矢田南 – Wikipedia

矢田南(やだみなみ)は、愛知県名古屋市東区・千種区の地名。現行行政地名は矢田南一丁目から矢田南五丁目[WEB 1]。住居表示実施[WEB 5]

名古屋市東区矢田南は区東部に位置する。南は出来町三丁目・古出来二丁目・古出来三丁目・千種区萱場一丁目、北は矢田・矢田東・大幸一丁目に接する。

また、千種区矢田南二丁目が同区北端部の道路上にのみ存在する。

町名の由来[編集]

矢田町の南側に位置することによる。

沿革[編集]

  • 1935年(昭和10年) – 当地を含む土地に三菱重工業が工場を設置し、航空機生産を行った。
  • 1944年(昭和19年) – 名古屋大空襲により三菱の工場が壊滅する。
  • 1949年(昭和24年) – 日本専売公社(現・日本たばこ産業)名古屋工場が設置される。
  • 1979年(昭和54年)5月5日 – 東区矢田南一丁目が古出来町・新出来町・東大曽根町・矢田町の各一部により、東区矢田南二丁目が古出来町・矢田町の各一部により、東区矢田南三丁目および同区矢田南四丁目が矢田町の一部により、東区矢田南五丁目が矢田町・東大曽根町の各一部によりそれぞれ成立する。千種区矢田南二丁目が千種区萱場町の一部により成立。
  • 1980年(昭和55年)11月23日 – 千種区矢田南二丁目に同区萱場町の一部が編入される。
  • 2004年(平成16年)11月20日 – 東区東大曽根町(中4丁目・東1丁目・南4丁目・本通6丁目・永府・東沖・八神)の一部を同区矢田南五丁目へ編入[WEB 6]

世帯数と人口[編集]

2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

丁目 世帯数 人口
東区 矢田南一丁目 225世帯 572人
矢田南二丁目 281世帯 490人
矢田南三丁目 251世帯 572人
矢田南四丁目・五丁目 82世帯 163人
839世帯 1,797人

人口の変遷[編集]

国勢調査による人口の推移

2000年(平成12年) 1,370人 [WEB 7]
2005年(平成17年) 1,396人 [WEB 8]
2010年(平成22年) 1,725人 [WEB 9]
2015年(平成27年) 1,804人 [WEB 10]

市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。

略地図
イオンモールナゴヤドーム前
名城大学ナゴヤドーム前キャンパス
三菱電機名古屋製作所
名古屋市立矢田小学校
矢田公園
六所社

矢田南一丁目[編集]

矢田南二丁目[編集]

1956年(昭和31年)10月15日供用開始[WEB 13]

矢田南三丁目[編集]

  • 第二あすなろどんぐりひろば[WEB 14]

矢田南四丁目[編集]

1956年(昭和31年)10月15日供用開始[WEB 13]
1956年(昭和31年)10月15日供用開始[WEB 13]

矢田南五丁目[編集]

1924年(大正13年)、中小モーターを量産する工場として操業を開始する。
2021年(令和3年)三菱電機名古屋製作所のメカトロニクス事業を移管のため、設立[WEB 15]
名古屋鉄道により開発された商業施設[WEB 16]。鉄骨造2階建で、17店舗が入る[WEB 16]。2020年(令和2年)開業[WEB 16]。ミュープラットは名鉄による駅併設型の商業施設で、2014年(平成26年)の金山駅を皮切りに江南駅・常滑駅に展開[WEB 17]。大曽根は4箇所目にあたる[WEB 17]

日本郵便[編集]

WEB[編集]

文献[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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