、どちらの学校にも通わない不就学が問題になった[30]。特にリーマンショックの後はブラジル人が失業して月謝を払えなくなったり、生徒が大量に帰国した為にブラジル学校が閉鎖に追い込まれて、不就学が深刻になった[16]。そのため文部科学省は「虹の架け橋教室」(外国人児童生徒就学促進事業)を始めて、不就学者の教育をブラジル学校やNPOに委託した[16]。また浜松市は「外国人子弟の不就学ゼロ作戦」を開始し、727人の不就学者の家を一軒ずつ戸別訪問して帰国・転出していない不就学者を見つける所から始めた[26]。その結果2011年(平成23年)9月には市内に16人の不就学者が居たが、2013年(平成25年)以降はゼロになった[31]

一方、日本の公立中学校への通学者の中には授業についていけず退学届を提出し受理され、その後フリーターになど社会的不安定な身分になってしまうケースがある。これらは現在社会問題の一部となっている。彼らの幼い子供(幼児)を預かる所(託児所・保育所)は個人宅で、個人経営しているケースが多い。[要出典]

宗教面では、日本各地のキリスト教の教会が在日ブラジル人の生活支援をしている。在日ブラジル人のうち約20万人がカトリック教徒といわれているが(根拠の薄い推定値、統計値ではない)、ブラジルではカトリック教会よりプロテスタント教会のほうが多い。ただし、ブラジルのプロテスタント教会はアメリカ合衆国のそれとは性格がかなり異なる[要出典]

ブラジルはサッカー大国であるため広く海外に人材を派遣しており、Jリーグでプレーする外国籍選手に占めるブラジル人の割合が高い。アマラオやシジクレイのように長期に渡って日本で選手生活を送る者もいる(Category:在日ブラジル人のサッカー選手を参照)。また、日本各地にブラジリアン柔術やカポエイラの道場があり、在日ブラジル人が多数在籍している。

ブラジルは徴兵制度を採っているため、成年になってから来日した男性はブラジル軍で兵役経験がある者がいる。しかし、ブラジルでの兵役勤務率は徴兵者のうち10%未満に過ぎず、諸外国よりも低い。日系ブラジル人の場合は非日系ブラジル人より平均学歴が高く、兵役経験者の割合がより低い[要出典]。したがって、在日ブラジル人男性=兵役経験者という図式は成り立たない。兵役期間は二年であるが多くの召集兵は一年で復員し、軍隊内部では職業軍人の割合が増えている[要出典]

▪︎ブラジル大帝国公共

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]