アルブルケルケ – Wikipedia

アルブルケルケAlburquerque)は、スペイン・エストレマドゥーラ州カセレス県のムニシピオ(基礎自治体)。アメリカ合衆国ニューメキシコ州のアルバカーキの名称はアルブルケルケに由来する。

人口[編集]

アルブルケルケとは、ラテン語で白いオークを意味するAlbus querqusに由来する。アラブ支配時代にはアブ=アル=クルク(Abu-al-Qurq、コルクガシの土地)と呼ばれた。これはコルクガシが豊富にあったことを意味する。アルブルケルケという名はアメリカ大陸やフィリピンへ伝わった。

ローマ属州ヒスパニア時代から定住地があったアルブルケルケだが、現在の町並みは中世からの豊かな遺産である。旧市街を見下ろす山の上には、難攻不落と言われたルナ城が建っている。そしてその城壁内にはゴシック様式のユダヤ人地区があり、ビリャ・アデントロ(villa adentoro)と呼ばれていた。狭い通りには、尖った鴨居を持つ家々が並んでいる。そのいくつかには、持ち主が1492年のユダヤ人追放以前に住んでいた、ユダヤの出自を持つことを明らかに示すものがあるのである。

ポルトガル国境に近いアルブルケルケは、常に対ポルトガル戦争と関係を持ってきた。古代には連続して戦いが起き、町が破壊された上、兵士に勧誘された男たちが戦場で命を落としたために、町が閑散としたこともあった。

アメリカ大陸およびフィリピンの植民地時代、多くのアルブルケルケの男たちが海を渡り様々な成功を収めた。新天地で死んだ者もいれば、金持ちになって帰国した者もいた。ナバロ・デル・カスティーリョによれば、アメリカやフィリピンのコンキスタドールとなった者は96人いたという。カラカス建設者の一人フアン・カスタニョは、ベネズエラの都市エル・トクヨ建設に参加していた。一方、フアン・ルイス・デ・アクレはペルー征服に関わった。彼はアタワルパの身柄拘束の間の出来事を年代記に記し、カハマルカからクスコへのピサロ軍の行程を書き残した。

アルブルケルケは畜産が盛んで、イベリコ豚の伝統的生産地である。2010年現在、アルブルケルケは自治体として再生可能エネルギー施設(太陽光発電所)の設置に重点を置いている。

自治体首長はエストレマドゥーラ社会労働党(Partido Socialista Obrero Español de Extremadura)のアンヘル・バディージョ・エスピーノ(Ángel Vadillo Espino)[4]で、自治体評議員は、エストレマドゥーラ社会労働党:11、エストレマドゥーラ国民党(Partido Popular de Extremadura):2となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[5]

1999年6月13日自治体選挙[6]
政党 得票数 得票率 獲得議席
ORPO[7] 2,964 81.5% 12
PSOE 474 13.03% 1
PP 168 4.62% 0
2003年5月25日自治体選挙[6]
政党 得票数 得票率 獲得議席
PSOE 2,808 79.73% 11
PP 365 10.36% 1
IU-SIEX[8] 292 8.29% 1
2007年5月27日自治体選挙[6]
政党 得票数 得票率 獲得議席
PSOE 2,900 79.63% 11
PP-EU[9] 692 19.00% 2
2011年5月22日自治体選挙[5]
政党 得票数 得票率 獲得議席
PSOE 2,943 78.13% 11
PP 776 20.60% 2

司法行政[編集]

アルブルケルケはバダホス司法管轄区に属す[10]

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]