百里飛行場 – Wikipedia
百里飛行場(ひゃくりひこうじょう)は、茨城県 小美玉市 百里・与沢にある自衛隊と民間の共用飛行場である。
防衛省・航空自衛隊が管理する飛行場であったが、2010年に民間共用化され茨城空港(いばらきくうこう)としての営業を開始した[1][2]。
滑走路と自衛隊施設の大半は百里にあるが、茨城空港の空港ターミナルビルは隣の与沢にある。
利用者数[編集]
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利用状況[編集]
国際線 | 国内線 | 合計 | |
---|---|---|---|
2009年度(3/11 – 3/31) | 7,840 | 666 | 8,506 |
2010年度 | 106,972 | 96,098 | 203,070 |
2011年度 | 55,068 | 238,135 | 293,203 |
2012年度 | 99,490 | 308,649 | 408,139 |
2013年度 | 100,178 | 286,918 | 387,096 |
2014年度 | 119,711 | 418,504 | 538,215 |
2015年度 | 150,650 | 403,700 | 554,350 |
2016年度 | 149,445 | 462,871 | 612,316 |
2017年度 | 106,846 | 573,824 | 680,670 |
2018年度 | 165,549 | 584,853 | 760,402 |
2019年度 | 140,723 | 635,279 | 776,002 |
2020年度 | 0 | 208,570 | 208,570 |
2021年度[5] | 0 | 126,648 | 126,648 |
2015年度の乗降客数(国内線+国際線)は全国91空港中[注釈 1] 42位、着陸回数については2,489回(国内線+国際線)で、全国114空港中[注釈 1] 60位であった[4]。ターミナルビルの来場者(含 送迎客・見学者)は開港から3年目の2013年に300万人を達成した[6]。2019年には、利用者数が過去最高の80万人に達した。中国からのチャーター便による訪日観光客の急増が寄与した[7]。しかし年度ベースでは、2020年度は新型コロナウイルスの影響で国際線がゼロとなり、国内線も1/3以下に減ったことから、利用者数は前年比73%減の20.9万人と7年ぶりのマイナスとなった。
- 1937年(昭和12年):百里ヶ原海軍飛行場として設置(百里原海軍航空隊)。
- 1945年(昭和20年):第二次世界大戦終戦後、満州国などからの引揚者の戦後開拓地となる。
- 1956年(昭和31年):航空自衛隊基地の建設が計画される。
- 1966年(昭和41年):航空自衛隊百里基地(航空自衛隊百里飛行場)として設置。
- 1990年(平成2年):日米地位協定第2条第4項(b)の適用施設・区域として在日米軍に新規提供される(施設・区域名:百里飛行場、Hyakuri Air Base, FAC 3187)[8]。
- 1993年(平成5年)
- 6月:小川町(現・小美玉市)が茨城県に対し、「百里基地民間共用化を軸とした小川町の活性化推進に関する要望書」を提出。
- 10月:小川町および同議会からの要望を受け、「百里飛行場民間共用化可能性調査」を県が実施。
- 1995年(平成7年)8月:「百里飛行場民間共用化構想」を県が発表[9]。
- 1996年(平成8年)
- 3月:共用化実現へ向けて、茨城県と地元14市町村で構成する「県百里飛行場民間共用化推進協議会」が設立[9]。
- 12月:百里基地の民間共用化が国の第七次空港整備計画(1996 – 2000年度)に盛り込まれ、閣議決定される[9]。
- 2000年(平成12年):民間共用化事業として事業化。
- 2008年(平成20年)11月14日:旅客ターミナルビル建設開始。
- 2009年(平成21年):新滑走路完成供用開始、現滑走路の改修工事着手。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 3月7日:スカイマークの神戸線を1日1便から1日2便に増便。
- 5月1日:スカイマークの沖縄/那覇線を季節便として7月 – 9月に運航する予定であることを発表。
- 6月23日:春秋航空の上海/浦東線の定期便運航(週6便)を開始[14]。
- 7月1日:スカイマークの沖縄/那覇線を季節便として就航開始。
- 10月1日:スカイマークの沖縄/那覇線を神戸経由に変更。
- 2013年(平成25年)
- 7月1日:スカイマークの沖縄/那覇線の直行便が季節運航便として就航開始。同時に、札幌/新千歳線を1日2便から1日1便に減便(前者の就航に伴う機材運用に関わる措置)[15]。
- 10月28日:スカイマークの沖縄/那覇線を神戸経由に変更。同時に、札幌/新千歳線を1日1便から1日2便に増便[16]。
- 12月20日:スカイマークが米子線を神戸経由で就航開始[17]。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)1月28日:スカイマークが経営破綻[24]。29日に米子線の運休と札幌(新千歳)線および福岡線の減便を発表[25]。
- 2017年(平成29年)5月4日:タイガーエア台湾が台北/桃園線のチャーター便を運航[26]。当初はファーイースタン航空(遠東航空)が運航する計画だったが、運航会社はタイガーエア台湾に変更された。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(令和元年)
- 8月1日:スカイマークの神戸線を1日2便から1日3便に増便[31]。
- 9月19日:イースター航空のソウル線が、日韓関係の悪化による需要減少により運休する。
- 2020年(令和2年)
- 1月22日:茨城県知事大井川和彦が、東京駅との直行バスへの補助を2020年度から打ち切る方針を表明(利用者が県内で消費しないことが理由)[32]。
- 1月29日:開港10周年に向けて、愛称変更に関して有識者会議が検討を始める[33][34]。
- 2月10日:中国における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行の影響により、春秋航空の中国線が全便一時運休となる。
- 3月19日:台湾当局による日本渡航制限の影響により、タイガーエア台湾の台北線が全便一時運休となる。これにより、国際線の発着がなくなる。
- 3月26日:航空総隊偵察航空隊が廃止される。
- 5月2日:スカイマークの神戸線が一時運休し、茨城空港発着の全便が運航停止。発着便が無くなるのは東日本大震災以来となる。ターミナルビルもスカイマークのカウンターを除き全館閉館。
- 6月12日:スカイマークが福岡便の運航を再開。
- 2021年(令和3年)
- 1月20日:スカイマークの全線運休を発表。県がスカイマークから1日1往復の神戸線の運行を停止、札幌、福岡、那覇便も運休を続けると発表した。全便運休は去年の5月以来となる。期間は2月2日~2月28日。スカイマークの窓口業務を除き、空港ターミナルビルも閉館となる。
- 2月18日:スカイマークが3月1日から全線で運航を再開することを発表。
民間共用空港[編集]
建設の経緯[編集]
日本国政府はアジア・ゲートウェイ構想を掲げ、東京の羽田空港や千葉県の成田空港を除いた他の空港における航空自由化によって、アジアや一部の欧米諸国の間で、路線や便数の制約をなくす政策を進めてきた。これにあわせ、日本政府は国際航空運賃を自由化し、チャーター便についての規制緩和を実施してきた。
世界の大都市圏は国際・国内線が乗り入れる基幹空港のほかに、セカンダリー空港を完備してきた。例えばイギリスのロンドンはロンドンシティ空港やヒースロー空港の他、80km圏内にスタンステッド空港やルートン空港、ガトウィック空港があり、ドイツのフランクフルトはフランクフルト空港以外の80km圏外にフランクフルト・ハーン空港がある。
これらは、都心から少し離れているゆえに空いているという利点を活かして、通常の大規模空港では、なおざりにされてしまいがちな格安航空会社(LCC)や、チャーター便、コミューター航空、あるいはビジネスジェットなど、ニッチな航空需要に合致し、航空史上にも貴重な受け皿となってきた歴史がある。
グローバリゼーションが続く世界では、国際線による旅客者数が増え続け、日本国政府が予想する日本全体の国際旅客数は今後、年間7000万人を超えるとされている。この中で最も国際旅客者の需要増加が見込まれているのは茨城県を含む首都圏であり[35]、その分量は日本全体の4分の3にも達している。
しかしながら、首都圏に於ける既存の空港は、羽田と成田の2つのみで、その処理容量は限界を超え、2010年には超過した旅客者数を捌くため、空港の拡張や発着枠の拡大を余儀なくされていた。さらに、首都圏の北側は最寄り空港まで2・3時間を要するなど、空港空白地帯となっていた。茨城県はこの需要に応える事を首都圏第3の空港[注釈 2]としての茨城空港の整備の意義と位置づけている[36]。なお、茨城空港は東京都心から約100キロメートル北東に位置する[37]。
当建設事業では、自衛隊基地の普段使われていない部分を転用するため、同規模の空港では500億円程度かかっていた建設費が半分以下の220億円程度に抑えられた。空港基本施設の建造費のうち3分の1は茨城県が負担した[1]。
なお、開港[注釈 3]前に国土交通省は以下の需要を予測していた。
開港初年度 | 81万 |
---|---|
開港5年後 | 100万 |
民間空港としての諸課題[編集]
開港前に、発着料金が成田、羽田の両空港と比較して3割ほど安く抑えられていることに言及し、国際線・格安航空会社の首都圏のターミナルとしての役割が期待されているとした報道[39] もあったが、以下のような懐疑的な論評も複数見られた。
- 同空港は就航路線が一路線も決まっておらず、開港後のビルの採算見通しが不透明な状況で、見切り発車した格好となっていること[40]。
- 百里飛行場は最寄駅である石岡駅・新鉾田駅からは10km以上の距離がある交通不便の地にあり、商業施設等もほとんど存在しないため、百里基地に勤務する航空自衛官からも「陸の孤島」と呼ばれていた。無料駐車場が確保されているため、自家用車利用者にはメリットがあるものの、東京都心から車でのアクセスにも1時間半程度かかることなど、都心との行き来にも時間がかかり、開港時の国内定期便はスカイマークの神戸線(1日1往復)のみに留まっていた。これらのことから、空港近隣在住者以外の利用者にとってこの空港を利用する利点は少なく赤字は必至であり、「税金の無駄遣いである」との指摘が各方面からなされた[41]。
- 年間利用者は20万人前後の見通しで、国が4路線就航の前提で見込んだ約81万人には程遠い。空港ターミナルビルの運営収支も初年度は約2000万円の赤字となる見込みだ[42]。
なお、事前の需要見込みが過大であったことは、開港後の乗降客数推移から明らかになっている(利用状況参照)。
また2015年(平成27年)4月8日には、首都圏在住者にとって利便性の高い成田空港に、格安航空会社用の第3ターミナルが新設され[43]、6月7日には首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の延伸により、常磐自動車道と東関東自動車道が結ばれたことで、隣接する成田空港との競合が激しくなることが予想される[44]。
なお、国際線利用客の急増により利用者数は年々増加しており、開業から10年目にして当初の需要見込みである、年間80万人に達した。神戸空港便により関西との往来にも利用されている[37]。後述の「#利用状況」も参照。
しかし、自衛隊との共用空港のため、自衛隊との間で離着陸は1時間に1本との取り決めがある関係で、現状ではこれ以上の増便は不可能となっている。
空港振興・環境整備支援機構と日経リサーチによる『国管理空港等における空港満足度に関する調査』2018年版では10項目中、無料駐車場への評価などから「移動のしやすさ」「情報入手のしやすさ」「案内のわかりやすさ」「飲食店」など6項目が首位で、総合満足度は4位だった[37]。しかし、空港の知名度のさらなる向上が課題となっており、2019年から愛称変更に関する有識者会議が行われている(後述)[45]。
開港後の状況[編集]
- 開港1年目(2010年3月 – )
- 開港時は国内線の定期便がなく、国際線もアシアナ航空のソウル(仁川)線のみの危機的状況であったが、2010年6月にスカイマークが神戸線を定期便化(ただし9月は休便)。2010年7月に春秋航空がチャーター便ながら上海(浦東)線の定期運行を開始した。
- 開港半年経過時点でスカイマーク神戸線の搭乗率は75 – 87%と同社線全体でも高い水準に達し[46]、春秋航空による上海(浦東)線についても平均80%という利用状況となった[47]。
- 東京駅と茨城空港を500円[注釈 4]で結ぶ関東鉄道と茨城県の共同運行による高速バスも盛況となった[48]。2011年2月には、新路線開設に合わせて水戸駅・つくば駅・東京駅からの既存の高速バス・連絡シャトルバスの増便[49] のほか、新たに常陸太田市・ひたちなか市方面からは茨城空港ライナーの乗り入れが発表された[50]。これらのほか、石岡駅と当空港を結ぶバス専用道路の開通とその後の増便[51] などアクセスが改善された。
- 2年目(2011年3月 – )
- 開港1周年の2011年3月11日、東日本大震災が発生。茨城空港も空港ターミナルビルに設置した吊り天井パネルが落下するなどの被害が出た。しかし、滑走路は無事であり、羽田・成田両空港が閉鎖されたため、急遽代替着陸先を決める必要に迫られた86機の航空機のうち、2機のダイバートを受け入れた[52]。震災から3日後の14日には空港ロビーは通常の営業を再開した[53]。
- 3月11日以降、空港復旧後もアシアナ航空のソウル(仁川)線は運休が続き、結局定期便としての運行はなくなった[54]。
- 2011年5月31日、スカイマークの名古屋(中部)線が運休。
- 2012年2月1日、スカイマークが札幌(新千歳)線と名古屋(中部)線の運行を開始。
- 3年目(2012年3月 – )
- 2012年7月 – 9月、直行便としてスカイマークの沖縄(那覇)線が就航。10月以降は神戸経由便として存続。
- 4年目(2013年3月 – )
- 2013年12月20日、スカイマークの米子線が就航(神戸経由)。
- 2013年度の乗降客数が開港後初めて減少に転じた(利用状況参照)。乗降客数は開港前の需要予測(開港初年度)の48%に留まっている。
- 5年目(2014年3月 – )
- 2014年4月、スカイマークが名古屋(中部)線を再開、同時に福岡線を就航。
- 2014年10月、再開した名古屋(中部)線を再度運休。
- 2015年1月28日、スカイマークが経営破綻。茨城空港はスカイマーク1社のみが国内定期路線を開設していたため、同社が羽田空港発着枠の維持を優先するため、破産の影響を懸念する報道が相次いだ[55][56][57][58]。1月29日、スカイマークは経営の抜本的再生を図るため、米子線の運休、札幌線・福岡線の減便を発表した[25]。
- 6年目(2015年3月 – )
- 2015年7月25日、中国南方航空が深圳線に週2便で就航。
- 2016年1月30日、中国国際航空が杭州線に週2便で就航。
- 7年目(2016年3月 – )
- 2016年3月15日、V エアが台北/桃園線に週4便で就航。
- 2016年3月27日、春秋航空が成都線(揚州経由)に週2便で就航(2016年4月15日から運休中[59])。
- 2016年4月28日、スカイマークが沖縄(那覇)線[直行便]を再開[60]。
- 2016年5月26日、中国国際航空が杭州線を運休[61]。
- 2016年8月21日、中国南方航空が深圳線を運休[62]。
- 2016年9月18日、V エアが台北/桃園線を運行停止[63]。
- 9年目(2018年3月 – )
- 2018年3月26日、タイガーエア台湾が台北/桃園線に定期チャーター便を週2便で就航(10月28日より定期便化)。
- 2018年7月31日、イースター航空がソウル/仁川線に週3便で就航。東日本大震災以来運休していたソウル便が7年ぶりに復活。
- 11年目(2020年3月 – )
- 2020年3月19日、タイガーエア台湾の台北線が全便一時運休となり国際線の発着がなくなる。
- 2020年5月2日、スカイマークの神戸線が一時運休となり、茨城空港発着の全便が運航停止し、2011年の東日本大震災以来、発着便がなくなる。
就航路線[編集]
国内線[編集]
国際線[編集]
就航都市[編集]
休廃止路線[編集]
- 国内線
- 国際線
チャーター便[編集]
上海浦東国際空港との間に春秋航空が週6便の定期チャーター便を運航していた(2012年6月23日から定期便化)。これ以外に、旅行会社が日本国内外へのツアーを催行するために用意したチャーター便は開港から2013年6月時点で、累計142便あった[69]。
就航交渉[編集]
茨城県知事・橋本昌(2008年当時)は、羽田・成田の発着枠がない航空会社に対して茨城空港への乗り入れを働きかけているとし、一方で、茨城開港前の段階で決まっていたスカイマーク社以外の格安航空会社は羽田・成田の発着枠があるためそれら以外のところへの就航決定を発表しにくい様子が伺えるとしていた[70]。このほか、当空港は国内線の就航対策として搭乗率保証制度の導入を検討していた[71]。
茨城空港開港翌月の2010年4月から、スカイマーク社が初の国内線定期便として神戸線の運航を開始した。当初スカイマーク社は航空自衛隊との共用飛行場のために自由に運航ダイヤが組めないことを理由として神戸線を2010年9月1日から9月30日まで運休していたが[10]10月1日から運航を再開し[11]、その後 新千歳空港、中部国際空港、神戸空港、福岡空港、 那覇空港、米子空港と定期便を開設している。
ソウル/仁川線を運航していたアシアナ航空は開港前に釜山への週3便程度の運航も計画していたが[72]、実際は週1便どまりであり、東日本大震災以降、定期便の運行を中止した。
アシアナ航空以外の国際線については以下のような交渉があったが、2015年3月時点では全て実現していない。
海外向け愛称変更[編集]
空港の知名度のさらなる向上が課題となっており、2019年(令和元年)12月に行われた茨城県議会でも西野一議員(自由民主党)からの「海外に目を向けると、同じ島国のイギリスでは、ロンドン周辺の空港名はロンドン・ヒースロー空港、ロンドン・ガトウィック空港、ロンドン・スタンステッド空港、ロンドン・ルートン空港、ロンドン・シティ空港と5つある空港全てにロンドンの名前がついているが」との質問に対し、大井川和彦知事は「有識者からもエアポートセールス上必要であれば、海外向けには『東京』という言葉を取り入れ、状況に応じて使い分けていくことも考えられる旨の意見があった」との回答を示した上で、「より一層の国際線の誘致に向けて、『東京』といった言葉を取り入れた愛称を使用することによるメリットとデメリットを整理した上で、愛称の変更についての検討を進めていく」との答弁をした[34][45]。その後、「茨城空港の愛称変更の是非を話し合う有識者会議(座長:戸崎肇)」により、海外での知名度向上のための空港英語名の変更が以下の6案に絞って検討された。(なお、定着し始めている国内向けの愛称は「茨城空港」のまま変更しない予定であった[82][83][84]。)
- Ibaraki International Airport
- Metropolitan Ibaraki Airport
- Tokyo North Airport
- Tokyo Ibaraki Airport
- Tokyo Ibaraki International Airport
- Tokyo Metropolitan Ibaraki Airport
2020年4月下旬から有識者会議が茨城県民にパブリックコメント(意見公募)を行い、同年5月に最終候補案を3案程度に絞った上で県に答申、答申を受けた知事が空港英語名を最終決定する予定が伝えられた[83]。
同年6月5日、大井川知事は海外向け愛称について「Tokyo」を外した「Ibaraki International Airport」を最終案に選定したと発表した[85]。県民などからのパブリックコメントでは愛称に「東京」と付けることに反対する意見が多く、それに配慮したと説明している[86][87]。
施設[編集]
-
空港ターミナル。
1階は出発・到着ロビー、2階は売店・展望デッキ。 -
展望デッキ。
当初、百里基地施設方向はくもりガラスとなっていた。2014年現在、透明なガラスに改修されている。 -
制限区域側から見た空港ターミナルビル。ターミナルと駐機場の間に仕切りが設置されている。
旅客ターミナル[編集]
茨城空港は新滑走路の南西に旅客ターミナルビルが置かれている。
旅客ターミナルビルは航空機利用に係る諸施設のほか、売店やレストラン、カフェ等が入居している。
空港ラウンジはなく、利用者からはクレジットカード会社等のラウンジの設営が望まれている。
格安航空会社に十分対応できるよう整備され[88]、日本国外の格安航空会社から好意的な評価を受けている[89]。当ターミナルは国際線の入管施設に対応するため、当初の計画から拡大され、延べ床面積が約7800平方メートルとなった[90]。
出発ロビーと到着ロビーは同じ1階に設置され、ボーディング・ブリッジを介さずタラップを使って搭乗する仕組みである。また、駐機場は航空機が自走で旋回できる構造にしている。通常はプッシュバックが必要となるが、この工夫により航空機の地上移動時間が短縮され、かつ航空会社が空港に支払う空港利用料も抑えられる一方、航空機が自力旋回するため航空機前方に安全間隔をとる必要があり、乗客はボーディング・ブリッジ方式よりターミナルから離れて駐機する航空機まで徒歩で屋外を移動する必要がある[91]。また、繁忙期には駐機場に航空機の駐機が輻輳して安全間隔がとれないこともあり、その場合にはプッシュバック方式を使用することがある[92]。そのため、需要によって両方の方式を見ることの出来る日本では数少ない空港となっている。
2010年の開港当初、防衛上の観点などから百里基地の中枢部を見渡せないよう、当空港の展望デッキには斜めから眺めるときのみ見えなくなる特殊加工のくもりガラスが設置されていた。その後、発着する航空機を十分に見たいとの訪問客からの需要に応え、2014年3月11日よりこの部分を通常仕様の透明ガラスへ改修する工事が行われ、同年3月17日に完了した。なお当展望デッキは高い脚立を持ち込んでの見学・撮影を禁止している。
滑走路・誘導路[編集]
- 既存滑走路(03R/21L) – 2,700 m×45 m
- 新設滑走路(03L/21R) – 2,700 m×45 m
- 着陸帯 – 2,820 m×150 m
- 新設滑走路は航空自衛隊百里基地が使用していた既存滑走路の西側に平行に建設された。新滑走路完成後、既存滑走路(2,700 m×45 m:03R/21L)を閉鎖して改修工事が行われた[注釈 5]。
- 連結誘導路 – 165 m×4本(既存滑走路と新設滑走路を連結する誘導路)
- 取付誘導路 – 155 m×1本(新設滑走路と駐機場を連結する誘導路)
- 茨城空港駐機場 – 中型ジェット機用×3、小型ジェット機用×1
航空自衛隊百里基地[編集]
百里基地(ひゃくりきち)は、茨城県小美玉市にある航空自衛隊の基地。基地司令は第7航空団司令が兼務する。
埼玉県にある入間基地は地域との協定により、アフターバーナー装備の飛行機の運用ができない(ダイバートを除く)ことから、航空自衛隊が関東地方で戦闘機の運用が可能な唯一の基地(離島を除く)であり、「首都防空の要」ともいわれる。また、国家首脳を招いた各種行事も多数実施されている。飛行群は第7航空団(第3飛行隊(F-2))、航空救難団(百里救難隊、UH-60J、U-125Aを装備)がある。
基地反対派からの用地買収ができず、日本では珍しい「くの字型」の誘導路となっている。同様の例には成田国際空港B滑走路に繋がる誘導路がある。航空自衛隊は、滑走路が破壊された場合には、誘導路からも離陸することを想定しているが、百里基地ではそれが困難である。また、反対派が基地内に所有する飛地(平和公園、平和農園、百里稲荷神社)内に植えた木が、管制塔から滑走路端への視界を妨げている。なお、この飛地へは壁やフェンスで囲まれた小道が通されており、出入りが可能となっている。
民間でアクロバット飛行を行う飛行チーム「エアロック」を主宰したロック岩崎(岩崎貴弘)が、在官中最後に所属した基地でもある。
配置部隊[編集]
中部航空方面隊隷下[編集]
この節の加筆が望まれています。
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航空総隊直轄[編集]
航空支援集団隷下[編集]
防衛大臣直轄[編集]
航空観閲式・百里基地航空祭[編集]
- 1996年から自衛隊大型行事が陸上自衛隊「中央観閲式」、海上自衛隊「観艦式」との各自衛隊持ち回り担当になり航空自衛隊が担当する「航空観閲式」は1996年から3年おきに同基地で行われる。招待者のみが参加できる。
- 航空観閲式が行われない年は、「百里基地航空祭」という名称の航空祭が開催され、各種の航空兵器も数多く展示される。例年、12月頃に開催されるが正確な開催日は間近にならないと公表されない[93]。
- ほぼ毎年行うものは航空自衛隊のF-15戦闘機とF-4戦闘機によるスクランブル発進デモと機動飛行、模擬対地射爆撃、RF-4偵察機による戦術偵察飛行、ブルーインパルスによるアクロバット飛行、UH-60Jによる乗員の降下とU-125の旋回飛行による救難訓練等の飛行展示等。
- 地上展示機は飛行展示機が地上で展示される他にUH-1、CH-47、SH-60J、P-3C、T-7、T-400、C-1、C-130Hなどがある。
歴史[編集]
(参考文献:三野正洋『世界の航空博物館&航空ショー』サック出版部 1999年)
関連画像[編集]
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基地内に展示されているF-104
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基地内に展示されているF-1(手前)とブルーインパルス仕様T-2(奥)
百里基地の出動事例[編集]
高速バス(関東鉄道便)
高速バス(茨城交通便)
路線バス(関鉄グリーンバス便)
茨城空港北IC(東関東道)
石岡小美玉SIC(常磐道)
茨城空港アクセス道路
最寄り駅であるJR常磐線石岡駅および鹿島臨海鉄道大洗鹿島線新鉾田駅は、共に空港から10km以上離れている。これらの駅と空港間の行き来には後述のバスが利用できる。
空港連絡鉄道は無いが、つくばエクスプレスの延伸構想が存在する。2018年5月7日には小美玉市の市議会議長の呼びかけに土浦市、石岡市、つくば市、かすみがうら市、行方市、鉾田市の各市議会議長が同調して、つくばエクスプレス茨城空港延伸議会期成同盟会が設立された[97]。2019年9月には、つくばエクスプレスの茨城空港延伸に関する要望書を大井川和彦茨城県知事に提出した。県議会や県選出国会議員などに協力を働き掛け、国土交通省や首都圏新都市鉄道など関係機関への延伸要望活動を実施している。ただし、延伸が決定して着工できたとしても、かなりの年数が必要となる見込みである[98]。
バス[編集]
県内の主要な駅との間で空港連絡バスが運行されている。関鉄グリーンバスによる水戸駅とのバス路線は、空港を経由して小川駅まで運行される。
また、路線車を用いた石岡駅との間を結ぶ空港連絡バスは一部便を除き、廃止された鹿島鉄道線の跡地を利用したかしてつバス専用道(石岡一高下 – 四箇村駅間)を経由する。
東京都心とのアクセス改善のため、東京駅との間に高速バスの運行を、2010年(平成22年)5月27日に開始した。現行運賃は大人片道1,530円・小人片道770円。開始当初より搭乗客に限って片道500円(大人・小人同額)に割引されていたが[99][100]、運行補助金の打ち切りにより2019年度をもって終了した[101]。所要時間は東京駅→茨城空港が1時間40分[102]。茨城空港発のバスは航空機の到着時刻に合わせて調整する[102]。
また、関鉄グリーンバスが「百里基地」にバス停を設置し、鉾田駅~JR石岡駅路線の一部と土日祝日に限り、百里基地~茨城空港間シャトルバス、航空祭開催時に限り、JR石岡駅から臨時シャトルバスが発着している。
- 2012年10月1日 新鉾田駅を結ぶ「茨城空港連絡バス(鉾田ルート)」の運行開始。
- 2013年10月1日 小美玉市内循環バスの運行開始。
- 2020年4月1日 上記運行補助金に代わり、茨城県内に宿泊した場合に限り、県内発着の空港連絡バス(一般路線バス、高速路線バス)の運賃を片道無料にする施策を実施[103]。
- 2021年7月 新型コロナウイルス感染症拡大に伴う利用客減少の影響により、茨城空港発の高速バス運行便が全便運休もしくは、一部便の減便が行われている。
- 2021年9月1日 小美玉市コミュニティバス「おみたん号」運行開始。
乗降バス停 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行会社 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
茨城空港 | 高速 水戸-茨城空港線 | 【直行便】 | 水戸駅南口 | 関東鉄道 | 航空会社の運行スケジュールにより一部減便[104] |
高速 東京-茨城空港線 | 東京駅 | 座席予約制。2020年4月より全便運行休止中[105] | |||
高速 つくば-茨城空港線 | 並木大橋・千現・竹園 | つくばセンター(TXつくば駅) | 2022年2月現在 全便運行休止中[106] | ||
高速 常陸太田-茨城空港線 | 水戸駅・勝田駅・東海駅・新田中内 | 常陸太田市高速バスターミナル | 茨城交通 | 航空会社の運行スケジュールにより一部減便[107] | |
路線 茨城空港連絡バス | 小美玉医療センター前・小川駅・玉里駅 | JR石岡駅 | 関鉄グリーンバス | ||
路線 鉾田・茨城空港線 | 上与沢・上山・ほっとパーク鉾田入口・鉾田駅 | 新鉾田駅 | |||
路線 水戸・茨城空港線 | 奥ノ谷・県庁前・千波・大工町 | 水戸駅北口 | |||
路線 小美玉市コミュニティバス「おみたん号」 | 三箇坂下・堅倉小学校 | 小美玉市役所 | 平日・日曜のみ運行 | ||
小川南小学校前 | 小川駅 | ||||
百里基地 | 路線 百里基地・茨城空港線 | 【直行便】 | 茨城空港 | 土日祝日運行(基地イベント時は運休) | |
路線 高浜線 | 小川駅・高浜駅 | 石岡駅 | 土日祝日運休 | ||
大和田・鳥栖・坂戸 | 鉾田駅 |
道路[編集]
百里飛行場周辺は道路網が十分整備されておらず、民間共用を機に改善が進められている。自家用車による空港までの所要時間は水戸市から30分、つくば市から45分を見込んでいる。
2021年6月には、常磐道・石岡小美玉スマートIC – 茨城空港間を結ぶ、「茨城空港アクセス道路」が全線開通(所要時間:約19分)。これまでの「千代田石岡IC」経由ルート(所要時間:約35分)よりも、約16分の短縮となる[108]。
なお、空港内には、約1,300台を収容する無料駐車場が設置されている。
笠間・水戸・日立・いわき方面から
東京・三郷・柏・土浦方面から
神栖・鹿嶋・潮来・鉾田市街方面から
百里飛行場連絡道路(地域高規格道路)
周辺施設[編集]
百里神社[編集]
百里飛行場の西に戦時中に旧百里原海軍航空隊の守護神として建立された神社。小川鎮守の素鵞神社が兼任奉仕しており、御朱印も素鵞神社にて頒布されている。百里基地にちなみ御朱印には戦闘機があしらわれている。[111]
所在地
祭神
事件・事故[編集]
アシアナ航空機オーバーラン事故[編集]
2010年3月21日11時45分頃、韓国・仁川国際空港発のアシアナ航空168便が、着陸時に滑走路端を約30m越え、過走帯(約60m)に進入するオーバーラン事故があった。
同機は滑走路端を越えて過走帯に進入し、航空自衛隊百里基地が過走帯内に設置していたバリアにぶつかった後に停止した。乗員乗客計93名に怪我はなく、機体の損傷も無かったが、自衛隊が設置したバリアは破損した。同機は停止後、自力でUターンし、駐機場に戻った[112]。
22日昼過ぎに、百里基地から「民間機側の過走帯にタイヤ痕がある」と指摘され、国土交通省百里空港事務所はオーバーランに気づいた。同事務所がアシアナ航空からオーバーランの報告を受けたのは翌23日であった。同社広報は21日に現地事務所に口頭で報告したとしているが、同事務所は報告は受けていないと説明しており、食い違いを見せている。アシアナ航空は原因について「着陸する際に南側にずれてしまった」と説明しているが、同機パイロットは「雨で滑走路が濡れ、止まれなかった」と話している。
また、国土交通省百里空港事務所は発表の遅れについて「事実関係の確認に時間がかかった」としているが、実際は自衛隊側から破損の事実を伝えられて、報告に至った。本件は茨城空港で初の運航トラブルとなった[113]。
東日本大震災の影響[編集]
茨城空港開港から1周年となる2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、空港ターミナルビルでも天井パネル落下の被害が生じた。茨城県開発公社は当空港の建設段階で天井パネルの不必要さを指摘し、設計会社である梓設計へこの旨を伝えていたにも関わらず、梓設計は見た目や防音・吸音を重視して当パネルを当空港ロビーへ設置していた[114]。
この落下パネルを処理するため、12日・13日はロビーを全面閉鎖、天井パネルを除去し、落下しなかった天井も全て撤去。大震災発生から3日後に当たる14日には営業を再開、全面復旧した[53][115]。
- 百里VORの管轄は、東京航空局東京空港事務所システム運用管理センターが担当。なお空港事務所には航空管制技術官は常駐していない。
- 百里TACANの管轄は、航空自衛隊が担当。
舞台となった作品および撮影が行われた作品[編集]
注釈[編集]
- ^ a b ヘリポートを含む。
- ^ 首都圏の定義としては「関東地方1都6県および山梨県」の中に茨城県も含まれている。
- ^ 民間共用以前も運用していたので正確には「開業」だが、国土交通省自身が民間共用を始めることを「開港」と表現しているので、ここでは一般的な「開港」の表現を用いる。
- ^ 搭乗者の大人。非搭乗者は1,000円(現在は1,530円)。
- ^ 双方の滑走路も大型機離着陸可能な長さ2700 mあるものの、建設費抑制から滑走路強度はB747クラスの離着陸には対応しておらず、B777-200型機クラス迄の強度しかない[要出典]。
出典[編集]
関連項目[編集]
航空自衛隊関連[編集]
民間共用空港関連[編集]
外部リンク[編集]
茨城空港関連[編集]
航空自衛隊百里基地関連[編集]
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