Month: July 2020

ヴェールを破るもの – Wikipedia

ヴェールを破るもの(原題:英: The Render of the Veils)は、イギリスのホラー小説家ラムジー・キャンベルが1964年に発表した短編小説。クトゥルフ神話の一つ。 クトゥルフ神話「第二世代」作家であるキャンベルの作品で、1964年にアーカムハウスから短編集『The Inhabitant of the Lake and Less Welcome Tenants』に収録されて発表された。キャンベル作品の邦訳は限られており、本短編は2012年にようやく日本で翻訳された。 翻訳者の尾之上浩司は当作品の前置きにて「クトゥルフ神話のパターンのひとつに「禁断のものに触れてしまい破滅への道に落ちる」というものがあるが、そういった作品のなかでよく使われる言葉がヴェールで――」と述べて内容へと続けている[1]。 キャンベルのブリチェスター・「グラーキの黙示録」物語群の一つである。主役である邪神ダオロスは、キャンベルが創造して本作品にて登場させた神であり、文献「グラーキの黙示録」(グラーキの啓示と邦訳されている)に記されている。ダオロスの異名「ヴェールを破るもの」は、他の二次資料では「ヴェールをはぎ取るもの」とも訳されている[2]。 東雅夫は『クトゥルー神話事典』にて「ダオロス召喚の恐るべき顛末を描く」[3]と解説している。 あらすじ[編集] ある大学で活動していた黒魔術の団体が、存在が明るみに出たことにより組織を解体され関係者は追い出される。ヘンリー・フィッシャーは運よく摘発を逃れ、中心人物が所持していた資料を入手する。

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市村羽左衛門 – Wikipedia

市村 宇左衞門 / 羽左衞門(いちむら うざえもん、新字体:羽左衛門)は、歌舞伎役者の名跡。名の部分は七代目までが宇左衛門、以後が羽左衛門。昭和までは17代をかぞえた[1]。 屋号は七代目までは不詳、七代目から十六代目までは菊屋、十六代目以降は橘屋。 十六代目以降の定紋は根上り橘(ねあがり たちばな)、替紋は渦巻(うずまき)。 当初「市村宇左衛門」は江戸三座の一つ市村座の座元(座を主宰し芝居小屋を経営する者)の名跡だったが、元禄年間から座元が役者に転じたり、逆に役者が座元を兼ねたりすることが多くなる。そして明治末年に市村座の経営権が田村成義の手に渡ると、「市村羽左衛門」は単に役者の名跡となった。 市村座の歴史は、寛永年間に村山又三郎が江戸に出て、葺屋町に村山座の櫓を上げたのに始まる。しかし村山座の経営は不振で、年を追うごとに負債がかさんでいく。又三郎のあと座元を継いだ女婿の村田九郎右衛門は、自らが病弱だったこともあり、又三郎が数ヵ月後に病死するとすぐに村山座の興行権を売却してしまう。これを買い取ったのが上州の人で村山又三郎の門人だった市村宇左衛門である。このとき座名も村山座から市村座に替わった。 2001年(平成13年)に死去した先代の市村羽左衛門は十七代目だった。しかしこれまでに「市村宇左衛門/羽左衛門」を実際に襲名した者は12名を数えるのみである。残りの5名は、いずれも死後に代々の「市村宇左衛門」に数えられた「贈何代目」の市村宇左衛門である。 そもそも「市村宇左衛門」とは、村山座の興行権を買い取って市村座を始めた上州の人・市村宇左衛門の本名である。にもかかわらず、彼は市村宇左衛門の宗祖としてではなく、三代目として数えられている。これは彼に先立って村山座の座元だった村山又三郎と村田九右衛門の両名にそれぞれ初代宇左衛門と二代目宇左衛門が追贈されているからである。また今日四代目・六代目・七代目の宇左衛門として知られる人物は、いずれも諸般の事情から市村座の座元は継いだものの「宇左衛門」の名跡を襲名するには至らなかった者で、死後にやはり市村宇左衛門が追贈されて代々に加えられたものである。 市村宇左衛門/羽左衛門 代々[編集] 十三代目市村羽左衛門の飴売渦松 街角で人形や楽器などの芸を披露しながら飴を売り歩く江戸の飴売りに扮した十三代目市村羽左衛門。その派手な衣装には定紋の根上り橘と替紋の渦巻が鮮明に染抜かれている。渦巻は飴売の商標でもあった。初代歌川芳艶 画『飴賣渦松 市村羽左衞門』。 贈初代 市村宇左衛門

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御台所 – Wikipedia

「台所」とは異なります。 御台所(みだいどころ)は、大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称。奥方様の意。御台盤所(みだいばんどころ)も同じ。 「御台」、「御台盤」とは身分の高い人の食事を載せる台盤を指す。 「台盤所」とは宮中や貴族の邸宅の配膳室(また調理する場所)を指す。台所はその略。 御台盤所の「台盤」とは、長方形の縁がついた盤に四脚を添えて台状にした一人用の食卓で、今日でいう膳のことである。かつてこうした台盤が日常的に使われていたのは上流貴族の邸宅や宮中に限られていたが、「台盤所」とは文字通りとはその台盤を置いておく所のことで、調理や配膳を行う一室のことを指した。これが今日でいう台所の語源である。後に宮中ではさらにこれが転じて、清涼殿内の女房詰所のことを台盤所と呼ぶようにもなっている。 平安時代の中頃までは、三位以上の公卿の正室はみな「北政所」と呼ばれていた。しかし時代が下るとこれが格式化して、「北政所」は宣旨をもって贈られる称号となり、しかもその対象は摂政または関白の正室のみに限られるようになった。 すると三位以上の公卿でも大臣や大将の正室には、必然的に別の呼び名が使われるようになる。これが御台盤所、またこれを略した台盤所(だいばん どころ)や御台(みだい)で、院政時代以降の文献にこれが散見する。 例えば、藤原師実の正室・源麗子は、師実が大臣だった頃(内大臣→左近衛大将→右大臣→左大臣)には「大盤所」(御台盤所)と呼ばれていたが、承保2年(1075年) 師実に関白宣下があって以降は「北の政所」(北政所)と呼ばれており、御台盤所と北政所の用法に明確な違いが見て取れる。 鎌倉時代に成立した『平家物語』の巻一には入道相国平清盛の子らについて語られる章があるが、ここでも娘たちを紹介するくだりでは、その呼び名に明確な差異を見ることができる。 一人は……花山院の左大臣殿の御台盤所にならせ給ひて……一人は后に立たせ給ふ……一人は六條の攝政殿の北政所にならせ給ふ……一人は普賢寺殿の北政所にならせ給ふ。一人は冷泉大納言隆房卿の北方。一人は七條修理大夫信隆卿に相具し給へり。 — 『平家物語』巻一、五「吾身榮花」 とある。この「花山院の左大臣殿の御台盤所」とは、左大臣藤原兼雅の正室となった次女のことを指す。次の「后」というのは高倉天皇の中宮となり安徳天皇を生んで国母となった三女の徳子、「六条の摂政殿の北政所」というのは摂政関白藤原基実の正室となった四女の盛子、「普賢寺殿の北政所」というのは摂政関白近衛基通の正室となった六女の完子のことである。また「冷泉大納言隆房卿の北方」というのは権大納言藤原隆房の正室となった五女のことだが、隆房は後白河院の寵臣としては名を馳せたものの、大臣でも大将でも摂政でも関白でもなかったので、その正室も「北方」という表現になっている。そして「七条修理大夫信隆卿に相具し給へり」というのは修理大夫藤原信隆の妻となった長女のことで、信隆には正室が別にいたためこの長女は北方ではなく、したがって「相具す」(嫁ぐ)という表現が使われている。 将軍正室[編集] 鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻である北条政子が「御台所」と称され、以降歴代の将軍正室の呼称となる。のちの室町幕府・江戸幕府の将軍夫人も御台所と称された。 参考文献[編集] 関連項目[編集]

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調和の霊感 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “調和の霊感” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年8月) 作品3〈調和の霊感〉初版(1711)の表紙 パリでの再版の表紙 『調和の霊感』(ちょうわのれいかん、L’estro Armonico)作品3は、アントニオ・ヴィヴァルディが作曲した全12曲からなる協奏曲集。1711年にアムステルダムのエティエンヌ・ロジェより出版された。トスカーナ大公子フェルディナンド・デ・メディチに献呈されている。ヴィヴァルディの最初に出版された協奏曲集。『調和の幻想』とも表記される。 『調和の霊感 作品3』はヴィヴァルディがピエタ院の音楽教師に復帰した1711年に、オランダ・アムステルダムの出版社エティエンヌ・ロジェから6曲ずつの2巻組で出版されている。曲集はトスカーナ大公コジモ3世の長男、フェルディナンド・デ・メディチへ「フェルディナンド3世」の敬称で献呈されている。この称号はフェルディナンドが大公位を継いだ際に名乗るはずもので、公子への敬称として用いられていたものの、コジモ3世が長命だったためいまだ正式のものではなかった。しかしそれゆえにフェルディナンドが求める呼び名と符合する「作品3」を献呈する対象としてふさわしい人物とされ、ヴィヴァルディ以前にもトマゾ・アルビノーニと、ジョルジョ・ジェンティーリ (Giorgio Gentili 1669 – 1737)

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木村行宏 – Wikipedia

木村行宏 Kimura Yukihiro 木村行宏 基礎情報 行司名 1996年 木村行男→木村幸二郎2001年1月 木村幸二郎→木村行男2006年5月 木村行男→木村行之介2009年9月 木村行之介→木村行宏 本名 福永幸敏(ふくながゆきひろ) 生年月日 (1973-07-26) 1973年7月26日(48歳) 出身 宮崎県宮崎市瓜生野 所属部屋 玉ノ井部屋

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組成列 – Wikipedia

組成列(そせいれつ、英: composition series)は、抽象代数学における概念の一つであり、与えられた群や加群といった代数的構造を、代数的により単純な構造の単純群や単純加群に分解する手法を与えるものである。組成列が存在するという条件は、有限個の単純(加)群の直積(直和)に書けるという条件よりも弱い。また、組成列が存在すれば、それはある意味で一意的である。 群の組成列の定義は次のとおりである。群 G が相異なる部分群の有限列 G=Gn⊋⋯⊋G0=1{displaystyle G=G_{n}supsetneq cdots supsetneq G_{0}=1} を持ち、各添字 1 ≤ i ≤ n について Gi−1 は

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マイケル・ブレッカー (アルバム) – Wikipedia

『マイケル・ブレッカー』(Michael Brecker)は、アメリカ合衆国のジャズ・サクソフォーン奏者、マイケル・ブレッカーが1987年に発表したスタジオ・アルバム。 ブレッカーは1982年、クラウス・オガーマンと連名のアルバム『シティスケイプ』を発表しているが、単独名義でのリーダー・アルバムは本作が初となる[2]。ただし、ブレッカーは既にキャリアの長いミュージシャンで、ドリームス、ブレッカー・ブラザーズ、ステップス・アヘッドといったバンドでの活動に加え、スタジオ・ミュージシャンとしても多忙だったため、リーダー・デビュー前にして300枚以上のアルバムに参加してきた[3]。ブレッカーは本作の音楽性について「ステップス・アヘッドは私のエレクトリック色の領域を担っていた。そして私は今回、より自由度の高い環境でアコースティック色の強い演奏をするという、自分にとってより重要な方向性に回帰すべき時だと感じた」とコメントしている[4]。 オリジナルLPおよびカセットは6曲入りだが、同時期に発売されたCDには「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」がボーナス・トラックとして追加された[5]。 反響・評価[編集] 母国アメリカでは、『ビルボード』のジャズ・アルバム・チャートにおいて自身唯一の1位獲得を果たした[6]。 本作は第30回グラミー賞(英語版)において、最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞にノミネートされた[7]。スコット・ヤナウはオールミュージックにおいて満点の5点を付け「全体的にはストレート・アヘッドな音楽性だが、決してありがちな内容ではなく、参加ミュージシャン達に挑戦を強いるトリッキーな楽曲が並び、ブレッカーは終始好調で、幅広い才能を見せている」と評している[8]。 トラック・リスト[編集] # タイトル 作詞 作曲・編曲 時間 1. 「シー・グラス – Sea Glass」(Michael Brecker)  

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乃木坂シネマズ〜STORY of 46〜 – Wikipedia

『乃木坂シネマズ〜STORY of 46〜』(のぎざかシネマズ ストーリーオブフォーティシックス)は、2019年12月25日から2020年2月26日にかけて毎週水曜0時にFODで配信されていた日本のインターネットテレビドラマ。 乃木坂46の人気メンバー10人が各1話ずつ主演を務めるオムニバスドラマ[1]。アクション、SF、恋愛、コメディー、ファンタジーから本格的な人間ドラマまで様々なジャンルに挑戦する。監督は10人の若手クリエイターが1話ずつ担当した[1]。 地上波では2020年1月22日から3月25日まで毎週水曜1時25分からフジテレビで放送された。2020年6月9日から6月30日までブレイクマンデー24枠(火曜0時25分 – 0時55分)で特別編が放送された[2]。 放送日程[編集] 話 配信日 地上波放送日 タイトル 主演 助演 監督・脚本 1 2019年12月25日 2020年1月22日 鳥,貴族

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東北軍管区部隊 – Wikipedia

東北軍管区部隊(とうほくぐんかんくぶたい)は、第二次世界大戦中の1945年に、日本の東北地方にあたる東北軍管区の非作戦部隊・官衙・地域防衛組織をまとめて編成した日本陸軍の部隊である。東北軍管区司令部に隷した。 東北軍管区は、従来の東部軍管区から東北地方を割いて1945年2月11日に設けられた[1]。これを管轄地とする司令部が東北軍管区司令部で、隷する部隊を東北軍管区部隊と呼んだ。軍管区部隊は、作戦部隊を除いた部隊・官衙と民間防衛組織を軍管区司令部の下に一括したもので、有機的なまとまりはない。そして、東北軍管区の防衛を担任した作戦軍は第11方面軍である。方面軍司令部と軍管区司令部は、司令官・参謀長と大部分の司令部要員が兼任しており、作戦と管区という二つの指揮系統を結び合わせていた。 兵力の中心は、仙台師管区と弘前師管区に対応する仙台師管区部隊と弘前師管区部隊である。師管区部隊の中心は各種補充隊で、兵士の訓練と部隊の編成にあたった。 部隊の人員と配置[編集] 東北軍管区編制人員表による編制[編集] 「東北軍管区編制人員表」による編制上の定員[2]。合計は約5万8千人で[3]、その半数以上が地区特設警備隊だが、実数は異なる可能性がある。軍人と軍属の数は分けている。かっこ内の年月は、その編制が定められた時で、それ以前の定員は異なるが、多くの場合大差ない。 東北軍管区司令部 – 596人、軍属15人。 仙台師管区司令部 – 264人、軍属12人。 補充隊(歩兵3個、砲兵・工兵・通信・輜重兵各1個)- 8084人、軍属7人。 連隊区司令部(仙台・福島・山形) – 355人、軍属70人。 地区司令部(仙台・福島・山形) – 142人(うち兼任者21人)。

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オッカムの剃刀 – Wikipedia

三浦俊彦が描いたオッカムの剃刀の説明図[1]。三浦はオッカムの剃刀について「ある事実Pを同様に説明できるのであれば仮説の数(または措定される実体の数)は少ないほうが良い」とするものだと説明した。 オッカムの剃刀(オッカムのかみそり、英: Occam’s razor、Ockham’s razor)とは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」とする指針。14世紀の哲学者・神学者のオッカムが多用したことで有名になった。 もともとスコラ哲学にあり、様々なバリエーションがあるが、20世紀にはその妥当性を巡って科学界で議論が生じた。「剃刀」という言葉は「説明に不要な存在を切り落とすこと」を比喩しており、「説明するために必要以上に多くの仮定を用いるべきではない」や「説明する理論・法則は比較的に単純な方がよい」などの意味で使用されることが多いため、オッカムの剃刀は思考節約の原理[2]や思考節約の法則、思考経済の法則とも呼ばれる。またケチの原理と呼ばれることもある。 原文[編集] 必要が無いなら多くのものを定立してはならない。少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない。[3] — オッカム 類似の表現[編集] 「自然物に関しては、事実で かつ充分な原因だけを認めるべきだ。同じ自然的影響については、できるかぎり、同じ原因を用いて説明すべきなのだ。」[4] — アイザック・ニュートン 可能ならいつでも、知られていないエンティティを推定するかわりに、知られているエンティティでの構成を用いるべし。[5] — バートランド・ラッセル 英語では次のように表現されることがある。 伊勢田哲治は次のように説明した[6]。例えば、等速直線運動に対する次のような説明があったとする。

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