兵庫区 – Wikipedia

兵庫区の中心市街地

兵庫区(ひょうごく)は、神戸市中部、瀬戸内海沿岸にある行政区。

かつて京・大坂の外港として栄えた「兵庫津(ひょうごのつ)」と呼ばれる港が位置しており、その歴史は平清盛が整備した大輪田泊に遡る。江戸時代後期に欧米との条約により、もともとは「兵庫港」が開港する予定であったが、実際には3km東の神戸村(現在の神戸市中央区)が開港場となり、神戸外国人居留地や港湾施設が整備され、「神戸港」が設置された。「兵庫」と「神戸」は元来別々の町村であったが、市域の拡大によって一つの都市として一体化した。神戸港開港によって神戸は国際港湾都市・工業都市として急速に発展していき、兵庫は神戸市の一地域に組み込まれていった。臨海部には川崎造船所(後の川崎重工業、中央区にまたがる)や三菱重工業神戸造船所が所在し、阪神工業地帯の一角を成している。

奈良時代、行基によって摂播五泊の一つ大輪田泊(鎌倉時代以降の兵庫津、現在の神戸港西部)が築かれ、平安時代には平清盛が大輪田泊を利用して経が島を、また隣接する都として福原京を建造した。このため、一ノ谷の戦いでは平氏の北の陣営が築かれ、戦場となる。

区南東部に位置する兵庫津は、江戸時代には全国有数の規模を誇る港町として栄え、人口も2万人を超えていた。1868年の兵庫港開港の際には、開港による既存の港湾・市街の混乱を回避するため、宇治川以東に位置する神戸村の神戸港が事実上の開港場となった。当初こそ「兵神」と神戸と対等に扱われた兵庫津だったが、文明開化による神戸の発展はめざましく、兵庫津は1879年には自治体として神戸区に、1892年には港湾として神戸港に併呑されるに至り、兵庫は神戸市の一地域となった。兵庫津では1874年から1899年にかけて兵庫運河が開削され、江戸時代の面影が随分と失われた。神戸市街の拡張のため宇治川は早くから暗渠化され、神戸港への土砂の流入を防ぐため湊川が1901年に現河道に付け替えられたことで、神戸から兵庫津までが地続きとなり、より神戸と一体的な市街が形成されていった。

明治以降は沿岸部に川崎造船所(後の川崎重工業、中央区にまたがる)や三菱重工業神戸造船所が置かれ、工業港の様相を呈するようになった。神戸空港開港後は国内外の主要企業の進出が進み、人口増加率は神戸市内で最も高く、単身者世帯の人口増加率は前年比141%である。

長田区との区境近くにある地名の「夢野」は、現存する「風土記」の「摂津国風土記」逸文にみられ、この地の鹿であった「夢野の鹿」の伝承にある。「夢野の鹿」は和歌の季語にもなっており、山家集にも詠まれている。

行政区域の変遷[編集]

隣接している区[編集]

  • 1935年 145,064
  • 1940年 149,363
  • 1945年  70,848
  • 1947年 130,633
  • 1950年 160,127
  • 1955年 211,414
  • 1960年 238,592
  • 1965年 254,076
  • 1970年 269,639
  • 1975年 165,868
  • 1980年 142,418
  • 1985年 130,429
  • 1990年 123,919
  • 1995年  98,856
  • 2000年 106,897
  • 2005年 106,985
  • 2010年 108,304
  • 2015年 106,956

健康[編集]

  • 医療法人仁風会 小原病院
  • 井上病院
  • 医療法人社団元気会 由井病院
  • 医療法人一輝会 荻原みさき病院
  • 医療法人榮昌会 吉田病院
  • 彦坂病院
  • 川崎病院
  • 神戸百年記念病院
  • 佑康病院
  • 湊川病院  
  • 三菱神戸病院(開設者:三菱重工業)

教育[編集]

小学校
中学校
特別支援学校
高等学校

鉄道路線[編集]

西日本旅客鉄道
この他、山陽新幹線が区内を通るが駅はない。
阪神電気鉄道(阪神)
阪急電鉄(阪急)
神戸電鉄
神戸市営地下鉄

バス路線[編集]

道路[編集]

阪神高速道路
一般国道
主要地方道
その他の県道
その他広域幹線道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

神戸市水の科学博物館

兵庫運河。右奥に見えるのがレガッタコース

兵庫城の石碑と案内看板

兵庫七福神めぐり[編集]

出身有名人[編集]

外部リンク[編集]