大橋弘政 – Wikipedia

大橋 弘政(おおはし ひろまさ、1979年12月31日 – )は、日本の男性プロボクサー。愛知県名古屋市出身。
第36代・第38代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。HEIWAボクシングジム所属。

2000年11月23日、名古屋市総合体育館でプロデビュー戦に2RKO負けを喫した。2002年7月7日、名古屋国際会議場で児玉卓郎(岐阜ヨコゼキジム)と4回戦を行い、39-38、38-39、38-38の判定で引分となった。2006年3月12日、岐阜商工会議所にて児玉卓郎と10回戦で再戦し、三者とも76-77の0-3で8R負傷判定負けとなった。同年10月8日、名古屋国際会議場で日本スーパーフライ級4位の三枝健二(新開)とバンタム級10回戦を行い、6RTKO負けを喫した。

2007年4月1日、名古屋国際会議場でタイスーパーバンタム級王者・OPBF同級3位で元OPBF東洋太平洋バンタム級王者のクマントーン・チュワタナ(タイ)と55.7kg契約10回戦を行い、95-97、96-97、96-96の0-2で判定負けを喫した[1]。翌2008年9月21日、同会場でタイ王者・OPBF13位のチュワタナと55.7kg契約10回戦で再戦し、4RKO勝利を収めた[2]

2009年6月21日、愛知県産業貿易館でWBA世界バンタム級14位・WBC世界スーパーバンタム級5位のOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者ロリー松下(カシミ)と対戦。ポイントではリードを許したが7R1分50秒、8試合連続となるKO勝利を収めて同王座を獲得した[3]。この勝利によりWBC13位・WBA14位にランク入りを果たし、またこの戴冠を受けて2010年1月31日、中部運動記者クラブ・ボクシング分科会の2009年度優秀選手賞に選出された[4]。2010年3月28日、名古屋国際会議場で行われた初防衛戦でWBC7位・WBA13位の下田昭文(帝拳)と対戦し、0-3の判定負けで王座を失った[5]。同年9月5日、名古屋国際会議場でマーク・ジョン・ヤップ(フィリピン)と56.5kg契約8回戦を行い、序盤はペースを握られたが6、7Rにダウンを奪って逆転し、3-0(77-73、76-74、76-75)の判定勝利で再起を果たした[6]

2011年3月27日、刈谷市産業振興センター・あいおいホールにて、下田昭文が世界王座挑戦のために返上したOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座決定戦に出場、同級2位のジュンリエル・ラモナル(フィリピン)と対戦し、2-1の判定で王座返り咲きを果たした[7]

2011年8月7日、刈谷市産業振興センター・あいおいホールで指名挑戦者のWBAスーパーバンタム級13位のロリ・ガスカ(フィリピン)を相手に初防衛戦が行われ、0-2(2者が112—116、115−115)の判定負けを喫し王座から陥落した[8]

2012年3月18日、刈谷市産業振興センター・あいおいホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者小國以載(VADY)と対戦し、9回21秒、0-3(
2者が83-88、84-88)の負傷判定負けを喫し王座返り咲きに失敗した[9]

獲得タイトル[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]