ポーランド君主一覧 – Wikipedia

支配者 王家 治世 付記 レフ レフ族 6世紀 ポーランドを作った最初の首長 クラクス レフ族 8世紀 伝説的な首長
クラクフを開いた ヴァンダ レフ族 8世紀 伝説的な首長
クラクスの娘
母はヴァンダル人 ポピェル ポピェル家 公 9世紀 伝説的な首長
ポラン=ゴプラン連合部族の首長(おそらくゴプラン族出身) 粉屋のアブラハムポーランド語版 ハザール人 9世紀 842年にひょんなことでポピェル死後のポラン=ゴプラン連合部族の首長に推挙されてしまったユダヤ人
滅亡した東方のハザール王国の王子ないし高位の貴族で、ポラン族のもとに亡命し粉屋を経営していた人物
首長就任を固辞し、知り合いの車大工のピャスト(車屋を経営するとともにポピェル政権の宰相も務めていたポラン族の人物)を推した ピャスト
(車大工のピャスト) ピャスト家 公 9世紀 伝説的な首長(ポラン族出身) シェモヴィト ピャスト家 公 9世紀 伝説的な首長
ピャストの息子 レステク ピャスト家 公 9 – 10世紀 伝説的な首長
シェモヴィトの息子 シェモミスウ ピャスト家 公 10世紀 伝説的な首長
レステクの息子 ミェシュコ1世 ピャスト家 公 960年? – 992年 シェモミスウの息子
最初のキリスト教徒の君主 ボレスワフ1世フロブルィ ピャスト家 公 992年 – 1025年
王 1025年 ミェシュコ1世の息子
最初に戴冠したポーランド王 ミェシュコ2世ランベルト ピャスト家 王 1025年 – 1031年 ボレスワフ1世の息子 ベスプリム ピャスト家 公 1031年 – 1032年 ボレスワフ1世の息子 ミェシュコ2世ランベルト ピャスト家 公 1032年 – 1034年 復位 カジミェシュ1世オドノヴィチェル ピャスト家 公 1039年 – 1058年 ミェシュコ2世の息子 ボレスワフ2世シュチョドルィ ピャスト家 公 1058年 – 1076年
王 1076年 – 1079年 カジミェシュ1世の息子 ヴワディスワフ1世ヘルマン ピャスト家 公 1079年 – 1102年 カジミェシュ1世の息子 ズビグニェフ ピャスト家 公 1102年 – 1107年 ヴワディスワフ1世ヘルマンの息子
はじめボレスワフ3世と共同統治 ボレスワフ3世クシヴォウスティ ピャスト家 公 1102年 – 1138年 ヴワディスワフ1世ヘルマンの息子
はじめズビグニェフと共同統治
「長子による支配」体制を採用 ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ ピャスト家 首位の公 1138年 – 1146年 ボレスワフ3世の息子
シロンスク公を兼ねる
弟たちによって追放される ボレスワフ4世ケンジェジャヴィ ピャスト家 首位の公 1146年 – 1173年 ボレスワフ3世の息子
マゾフシェ公を兼ねる ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1173年 – 1177年 ボレスワフ3世の息子
ヴィエルコポルスカ公を兼ねる カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ ピャスト家 首位の公 1177年 – 1190年 ボレスワフ3世の息子
ヴィシリツァ公、サンドミェシュ公を兼ねる ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1190年 復位 カジミェシュ2世スプラヴィエドリヴィ ピャスト家 首位の公 1190年 – 1194年 復位 レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1194年 – 1198年 カジミェシュ2世の息子
サンドミェシュ公を兼ねる ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1198年 – 1199年 復位 レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1199年 – 1202年 復位 ミェシュコ3世スタルィ ピャスト家 首位の公 1202年 復位 ヴワディスワフ3世ラスコノギ ピャスト家 首位の公 1202年 – 1206年 ミェシュコ3世の息子
ヴィエルコポルスカ公を兼ねる レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1206年 – 1210年 復位 ミェシュコ1世プロントノギ ピャスト家 首位の公 1210年 – 1211年 ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツの息子
オポーレ=ラチブシュ公(高地シロンスク公)を兼ねる レシェク1世ビャウィ ピャスト家 首位の公 1211年 – 1227年 復位
暗殺される ヴワディスワフ3世ラスコノギ ピャスト家 首位の公 1227年 – 1229年 復位 コンラト1世マゾヴィエツキ ピャスト家 首位の公 1229年 – 1232年 カジミェシュ2世の息子
マゾフシェ公を兼ねる ヘンリク1世ブロダティ ピャスト家 首位の公 1232年 – 1238年 ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツの孫息子
シロンスク公を兼ねる ヘンリク2世ポボジュヌィ ピャスト家 首位の公 1238年 – 1241年 ヘンリク1世の息子
シロンスク公を兼ねる
レグニツァの戦いで落命 ボレスワフ2世ロガトカ ピャスト家 首位の公 1241年 ヘンリク2世の息子
シロンスク公を兼ねる コンラト1世マゾヴィエツキ ピャスト家 首位の公 1241年 – 1243年 復位 ボレスワフ5世フスティドリヴィ ピャスト家 首位の公 1243年 – 1279年 レシェク1世の息子 レシェク2世チャルヌィ ピャスト家 首位の公 1279年 – 1288年 コンラト1世の孫息子
ヘンリク2世の女系の孫息子 ヘンリク4世プロブス ピャスト家 首位の公 1288年 – 1290年 ヘンリク2世の孫息子
コンラト1世の女系の孫息子
ヴロツワフ公を兼ねる プシェミスウ2世 ピャスト家 首位の公 1290年 – 1295年
王 1295年 – 1296年 ミェシュコ3世の玄孫
ヘンリク2世の女系の孫息子
ポズナン公、ヴィエルコポルスカ公、ポモジェ公を兼ねる ヴァツワフ2世 プシェミスル家 首位の公 1296年 – 1300年
王 1300年 – 1305年 ボヘミア王
プシェミスウ2世の娘と結婚
マウォポルスカ公を兼ねる ヴァツワフ3世 プシェミスル家 王 1305年 – 1306年 ボヘミア王
ヴァツワフ2世の息子
戴冠せず
暗殺される ヴワディスワフ1世ウォキェテク ピャスト家 首位の公 1306年 – 1320年
王 1320年 – 1333年 コンラト1世の孫息子
レシェク2世の異母弟
ポーランド王国を再統合 カジミェシュ3世ヴィエルキ ピャスト家 王 1333年 – 1370年 ヴワディスワフ1世ウォキェテクの息子
最も偉大なポーランド王の一人とされる ルドヴィク・ヴェンギェルスキ アンジュー家 王 1370年 – 1382年 ハンガリー王
ヴワディスワフ1世ウォキェテクの女系の孫息子 ヤドヴィガ・アンデガヴェンスカ アンジュー家 王 1382年 – 1399年 ラヨシュ1世の娘
男性の王として即位
1386年より夫のヴワディスワフ2世ヤギェウォと共同統治