週刊少年マガジン – Wikipedia

週刊少年マガジン』(しゅうかんしょうねんマガジン、英: WEEKLY SHONEN MAGAZINE)は、講談社が発行する日本の週刊少年漫画雑誌。1959年3月17日創刊。毎週水曜日発売。略称は 「マガジン」「週マガ」。

Table of Contents

劇画路線[編集]

W3事件の際、手塚治虫が『週刊少年マガジン』から原稿を引き上げたため、対立軸を明確にすべく1970年代に劇画路線をとったことで知られる。近年の少年誌では珍しい、ノンフィクションのドキュメンタリー漫画が掲載された他、一時期は芸能人による連載企画も行われていた。

グラビア企画[編集]

多数の女性芸能人を輩出しているオーディション企画ミスマガジンを始め、グラビアアイドルや人気女優などのカラーグラビアも積極的に行なっている。また、「マガジン一押し!若手アイドル○連発」などと銘打ってまだ知名度の低いグラビアアイドルをまとめて掲載する企画が不定期で行なわれており、中には乙葉や小倉優子など、その後知名度が高くなった女性タレントも出演していた。しかし、2000年代後半以後はすでにテレビで活躍している女性タレント(スザンヌ、南明奈など)が出演することが多い。稀に男性芸能人が出演することもあり、2000年8号では男性バンドのL’Arc〜en〜Cielが、2015年42号では男女4人組バンドのSEKAI NO OWARIが出演した。ちなみに本誌の表紙を飾った最初の女性芸能人は1970年43号の藤圭子[1]、表紙を飾った最初の水着アイドルは1972年33号の山口いづみ[1] である。

アンケートの扱い[編集]

読者アンケートは、編集方針の参考という扱いである。『週刊少年ジャンプ』とは異なり、アンケート至上主義ではないが、アンケートで人気が芳しくなかった作品は打ち切りとなることが多い。

掲載順は「アンケート上位順」ではなく、様々な要因によって決定される。例えば、「単行本の売り上げや作品同士の相性を考慮する、特に読者にアピールしたい作品を上位にする」「巻末にギャグ漫画[注 1] を配置する」などである[2]。そのため、常時下位掲載でも打ち切られないケース[注 2] も見られる(いわゆるしんがり漫画)。

作品の転出および転入[編集]

人気が低迷したり作者・編集部側の事情などにより本誌で打ち切りになったとしても完全に打ち切るのではなく、兄弟誌である『マガジンSPECIAL』や『月刊アフタヌーン』へ舞台を移して連載をするケースがある。例として「Dreams」や「ガチャガチャ」などが前者へ、「ヴィンランド・サガ」が後者へ移籍している。逆に『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』から本誌へ舞台を移すケースがあり、「将太の寿司」や「生徒会役員共」などが前者から、「神さまの言うとおり」や「リアルアカウント」などが後者から移籍している。移籍しても同一タイトルとして話数を継続させるケースもあれば、移籍を機に改題して(「神さまの言うとおり」→「神さまの言うとおり」など)別シリーズとして始めるケースもある。また、「彼女とキスする50の方法」のように本誌で短期連載を行なったのち『マガジンSPECIAL』で本連載を開始するケースや、「Dr.デュオ」のように『マガジンSPECIAL』でサイドストーリーを行ってから本誌で本連載を開始するケースがある。

特異な例として、料理冒険漫画である「中華一番!」は本誌から『マガジンSPECIAL』に移籍したのち、『真・中華一番!』と改題して本誌に復帰。逆に「スミレ17歳!!」は『マガジンSPECIAL』で連載が始まり、「スミレ16歳!!」と改題して本誌に移籍したのち、再び『マガジンSPECIAL』へ戻っている。また「KAGETORA」のように『マガジンSPECIAL』での本連載を一度休み、本誌で同名別ストーリーの短期集中連載を行なうこともある。その他、『マガジンSPECIAL』や『別冊少年マガジン』の連載作品がPRも兼ねて本誌で読みきりを掲載することもある。

連載漫画家の特徴[編集]

古くは手塚治虫や赤塚不二夫、つのだじろうといった通称『トキワ荘』組や小林よしのりなどといった複数の漫画誌を渡り歩いている漫画家を多く起用していた。1990年頃になるとその傾向は一旦低下するが、1999年頃から再び同社他誌の主力漫画家や他社デビューの漫画家を積極的に起用するようになっている。前者についてはCLAMP(『なかよし』)や福本伸行(『週刊ヤングマガジン』)が該当し、後者については大暮維人(『ウルトラジャンプ』)や木多康昭(『週刊少年ジャンプ』)、久米田康治(『週刊少年サンデー』)、ヒロユキ[注 3](『月刊少年ガンガン』)、鈴木央(『週刊少年ジャンプ』、『週刊少年サンデー』、『週刊少年チャンピオン』)、大久保篤(『月刊少年ガンガン』)、雷句誠(『週刊少年サンデー』)、大高忍(『ヤングガンガン』、『週刊少年サンデー』)などがいる。その他能條純一や板垣恵介など他社の主力漫画家が一時的に『週刊少年マガジン』で連載を行なうことがある。

女性漫画家の起用は早い時期から多く行なっているが、ペンネームが男性風になることが多い。例として塀内真人(現・塀内夏子)、島崎譲、大島司、さとうふみや、恵広史、山本航暉などがおり、他誌では女性風だったペンネームをわざわざ男性風にした久保ミツロウのケースもある。最近では咲香里や吉河美希、西山優里子など男性風に変えない女性漫画家もいる。ちなみに初の連載女性漫画家は高橋美由紀である(1982年46号)。

ショートギャグにも比重を置いていることから専門の漫画家も多く起用しており、過去には斉藤富士夫や三ツ森あきら、現在は西本英雄や氏家ト全がそれに該当する。また島田英次郎のように普段は他誌で連載をしているが、本誌の連載漫画が休載したときの穴埋めとしてショートギャグ漫画の読み切りを描くことがある。

作家には3人ほどの担当者が付き、それぞれ意見を出すというシステムであり、赤松健は責任の所在が明らでないなど公務員的だが、満遍なく意見が聞けるとしている[3]。週刊少年ジャンプと同じく専属契約制度がある[3]

コラボレーション・メディアミックスなど[編集]

当誌におけるメディアミックスの代表作として『魔法先生ネギま!』が挙げられ、アニメ・ドラマ化以外にもTVゲームやカードなど幅広いジャンルで活動している。エイベックスとのメディアミックスで『アソボット戦記五九』が連載。西尾維新プロジェクトとのメディアミックスで大暮維人による「化物語」のコミカライズ版が連載。小説家になろうからは不二涼介によるシャングリラ・フロンティアのコミカライズ版が連載。また、創刊50周年記念として『週刊少年サンデー』との数々のコラボレーション企画が行われたり、テレビ朝日のドキュメント番組『GET SPORTS』とのタイアップによる短編作品や女性アイドルグループ『AKB48』公認漫画作品『AKB49〜恋愛禁止条例〜』の連載が行われている。さらに、パズル&ドラゴンズとのコラボイベントが行われていたり、『週刊少年ジャンプ』とのコラボレーションとして、専用アプリ『ジャンマガ学園』を配信している。創刊60周年記念として真島ヒロの作品「RAVE」、「FAIRY TAIL」、「EDENS ZERO」とのクロスオーバー漫画「HERO’S」が作者本人によって連載される。

約物の使用[編集]

作中の台詞表現において、句読点を原則として用いず、沈黙を表すリーダーも三点リーダー(…)ではなく二点リーダー(‥)を用いるという特色がある。この特徴は、マガジンSPECIALや月刊少年マガジン、週刊ヤングマガジン等の系列・派生誌でも見られる(一方、同じ講談社発行のモーニングとその系列誌では、一貫して三点リーダーが用いられている)。

また、『スクールランブル』と『新約「巨人の星」花形』の三点リーダーや『さよなら絶望先生』の木津千里の台詞にある句読点など、例外も存在する。

1959年 – 1968年[編集]

『週刊少年マガジン』創刊号
(表紙の写真は朝汐太郎)
1959年に創刊。当初は火曜日発売で定価は40円だったが、同年5号で30円に値下げ。キャッチコピーは同年14号から翌1960年26号まで「ゆめと希望の少年マガジン」だった。当初の主力作品は連続小説が大半を占めていた。漫画は5本のみで、全体のページ数の6割以上は小説とニュース、スポーツ、科学などの読み物で占められ、教育的雰囲気が漂っていた[4]。また、当時はまだヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を開けられている状況が続いた。しかし1965年の「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。
その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」「サイボーグ009」なども連載を始め、1967年1月にはついに100万部を突破した。また大伴昌司の構成によるグラビア記事も人気に大きく貢献した。円谷プロの怪獣物テレビ番組「ウルトラQ」の怪獣を表紙に採用し、メディア・ミックスの先駆ともなった。

1969年 – 1977年[編集]

「キッカイくん」の連載を機にエログロナンセンスが用いられるようになり、それにともない読者の対象年齢も上昇。さらに1970年には「アシュラ」「ワル」「メッタメタガキ道講座」など多くの問題作が登場。さらに横尾忠則を表紙のデザイナーに迎えるなど、マガジンは『ガロ』に近い青年向けの雑誌となり、現在までに至るマガジンのイメージがほぼ確立されはじめる。大学生の間で「右手に(朝日)ジャーナル左手にマガジン」と言われたこともあった[5][6]。この影響は大きく、神奈川県児童福祉審議会が1970年32号を有害図書に指定。
その後は1971年に「巨人の星」、1973年に「あしたのジョー」が終了したことなどからマガジンの勢いは徐々に下降。「あしたのジョー」などに変わる新たな主力作品としては「空手バカ一代」「愛と誠」「おれは鉄兵」「愛と誠」「釣りキチ三平」「三つ目がとおる」「うしろの百太郎」「野球狂の詩」などがスタートし、新たに篠山紀信によるアイドルのグラビア記事を導入するも、部数は伸び悩み、1973年に『週刊少年ジャンプ』に発行部数首位の座を奪われた。このため1975年1号より創刊以来親しまれた誌名ロゴを初めて大幅に変更するなどのリニューアルを行い巻き返しを図ったが、低迷からは思うように抜け出せなかった。
因みに1971 – 1973年には1971年に休刊した兄弟誌の『週刊ぼくらマガジン』を受け継ぐ形で「仮面ライダー」などの特撮・アニメヒーロー作品がいくつか掲載されているものの、ウルトラマンなどの空想特撮シリーズの頃のように表紙を飾ることはなく、またそれらのジャンルは当時創刊されていた『テレビマガジン』や学年誌の対象分野となりつつあったことから、以後その手の作品の掲載は控えられた。ただし、それらの中には「タイガーマスク」「デビルマン」「ロボット刑事」「デロリンマン」などといった作品も存在している。

1978年 – 1988年[編集]

2度目の誌名ロゴ変更を行った1978年2号で創刊1000号到達。だがこの頃の『マガジン』は『ジャンプ』だけでなく、『サンデー』や『チャンピオン』の後塵をも拝する状態となっていたが、「翔んだカップル」のヒットによってラブコメ漫画が定着。「あした天気になあれ」「1・2の三四郎」「コータローまかりとおる!」などの新たな主力作品の登場と新体制により勢いを徐々に取り戻し、部数を回復させた。
1982年には初の雑誌系オーディション企画「ミスマガジン」が開始され、同年26号からはイメージキャラクターのモグラ「ピモピモ」が登場する[1]。1983年には定期増刊『マガジンSPECIAL』の創刊とバイク漫画としては『マガジン』始まって以来の大ヒットとなる「バリバリ伝説」の連載開始。さらに創刊25周年の年である1984年に誌名ロゴを現在のバージョンに変更。1980年代後半には少年誌の部数で『サンデー』を再び抜き、2位となったが、首位の『ジャンプ』の背中はまだ遠く、差は開く一方だった。この時代には、「ミスター味っ子」「THE STAR」「ブレイクショット」「名門!第三野球部」「スーパードクターK」などが掲載された。

1989年 – 1994年[編集]

平成時代の幕開けとなった1990年代前半は大ヒット作となる「金田一少年の事件簿」の連載が開始され、『マガジン』史上最も連載期間の長い[注 4]「はじめの一歩」「シュート!」「オフサイド」「風のシルフィード」などのスポーツ漫画や、「湘南純愛組!」「カメレオン」「疾風伝説 特攻の拓」などのヤンキー漫画の分野でヒット作が続出。1990年代の第2次黄金期の基礎を築いた。
しかし1990年代初頭に『ジャンプ』が発行部数600万部を突破したことなどもあってか、この頃のマガジンの健闘ぶりは当時は過小評価されがちで、スポーツものや不良ものに比重を重く置いたこの頃の誌面の内容には、「絞れば汗が出る」と揶揄する声も一部にはあった。
前述の作品と同時期に連載を開始した「MMR」「BOYS BE…」「将太の寿司」「覇王伝説 驍」「ビバ!柔道愚連隊」「破壊王ノリタカ!」「キャプテンキッド」「LET’S ぬぷぬぷっ」「MAYA 真夜中の少女」などの作品も連載されていた。
1994年には草創期から長年に渡って『マガジン』で連載を続けていたちばてつやが、「少年よラケットを抱け」の連載終了をもって『マガジン』から離れている。

1995年 – 1999年[編集]

「金田一少年の事件簿」「はじめの一歩」「シュート!」などの看板漫画を擁する『マガジン』は、看板漫画を失った『ジャンプ』との差を徐々に縮め、1997年にはついに『ジャンプ』を抜き久々に発行部数首位の座を取り返す。この期間には「金田一少年の事件簿」「GTO」「サイコメトラーEIJI」などの看板・主力作品のドラマ化・アニメ化といったメディアミックスが行われたことで、多くの読者を呼びこんだ。
また、1998年から始まった「ラブひな」がヒットし、関連グッズも飛ぶように売れ、そのことが後の『マガジン』の路線に多大な影響を与えることとなる。さらに、それまでの『マガジン』としては珍しかった「RAVE」「SAMURAI DEEPER KYO」「GetBackers-奪還屋-」などのファンタジー漫画・アクション漫画が立て続けにヒット。他には、「へなちょこ大作戦Z」「中華一番!」「脳みそプルン!」「Dreams」「蒼き神話マルス」「哲也-雀聖と呼ばれた男」など、まさしく第2次黄金期と言えるほどの、誌面の充実振りを見せた。

2000年 – 2005年[編集]

2000年代に入ると、1990年代中 – 後期の第2次黄金期を支えた主力作品の休載・終了が目立つようになり、部数は徐々に下降していった。そして2002年5月20日、副編集長が大麻所持で逮捕されるという事件が起きる。弱り目に祟り目となった『マガジン』はこの1年で部数が急落し、8月には再び『ジャンプ』に首位の座を奪われてしまう。ちなみに捕まった元副編集長は、その後逮捕事件について自伝を出版している。
2003年にはCLAMPを少年誌の『マガジン』本誌に引き抜き、「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」を連載するというサプライズを見せる。またこの年に「魔法先生ネギま!」の連載が開始され、同作のメディアミックスが盛んに行われた。2004年40号から作者目次コメントが開始される[1]。「ラブひな」ヒットの影響からか、「スクールランブル」を始めとした萌え系や恋愛漫画などが多く誌面に見られるようになった。
これらと従来の連載陣に加えて、『サンデー』から移籍した久米田康治が「さよなら絶望先生」の連載を開始したり、巻末漫画として「もう、しませんから。」が定着するなど、ギャグ漫画の分野でも個性的なヒット作が登場した。その他にも、「魁!!クロマティ高校」「ゴッドハンド輝」「クニミツの政」「DRAGON VOICE」「探偵学園Q」「トッキュー!!」「15の夜」などがこの時期に連載された。

2006年 – 2014年[編集]

「あひるの空」「Over Drive」「エリアの騎士」「ダイヤのA」「スマッシュ!」「ベイビーステップ」などスポーツ漫画の新連載が大量に始まる。「巨人の星」のリメイク漫画、「新約「巨人の星」花形」の新連載が決定されたときは、テレビや新聞などの各種マスコミにも取り上げられた。ここ数年勢いがあった萌え系・ファンタジー系は最近はやや落ち着いてきている。その反面、「FAIRY TAIL」や「ダイヤのA」等のヒットこそあったものの部数の減少に歯止めはかからず、2007年には発行部数が200万部を下回る。2008年には50周年記念として様々な企画を行い、ライバル誌の『サンデー』と協力して異例のコラボレーションを見せた。「シバトラ」「BLOODY MONDAY」「賭博覇王伝 零」「CØDE:BREAKER」「生徒会役員共」「ゼロセン」などが連載開始。
2009年3月17日「少年サンデー・少年マガジン創刊50周年大同窓会」が東京で開催された。一方テレビドラマ化の乱発やGTOの続編にあたる「GTO SHONAN 14 DAYS」を連載する。2001年に連載が終了し、以降短期集中連載を行なっていた「金田一少年の事件簿」の定期連載を2012年に再開し、その続編となる「金田一少年の事件簿R」として通常連載する。また、これまで『ジャンプ』『サンデー』『チャンピオン』で連載を行っていた鈴木央が「七つの大罪」の連載を開始し、現在出版されている週刊少年漫画四誌すべてで連載を開始することになった[注 5]。この頃からスポーツ漫画の新連載が落ち着き、ジャンルが多種多彩になる。この時期には、「波打際のむろみさん」「我間乱〜GAMARAN〜」「だぶるじぇい」「GE〜グッドエンディング〜」「A-BOUT!」「アゲイン!!」「AKB49〜恋愛禁止条例〜」「探偵犬シャードック」などが連載開始。
2013年1号に「はじめの一歩」が週刊少年マガジン初となる連載1000回を達成し、同年には赤松健が「魔法先生ネギま!」の続編にあたる「UQ HOLDER!」の連載を開始、2014年には瀬尾公治が「涼風」の続編にあたる「風夏」の連載を開始するが、出版不況や「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」「ヤンキー君とメガネちゃん」「魔法先生ネギま!」「エア・ギア」「さよなら絶望先生」「エデンの檻」「君のいる町」などの人気作品の連載終了および打ち切り、さらに新連載の短期打ち切りなどが影響し発行部数は下がり続け、2014年には120万部を下回った。2002年から『マガジン』で連載を続けていた山田恵庸が、「CHARON」の打ち切りをもって『マガジン』から離れる。その他には、「我妻さんは俺のヨメ」「聲の形」「ACMA:GAME」「りぶねす」「せっかち伯爵と時間どろぼう」などが連載開始。

2015年 – 2019年[編集]

2015年1月7日、電子版の配信が開始されるが[7]、森川ジョージの作品や紙版で表紙を飾る巻頭グラビアは非掲載のため、表紙の中心が巻頭カラーを飾る漫画作品となっている[注 6][注 7]。同年8月3日にはウェブコミックサイト『マガジンポケット』(以下:マガポケ)を開設。2016年は「聲の形」が映画化されたが、発行部数は引き続き下がり100万部を下回った。2017年には「エリアの騎士」「FAIRY TAIL」「金田一少年の事件簿」「ベイビーステップ」などの人気作品の連載が終了され、さらに90万部を下回った。2018年には瀬尾公治の作品「風夏」が連載終了となるが、同作者による「ヒットマン」、Twitterで大反響を起こした「男子高校生を養いたいお姉さんの話」、真島ヒロによる新作「EDENS ZERO」が連載される。
2019年にマガジンが創刊60周年を迎え、同年4・5合併号の紙版に「はじめの一歩」が連載30周年を迎えた。
他誌で活躍していた漫画家による連載もますます盛んに行われ、2015年には『週刊ヤングマガジン』で連載を行っていた和久井健が初の少年誌漫画となる「デザートイーグル」、『月刊少年ガンガン』で連載を行っていた大久保篤が「炎炎ノ消防隊」、『ジャンプ』で連載していた甲斐谷忍が22年ぶりの週刊少年誌漫画「無敵の人」、2016年には『サンデー』や『別冊少年マガジン』で連載していた雷句誠が「VECTOR BALL」、2018年には『ヤングガンガン』や『サンデー』で連載していた大高忍が「オリエント」、2019年には『ゲッサン』で連載をしていた山本崇一朗が「それでも歩は寄せてくる」の連載を開始している。
後に和久井は「東京卍リベンジャーズ」を連載する。「東京卍リベンジャーズ」はアニメ化や実写映画が大ヒットし、一躍人気作品となった。その他にも「DAYS」「ドメスティックな彼女」「リアルアカウント」「徒然チルドレン」「星野、目をつぶって。」「川柳少女」「不滅のあなたへ」「五等分の花嫁」「彼女、お借りします」「寄宿学校のジュリエット」「ランウェイで笑って」「ブルーロック」「化物語」などが連載している。
『マガジンポケット』と『少年ジャンプ+』との共同企画である『ジャンマガ学園』が2019年4月8日から同年6月10日の期間限定で、「週刊少年マガジン」と「週刊少年ジャンプ」等の連載作品約150タイトルを無料で読むことができるwebサイトを立ち上げ、史上初めて両誌による共同企画が実現した。

2020年 –[編集]

2020年5月下旬から7月上旬までは新型コロナウイルスの影響で、紙版ではそれまで表紙の中心だった巻頭グラビアの代わりに、巻頭カラーを飾る漫画作品が表紙の中心になる傾向となった。
2020年には「山田くんと7人の魔女」を連載していた吉河美希が「カッコウの許嫁」、「アホガール」を連載していたヒロユキが「カノジョも彼女」を連載開始。2021年には鈴木央が「七つの大罪」の続編である「黙示録の四騎士」、「風夏」や「ヒットマン」などを連載していた瀬尾公治が「女神のカフェテラス」の連載を開始している。その他にも「シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜」「甘神さんちの縁結び」「黒岩メダカに私の可愛いが通じない」などが連載を開始した。

作品のメディアミックス[編集]

アニメ化[編集]

テレビアニメについては1960年代から1970年代前半にかけては『あしたのジョー』や『巨人の星』などの有名作品を出していたが、1970年代後半から1980年代にかけてはアニメ化される作品が少なかった。これは上記に記述されているとおり「泥臭さ・社会性」の誌風のため時代背景にあった作品を出すことができなかったためである。

1990年代以降はラブコメや萌え路線など誌風の多様化によりアニメ化される作品が多くなったが、2000年代になると少子化の影響により全日枠での放映が縮小され、深夜枠での放映が多くなっている。

週刊少年ジャンプにおける『ONE PIECE』や週刊少年サンデーにおける『名探偵コナン』のような長期に渡って人気を維持し放送され続けている作品がないため、1クールごとの入れ替えが激しい。そのため、時期によっては全く本誌の作品のアニメが放送されないこともある。

2000年代後期からは他社に先駆け、単行本の限定版にOVAを同梱する販売形態も行っている。

現在放送中の作品[編集]

2021年10月現在。

作品 放送開始日 アニメーション制作 備考

放送予定の作品[編集]

2022年2月現在。

過去にアニメ化された作品[編集]

時系列順、他誌に連載された作品も含む(ただし連載の途中で他誌に移籍したもの、もしくは逆に移籍してきたものに関しては、アニメ化された時点で本誌に掲載されていたものに限定する)。

ドラマ化[編集]

一方、テレビドラマ・実写映画では1960年代に『無用ノ介』、70年代に『愛と誠』、『野球狂の詩』、『翔んだカップル』を、80年代には『胸キュン刑事』(テレビドラマのみ)、90年代には『シュート!』(映画のみ)、『金田一少年の事件簿』、『GTO』などが放映された。特に『金田一』と『GTO』は視聴率も良好であったためのちに映画化、更にはアニメ化もされている。

レコード化[編集]

1967年7月20日に、キングレコードから当時の連載作品『巨人の星』『天才バカボン』『墓場の鬼太郎[注 10]』『パットマンX』『でっかい奴』『ハリスの旋風』『丸出だめ夫』『幻魔大戦』『サイレントワールド』と読者ページ『パンパカ学園』のイメージソングを収録したLPレコード『少年マガジン マンガ大行進』(規格品番:SKK(H)-354)が発売された。同年10月には同LP収録の4曲が「巨人の星/天才バカボン」(規格品番:BS-722)と「墓場の鬼太郎[注 11]/ハリスの旋風」(規格品番:BS-723)としてシングルカットされている。1978年には創刊1000号を記念してLPレコード『創刊1000号記念 少年マガジン』(規格品番:SKD(H)-470)が発売された。

連載作品[編集]

以下、2022年3月2日(2022年14号)現在連載中の作品。休載中の不定期連載作品も含む。

休載中[編集]

作品名 作者(作画) 原作など 開始号 備考
あひるのそらあひるの空 ひなた たけし日向武史 2004年2・3合併号

表紙について[編集]

読者コーナー[編集]

1960年代後半にはダジャレやナンセンスギャグをメインとした「パンパカ学園」が人気だったが、1970年代に入ると「へんな学校」や「星一徹のモーレツ人生相談」があった。その後、「マイマガジン」や「マイマガ7」へと変遷し、少年誌の読者コーナーでは最もレベルの高い投稿センスを誇っていたが(編集長まで三段腹などが毎週ネタにされていた)、次第に「ジャンプ放送局」にその座を抜かれ、さらに2000年代には「サンデー青春学園」の影響もあり、「ピモピモ広場」を最後に現在は廃止されている。

なお、ピモピモ広場でマスコットキャラクターとして活躍していた、鉄腕アトムみたいな髪型に眼鏡をかけたキャラクターには「こく坊」という名がちゃんと存在し、「マイマガ7」から出演し続けていた(ただし、イラストレーターは交代している)知られざる長寿キャラクターであった。流れとしては、ハル坊だけが編集長などと競演→こく坊が途中参戦し、ハル坊とこく坊のコンビで活躍→ハル坊がフェードアウトしてこく坊のみ、となる。

2008年に連載していたルポ漫画『発掘!マガジン野郎!!』にて、2人とも実在人物であることが判明しており、こく坊のモデルは小久保さんであった。ただし、ハル坊と実在のモデルは似ても似つかない。

歴代編集長[編集]

  1. 牧野武朗(1959年 – 1964年)
  2. 井岡秀次(1964年 – 1965年)
  3. 内田勝(1965年 – 1971年)
  4. 宮原照夫(1971年 – 1978年)
  5. 三樹創作(1978年 – 1986年)
  6. 五十嵐隆夫(1986年 – 1997年)
  7. 野内雅宏(1997年 – 2004年)
  8. 工富保(2004年 – 2005年)
  9. 森田浩章(2005年 – 2013年)
  10. 菅原喜一郎(2013年 – 2017年)
  11. 栗田宏俊(2017年 – 在職中)

発行部数[編集]

  • 1959年 20万5000部(創刊号)[1]
  • 1968年新年増大号 120万部[15]
  • 1970年3号 150万部[16]
  • 1991年6月 約250万部[17]
  • 1996年新年号 436万部[18]
  • 1997年7月 約415万部[19]
  • 1997年8月 440万部(実売推定413万部)[20]
    • 『週刊少年ジャンプ』を実売推定部数で上回る。
  • 1997年49号(1997年11月5日発売号) 415万部[21][22]
    • 『週刊少年ジャンプ』を発行部数で上回る。
  • 1998年新年号 445万部[23][24]
  • 1998年 425万部
  • 2000年 405万部
  • 2001年 380万部
  • 2002年 364万部
  • 2003年 319万部
  • 2004年 272万部
  • 2005年 236万部
  • 2006年 215万部
  • 2007年 187万部
  • 2008年 178万部

2008年16号時点での本誌累計発行部数は約45億5000万部である[1]

発行部数(2008年4月以降)[4]
1〜3月 4〜6月 7〜9月 10〜12月
2008年 1,755,000 部 1,720,000 部 1,691,667 部
2009年 1,664,167 部 1,633,334 部 1,614,616 部 1,593,637 部
2010年 1,571,231 部 1,565,000 部 1,556,250 部 1,551,819 部
2011年 1,529,693 部 1,491,500 部 1,489,584 部 1,472,084 部
2012年 1,447,500 部 1,436,017 部 1,412,584 部 1,404,834 部
2013年 1,376,792 部 1,357,000 部 1,324,209 部 1,308,117 部
2014年 1,277,500 部 1,245,417 部 1,211,750 部 1,192,267 部
2015年 1,156,059 部 1,127,042 部 1,107,840 部 1,085,110 部
2016年 1,038,450 部 1,015,659 部 995,017 部 986,017 部
2017年 964,158 部 932,713 部 883,804 部 840,667 部
2018年 815,458 部 791,833 部 760,917 部 744,583 部
2019年 715,417 部 692,083 部 664,625 部 649,167 部
2020年 627,533 部 593,917 部 575,000 部 559,545 部
2021年 545,000 部 518,333 部 502,083 部 493,182 部

価格の変遷[編集]

創刊号以外は20号時点の値段。消費税導入以降は税込み価格。

  • 創刊号 40円
  • 1960年 30円
  • 1961年 – 1963年 40円
  • 1964年 – 1966年 50円
  • 1967年 – 1969年 60円
  • 1970年 70円
  • 1971年 80円
  • 1972年 90円
  • 1973年 100円
  • 1974年 – 1975年 130円
  • 1976年 150円
  • 1977年 – 1980年 170円
  • 1981年 – 1988年 180円
  • 1989年 – 1990年 190円
  • 1991年 – 1994年 200円
  • 1995年 – 1997年 210円
  • 1998年 220円
  • 1999年 – 2004年 230円
  • 2005年 – 2006年 240円
  • 2007年 – 2008年 250円
  • 2009年 – 2015年 260円
  • 2016年 – 2017年 270円
  • 2018年 – 300円

講談社コミックスマガジン[編集]

単行本は講談社コミックスレーベルで発行される。通称少年マガジンコミックス。コード番号はKCM406から振られているが、これは1~405までの番号はKCMの前身であるKCが使用しているからである。

  • デザインの特徴は、初代では表紙の上部に「Kodansya Comics マガジン」の表記が使用され、背表紙にはKとCの間にマガジンと黒文字と黄色のバックが使用された。
  • 1984年の2代目では、現在(2011年)にも雑誌のロゴマークとして使われているピモピモを使用し、「SHONEN MAGAZINE COMICS」と表記され、斜め向きの旗風のデザインを1995年頃まで使用した。現在連載中の作品では「はじめの一歩」のみ使用し続けている。
  • 1996年頃から、デザインを一新し、KCロゴとマガジンの旗印の「MAGAZINE」を組み合わせたデザインを採用。KC部分の色が作家によって自由に指定ができるようになっている。現在も使用されている。
  • 2008年時点で、累計約10億部が発行されている[1]
  • 2008年時点で最大の発行部数の巻は、『金田一少年の事件簿』第1巻の約275万部[1]
  • 節目の通番は以下のとおり。

『週刊少年マガジン』本誌と雑誌コード、通巻ナンバーを共有する増刊号で、『別冊少年マガジン』としては1964年に創刊されているが、それ以前にも不定期で増刊号を刊行していた。1967年頃には季刊誌として、石森章太郎の『ミュータント・サブ』を掲載したり、白土三平作品の特集号が刊行されていた。1969年に季刊から月刊へと刊行頻度を変え『月刊別冊少年マガジン』となるが、1971年に休刊。元の増刊号枠に戻る。『月刊別冊少年マガジン』は1974年に復刊するが、『月刊少年マガジン』として増刊号枠から独立する形になった。

『月刊別冊少年マガジン』時代を除くと、基本的に本誌の連載作品を再録・特集する役割だったが、1981年には掲載誌『月刊少年ポピー』が休刊した『タイガーマスク二世』の連載を引き継ぐなど、次第に本誌を補完する形で、いくつかの連載漫画や若手の読切作品が掲載されるようになった。

1983年には定期増刊『マガジンSPECIAL』の刊行が始まり、1990年代に入ると増刊枠では様々な形の特集増刊をコンスタントに発刊したが、2017年に『マガジンSPECIAL』が休刊。さらに増刊号枠に当たる書籍も次第に講談社mookでの刊行に移行したことから、増刊号の刊行は途絶えている。

通常の増刊・『SPECIAL』以外の増刊号[編集]

ここでは単発・シリーズなど様々な形で発行された増刊号を紹介。

コラボレーション企画用の作品[編集]

名探偵コナン&金田一少年の事件簿
『週刊少年サンデー』(小学館)と『週刊少年マガジン』との創刊50周年記念のコラボ企画「コナン&金田一」の一環として2008年に発刊。12冊のうち偶数号がマガジンの増刊にあたる。

マガジン単体[編集]

はじめの一歩・総集編
週刊少年マガジン特別編集として、2014年まで全36冊刊行。
はじめの一歩・アニメスペシャル
こちらはアニメ版第2シリーズのエピソードを収録しており、2009年4月まで全3冊刊行。
はじめの一歩・ベストバウト総集編
2017年まで全4冊刊行。
-勝負師伝説-哲也・総集編
2001年から2005年まで全28冊刊行。文字通り『哲也-雀聖と呼ばれた男』の総集編である。
-勝負師伝説-哲也・BEST傑作選
同じく。『哲也-雀聖と呼ばれた男』から傑作エピソードをチョイスした内容。2002年から2004年まで全10冊刊行。
釣りキチ三平・平成版
矢口高雄の書き下ろし新作である『平成版・釣りキチ三平』の連載と矢口の別作品(「9で割れ!!」など旧作または書き下ろし作)および、矢口と著名人との対談インタビューなどを収録した、一冊丸ごと矢口高雄作品で占められたプライベートコミック誌。2001年9月に刊行開始。年1-2巻ペースで不定期発刊され、2009年12月までにvol.8まで刊行。
釣りキチ三平CLASSIC
『釣りキチ三平(昭和版・読み切り版)』を選り抜いて掲載したものと、同作にまつわるコラム記事や著名人のインタビューなどを収録。アンソロジーに近いもので、2003年から2005年まで隅週刊で57巻まで刊行された。
釣りキチ三平・平成版総集編
過去の『平成版・釣りキチ三平』エピソードを再収録したもので、2004年に3冊が刊行している。
マガジンドラゴン
詳細は#マガジンドラゴンの項を参照。
イッキ読み! FAIRY TAIL
2012年に全7冊が刊行している。第1巻のみ後に講談社mookでアンコール刊行された。

マガジンドラゴン[編集]

マガジンドラゴン』は、講談社が発行していた漫画雑誌である。『週刊少年マガジン』の増刊にあたる。第1号(週刊少年マガジン通算2927号)が2007年12月12日に、第2号(通算2999号)が2009年1月7日に発刊され、以後は続刊がない。

内容は新人の読み切り作品がメインであった。マガジン本誌の連載作品の番外編も掲載された。

「ドラゴンカップ」という名称で新人漫画家による読者参加型人気投票レースが行われた。読者投票で1位になった作家には、マガジン本誌での掲載権が与えられた。また、第2回では「ストーリー部門」と「ショートギャグ部門」といった2つの部門に分かれることとなった。

第1回 エントリー作品
  1. 妖一夜(片山あやか)
  2. オハナ迷彩(石沢庸介)
  3. メガバカ(豪村中) 除外処分[注 12]
  4. アタシハ(朝陽昇)
  5. 青空配達人 かぜ屋(高木聡)
  6. 魂キス!(佐武リョウ) 優勝作品 – 『週刊少年マガジン』2008年39号に同作者による読切『恋愛無双』が掲載
  7. 夏、がんばってます!(向山知成)
  8. 赤毛のサスケ(佐藤陽介)
  9. なのはの秘密(坂本伊助)
  10. 地球迷宮(北川やいち)
第2回 エントリー作品
ストーリー部門
  1. スマイルアンサー(流石景) ストーリー部門優勝作品 – 『週刊少年マガジン』2009年19号に同作者による読切『GE〜グッドエンディング〜』が掲載、同年38号より連載開始
  2. カズトノミカタ(千田灰司)
  3. 探偵流儀(高本ヨネコ)
  4. LOVIN’(幡アサ子)
  5. 桜町ブックマーク(栗田啓志)
  6. ドールズ・ツー・メン(佐藤陽介)
  7. プレミア(下田将也)
  8. ヤリすぎっ★アキナさん!!(古閑裕一郎)
  9. フルメタル バースト(乾武丸)
  10. 首狩り人形 キリコ(黒谷宗史)
  11. YSJ(川口毅)
ショートギャグ部門
  1. 天拳(鷹巣ひろき)
  2. 課長令嬢(高地ひろなり) ショートギャグ部門優勝作品 – 『週刊少年マガジン』2009年17、18号に同作品を掲載、同年37号より連載開始
  3. 時の野良犬(佐藤将)
  4. ライぱに!(浅嶋竜之介)
  5. ネガティブ・スパイラル(石垣冬樹)

派生誌およびウェブコミック誌[編集]

本誌と同一の編集部[編集]

本誌と別の編集部[編集]

マンガ雑誌アプリ[編集]

  • マンガボックス(本誌と同じ講談社コミックスレーベル。編集長は元本誌編集者の樹林伸。)
  • マガジンポケット(詳細は下記を参照。)

マガジンポケット[編集]

2015年8月3日より講談社が配信するウェブコミック配信サイトおよび同名の漫画アプリ。略称は『マガポケ

マガポケオリジナル作品の連載はもちろん、マガジンや別マガなど講談社各誌の連載中作品の並行連載、過去の人気作品の再掲などをしている。大半の再掲作品はマガジンの作品だが、一部青年誌からの再掲も含まれている。

大半の作品が毎週更新だが、一部月1更新・隔週更新の作品も存在する。

閲覧は各話とも原則有料(ポイント制)となっており、予め会員登録をした上で購入したポイントから各話とも初回のみ閲覧に必要なポイントが消費されることになっている(同じ話であれば2回目以降の閲覧は無料)。但し、各作品とも第1話(作品によっては第2話・第3話も)は無料で閲覧できるほか、最新話より2〜3話前については一定期間無料で、また作品によっては期間限定で最新話以外全てが無料で閲覧できることもある。

単行本のレーベルはマガポケオリジナル作品はマガジンポケットKCで発行されており、移籍作品は移籍元と同様のレーベルで継続されている。

『マガジン』紙版2018年32号が平成30年7月豪雨による影響で一部地域にて未発送となっていることから無料での公開が同年7月20日から31日まで実施された[25]

マガジンポケットの連載作品一覧[編集]

オリジナル作品、再掲作品含む、曜日別五十音順

月曜日[編集]

火曜日[編集]

水曜日[編集]

木曜日[編集]

金曜日[編集]

土曜日[編集]

日曜日[編集]

マガジンポケットの連載終了作品[編集]

マガジンポケットの映像化作品一覧[編集]

アニメ化[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2004年からは『もう、しませんから。』→『ちょっと盛りました。』がそれにあたる。
  2. ^ 『神to戦国生徒会』などが挙げられる。
  3. ^ なお、ヒロユキの実姉は恵広史であり、現在二人揃って別の作品で連載を行なっている。
  4. ^ (続編が連載途中でマガジンSPECIALに移動した『コータローまかりとおる!』は除く)
  5. ^ 生存している漫画家で「四大週刊少年漫画誌」だけに限ればつのだじろうと小林よしのり、永井豪が該当する。三人は現在休刊となっている『週刊少年キング』でも連載を行っているが、つのだじろうは『ジャンプ』、小林は『サンデー』での定期連載を行っていない。永井のみ当時の5つの週刊連載誌全てに同時連載した記録を持つ。なお、『キング』を含めた「五大週刊少年漫画誌」すべてで連載を行った漫画家として手塚治虫や赤塚不二夫がいる。
  6. ^ 『月刊少年マガジン』では川原正敏も同様の方針を取っている。
  7. ^ ただし、紙版で「はじめの一歩」が巻頭カラーを飾る号では、センターカラーを飾る漫画作品が表紙の中心となる
  8. ^ アニメ版の制作局は讀賣テレビ放送
  9. ^ アニメ版の制作局はフジテレビ
  10. ^ 『墓場の鬼太郎』のイメージソングは、後に放送されたテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』において「ゲゲゲの鬼太郎」と改題して主題歌に起用された。
  11. ^ テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の放映開始後にプレスされた版では「ゲゲゲの鬼太郎」と改題
  12. ^ トレース及びそれによる盗作・著作権侵害が発覚し、講談社が謝罪、同作品の選考除外処分が発表された。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]