倫雅美術奨励賞 – Wikipedia

倫雅美術奨励賞(りんがびじゅつしょうれいしょう)は、美術評論家の河北倫明が設立した公益信託倫雅美術奨励基金が主催し、優れた新鋭の美術評論家、美術史研究家を顕彰する賞。選考対象は、おおむね2年間に国内で発表された優れた美術評論、美術史研究、展覧会の企画(カタログ等含む)とし、対象年齢はその年の12月1日現在でおおむねね50歳未満の者。受賞者には奨励金として100万円が贈られる。 現在の審査員は、市川政憲、田中淳、五十殿利治、菊屋吉生、有川幾夫の5名。 第30回(2018年) 【美術史研究部門】松川綾子「没後40年 幻の画家 不染鉄」展の企画及びカタログ中の論文に対して 【美術評論部門】喜夛孝臣「戦後美術の現在形 池田龍雄展―楕円幻想」の企画及びカタログ中の論文に対して 第29回(2017年) 【美術史研究部門】塩谷純、増野恵子、恵美千鶴子「天皇の美術史6 近代皇室イメージの創出 明治・大正時代」(吉川弘文館)に対して 【美術評論部門】都筑正敏「蜘蛛の糸」展の企画及びカタログ中の論文に対して 第28回(2016年) 【美術史研究部門】増渕鏡子、植田彩芳子「小川千甕展―縦横無尽に生きる」展の企画およびカタログ中の論文に対して ※共同受賞    【美術評論部門】荒井経『日本画と材料 近代に創られた伝統』(武蔵野美術大学出版局)に対して 第27回(2015年) 【美術史研究部門】水沼啓和、岩尾徳信、松岡剛「赤瀬川原平の芸術原論展―1960年代から現在まで」の企画およびカタログ中の論文に対して ※共同受賞 【美術評論部門】江尻潔 「スサノオの到来―いのち、いかり、いのり」展の企画およびカタログ中の論文に対して 第26回(2014年)

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女子高生の腰つき 写真部編 – Wikipedia

『女子高生の腰つき 写真部編』(じょしこうせいのこしつき しゃしんぶへん)は、コアマガジンから発売された音乃夏による成人向け漫画作品『女子高生の腰つき』に掲載されている作品の一つ。及び、それを原作としてメリー・ジェーンから発売されたアダルトアニメ作品。 あらすじ[編集] 注意:内容が補完されているアニメ版を主眼においての編集です。 写真部に所属している生方葵は同じ部の先輩、二見が先生と話をしているのを見かけ、二見が引っ越しをすることを知ってしまう。二見がいなくなる寂しさ、喪失感から自分の恋心を自覚した生方は、虚しい部活の日々を送るが、ある日、二見から「エロいポーズ」をやってよと冗談半分に言われたものの、生方は恋心から承諾する[1]、そして二見の部屋で撮影をするのを条件にした。 二見の部屋に来た生方は、さまざまなコスプレをし、興奮していたが、チアガールのコスプレをしているときに、さりげなく言われた二見の「スカート脱いで」の一言で本当に脱いでしまい、そして葵は自分のパンツが濡れていることを二見に指摘されて焦ってしまいドキドキしてしまう。そして「上も脱いじゃおう」という発言さえも真に受けて、上着を上に捲し立てて、二見の前で生乳を出した[2]。次第にエスカレートした二見は生方にフェラも要求、生方も承諾して実際にしてもらったが、二見がイキそうになったところで一度辞めてもらうものの、生方からは「もっとしごいてほしい」という風にとらえられ、今度はパイズリでのフェラもしてもらい、射精をして生方にぶちまける。そして二見への愛を告白した生方は先輩に跨り、自分から挿入して処女喪失を経験する。自分の淫乱な一面が怖くなった生方は泣いてしまうが、純情さと直向きな性格を認めて、二見も優しくなり、生方の胸を吸ってキスもする。そして二人は愛し合い、生方は敢えて淫語を頻繁に言って、二見を焚き付けて盛り上がる。そして一度落ち着いた二見は来週の待ち合わせを生方に約束する。 実は二見は引っ越しはするが転校はせずに、生方は自分の勘違いだと恥ずかしく思ってしまった。しかし、恋人になれた充実感から、その恥ずかしさもすぐに忘れ、清々しく話し合う二人がいた。 登場人物[編集] 生方葵 声:内野ぽち このエピソードのヒロインであり主人公。写真部に所属している高校一年生の女子。童顔だが美少女でありパイズリもできるほどの巨乳、そして処女。常識人だが性に関しては淫乱[3]。 二見先輩 写真部に所属している生方の先輩。部内で堂々とエロ本を読んでおり、生方によく卑猥なことを言ってセクハラしている。節操はないが、葵が言うことを聞いてくれて主導権を握れても調子に乗らない自制心を持っている。引き締まった筋肉質な肉付きをしている。 ^ いつもは断っている。 ^ コスプレの一環でブラジャーをつけていなかった ^ 二見の部屋で卑猥なノリをしているうちにエッチを始めてしまったことがある。

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第90回アカデミー賞 – Wikipedia

第90回アカデミー賞(だい90かいアカデミーしょう)は、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が主催する賞であり、2017年の映画を対象とし、2018年3月4日にカリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドのドルビー・シアターで午後5時30分(PST)より授賞式が行われた[3]。授賞式は通常2月末に行われるが、今回は2018年冬季オリンピックとの競合を避けるため1週遅れとなる[4]アメリカ合衆国ではABCによって放送され、プロデューサーはマイケル・デ・ルカとジェニファー・トッド、ディレクターはグレン・ウェイスが務める。司会は前回に続きコメディアンのジミー・キンメルが務める[5]。2年連続での同一司会者の起用はビリー・クリスタル(1997・1998年)以来のことである[6]。 関連イベントとしては、2017年11月11日にハリウッド&ハイランドセンター(英語版)で第9回ガヴァナーズ賞(英語版)授賞式が行われた[7]。2018年2月10日にはカリフォルニア州ビバリーヒルズのビバリー・ウィルシャー・ホテル(英語版)で パトリック・スチュワートの司会によりアカデミー技術貢献賞(英語版)授賞式が行われた[8] 。 『シェイプ・オブ・ウォーター』が作品賞、ギレルモ・デル・トロの監督賞など4部門を受賞した。『ダンケルク』は3部門を受賞した。この他に『ブレードランナー2049』、『リメンバー・ミー』、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』、『スリー・ビルボード』が2部門を受賞した。『スリー・ビルボード』においてフランシス・マクドーマンドとサム・ロックウェルがそれぞれ主演女優賞、助演男優賞を受賞したほか、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』においてゲイリー・オールドマンが主演男優賞を、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』においてアリソン・ジャニーが助演女優賞を受賞した。アメリカ合衆国では2650万人の視聴者を獲得したが、これは歴代では最も低い数値であった[9][10]。 受賞とノミネート[編集] 第90回アカデミー賞の候補は2018年1月23日5時22分PST(13時22分UTC)にサミュエル・ゴールドウィン・シアター(英語版)でティファニー・ハディッシュ(英語版)とアンディ・サーキスにより発表され、アカデミーによりストリーミング配信された[11]。 最多候補作は『シェイプ・オブ・ウォーター』の13部門、次いで『ダンケルク』の8部門、『スリー・ビルボード』の7部門である[12][13]。 結果[編集] 受賞者は各項目最上段に太字でダブルダガー () 付きのものである[14][15]。 ガヴァナーズ賞[編集] アカデミーは2017年11月11日に9回目となるガヴァナーズ賞(英語版)授賞式を開催し、以下の賞が贈られた:[16] アカデミー名誉賞 アカデミー特別業績賞 複数の部門での候補及び受賞作品[編集] プレゼンターとパフォーマー[編集] 以下は賞のプレゼンターとミュージカルナンバーのパフォーマーの一覧[24][25][26]。

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エヴゲニー・マルキン – Wikipedia

エヴゲニー・ウラジーミロヴィチ・マルキン(ロシア語: Евгений Владимирович Малкин, ラテン文字転写: Yevgeny Vladimirovich Malkin、1986年7月31日 – )は、ソビエト連邦生まれのロシアのプロアイスホッケー選手である。ポジションはライト・ウィンガーとセンター。NHLのピッツバーグ・ペンギンズに所属。 たぐいまれなホッケースキルで知られており、NHLでも最高の選手の一人と言われている[1][2]。 現在はペンギンズで背番号71を背負ってプレー。2009年、2016年および2017年にスタンレー・カップで優勝した[3]。2012年と2014年のアイスホッケー世界選手権でも優勝している。 1986年にソビエト連邦チェリャビンスク州の製鉄都市マグニトゴルスクで父ウラジーミルと母ナターリアの元に生まれる。3歳のときに初めてスケート靴を履き、5歳のときにマグニトゴルスクのアイスホッケーチーム、メタルルグ・マグニトゴルスクの少年チームでアイスホッケーを始めた。 幼少時から非凡な才能を発揮し、少年チームからユースチーム、さらにプロチームへと順調にキャリアを重ねていく。 ロシアスーパーリーグ[編集] 2003年9月12日に当時17歳でメタルルグの選手としてロシアスーパーリーグでプロデビューを果たした[4]。 2003-2004年シーズンから2005-2006年シーズンまでの3シーズンをメタルルグで過ごした。この時期にU18ロシア代表とU20ロシア代表にも選出され、複数のメダルを獲得している。 移籍騒動[編集] 2004年のNHLドラフト(英語版)全体2位でピッツバーグ・ペンギンズから指名を受ける。NHLの代理人は、2006-2007年シーズンが移籍の時だと考えていた。2006年の6月にメタルルグのジェネラル・マネージャーに契約破棄を申し立てる。マルキンを引き留めたいクラブ幹部はより高い契約金を提示したがマルキンは移籍を希望し、交渉は難航した。2006年8月7日に渋々ながらメタルルグとの契約書にサインをする。 その数日後、チームメートと共にプレシーズン合宿のためにヘルシンキに出発した。メタルルグに残留する決心をしたかのように見えたが、ヘルシンキの空港ではNHLの代理人が待ち受けており、マルキンが到着すると2人は姿をくらましてしまった。ヘルシンキのアメリカ合衆国大使館で密かにビザを申請するとロサンゼルスに逃亡。メタルルグは激怒し、NHLとペンギンズに抗議したが、マルキンを取り返すことはできなかった[5]。

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マニウス・アクィッリウス (紀元前101年の執政官) – Wikipedia

マニウス・アクィッリウス(ラテン語:Manius Aquillius、? – 紀元前88年)は、古代ローマのアクィッリウス氏族出身の軍人、政治家。恐らく紀元前129年の同名の執政官の息子で、紀元前101年には執政官を務めた。354年の年表にはAquilioとされており、ノーメンはアクィリウス (Aquilius)とも表記される。 マリウスの部下として[編集] アクィッリウスはガイウス・マリウスの忠実な部下としてキャリアを積み、マリウスが4度目の執政官を狙う選挙運動中には、キンブリ族の攻撃があればすぐにマリウスと交代できるよう、軍の司令官を任された。 シキリアにて[編集] 紀元前101年、アクィッリウスのこれまでの忠節に対して、マリウスは自分の同僚となる執政官に就ける事で報いた。 この年、ローマはシキリア属州で起こっていた第二次奴隷戦争によって食糧不足に悩まされており、アクィッリウスはこの鎮圧を任された。彼は期待に答えて反乱の首謀者サルウィウスの軍勢を完全に屈服させ、紀元前99年にはローマで小凱旋式を挙行した[2]。 紀元前98年、アクィッリウスはルキウス・フフィウスによってシキリアでの圧政を告発されたが、99年の執政官マルクス・アントニウス・オラトルに弁護され、確固たる証拠はあったもののその功績を考慮され無罪となった[3]。 小アシアにて[編集] 紀元前90年、アクィッリウスはポントス王ミトリダテス6世の策謀によって追放されローマに亡命していたビテュニア王ニコメデス4世を復位させるため、小アシアへと送り込まれた。 アクィッリウスは目的を達成したものの、更にニコメデスをけしかけポントスを攻撃させた。この事はミトリダテスによる反撃を誘うこととなり、紀元前88年第一次ミトリダテス戦争の火蓋が切られた[4]。 小アジアの位置関係。濃い紫と紫が当時のポントス王国で、左下アシア属州の表記(Province of ASIA)の左にペルガモン、右上にビテュニアがある ミトリダテスはプロトスタキウム付近でアクィッリウスを打ち破った。アクィッリウスはイタリア半島へ逃げ帰ろうとなんとかレスボス島までたどり着いたが、ミュティレネの住人に捕まりミトリダテスに引き渡された[5]。 本土へと送られた後、彼はロバの背に乗せられペルガモンまで引き回され、道中、自分がアナトリアの人々に対して犯した罪を告白するよう強要された。というのもアクィッリウスの同名の父は以前、属州総督としてペルガモンを統治しており、彼の課した重税に苦しめられた事を住民たちは忘れていなかった。そのため、子のアクィッリウスも父と同じく税を貪っていると考えられており、土地の人々からは嫌われていた[6]。 アクィッリウスは最終的に、ミトリダテスによって口の中に煮えたぎる金を流し込まれて処刑された[6]。この処刑法は有名になり、信頼度の低いいくつかの記録によれば[7]、三頭政治の一角を占め、ローマで最も裕福な男であったマルクス・リキニウス・クラッススを処刑する際、パルティア人によって踏襲されたという[6]。

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エミール・クレイド – Wikipedia

エミール・ヨーゼフ・クレイド(Emil Josef Clade、1916年2月26日 – 2010年5月[1])は、ドイツ空軍の軍人。第二次世界大戦時、27機を撃墜したエース・パイロットである。 現在のラインラント=プファルツ州ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセの地方であるハムバッハで生まれた。学校教育を終えた後、初めは商人になるように育てられた。しかし、1934年に航空に興味を持ち、ドイツの民間航空のコンペに参加するグライダーパイロットになった。 1937年4月、ドイツ空軍に入隊したクレイドは、最初にJu 52の飛行資格を取得したが、すぐに戦闘機パイロットになった。 第二次世界大戦[編集] クレイドは第1戦闘航空団第1中隊(1./JG 1)に配属された。1940年5月11日午前、オランダのマーストリヒト近郊でベルギー空軍のグロスター グラディエーターを撃墜し、初戦果を記録した。同日の午後、同じくマーストリヒトでフランスのLeO 451を撃墜した。同月17日にイギリス空軍のスピットファイア、26日にはモラーヌ・ソルニエ M.S.406を撃墜した。 1940年7月6日、1./JG 1は第27戦闘航空団第7中隊(7./JG 27)に再編され、1941年3月にクレイドはJG 27補充飛行隊の教官となった。 1942年6月、上級軍曹となったクレイドは北アフリカに拠点を置くJG 27第5中隊(5./JG

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台湾鉄路管理局TEMU2000型電車 – Wikipedia

TEMU2000型電車(ティーイーエムユー2000がたでんしゃ)は、台湾鉄路管理局(台鉄)の中長距離用車体傾斜式交流電車である。TEMU1000型電車に続く第2弾であり、東部幹線での休日を中心とした旅客輸送需要逼迫への対応と、台東線複線電化後の車両需要を見越しての導入となる。2013年より普悠瑪号(プユマごう)として営業運転に就いている。 台湾高速鉄道の恩恵を享受する西海岸と比べて東海岸は大都市も少なく急峻な地形で、高速道路は宜蘭県までしかなく、在来線鉄道も複線電化区間は花蓮駅までにとどまっていた。太魯閣号の登場で花蓮までの増発と高速化は実現したものの、花蓮以南へは客車列車や気動車列車を除いて乗り換えを強いられるなど、東部幹線の南半分である台東線沿線では高速化の要求が日増しに高まっていた。 当初は非電化のまま車体傾斜式気動車特急を導入予定であったが、台東駅までの複線電化が前倒しで決定されたことで配備の意義が薄れたため、円高要因で延期されていたTEMU1000型電車の増備分48両の入札と合わせて2010年に136両の車体傾斜式列車の入札が行われ、日本車輌製造・住友商事連合が日立製作所・丸紅連合を破り、総額約300億円、17編成136両を受注した。 その後2014年12月、政府交通部は当形式2編成16両を住友商事・日本車輌製造連合に発注することを決定し、2016年2月の旧正月に投入された。なお、あわせて同数のTEMU1000型も同時に追加発注される。[1] シングルアーム式パンタグラフ ND-742M型台車 ND-742T型台車 この車両は、設計最高速度は150km/h、営業最高速度は140km/hとなっている。新幹線N700系電車などで採用されている台車の空気バネを利用する車体傾斜システム(傾斜角1-2度)を搭載する。TEMU1000型電車と同じくアルミニウム合金製の構体ではあるが、塗色が赤系統になり[2]、乗務員用扉の追加、中華西洋折衷の大型のTRAロゴなどの差異がみられる。 座席は台湾の佳豊機械設計工業が納入している[3]。 編成[編集]   TEMU2000 ← ←(逆行)斗六、彰化、樹林、台北、 宜蘭、花蓮、台東(順行)→ → 号車 1 2 3

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久賀大雅 – Wikipedia

久賀 大雅(くが たいが、旧芸名;野上 哲也、1939年2月20日 – )は、大阪府出身の俳優。芸能プロダクション 10Ants所属。 テレビドラマ[編集] 大岡越前(TBS / C.A.L) 第1部 第11話「呑舟先生はどこだ」(1970年5月25日)- 相模屋の子分 第6部 第26話「謎の連続殺人事件」(1981年8月30日) 水戸黄門シリーズ(TBS / C.A.L) 第4部

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昆童虫 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “昆童虫” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年4月) 昆童虫 (こんどうむ、kondom、2月18日[1] – )は、日本の成年漫画家。本名非公開。茨城県出身[1]。妻は同じ漫画家仲間である「とりマイア」。 代表作は『ボンデージフェアリーズ』。代表作を含めて、昆虫や両生類・爬虫類といった人間以外の生物を題材にしたものが多い。 作品リスト[編集] 成人向け単行本 『インセクト・ハンター』 1990年2月20日発行[2]久保書店(ワールドコミックススペシャル) ISBN 4-7659-0262-5 都条例で発売禁止となる。

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