スキップ・マーティン – Wikipedia
スキップ・マーティン Skip Martin |
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基本情報 | |
生誕 | 1957年6月25日 |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ |
ジャンル | ファンク/Jazz/R&B/ソウル |
職業 | シンガー、トランペッター、プロデューサー、作曲家 |
共同作業者 | ダズ・バンド、クール・アンド・ザ・ギャング、トム・シューマン(スパイロ・ジャイラ)、アルトゥーロ・サンドヴァル |
公式サイト |
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セニー・”スキップ”・マーティン (Sennie “Skip” Martin III、1957年6月25日 – )は、アメリカ合衆国のシンガー、トランペット奏者。
ダズ・バンド(1980-)とクール・アンド・ザ・ギャング(1987-2007)のボーカル[1]とトランペットを担当。ダズ・バンドのLet It Whipでグラミー賞を受賞[2]。
カリフォルニア州サンフランシスコ出身。
East Wind Bandのリード・ボーカルとして活動後、Mighty Generation Bandに加入。その後、ダズ・バンドへ1980年に加入し、”Let It Whip”でグラミー賞を受賞[3]。1985年に脱退し[3]、1987年にクール・アンド・ザ・ギャングへ加入した。20年間のクール・アンド・ザ・ギャング在籍中、10年間は、ダズ・バンドとの掛け持ちでの活動をしている。クール・アンド・ザ・ギャング脱退後は、ダズ・バンドとしての活動を続けながら、ソロとしての活動を続けている。
スキップ・マーティンはトラペット奏者として11歳の時からジャズをこよなく愛し始め、後に高校生の時に、モントレー・ジャズ・フェスティバルで優秀賞を授与される。ジャズ分野で初めてリリースしたソロアルバムには、ロニー・ロウズやウェイマン・ティスデイル、 アル・マッケイ、リッキー・ローソン、ブルース・コンテが参加している。
クール・アンド・ザ・ギャング時代にプラチナディスク、ダズ・バンド時代にプラチナディスク、ゴールドディスクを受賞している。連続してリリースした自身の6枚のアルバムはBillboard Top100入りし、2枚のシングルがThe Hot 100入りした。また、ブラックミュージック協会(Association African American Music Association)から名誉音学博士号、特別功労賞を授与、ブラックミュージック学会(Black Music Academy)からリビング・レジェンド賞が授与された。2003年にはクール・アンド・ザ・ギャングのメンバーとしてMOBOアワード受賞[4]。
2016年にソロとして初来日し、”スキップ・マーティン フレンドシップツアーin Japan” を3年間にわたり日本各地で開催した。来日時には、仙台・熊本の被災地への訪問などのチャリティーライブ、保育園・小中高学校などの教育機関への訪問などの、社会奉仕活動を行っている。
2018年12月31日、アマン東京のカウントダウンパーティーにて特別ゲストとして参加した[5][6]。
2019年4月16日に、国外在住者として初めて「美ら島沖縄大使」に認証された[2][7]他、「輝くかけがわ応援大使」にも任命されている[8]。
現在はネバダ州ラスベガスに居住している[2][7]。
- ^ “Kool&The Gang、The Dazz Bandボーカルのスキップ・マーティン 沖縄北谷で22日ライブ”. 沖縄タイムス. (2019年9月18日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b c “グラミー奏者が美ら島大使に 知事が「ダズ・バンド」のマーティンさんに認定証”. 琉球新報. (2019年4月19日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b “ダズ・バンド 来日記念特集”. Billboard JAPAN. 2020年4月14日閲覧。
- ^ Biography of Sennie “Skip” Martin
- ^ “アマン東京で、とびきり華やかなカウントダウンパーティーを!”. VOGUE JAPAN. (2018年12月22日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ “「ランバン コレクション」が参加したアマン東京のカウントダウンパーティーをレポート!”. ELLE. (2019年2月6日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b “スキップ・マーティン氏を「美ら島沖縄大使」に認証しました” (プレスリリース), 沖縄県, (2019年5月16日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ “輝くかけがわ応援大使”. 掛川市. 2020年4月14日閲覧。
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