臨海郡 – Wikipedia
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臨海郡(りんかい-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から唐代にかけて、現在の浙江省南部に設置された。
257年(太平2年)、三国の呉により会稽郡東部を分割して、臨海郡が立てられた[1]。臨海郡は揚州に属した。
晋のとき、臨海郡は章安・臨海・始豊・永寧・寧海・松陽・安固・横陽の8県を管轄した[2]。
南朝宋のとき、臨海郡は章安・臨海・始豊・寧海・楽安の5県を管轄した[3]。
南朝斉のとき、臨海郡は章安・臨海・寧海・始豊・楽安の5県を管轄した[4]。
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、臨海郡は廃止されて、処州に編入された。592年(開皇12年)、処州は括州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、括州は永嘉郡と改称された[5]。
621年(武徳4年)、唐が李子通を平定すると、永嘉郡臨海県が海州と改められ、臨海・章安・始豊・楽安・寧海の5県を管轄した。翌年、台州と改称された。742年(天宝元年)、台州は臨海郡と改称された。758年(乾元元年)、臨海郡は台州と改称され、臨海郡の呼称は姿を消した[6]。
- ^ 『三国志』呉書三嗣主伝
- ^ 『晋書』地理志下
- ^ 『宋書』州郡志一
- ^ 『南斉書』州郡志上
- ^ 『隋書』地理志下
- ^ 『旧唐書』地理志三
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