高槻市 – Wikipedia
この項目では、自治体について説明しています。阪急電鉄の駅については「高槻市駅」をご覧ください。 高槻市(たかつきし)は、大阪府の北摂三島地域に位置する市。中核市に指定されている。 京都市と大阪市との中間に位置し[注釈 1] 、二大都市のベッドタウンとして発展している。市章も、大阪市と京都市の市章を融合させたデザインとなっている[注釈 2]。高槻藩時代には内藤家、土岐家、松平家、岡部家藩主が変わり、徳川将軍家と近しい譜代大名の直清流永井家が幕末まで222年間藩主を治めることになる。平地では工業地帯が広がり、山間部では農業が盛んである。中心部の都会的な街並みと、原や堅田の農村風景を併せ持つ町として「とかいなか」を自称している[1]。 地名の由来[編集] 「高槻」の地名の由来は、2つの説がある。 『古事記』や『日本書紀』にある神武東征の時に、大和で長髄彦一族に苦しめられた。そこで道臣命と可美真手命を東征軍の長に任じ、征伐に成功したことから天皇は三島の土地を与えた。その軍隊の旗印が月をかたどっていたので、褒美に貰った土地を「高月」と呼ぶようになったという説。 安満庄にあった天月弓杜(あめのつきゆみのやしろ)が高月読杜(たかのつきよみのやしろ)とも呼ばれ、そこからその一帯は「高月」と呼ばれたという説。 「高月」が「高槻」に転じた理由は、槻(欅の古称)の大木があり、戦国時代に槻の近くに本陣が立てられたことから、月を槻に変えたとされる[2]。 大阪府の北東部に位置し、東西10.4km・南北22.7kmと、市域は東西に狭く、南北に広い。北端を北摂連山・南端を淀川で区切られ、地勢は北高南低になっている。市内最高標高はポンポン山の678.7m、最低標高は柱本の淀川河川敷で3.3m。 大阪から21.2km、京都から21.6km[注釈 3]と、京都大阪間のほぼ中央に位置する。市域面積は105.31km2、広さは府内第4位[注釈 4]で、大阪府の5.6%を占める。市域の33.29km2 (31.6%) が市街化区域となり、残りの72.02km2 (68.4%) が市街化調整区域として開発が制限されている。市街化率は北摂7市の中で最も低く[注釈 5]、山林や農地が多く残されている。主な市街化調整区域は、保安林や近郊緑地保全区域に指定され、市域の48%を占める北部の山林[注釈
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