全国高等学校野球選手権大会西九州大会 – Wikipedia

全国高等学校野球選手権大会西九州大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかいにしきゅうしゅうたいかい)は、1948年の第30回大会から1978年の第60回記念大会まで開催されていた全国高等学校野球選手権大会の西九州地区予選大会で、1958年の第40回記念大会までは長崎県・佐賀県・熊本県を対象とし、1959年の第41回大会以降は長崎県・佐賀県を対象としていた。

概要・歴史[編集]

長崎県・佐賀県の2県は1925年の第11回大会以降北九州大会に参加していたが、構成していた福岡県が1948年の第30回大会(「全国高等学校野球選手権大会」改称初年度大会)から1県1代表参加となったため、北九州大会が解体された。同じ年に南九州大会も解体され、同大会を構成していた熊本県と共に新しい大会を編成することとなった。これが当該大会である。(※ 熊本県が参加していた南九州大会の構成県大分県・宮崎県・鹿児島県(※ 1941年の第27回大会までは沖縄県も参加していた)の3県は東九州大会を編成する。)

1959年の第41回大会から熊本県が大分県と中九州大会を編成するため離脱して以降は長崎県・佐賀県を対象とした大会となり、1978年の第60回記念大会に続いて1979年の第61回大会から長崎県・佐賀県が正式に1県1代表参加したため、1977年の第59回大会を最後に消滅するまで続いていた。

熊本県を含めた3県対象時代の優勝(代表校)は、佐賀県2:長崎県4:熊本県4と長崎・熊本2県の2強時代だったが、この時代の熊本県からの代表校は県立旧制中学の流れを組む熊本・済々黌の2校が占めており、戦前から熊本の高校野球界をリードしていた熊本工は冬の時代に突入していたのであった。長崎県からの代表校は全国中等学校優勝野球大会時代から出場経験のある長崎東・長崎商の2校で、佐賀県からの2校はいずれも初出場。そのうちの1校が、1県1代表以降常連となる佐賀商である。

熊本県離脱後の代表校は、(記念大会を除くと)長崎県11に対し佐賀県5と長崎県勢が優勢で、とりわけこの時代は海星が長崎県11回のうち7回を占め、まさに海星の全盛期であった。

九州では福岡県のあと鹿児島県(1960年の第42回大会から)→宮崎県・沖縄県(1975年の第57回大会から)→熊本県・大分県(1976年の第58回大会から)と1県1代表参加が相次ぎ1976年以降九州唯一の複数県大会となっていた。このため九州における最後の複数県大会となった。

編成の歴史[編集]

大会結果[編集]

関連項目[編集]