ちゃんこ鍋 – Wikipedia

ちゃんこ鍋(ちゃんこなべ)とは、相撲部屋において、日常的に食されている鍋料理である[1]。「ちゃんこ」とは本来、相撲部屋において「ちゃんこ番」の力士が作る手料理の全てを指すが[2][3][4]、その中でも特に広く知られているのが、この鍋料理全般を指す「ちゃんこ鍋」である。相撲部屋のちゃんこ鍋は力士の体格を作り上げるために、栄養バランスが第一に考慮される他、門外不出の隠し味なども存在する。

明治終盤以前には力士の食事は個々に配膳されていたが、明治42年の旧両国国技館完成の頃[4]に名横綱である常陸山の人気で出羽海部屋への入門者が一気に増え、個々に配膳していてはとても間に合わなくなったので、常陸山により1つの鍋を皆で囲んで食べる形式が考え出された。それ以降、相撲界では鍋料理が定番として定着している[5]

明治終盤、横綱常陸山谷右エ門以降の相撲部屋で鍋料理が広く取り入れられ、鍋料理は相撲部屋の食事の代名詞となっていった(ただし、常陸山以前にも力士が鍋料理を食べることがまったくなかったわけではない[6][7]。江戸時代までの力士の食生活については記録がないため、不明である[4])。一度に簡易かつ大量に調理できるうえに栄養のバランスが良く、材料を加熱しているために伝染病や寄生虫などの心配も少なく(ただし、佐渡ヶ嶽部屋フグ中毒事件の様に素人調理が原因となる死亡事故も発生している)、鍋を囲むことで連帯感も生まれるため、力士の食事に適している[4]。町の料理屋で食べられるちゃんこ鍋は、引退した力士が自らの育った相撲部屋伝統の鍋料理を一般向けに提供して広まっていったものである[8]。相撲部屋では1種類の鍋だけが食べられているわけではなく、ちり鍋やソップ炊きなどさまざまな種類や味付けの鍋料理が作られている。それらの相撲部屋で作られる種類の鍋を、まとめて「ちゃんこ鍋」という。一般向けに出されているものは寄せ鍋風が多く、魚も肉も一緒に入るものがあるが、相撲部屋で作られる鍋料理には本来は魚と肉を一緒に入れる鍋はない[8]。天龍源一郎が大相撲力士であった頃の二所ノ関部屋のちゃんこはニンニクがたっぷりであり、その匂いは強烈であったという[9]

力士は食べることも仕事のうちや稽古のうちとされ、相撲部屋において食事の場であるちゃんこ場は稽古場の次に大事な場所とされる[5]。ほとんどの相撲部屋において、ちゃんこ場は稽古場の隣に存在する[5][10]。角界には「ちゃんこの味が染みる」という言葉があり、これは入門した新米力士が稽古に励み、精神的にも肉体的にも相撲界に馴染んできた様子を表している[11]。力士が力をつけてくると、「ちゃんこの味が染みてきたな」というのが褒め言葉になっている[12]。また、元横綱・初代若乃花の二子山親方の口癖は「おまえら、まだちゃんこの味が染みていないな」だったといい、力士が強くなるのは稽古とちゃんこの2つだとされている[13]

戦後生まれが増加した昭和40年代以降は、牛や豚が好んで食され、魚離れが進んだ。平成末期の時点では、豆乳ベースやトマト味、中華風、塩バターなどのアレンジが加えられている。鍋以外にもサラダや焼き魚、玉子焼き、ステーキなどのサイドメニューが豊富に添えられるが、鍋離れは着実に進んでいた。また、米の消費量も昭和期と比べると随分と減った。かつてはちゃんこのお供に酒が定番であったが、後に酒よりプロテインを好むアスリート系の力士が増えた[14]

相撲部屋ではちゃんこ長のもと、ちゃんこ番の力士が作る。ちゃんこ番は大人数を擁する部屋では3 – 4人の班を作っての交代制であるが、小規模の部屋では全員で作ることもある[15]。普通は各部屋とも幕下以下の力士による番が務められており、稽古に支障が出ないように日替わりで担当する[16][17]。また、相撲教習所を卒業したばかりの新米の部屋力士が担当することもある[18]。幕下以下の古株の力士が長を務め、献立の決定や買い出し、調理および給仕を取り仕切る[15]。ちゃんこ番は自分の稽古が終わると台所に入り、関取が稽古を続けている間に調理を進める[16]。ちゃんこ番として料理の腕を磨いておくと、引退や廃業した後にその腕を活かして飲食店を開業する道が開けるとされる[16]

ちゃんこを食べる順番は、最初に親方と来客、次に関取衆、最後に取的である[19]が、関取がいない部屋や、小規模な部屋などは車座になって一斉に食べることもある。

大相撲では朝食抜きの1日2食が原則である[20]。ただし、力士が個別に朝食を外食で済ませることもあり、臥牙丸は引退後の2021年7月場所13日目のABEMA大相撲中継の解説を務めた際、実況の清野茂樹アナウンサーからかつては九州で大好物のラーメンを13玉食べていたというエピソードを振られると、それが前日の18時から飲み明かした後に6時に摂った朝食であり、その後朝稽古に向かったと明かしている[21]

2018年の琴剣淳弥の記事によると、ちゃんこ鍋は弟子がきちんと食事稽古を行っているかを部屋の師匠が見渡すのに合理的な食事形態であるといい、本場所中は反省会的な意味を込めて親方が本場所の職務を終えて帰ってきてから夜の時間帯にちゃんこ鍋を食べるという[22]

外国人力士は得てしてちゃんこに馴染めない傾向があり、初の外国人力士である元関脇高見山大五郎などはケチャップをかけることでようやく問題なく食べられるようになったという。ブルガリア出身の元大関琴欧洲勝紀もなかなか米に対応できず、ヨーグルトやチーズをかけて食したと伝わっている。ちゃんこに馴染んだ外国人力士であっても相撲の常識を覆す食べ方をする者が多く、横綱昇進後の朝青龍明徳は自身の希望で部屋の食事に馬乳(正確には馬乳酒)入りちゃんこを用意させたことがあり、若い衆は同じメニューを食するのに手を焼いたという。ムスリム(イスラム教徒)である大砂嵐金崇郎に至っては、いわゆる食のタブーから、大嶽部屋所属の他の力士と別メニューのもの(豚肉やその副産物、アルコール類を含むものが一切入っていないもの)を食すこともあり、断食月であるラマダンの時期には、時間帯も日没後にずらして食している。

北の富士の著書によると、2016年時点の相撲部屋のちゃんこは学生相撲出身者が2、3年ほどちゃんこ番の仕事をかじっただけで作るので、あまりおいしくないという。同じ著書で北の富士はまた、イワシを皮や骨ごとすり潰したつみれを「舌触りが悪い」と言って今日日の相撲部屋では食べられることがないこと、インスタントラーメンや肉ばかりがちゃんこ鍋に使用されることなどを嘆いている[23]

ちゃんこ鍋は増量を行うための料理でもあるが、それ自体が肥満の原因になるのではない。力士の体重が増えるのは、あくまでも空腹で稽古した後にちゃんこ鍋をスープ代わりにたらふく食べてすぐ昼寝する生活が原因である。鍋自体には野菜やきのこ類、豆腐、肉や魚がバランスよく入り、煮込んでいるために消化が良く、身体も温まって代謝も上がる。このように、ちゃんこ鍋は料理として健康的なメニューと言える[24]

大勢で食卓を囲む形式の食事であり、3つの密の内「密集」に該当する[25]ことから、感染症の拡大リスクが高く、新型コロナウイルス流行を受け、対策としてちゃんこ形式の食事スタイルが自粛されることとなった[26]

ちゃんこ鍋の味としては、ちり鍋風のものと寄せ鍋風のものの2系統があるとされる[1]。また、水炊き(ちり鍋)[6]、だし汁あるいはスープ炊き(鶏のソップ炊きなど)[6]、塩炊き(寄せ鍋系)、味噌炊き(牡蠣の土手鍋など)[6]の4系統に分類されることもある[27]。他にも煮ぐい(砂糖と醤油で食材を煮込む)と呼ばれるすき焼き風のちゃんこもある[6]

相撲部屋においては魚系のちゃんこ鍋では8割方がちり鍋で[28]、鶏のソップ炊きも相撲部屋でよく食べられる鍋料理である[29]

元横綱大鵬幸喜はちゃんこの基本はソップ炊きだと言い、鶏のソップ炊きは一例では鶏がらを煮込んでスープを作り、鶏のモモ肉と玉ねぎを入れ、醤油、砂糖、酒で甘めに味をつける。鶏肉と玉ねぎが煮えたら野菜類と油揚げなどを入れる[30]

相撲部屋では毎日のように鍋を食べるが、日毎に材料も代わり、味付けもさまざまなものがあるので、飽きることはないという[31]。ちゃんこ場では野菜は手でちぎって入れ、肉や魚も大まかに切り、ドバっと入れて豪快に作るのが相撲界ならではという[32][33]

人間と同じように二本脚で立つ鶏から縁起を担ぐ意味で、肉は鶏が最も多く用いられている。かつては「四つん這い」=「手をついて負け」という連想から、牛や豚などの四足動物の肉は避けられていたが、昭和40年頃からはこれらもよく使われるようになり[4]、現在ではこのように縁起を担ぐことはほとんどない[6]。ただし、2021年時点でも正月料理としては験担ぎに鶏ちゃんこを食べる文化がある[34]

食糧事情[編集]

明治42年頃よりちゃんこが広まったがそれまでは回向院前の広場で日本相撲協会主催の炊出しが行われており、経済事情が良くない部屋に無償で提供していた。一部両国周辺の住民にも提供されていた。明治42年の両国国技館開館を機に規約上廃止となったが、その後も大正期まで炊き出しが続いた。

春日山部屋所属だった緑島(のち年寄立浪)は現役中米にありつくことは炊出し以外ほとんどなく、すいとんや目刺しばかりだったという。

食料事情が良くなかった昭和30年代頃までの角界においては、下位の力士たちは大抵、関取たちが食べ終えたちゃんこの残り汁と漬物だけをおかずに米の飯を掻き込んでいたという。時津風部屋出身の元関脇蔵間竜也によると、彼の新弟子時代には、関取たちの食事が終わった後には米の飯すら残らない有様で、彼が煎餅を食べて空腹を紛らわせていたところ、兄弟子から「煎餅を食べるならチャンコを食べろ」と注意されたといい、当時はいかにちゃんこが重要視されていたかがうかがえる[35]。番付社会の悲哀の象徴として、「若い衆が鍋に残っている具を箸で取ろうとしたら、汁に映った自分の目だった」という古い逸話がある。大鵬は若い頃、鍋が煮立つのを待つ間にどんぶり飯を2杯食べたというが、これは鍋が煮えるまで待っていては米すらも残らなくなるという意味である[36]。なお、現在では食糧事情の充実や「新弟子の頃は寧ろ食べて身体を作るべき」という意識の変化もあり、最下位の新弟子であっても十分なちゃんこを口にすることができ[6]、寧ろ稽古不足による栄養過多のリスクが指摘される[37]

ちゃんこ」の語源には以下の二説がある。

父由来説[編集]

  • 父さん・爺さんを意味する「ちゃん」(「子連れ狼」などで有名)に「こ」が付けられたものであるとする説[2]。かつて若い力士が、炊事番のおじさんを親しみを込めて「チャン」と呼んでいたのが、いつからか「チャンコ」になっていたというもの[38]
  • 常陸山は料理番をしていた古参力士を親しみを含め「父公(ちゃんこう)」と呼んでいたことが伝えられている[39]。相撲甚句の歌詞にも「昔、料理の番長は/ロートル力士の受け持ちで/禿げた頭の鉢巻が/鳥や魚を調理する/若い力士がそれを見て/田舎の父ちゃん偲びつつ/父ちゃん詰めてちゃんと呼ぶ/力士の作る手料理が/何時の間にやらちゃんことなる」とある[要ページ番号]
  • 父ちゃん、おっちゃんなどの「ちゃん」に、東北方言の語末に付く「こ」が付けられたものであるとする説[6][4]
  • 親方を父になぞらえ「チャン」、弟子を「コ」として親方と弟子で食事をする事である説[40]

中国語由来説[編集]

  • 江戸時代初期に中国から長崎に伝来した鍋[注 1]の唐音あるいは転訛であるとする説[2][4]。当時、長崎へ巡業した職業力士が大鍋料理を「チャンコ」と称したというもの[4]
  • 中国を指すチャンと、中国語で「鍋」を指すのコ(クオ)が組み合わさったもの。中華鍋の意[42]
  • 座人屋敷の中国人を意味するとの説[2]

ちゃんこに由来する言葉[編集]

力士の体形を指す用語「ソップ型」は、ちゃんこ料理に由来する。ちゃんこのソップ(スープ)をとるのに用いる鶏ガラに似た、細く引き締まった体形のことである[4][43]

プロレスにおける「ちゃんこ」[編集]

日本のプロレス団体において、道場での練習後に供される食事も「ちゃんこ」と称し、主にちゃんこ鍋が供される。元関脇の力道山が日本プロレスを設立したうえ、団体所属の過半数が大相撲出身者であったことも重なり、大相撲の習慣や隠語をそのままプロレスへ持ち込んだことも影響していると言われる[44]

力道山存命当時の日本プロレスでは、朝食抜きで朝10時から休みなしで4時間練習を行った後、15時頃にちゃんこで食事を摂っている。大相撲の習慣に倣い、1日2食であったとされる。基本的に味付けは大相撲とほぼ同様に踏襲されているが、新日本プロレスやパンクラスでは具材(主に鶏もも肉)を湯のみで煮て、特製のたれで食す水炊き形式で供されることが多い。特にパンクラスでは「旗揚げ当初は金が無かったため、いかに安く大量に作れるかが大事で、あとは肉体改造のために脂を落とすことを考えた」こともあり、食材となる鶏もも肉についても脂身部分を除去して使用されるという[45]

相撲部屋と同様に当番にあたるレスラーや練習生がちゃんこ番を務めているが、新日本プロレスの合宿所では一時期、調理師が採用されたこともある(その後は道場管理人である小林邦昭と当番レスラーが調理している)。プロレス評論家の菊池孝によれば、力道山の付き人頭であった田中米太郎(桂浜)は「ちゃんこの腕前は日本マット界随一だった」と評され、田中がちゃんこを作った際には、力道山がわざわざ道場にやって来るほどであったという[44]。またリキプロに所属していた和田城功は、中華料理店で1年間の修行を積んだうえでプロ入りしており、リキプロでは腰などの怪我で練習に参加できない代わりに主にちゃんこ番を務めていた[46]

このほか、キラー・カーン、グレート小鹿、ザ・グレート・カブキ、桜田一男(ケンドー・ナガサキ)、米村天心などのように、ちゃんこ番としての調理経験を活かして引退後などに飲食店を開業したレスラーも少なからずいる[44]

道場マッチなどのイベントにおいても、選手が作ったちゃんこ鍋が観客に振る舞われたり、販売されたりすることもある。

注釈[編集]

  1. ^ 鍋の名称については、資料によって「サンコ鍋」[2]、「鏟鍋【チャングォ】」[4]、「チャンクオ」[6][38]、「砂(沙)鍋【シャーコオ】」[41]とまちまちである。

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]