柳家小満ん – Wikipedia

柳家 小満ん(やなぎや こまん)は、芸人の名跡。当代は落語家で、3代目を名乗る。

いずれを初代とするか不明だが、飯泉真寿美の小満ん(後述)を2代目とし、以降代数を重ねる。

  • 柳家小まん(1856年3月 – 没年不詳) – 元芸者。1880年代前後から寄席に清元節で出演、1910年代初期まで確認できる。本名:金沢 まん。
  • 柳家小まん – 後の三遊亭桃生
  • 柳家小まん – 後の歌沢寅小満。音曲師。本項にて記述。

歌沢寅小満[編集]

柳家 小まん(やなぎや こまん)、のちの歌沢 寅小満(うたざわ とらこま、1873年1月 – 没年不詳)は、音曲師。本名:梅村 わか。

略歴・人物[編集]

古今亭今坂(梅村竹次郎)の娘。2代目富士松ぎん蝶の門で小ぎん。2代目古今亭今輔の門で小今を名乗る。のちに柳家枝女寿に改名。1895年3月に3代目柳家小さん門で柳家小春。1897年頃に柳家小三代を名乗る。1902年に柳家小まんとなる。

大正期にうた沢の寅派に入り、歌沢寅小満(歌澤寅小満)を名乗った。没年は昭和初期頃と推測される。

芸風[編集]

常盤津から清元まで幅広い芸風であった。

2代目 柳家 小満ん(にだいめ やなぎや こまん、1892年9月2日 – 1972年6月29日)は、元落語家、百面相の芸人。本名:飯泉 真寿美。

略歴・人物[編集]

最初は天狗連に属し、浜九里を名乗った。1910年代に2代目三遊亭圓遊に入門し、三遊亭遊喬の名を与えられる。それ以降十数年にわたり旅巡業を続けた。結婚し子供が生まれたため東京に戻り、4代目蝶花楼馬楽(のちの4代目柳家小さん)の門下に転じ、蝶花楼花蝶と改名。1934年(昭和9年)11月に柳家小満んとなる。

目が悪く、ほとんど見えなかったというが、なぜか実在人物の特徴をつかんで真似るのが得意だった[1]。1955年ごろまで高座に出たが、目が一段と悪くなり引退した。

4代目柳家小せんは実子。

三代目 柳家 小満ん(やなぎや こまん、1942年2月17日 – )は、落語協会所属の落語家。本名:栗原 理。出囃子は『酔猩々』。

経歴[編集]

神奈川県横浜市生まれ。横浜市立金沢高等学校卒業、東京農工大学繊維工学部中退。

1961年5月、八代目桂文楽に入門し桂小勇を名乗る。1965年3月、二ツ目に昇進。

1971年12月、師匠文楽の死去にともない、五代目柳家小さん一門に移籍。1975年9月、真打昇進で三代目柳家小満ん襲名。

活動[編集]

1969年に本牧亭で「桂小勇の会」としてスタートした独演会「柳家小満んの会」は、2019年11月に300回、満50年を迎えている[2]

文字で記録し、ワープロで出力した自身の落語を2015年から「てきすと」と名づけた書籍として自費出版し、一般に通信販売している[3]

芸歴[編集]

受賞歴[編集]

演目[編集]

メディア[編集]

著書[編集]

  • 『落語とおんな 女性男議』(サンケイ出版 1981年)
  • 『さんずいをつけて繰り出す』(北越出版 1988年)
  • 『信号待ちで気が変わり』(北越出版 1992年)
  • 『わが師、桂文楽』(平凡社 1996年)
    • 『べけんや わが師、桂文楽』 (河出文庫 2005年)
  • 『江戸東京落語散歩 噺の細道を歩く』(河出書房新社 2009年)
  • 『柳家小満ん『塩原多助一代記』を読み解く 落語で愉しむ江戸の暮らし』(光文社知恵の森文庫 2013年)
  • 『小満んのご馳走 酒・肴・人・噺』(東京かわら版新書 2015年)

CD[編集]

弟子[編集]

外部リンク[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
  • 古今東西噺家紳士録