マリー=イザベル・ドルレアン – Wikipedia

マリー=イザベル・ドルレアン
Marie-Isabelle d’Orléans
オルレアン家

成婚時のマリー=イザベル


称号 パリ伯爵夫人
出生 (1848-09-21) 1848年9月21日
スペイン王国、セビーリャ
死去 (1919-07-20) 1919年7月20日(70歳没)
スペイン王国、ビリャマンリケ・デ・ラ・コンデサ
埋葬 フランス共和国、ドルー、王室礼拝堂
配偶者 パリ伯フィリップ
家名 オルレアンス=ガリエラ家
父親 モンパンシエ公アントワーヌ
母親 ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボン
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マリー=イザベル・ドルレアン(フランス語:Marie-Isabelle d’Orléans, 1848年9月21日 – 1919年7月20日)は、フランス王ルイ・フィリップの王太孫、パリ伯フィリップの妻。スペイン王女の称号も持っていた。スペイン語名はマリア・イサベル・デ・オルレアンスMaría Isabel de Orleans)。

モンパンシエ公アントワーヌとその妻であるスペイン王女ルイサ・フェルナンダ(イサベル2世の妹)の長女として、セビーリャで生まれた。スペイン王フェルナンド7世とフランス王ルイ・フィリップの孫にあたる。

1864年5月30日、父方の従兄にあたるパリ伯フィリップと結婚、8子をもうけた。

  • アメリー(1865年 – 1951年) – ポルトガル王カルロス1世妃。
  • フィリップ(1869年 – 1926年) – オルレアン公。
  • エレーヌ(1871年 – 1951年) – アオスタ公エマヌエーレ・フィリベルトと結婚。
  • シャルル(1875年) - 夭折。
  • イザベル(1878年 – 1961年) – ギーズ公ジャンと結婚。
  • ジャック(1880年 – 1881年)
  • ルイーズ(1882年 – 1958年) – 両シチリア王族カルロ・タンクレーディと結婚。前スペイン王フアン・カルロス1世の祖母。
  • フェルディナン(1884年 – 1924年) – モンパンシエ公。

フランスから追われたフィリップ夫妻は、最初イギリスへ移った。1871年に帰国が許され、一家はパリのオテル・マティニョンやノルマンディーのユー城で暮らした。

1886年、パリ伯一家は再びフランスを追放された。1894年、亡命先のイギリス・バッキンガムシャーでパリ伯フィリップは死去した。未亡人となったマリー=イサベルはフランスのランダン城で暮らし、1919年にスペインのビリャマンリケ・デ・ラ・コンデサ(セビリア県の町)で死去した。

参考文献[編集]

  • Généalogie des rois et des princes by Jean-Charles Volkmann Edit. Jean-Paul Gisserot (1998)

外部リンク[編集]