アミューズ – Wikipedia
この項目では、日本の芸能事務所について説明しています。その他の用法については「アミューズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 株式会社アミューズ(英文社名:AMUSE INC.、香港繁体:藝神集團[5]、台湾正体:雅慕斯[6])は、東証プライム市場上場の大手芸能事務所。テレビ番組・映画・舞台作品の製作等へも多面展開している。グループ企業を通じて、DVD・ビデオ・Blu-ray・CD等のソフト販売なども行っている。1977年設立。創業者は大里洋吉。日本音楽制作者連盟(音制連)に加盟している。 沿革 1977年 7月、渡辺プロダクションでキャンディーズや梓みちよのマネジャーをしていたが、路線の対立などを理由に同社から独立した大里洋吉が、東京都渋谷区代官山町のマンション「カスティヨ代官山」の一室に、新人シンガーソングライターであった原田真二の売り出しが目的で、個人企業「プロデュースハウスアミューズ」として設立。当初は原田とスペクトラムの前身である「ホーン・スペクトラム」のみが所属していた[7][8][9][10][注 1]。 原田はバーニングプロダクション社長の周防郁雄と会った時に「自分のための会社を作って欲しい」と言ったことから、周防はバーニングとは別の会社を作ることを決め、面識のあった大里に紹介し、大里と周防で資金を折半して設立している[11]。 「アミューズ」という社名は大里が命名し、英語で「人を楽しませる・喜ばせる」という意味がある「アミューズ(amuse)」と、ギリシャ神話に登場する文芸や音楽などの芸術を司る9人の女神を意味する「ミューズ(muse)」をかけ合わせている[12][13]。 前述の通り、当初、バーニングとは、運営資金の出資を受けたり、周防から原田やサザンオールスターズの紹介を受けるなどの関係があり、周防はアミューズをバーニングのグループ企業と認識していた。そのため、サザンオールスターズの「いとしのエリー」までの版権はバーニングパブリッシャーズが持っていた(それ以降は持っていない)。現在は特に関係はないようで、周防は「株式上場したときにも何の挨拶もなかった」「運営資金は返してもらっていない」と話している[14]。 渡辺プロとは、暖簾分けではなく、出資も受けていないが、当初は大里個人が引き続きキャンディーズのマネジメントも請け負うなど、一定の協力関係にはあった。 1978年 大里がキャンディーズの解散コンサートのプロデュースに専念し、原田を他のスタッフに任せている間、アイドルとしての売り出し方を嫌うようになった原田がアミューズを退社[7]。 原田の独立から2週間後、サザンオールスターズが入れ替えに入社し、同年6月にデビュー[7]。上半身裸、ランニングパンツ姿でのテレビ初出演が話題になる。アミューズ初のファンクラブ「サザンオールスターズ応援団」発足し、その後もウェブサイトやモバイルファンクラブ、アイテム販売型ファンサービスなどを行っている[15]。 10月、東京都渋谷区代官山町に「株式会社アミューズ」設立(資本金5百万円)[9]。 1980年 三宅裕司のマネジメントを行なうことになり、サザンオールスターズと共に同社の二枚看板となる。 10月、山本久が代表取締役社長に就任し、大里は代表取締役会長になる[7][16]。 1981年
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