ゴールデン湾 – Wikipedia
ゴールデン湾(英語:Golden Bay)(マオリ語:Mohua)は、ニュージーランドの南島北西部の放物面型の浅い湾。
タスマン海に面し、タスマン湾とクック海峡の北西に位置する。
北には東西26kmのフェアウェル岬(告別岬)が伸びる。
南からアオレレ川とタカカ川が注ぐ。
かつてはセミクジラ[1]やザトウクジラ、ピグミーシロナガスクジラが観察出来た[2]。
西岸~北岸は無人地帯で、南岸にはタカカ村とコリングウッド村、エイベル・タスマン国立公園が有る。
ゴールデン湾とタスマン湾の地理的境界は公園内に有る。
砂嘴の根本はカフランギ国立公園が広がる。
休日にはタタ海岸が賑わう。
少なくとも1450年には、マオリが沿岸部に住んでいた。
1642年、北島から来たNgati Tumatakokiriのイウィが占領した。
同年、ネーデルラント連邦共和国の探検家のアベル・タスマンが、湾から7kmの位置に停泊した。
Ngati Tumatakokiri人はワカでオランダ船に近付き、4人のオランダ人船員を殺害した。
この事からタスマンはこの湾を「殺人湾」と名付けた。
1770年、大英帝国のジェームズ・クックの最初の冒険で、ゴールデン湾を盲目湾の一部と判断した。
1773年、2度目の冒険で、ゴールデン湾が殺人湾の位置に在る事に気付いた。
フランス王国の探検家のジュール・デュモン・デュルヴィルが「虐殺湾」と改名した。
1823年、マスケット戦争の中で、マオリはNgati Tumatakokiri人を絶滅した[3][4]。
1842年3月、トゥケットがモトゥピピ村の近くで石炭を発見した。
10月、アン・ロヴェル率いるヨーロッパ人が、マオリの村の近くに入植を開始した[5]。
1840年代、「石炭湾」に改名された[6]。
1850年代後半、アオレレで金が発見され、湾は「ゴールデン湾」(黄金湾)と改名された[7][8]。
2011年12月、周辺地域が豪雨と洪水に襲われた。
2012年6月29日、孤立していたトタラヌイ村への道路が復旧した。
2014年8月、公式に「ゴールデン湾/モフア」に改名された[9]。
2017年2月10日、少なくとも416頭のゴンドウクジラがフェアウェル岬に打ち上げられ、多くが死んだ[10]。
- ^ http://www.stuff.co.nz/nelson-mail/news/8918/Sighting-of-rare-whale
- ^ Torres G. L.. 2013. Evidence for an unrecognised blue whale foraging ground in New Zealand. New Zealand Journal of Marine and Freshwater Research 47(2). ResearchGate. Retrieved on March 03, 2017
- ^ Musket Wars R. Crosby p 21.
- ^ Current Anthropology. Vol 53, No 6. Dec 2012. Garden of Rongo. I Barber. University of Otago.
- ^ Discovery of coal and freestone, Nelson Examiner and New Zealand Chronicle, Volume I, Issue 4, 2 April 1842, Page 15
- ^ Auckland Extracts, Nelson Examiner and New Zealand Chronicle, Volume VI, Issue 287, 4 September 1847, Page 105
- ^ “Golden Bay”. Te Ara (1966年). 2010年9月14日閲覧。
- ^ Advertisements, Colonist, Volume II, Issue 172, 14 June 1859, Page 2
- ^ “NZGB decisions”. Land Information New Zealand (2014年8月). 2015年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。
- ^ 「クジラ400頭以上打ち上げられる 救出も「望み薄くなりつつある」」The Huffington Post2017年2月11日
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