ジョアン・カーナー – Wikipedia

ジョアン・ガンダーソン・カーナーJoAnne Gunderson Carner、1939年4月4日 – )はワシントン州カークランド出身のアメリカ合衆国の元女子プロゴルファー。LPGAツアーで43勝をあげ、1982年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしている[1]。彼女は全米女子ジュニアアマチュアゴルフ選手権、全米女子アマチュアゴルフ選手権、全米女子オープンの全てのタイトルを獲得したただ1人の女性であり(2009年8月現在)、全米ゴルフ協会主催の3つの異なる選手権に勝利した最初の選手である。

1981年、カーナーは全米ゴルフ協会によってゴルフにおける優れたスポーツマンシップを讃えて与えられる、最高の栄誉であるボブ・ジョーンズ賞を受賞した。1994年にはソルハイムカップでアメリカツアーチームの主将を務めた。

アマチュア時代[編集]

グレート・ガンディ(ドン・カーナーと結婚するまでは、この名で知られていた)は30歳になるまでアマチュアのままであった。1956年から1968年までアマチュアゴルフ界の強豪として君臨した。彼女は全米女子アマチュアゴルフ選手権のタイトルを5回獲得した。この記録を上回っているのは6勝をあげたグレナ・コレット=ベアのみである。また同大会で2回2位になっている。1966年にはマレーン・スチュアート・ストレイト (Marlene Stewart Streit) と全米アマチュア史上最も長い41ホール(通常はフルラウンド闘ったとしても36ホール)にわたる死闘を演じた末に勝利した[2]。また1956年には全米女子ジュニアアマチュアゴルフ選手権に優勝している。

1969年、まだアマチュアの時代にLPGAの大会、バーディンズ・インビテーショナルに勝利した。2009年8月現在、彼女はLPGAツアーで優勝した最後のアマチュア選手である。

プロ転向後[編集]

プロとしてのカーナーの最も特筆すべき勝利は、1971年と1976年の全米女子オープンである。1971年は終始リードを保ち、2位のキャシー・ウィットワースに7打差をつけて圧勝した[3]。1976年はサンドラ・パーマーと18ホールのプレーオフを闘った末に優勝した。

ビッグママ(彼女のもう1つの有名な愛称)はLPGA史上、生涯獲得賞金が100万ドルを越えた2番目の選手である。非常に息の長い選手で、1990年代後期に至っても競技に耐える実力を維持していた。2004年にはまだ10試合に出場し、64歳でLPGAツアーの予選ラウンドを通過するという最年長記録を打ち立てた[4]

LPGAツアーの優勝歴[編集]

通算43勝。太字はメジャートーナメント大会。

LPGAツアー以外の優勝[編集]

LPGAメジャー大会の成績[編集]

† 現在クラフト・ナビスコ選手権として知られているこのトーナメントは1999年までナビスコ・ダイナ・ショア大会であった。2000年にナビスコ選手権になり、2002年に現在の名称となった。
^全英女子オープンは 2001年からデュモーリエ・クラシックの代わりにLPGAメジャー大会に昇格した。
DNP = 出場せず
CUT = 予選落ち
DQ = 出場資格無し
X = メジャー大会ではなかった
“T” = 複数の選手と順位を分け合った(タイ)
グリーン地は優勝、黄色地はトップ10入りを表している。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]