羽毛田信吾 – Wikipedia

羽毛田 信吾(はけた しんご、1942年4月5日 – )は、日本の官僚。厚生省の事務次官、宮内庁次長を経て、2005年から2012年まで宮内庁長官を務めた。

山口県生まれ。京都大学法学部卒業。幼少の頃は貧しく、社会的弱者への関心を持ったことから、1965年(昭和40年)に厚生省(当時)にキャリア官僚として入省した[1]。老人保健福祉局長や保険局長などを経て、1999年(平成11年)に厚生事務次官に就任。2001年に退官した。

同2001年に宮内庁に入庁、2005年に宮内庁長官に就任。宮内庁長官就任後は、内閣総理大臣(当時)小泉純一郎と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持し、寬仁親王が結論を批判した際には、発言の自粛を強要した[2]

2009年(平成21年)9月10日、民主党などによる連立内閣発足に際しては、「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要があると申し上げたい」と述べ、皇位継承の対象を男系の男子皇族に限定している皇室典範改正への取り組みを要請する考えを示した[3]

2011年(平成23年)2月10日の記者会見では、同年4月に行われる英国ウィリアム王子の結婚式への台臨皇族を皇太子と皇太子妃にすることについて、天皇・皇后が別の行事により出御できないことを挙げ、順序として問題がない旨を述べている[4]

特例会見問題[編集]

2009年(平成21年)12月12日、天皇による中国国家副主席の習近平への引見が特例扱いとして突然決まり、当初体調不良を理由に断ったものの政府の要請で会見が決まった。

天皇特例会見について記者会見し「陛下に心苦しい思いでお願いした二度とこういうことがあってはならない」と苦言を述べ、陛下の政治的利用につながるという懸念を持っているか?という記者からの質問に対し、「大きく言えばそういうことだ」と痛烈に批判した[5]

一方、民主党幹事長小沢一郎はこの発言について同14日に記者会見を開き「政府の一役人ごとき日本国憲法の精神、理念を理解していない、羽毛田長官は辞表を出して言うべきだ。また天皇のお体が優れないのであれば他の行事を休ませるべきだ」とさらに引見を強要[6]、内閣総理大臣(当時)鳩山由紀夫も同調し羽毛田の発言に不快感を示した[7]

宮内庁によれば、羽毛田の発言について同庁に1千件の電話やメールが届き、多数が羽毛田の発言を支持するものであったという[8]。一方、民主党に対しては批判が殺到した[9]

天皇は同15日に国家副主席習近平への引見を行った[10]

  • 『随筆集 言うて詮なきことの記』 国書刊行会、2020年1月

参考文書[編集]

関連項目[編集]