セイントメモリー – Wikipedia

セイントメモリーは、日本の大井競馬場に所属していた競走馬である。2013年のオーバルスプリントなどを制した。2013年NARグランプリ4歳以上最優秀牡馬、2013年TCK大賞。

2008年のオータムセール(1歳)に上場され、内海正章に525万円で落札された[2]

2009年[編集]

2009年7月に坂井英光を背にデビュー。初戦3馬身差で勝利、続くフレッシュスター特別では翌年のジャパンダートダービー勝ち馬であるマグニフィカの3着に敗れる。3戦目のポインセチア特別ではビクトリースガの5着に敗れこの年の戦いを終える。

2010年[編集]

この年初戦の福寿草特別ではシーズザゴールドの4着に、5戦目の若獅子特別で菅原勲を背に2勝目。体格やレースぶり、適性を考慮して早くからクラシック出走を諦めていたが、1700メートルを試してみようと京浜盃に出走、4コーナー手前で失速し殿に終わる。その後適正距離の1600メートル戦に戻し2連勝。黒潮盃へ向かう。黒潮盃では森泰斗を背に出走。先行策に出たが直線粘れず10着。この1戦を最後に引退するまで1600メートル以上の距離での出走はなかった。この後1200メートル戦を2戦消化し1勝。2010年は結局8戦4勝に終わる。

2011年[編集]

2月の大井開催で復帰。持ち味の先行、逃げの脚を使い、この年6戦してすべて複勝圏に入る。6戦2勝。

2012年[編集]

この年は1月のガーネット賞競走から始動。コウギョウダグラスの5着に敗れる。2月は’12ウインタースプリントに出走。一度もハナを譲らず勝利。オープン戦初勝利となる。3月の東京スプリング競走では1番人気に推されるもスタートで出遅れ、追い込んだものの前を捉えることができず4着。この後オープン戦、準重賞などを使いこの年8戦2勝。

2013年[編集]

2013年は前年勝利したウインタースプリントから始動、張田京を背に先行するも、直線伸びること無く6着。このレースに騎乗した張田京は「太いんじゃないか。」と述べている。2月は笠松競馬場で開催のオッズパークグランプリへの遠征プランが立つ。しかしフレグモーネを発症。遠征は白紙になる。またこれを機に一から馬体を作りなおすことにした。そして迎えた4月の北斗七星競走では張田京に代わり本橋孝太を背に出走。馬体は前レース比で-10キロと絞り見事勝利する。この時初騎乗の本橋は当時のことを「初めて跨った時、背中がよく、何故この馬がこのクラスで足踏みをしているのだろうと思った。」と語っている。ここから主戦騎手は本橋となる。5月は3度目の川崎遠征。好スタートからハナに立つと最後の直線は後続を突き放し快勝。2連勝とする。その後6月船橋競馬場の京成盃グランドマイラーズに出走。レースでは好スタートから単騎逃げ。最後の直線でもスピードは落ちず、8番人気の評価を覆し勝利。3連勝とし、重賞初制覇となった。7月は地元大井のサンタアニタトロフィーに出走。このレースでも逃げ、危なげなく勝利。4連勝とし、重賞2連勝。6歳馬ながら完全に本格化した。そして迎えた9月、初めての浦和競馬場遠征となる、オーバルスプリントに出走。レースでは好スタートからハナに立とうとするがエーブダッチマンにハナを奪われ2番手を追走。向正面でエーブダッチマンが失速し、先頭に立つ。そのまま4コーナーを迎えると追い上げてきたタイセイレジェンドと直線で一騎討ちになるも最後は2馬身差で勝利。5連勝、重賞は3連勝で馬、鞍上の本橋孝太、共に初めての交流重賞勝利となった。その後は金沢競馬場で開催されるJBCスプリントに遠征する。初めての長距離遠征からか+11キロでの出走。レースではエスポワールシチーの前に立ち、単騎逃げ。しかし直線で追い上げてきたJRA勢に抜かされ結果5着。初めてのJpnI競走で健闘した。この時のことを厩舎でセイントメモリーを管理する小林大樹厩務員は「内枠から思い切っていく最高のレースで頑張ってくれたが、調整では後悔が残っています。」と話す。実際にセイントメモリーは初の長距離遠征にも関わらず、寝藁まで食べてしまうほど落ち着いていたという。その結果、余裕を残して輸送したものの太めでの出走となってしまった。この年、重賞3連勝。JBCスプリントでの5着などの功績からNARグランプリ4歳以上最優秀牡馬を受賞。また2013年度から初めて創設されたTCK大賞にも選定された。

2014年[編集]

この年初戦は東京スプリント競走8枠15番での出走となってしまい。ハナに立てず、見せ場なく9着に終わる。続くさきたま杯では前年制したオーバルスプリントと同じコース同じ距離となる。レースでは2番手を追走したものの4コーナーを前に失速。そのまま6着。この後矛先を地方馬限定の重賞に切り替え、前年制した京成盃グランドマイラーズに出走。ハナを主張するも直線でトーセンアドミラル、ソルテにかわされ3着に敗れる。その後こちらも連覇のかかるサンタアニタトロフィーに出走。6番人気だったが先行策から直線ハナに立ち、追ってくるグランディオーソに2馬身差をつけ快勝。復活となる。そしてこちらも前年制したテレ玉杯オーバルスプリントに出走。スタートからハナを奪うことができず好位を追走したものの向正面で失速。最後の直線で盛り上げるものの6着に終わる。10月は大井に戻りマイルグランプリに出走。終始ソルテの外を追走すると最後の直線で先頭に立ち、追ってくるグランディオーソをハナ差で凌ぎ重賞5勝目とする。12月は浦和競馬場のゴールドカップに出走。浦和競馬場で5連勝中のリアライズリンクスの2番人気に推されるも、最後失速。8着となる。結局この年は7戦2勝とした。

2015年[編集]

この年は2月のフジノウェーブ記念からの出走。敗れたゴールドカップの勝馬リアライズリンクスが人気の中、5番人気となる。レースではハナを主張するリアライズリンクス、ジェネラルグラントをマークする形で3番手を追走。直線に入ると内の2頭を尻目に手応え十分に伸び、そのままゴール。後続に4馬身差をつける快勝。これで重賞を6勝目とした。
その後、軽い休養をはさみ5月のかしわ記念に出走、レースは最外枠から出ムチで先頭へ立ち、向正面まで単騎逃げを図るもそのまま失速、8着に終わる。その後は毎年同じく、京成盃グランドマイラーズ、3連覇のかかるサンタアニタトロフィーと出走するが見せ場なく12着、14着となる。地方限定重賞でも目立った成績を残せなくなってきたまま、東京盃、JBCスプリントと消化するも両レースとも10着で終わっている。この年6戦1勝。

2016年[編集]

この年は4戦するが1勝も挙げることなく、6月の京成盃グランドマイラーズを最後に現役を引退した。引退後は大井競馬場で誘導馬となる[3]

2020年[編集]

5月25日に大井競馬場において放馬した際、そのまま警備門を突破し八潮橋交差点付近まで約1.5キロを走行する。八潮橋交差点付近ではワゴン車と衝突し外傷を負うも、その場で警察官などにより保護された[4]

競走成績[編集]

外部リンク[編集]