ラウル・イバニェス – Wikipedia

この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。

  • ラウル・イバニエス
  • ラウル・イバネス
  • ラウル・イバンエズ

ラウル・ハビアー・イバニェスRaúl Javier Ibáñez, 1972年6月2日 – )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の元プロ野球選手(外野手または指名打者)。右投左打。

メディアによってはイバニエスイバネスと表記されることもある。

プロ入りとマリナーズ時代[編集]

1992年のMLBドラフト36巡目(全体1006位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り。マイナーリーグでは捕手または外野手としてプレーしながら経験を積む。

1996年8月1日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビューを果たした。

1997年と1998年はシーズンの大半をAAA級タコマ・レイニアーズで過ごした。

1999年は主にマリナーズでプレー。外野手のほか、一塁手や捕手としても出場した。

2000年にはディビジョンシリーズ、リーグチャンピオンシップでも出場機会を得た。シーズン終了後にFAになる。

ロイヤルズ時代[編集]

2001年1月22日にカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍。

2002年は、自身初めて1年間を通じてMLBでプレーした。

マリナーズ復帰[編集]

2003年11月19日に3年総額1300万ドル[1]の契約でマリナーズへ復帰した[2]

2004年は自己最高の打率.304を記録。8月17日のロイヤルズ戦で5打数5安打を記録し、9月22日のアナハイム・エンゼルス戦では1試合6安打(6打数)のアメリカンリーグ・タイ記録を達成[2]

2005年は引退したエドガー・マルティネスに代わる指名打者に定着。全162試合に出場し、シーズン終盤には不振のエイドリアン・ベルトレに代わって3番を打つようになった[3]。シーズン終了後には2007年から2年総額1100万ドルで契約延長した[1]

2006年はホセ・ビドロとカール・エバレットの加入により左翼手としてプレー。同年、103得点、181安打、33本塁打、123打点など自己記録を更新。

2007年は5月に腰を、6月にハムストリングを痛めたが、8月以降は体調を戻した[4]

2008年10月30日にFAとなった。

フィリーズ時代[編集]

2008年12月16日に3年総額3150万ドルでフィラデルフィア・フィリーズと契約に合意した[5]

2009年は、4月16日のワシントン・ナショナルズ戦で、シーズンの打率が3割を超えると、8月9日のフロリダ・マーリンズ戦まで3割以上の打率を維持。その間、79試合の出場で打率.304、23本塁打、69打点という数字を残した。また、ファン投票でライアン・ブラウンに次ぐナ・リーグ外野手部門2位となり、自身初となるオールスターに出場した。ところが、打率が3割を下回ってからは成績が下がり、48試合の出場で、打率.210、8本塁打、18打点だった。それでも、自身2度目となる30本塁打以上を放ったシーズンとなり、打点も4年連続で90以上の数字を記録した。一方で、打率に関しては2桁本塁打を放ち始めた2001年以降最低の数字となり、三振の数も同じく2001年以降ではワーストの数字となった。

2010年は、打率こそ移籍1年目の数字(.272)を上回る.275を記録したが、本塁打と打点は数字が低下した。しかし、オールスターまでは85試合で打率.243、7本塁打、39打点という成績だったが、オールスター以降は70試合で打率.309、9本塁打、44打点と復調した。2011年は左翼手としてのMLB全体で最低のレンジファクター(1.60)を記録[6]。シーズン終了後にFAとなった。

ヤンキース時代[編集]

2012年2月20日、指名打者を探していたニューヨーク・ヤンキースと1年契約総額110万ドルで合意。

10月3日のボストン・レッドソックス戦では9回裏ビハインドの場面で代打同点2点本塁打を放ち、さらに延長12回裏同点の場面にはサヨナラ打を放った。地区優勝の行方を大きく左右する大事な試合で持ち前の勝負強さを発揮し、チームを勝利に導いた。10月11日のボルチモア・オリオールズ戦でも9回裏ビハインドの場面で再び代打同点本塁打を放ち、延長12回には2打席連続となるサヨナラ本塁打を放った。この活躍により、チームはリーグ優勝決定シリーズ進出へ王手を懸けた。オフの10月29日にFAとなった。

2度目のマリナーズ復帰[編集]

シーズン終盤の劇的な活躍から去就が注目されていたが、12月26日に古巣・マリナーズと1年契約で合意[7]。2度目のマリナーズ復帰となった。

2013年10月31日にFAとなった。

エンゼルス時代[編集]

2013年12月18日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと1年275万ドルで契約に合意したことを報道され[8]、27日に球団が発表した[9]

2014年6月21日に自由契約となった。

ロイヤルズ復帰[編集]

2014年6月30日に古巣・ロイヤルズとメジャー契約を結んだ[10]。7月2日にロイヤルズの最年長記録となる42歳31日での本塁打を放った[11]。オフにFAとなった。

引退後[編集]

2016年2月よりロサンゼルス・ドジャースのGM特別補佐に就任した[12]
また同年4月には、ESPNの提供するケーブルテレビ/衛星放送番組ESPN Deportesの野球解説者としても活動を開始した[13]

選手としての特徴[編集]

2006年から3年連続で100打点以上を記録するなど、勝負強いバッティングが持ち味のクラッチヒッター[14]

外野手としては主に左翼を守る。2007年の時点では、守備範囲は並、肩はやや弱く遠距離からの送球に確実性を欠くが、左翼手としては及第点の守備力と評されていた[15]。しかし、2010年以降は低調なレンジファクターを記録している。

フィリーズ在籍時、スポーツ・イラストレイテッド誌の企画により選手間投票で選ぶ「感じの良いメジャーリーガー」ではジム・トーミに次ぐ2位となった[16]

マリナーズ時代にチームメイトで、ヤンキースでは隣り合ったロッカーを使うイチローは「いやもう本当にイイ奴なんですよ。本当にイイ奴って実はあんまりいない。嫌いな人がいないタイプって、実際は本当にいい人では無いケースが多くてね。でもあの人(イバニェス)は本当にいい人。珍しいタイプですよ。絶対に彼の事を悪く言う人はいないと思うんですが、かといって薄っぺらい人でもない。稀有な人だと思いますね」と、イバニェスの人柄を絶賛している[17]

また、日本語が上手であることでも知られる。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]















O
P
S
1996 SEA 4 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 .000 .167 .000 .167
1997 11 26 26 3 4 0 1 1 9 4 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .154 .154 .346 .500
1998 37 103 98 12 25 7 1 2 40 12 0 0 0 0 5 0 0 22 4 .255 .291 .408 .699
1999 87 227 209 23 54 7 0 9 88 27 5 1 0 1 17 1 0 32 4 .258 .313 .421 .734
2000 92 156 140 21 32 8 0 2 46 15 2 0 0 1 14 1 1 25 1 .229 .301 .329 .630
2001 KC 104 312 279 44 78 11 5 13 138 54 0 2 0 1 32 2 0 51 6 .280 .353 .495 .848
2002 137 544 497 70 146 37 6 24 267 103 5 3 1 4 40 5 2 76 11 .294 .346 .537 .883
2003 157 671 608 95 179 33 5 18 276 90 8 4 1 10 49 5 3 81 10 .294 .345 .454 .799
2004 SEA 123 524 481 67 146 31 1 16 227 62 1 2 0 4 36 5 3 72 10 .304 .353 .472 .825
2005 162 690 614 92 172 32 2 20 268 89 9 4 0 3 71 6 2 99 12 .280 .355 .436 .791
2006 159 699 626 103 181 33 5 33 323 123 2 4 0 7 65 15 1 115 13 .289 .353 .516 .869
2007 149 636 573 80 167 35 5 21 275 105 0 0 0 7 53 4 3 97 14 .291 .351 .480 .831
2008 162 707 635 85 186 43 3 23 304 110 2 4 0 5 64 11 3 110 13 .293 .358 .479 .837
2009 PHI 134 565 500 93 136 32 3 34 276 93 4 0 0 5 56 8 4 119 16 .272 .347 .552 .899
2010 155 636 561 75 154 37 5 16 249 83 4 3 0 7 68 11 0 108 15 .275 .349 .444 .793
2011 144 575 535 65 131 31 1 20 224 84 2 0 0 5 33 3 2 106 13 .245 .289 .419 .707
2012 NYY 130 425 384 50 92 19 3 19 174 62 3 0 0 2 35 5 4 67 14 .240 .308 .453 .761
2013 SEA 124 496 454 54 110 20 2 29 221 65 0 0 0 0 42 1 0 128 8 .242 .306 .487 .793
2014 LAA 57 190 166 16 26 5 2 3 44 21 3 2 0 0 23 0 0 43 1 .157 .258 .265 .523
KC 33 90 80 7 15 3 1 2 26 5 0 0 0 0 10 0 0 16 1 .188 .278 .325 .603
’14計 90 280 246 23 41 8 3 5 70 26 3 2 0 0 33 0 0 59 2 .167 .264 .285 .549
MLB:19年 2161 8278 7471 1055 2034 424 51 305 3475 1207 50 29 2 63 713 83 29 1374 164 .272 .335 .465 .801
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]

捕手守備
内野守備


一塁(1B) 三塁(3B)





1998 SEA 16 93 6 1 12 .990
1999 21 147 7 2 18 .987
2000 3 13 0 0 2 1.000
2001 KC 10 58 8 2 11 .971 1 0 0 1 0 .000
2002 49 362 30 2 36 .995
2003 22 164 19 1 15 .995
2004 SEA 10 57 2 1 2 .983
2005 4 26 3 0 0 1.000
2010 PHI 1 3 0 0 0 1.000
2014 LAA 5 21 2 0 2 1.000
KC 3 14 3 0 2 1.000
’14計 8 35 5 0 4 1.000
MLB 144 958 80 9 100 .991 1 0 0 1 0 .000
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)







1997 SEA 2 3 0 0 0 1.000 6 6 0 0 0 1.000
1998 6 4 0 0 0 1.000 12 7 0 0 0 1.000
1999 22 24 1 0 0 1.000 39 59 0 1 0 .983
2000 35 39 1 1 1 .976 44 46 0 1 0 .979
2001 KC 17 27 1 1 0 .966 2 1 0 1 0 .500 24 28 2 0 0 1.000
2002 42 67 2 1 0 .986 16 21 1 0 0 1.000
2003 128 231 8 3 2 .988 5 12 1 0 0 1.000
2004 SEA 110 227 10 4 3 .983 3 2 0 0 0 1.000
2005 55 106 6 2 3 .982 3 0 0 0 0
2006 157 301 11 2 0 .994
2007 131 224 10 6 2 .975
2008 153 302 9 5 1 .984
2009 PHI 129 213 9 2 0 .991
2010 145 212 4 2 1 .991
2011 134 208 5 1 0 .995
2012 NYY 80 118 2 1 0 .992 13 13 0 0 0 1.000
2013 SEA 99 164 6 4 1 .977 1 1 0 0 0 1.000
2014 LAA 16 26 0 0 0 1.000
KC 6 14 0 1 0 .933 5 8 0 0 0 1.000
’14計 22 40 0 1 0 .976 5 8 0 0 0 1.000
MLB 1467 2510 85 36 14 .986 2 1 0 1 0 .500 171 203 4 2 0 .990
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

  • MLBオールスターゲーム選出:1回(2009年)
  • アメリカンリーグ左翼手最多出場:2回(2006年、2008年)
  • アメリカンリーグ左翼手最多刺殺:1回(2008年)
  • アメリカンリーグ左翼手最多補殺:1回(2007年)
  • ナショナルリーグ左翼手最多補殺:1回(2009年)
  • シーズン162試合出場:2回(2005年、2008年)※36歳(2008年当時)での162試合出場は歴代1位タイであり、カル・リプケン以来11年ぶり、史上5人目
  • 1試合6安打(2004年9月22日、対アナハイム・エンゼルス戦)※シアトル・マリナーズ球団記録

関連項目[編集]

外部リンク[編集]