オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト – Wikipedia

オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、オーストリアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。オーストリアは過去にユーロビジョン・ソング・コンテストには数多く出場しているが、目立って良い実績は得られなかった。オーストリアは、2014年大会でコンチータ・ヴルストが優勝するまでの間、40年以上にわたって優勝経験は1966年大会のウド・ユルゲンス「Merci Chérie」の1度限りという状態が続いた[1]

過去にダンス・ポップの楽曲で成功してきたのと対照的に、2000年代のオーストリアの参加曲には、ユーモラスなものを選ぶ傾向にある。2003年大会では、コメディアンで芸能人のアルフ・ポイヤー(Alf Poier)は家畜に関する楽曲「Weil Der Mensch Zählt」を大会で披露した[2]。2005年大会では、民俗音楽のグループグローバル・クライナー(Global Kryner)がラテン風の楽曲「Y así」を披露した[3]。これはオーストリアにとって初の準決勝への参加となったが、決勝への進出はかなわなかった。オーストリアの代表選考の方法は特に決まっておらず、選考会を実施する場合と内部選考の場合がある。

オーストリアは複数回にわたって大会を欠場している。最初の欠場は、マドリードで行われた1969年大会であった。当時のスペインはフランシスコ・フランコ政権の統治下にあり、オーストリアは大会のボイコットを決定した。しかし、大会の歴史に詳しいジョン・ケネディ・オコナー(John Kennedy O’Connor)は、前年の1968年大会でオーストリアがスペインに2得点を与え、これによってスペインが1得点差で優勝したことから、このボイコットの理由を政治上のものとしているのは建前に過ぎない可能性があるとしている[4]

翌年の1970年大会でもオーストリアは欠場した。これは1969年大会で同率で複数の優勝国が選ばれたためであり、これによってオーストリア以外にも複数の国が1970年大会の不参加を決定している[4]

1973年大会から1975年大会まで、オーストリアは不参加をなった。理由は不明であるが、参加曲すべてに一定の得点を保障した得点方式が一部の大会で用いられることが理由ではないかと推測されている。

1998年大会と2001年大会ではオーストリアは過去5年間の大会での順位が基準に満たなかったため、参加は認められなかった[4]

2006年大会に先立ち、オーストリアは過去の大会での順位が低いことを理由に不参加とする可能性を示唆し、参加アーティストの才能はコンテストでの成功に左右されないとした[5][6]。ヘルシンキで行われた2007年大会には参加したものの、準決勝でワースト2となったことや、オーストリアの視聴者のユーロビジョンへの関心の低下から、2008年大会への参加を見送った。オーストリア放送協会(ORF)の番組ディレクターのヴォルフガング・ローレンツ(Wolfgang Lorenz)は、オーストリアは期限を定めず大会への不参加を続ける可能性を示唆し、「ORFは、チャンスの与えられない大会にこれ以上のアーティストを送る意思はない。状況が変化すれば、喜んで再び参加するだろう」と述べた[7]。不参加にも関わらず、2008年大会の決勝はORFによって放送され、よって翌年の大会に参加する権利を留保した[8]

しかし、ORFのエンターテイメント・ディレクターのエドガー・ベーム(Edgar Böhm)は、現行の準決勝の方式は「依然、投票に際して政治的選好によって動く一部の国々に対処したものとなっていない」とし、「欧州放送連合によって、準決勝の方式について定める明確なガイドラインが制定されない限り、オーストリアはモスクワでの2009年大会には参加しない」とした[9][10]。ORFは2009年大会には参加しないことを決定し、他方で2008年同様に決勝の模様を放送した[11]。その後もオーストリアは、ユーロビジョンの投票制度の不備を理由に不参加を続けていたが、2010年大会でドイツ代表が優勝を果たすと、同年7月に2011年大会への復帰を表明した。

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1

優勝

2

2位

3

3位

最下位

X

出場曲を決定したが不参加

投票履歴(1957年 – 2015年)[編集]

オーストリアから高得点が送られた国々:

オーストリアに高得点を送った国々:

得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]